夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

瑞穂の国の秋

2012-10-21 19:11:14 | 日記
夕方に総社の備中国分寺の近くを通ったら、稲がたわわに実った田んぼの景色がずっと続いていて、とてもきれいだった。

この辺りはきっと弥生時代の昔から稲作に適した土地で、穀倉地帯だったのだろうと思う。

そういえば、日本人が心の中に思い描く日本の原風景とは、秋の田に稲穂が輝いている景色だと聞いたことがある。

『古事記』にも、天照大御神が忍穂耳命(オシホミミノミコト)に、わが国の統治を委任するくだりがあるが、そこで日本のことを「豊葦原千秋長五百秋水穂国(とよあしはらのちあきのながいほあきのみづほのくに)」と呼んでいる。

小学館の日本古典文学全集の注では、

トヨはほめことば、「千秋長五百秋」は千年も五百年も収穫の時が長く続く意、「秋」は収穫の季節、「水穂の国」はみずみずしい稲穂のできる国の意。葦の豊かに茂る原の、いつまでも豊かな収穫が続く、みずみずしい稲のできる国として、稲を主食とする古代日本を祝福した国ほめの語である。

と書いてある。

そんなことも思い出しながら、思わず車を停めて、写真を撮っていたら、午後六時になり、備中国分寺から暮れ六つを告げる鐘の音が響いてきた。古代から変わらず続いてきた秋の夕暮の風景のように思えて、

  夕されば稲葉なびかせ吹く風に遠(をち)のみ寺の鐘ぞ聞こゆる

N・ヒル『仕事の流儀』(その6)

2012-10-20 23:12:11 | N・ヒル『仕事の流儀』
There is no compromise between a man and his habits. Either he controls his habits or his habits control him. The successful man, understanding this truth, forces himself to build the sort of habits by which he is willing to be controlled.
Habits are formed step-by-step through our every thought and deed.
Center your thoughts upon a definite aim, through concentration, and very soon your subconscious mind will pick up a clear picture of that aim and aid you in translating it into physical counterpart.
(“How to sell your way through life”‘7 Concentration’)

ヒル博士が、「人間とその習慣の間には、妥協点などない」と言い切っているのが心に残った。

「自分が自分の習慣をコントロールするか、習慣が自分をコントロールするか、どちらか一方しかない。成功している人は、この真実を知っているから、自分をそのようにコントロールしたい習慣を確立するよう、自分自身に強制する。」

確かに、習慣を味方につけるか、習慣の奴隷になってしまうかは大きい。しかし、よい習慣を身につけるのは難しい一方、せっかく身についたよい習慣も、ちょっと油断をすれば、たちまちのうちに失われやすいものでもある。

「習慣は、私たちの思考と行為とを通して、一歩一歩着実に形成される。」私たちは、毎日の一つ一つの思いや行動に、それがよい習慣となるよう、願望と情熱をこめて行わなければならないと思う。

「自分の思考を明確な目標に徹底的に集中しなさい。そうすればすぐに、自分の潜在意識は、その目標についてのはっきりしたイメージをとらえ、目標に対応する具体的な行動に変換するのを助けてくれる。」特定の目標に集中し、専念するからこそ、潜在意識も味方についてくれる。最近、忙しさを理由に、仕事の準備や自分の勉強のために、まとまった時間を確保し、その枠内で集中して専心することがおろそかになっていた。形だけ、ルーティンのように仕事や勉強をするのが習慣になってしまってはいけない。一見地味に見えても、よき習慣づくりのための努力を続けよう。

N・ヒル『仕事の流儀』(その5)

2012-10-19 22:01:10 | N・ヒル『仕事の流儀』
The act of selling, if scientifically conducted, may be compared to an artist at his easel. Stroke by stroke, as the artist develops form and harmony and blends the colors on a canvas, the Master Salesman paints a word picture of the thing he is offering for sale. The canvas on which he paints is the imagination of the prospective buyer. He first roughly outlines the picture he wants to paint, later filling in the details, using ideas for paint. In the center of the picture, at the focal point, he draws a clearly defined outline of motive! As a painting on a canvas must be based upon a motive or theme, so must a successful sale.
(“How to sell your way through life”‘3 The strategy of Master Salesmanship’)

第3章では、人に物を売り込む行動を、画家が絵を描くことになぞらえているのが印象に残った。

画家が一筆ごとに、キャンバス上に形と調和を展開させ、色を混ぜ合わせていくように、セールスの達人は、自分が売り込もうとするものについての「言葉の絵」を描くのだという。彼は、見込み客の「想像力」をキャンバスにして、まずラフに自分の描きたい絵の輪郭を描き、あとからアイデアを使いながら細かい部分を埋めていく。絵の真ん中の、中心点には、はっきりと定義された「動機」の輪郭を描く。しっかりとした「動機」と主題に基づいた絵と同じようなら、セールスはうまくいくにちがいない。

それに対して、無能なセールスマンは、あわただしく自分の売り込みたいものについての粗雑な輪郭をスケッチし、絵から「動機」が置き去りになっているのだという。だから、見込み客も、そのセールスマンの心の中に隠れてしまったもの(=動機)を見ることができず、彼の荒っぽい、あるいは未完成な、生気のない絵に心を動かされることはない。ヒル博士が、「願望」という種が心の中にまかれなければ、「動機」に対する訴えかけにならないと結論づけているのは、今の自分にグサッときた。

今の自分が、授業をするにしても、論文を書くにしても、自分の訴えたいものがあり、動機や主題を明確にして、受け取る側の役に立ってほしいという願望をこめて、想像力やアイデアをフルに使ってやっているだろうか?仏作って魂入れず、のようなことになっていないだろうか?

