先日の歌会に、
徹夜して論文を書き有明(ありあけ)の月見て帰る後朝(きぬぎぬ)となく
という歌を提出したところ、先生からの添削で下の句が、
月を見てゐる後朝の気分
となっていた。
有明の月は、陰暦二十日過ぎの、夜が明けてもまだ空に残っている月のこと。
平安・鎌倉時代の和歌や、日記・物語文学では多く「後朝」、男女が一夜を共にした翌朝の別れのつらさを象徴する景物として出てくる。
私が初めに先の歌を詠んだときは、徹夜明けで研究室から自宅に帰る途中、運転する車の窓から有明月を眺めつつ、女性のもとからの朝帰りでもないのに、とやや自嘲気味な気分を込めて歌っていた。
先生が直した後の歌からは、艶なる風情が感じられ、徹夜して論文を書き上げた後の充足感が読者に伝わってくる。
やはり先生の添削の冴えはすごい、と思った。
ちなみに、今回先生から○をいただいた方の歌は、
午前零時湯船に沈み昨日とも今日ともつかぬ時にたゆたふ
というもの。
安逸感や浮遊感を詠んで気に入っていた歌なので、評価していただいて嬉しかった。
徹夜して論文を書き有明(ありあけ)の月見て帰る後朝(きぬぎぬ)となく
という歌を提出したところ、先生からの添削で下の句が、
月を見てゐる後朝の気分
となっていた。
有明の月は、陰暦二十日過ぎの、夜が明けてもまだ空に残っている月のこと。
平安・鎌倉時代の和歌や、日記・物語文学では多く「後朝」、男女が一夜を共にした翌朝の別れのつらさを象徴する景物として出てくる。
私が初めに先の歌を詠んだときは、徹夜明けで研究室から自宅に帰る途中、運転する車の窓から有明月を眺めつつ、女性のもとからの朝帰りでもないのに、とやや自嘲気味な気分を込めて歌っていた。
先生が直した後の歌からは、艶なる風情が感じられ、徹夜して論文を書き上げた後の充足感が読者に伝わってくる。
やはり先生の添削の冴えはすごい、と思った。
ちなみに、