今日は書きながら自分を省みて、できていないことばかりなのが身にしみてわかった。職業人は、常に原点を忘れず、情熱をかき立ててやっていくことが大切だ。

夕焼け雲にさそわれて

2012-10-18 21:29:32 | 日記
今日の午後、玉野に行った帰り、橋からの夕焼け空の眺めがとてもきれいだったので、思わず近くに車を停めて、写真を撮ってしまった。橋の上に立っていると、川を渡る風がやや肌寒く吹き、水面に波紋を寄せている。川の手前の岸辺には水鳥たちが群れていたが、しばらくすると鳴き声を上げながら飛び去っていってしまった。日没後の残照の景色はほんのわずかな間だけで、私が車に戻ったときには、もう辺りは真っ暗になってしまっていた。

  夕日うつす川面に秋の風過ぎて雁なきわたる声ぞ聞こゆる

その前には、玉野市にあるみやま公園に寄ってきた。ほとんど休憩のみだったが、ついでなので、園内にあるイングリッシュ・ガーデンに初めて入ってみた。本格的な英国庭園で、四季折々の花と緑が楽しめるように設計されており、見ているだけで癒された。「ローズガーデン」という一角には、四季咲きのバラが植えられており、写真のように愛らしいバラの花が咲いており、辺りにはさわやかな香気が立ちこめていた。

  

私が見ていたときは、ちょうどローズガーデンで何人かの方が花壇の手入れをしておられた。こうした方が大事に世話をされているからこそ、花も心と美しく咲くことができるのだろう。

  心から咲ける薔薇(さうび)の色も香もしたふばかりに秋風ぞ吹く

追々々々々試

2012-10-17 21:01:38 | 教育
中間考査は昨日で終了したのだが、追試になった生徒への対応がまだ残っている。

先週木曜日に1年生の古文のテストがあって、
「用言の活用の文法問題20点のうち、半分取れない者は、自動的に追試!」
と予告しておいたのだが、なんと2クラス70名のうち、36名が不合格に。

翌金曜日に、文法ワークノートから該当部分を印刷したものを不合格生徒たちに渡し、
「月曜日に追試をやるから、週末の間に勉強しとけよ」
と言ったのだが、月曜日に追試してもまだ17名が残った。

この段階で残っている生徒は、学習意欲が薄いか、あるいは根本的にわかっていないかなので、昨日、彼らを多目的教室に集め、追々試の前に1時間みっちり基礎から教え直した。

たぶん、このブログの読者さんたちからすれば、
「なんで用言の活用ぐらい、覚えられないの?」
と思われるかもしれないが、中学校までに〈その教科の基礎・基本となる事項は覚えなければならない〉という認識が育たないまま、高校に入ってきた生徒にとっては、暗記自体が難しいことなのだ。

だから、昨日の私は今まで教えた中でいちばん辛抱強く、いちばんわかりやすく、彼らがどこでつまづいているかを的確に把握できるように注意を払いつつ、もう一度用言の活用を教え、最後に暗唱させてから追々試を行った。

しかし、それでもまだ12名が残った。ただ、私は彼らに怒る気にはなれなかった。答案を採点していて、彼らなりに一生懸命頑張っているのだが、理解が追いつかないだけだというのがわかったからだ。

彼らだって、本当は早く合格して、この教室からおさらばしたいのだ。しかし、
「合格しないと進級はないよ」
と言われているから、初めて危機意識を持って勉強しようとしている。ただ、悲しいかな、今まで暗記の要領を会得しないでここまで来ているので、単純に覚えればいいだけのことでも、記憶の体系に組み入れ、落とし込むのに混乱が生じるのだと思う。たとえば、つまづいている生徒にとっては、カ行下一段活用の「け・け・ける・ける・けれ・けよ」はそれ自体、なんでこんな風に変化するのかミステリーだし(「蹴る」は現代語では五段活用)、カ行変格活用の「こ・き・く・くる・くれ・こよ」と混同してしまったりするのだ。

その日は追々々試までやって、8名が残ったところで切り上げた。ここまで残った生徒の場合、記憶の回路がつながるには、時間がかかるからだ。

そして今日。朝、担任の先生に頼んで、今までやった追々々試までのテストをまとめて渡してもらい、
「放課後にまた追試するから、それまでにやっとけ」
と指示してもらった。

放課後、すっかりなじみとなった多目的教室に7名が集合(1人は欠席)。事前に私から合格のためのポイント(裏ワザ)を伝授し、全員で暗唱の後、テスト。順番に採点し、今日は次々に合格者が誕生。彼らの笑顔を見ていると、しんどいけど、やっぱりできるまでやらせることが教師の仕事だし、心を鬼にしてやってよかったと思う。できなかった者ができるようになるのは、それだけでドラマなのだ。

残念ながら1人だけ不合格者が出たが、欠席者と一緒に明日もう一度チャレンジしてもらうことにした。まあ、明日は大丈夫だろう。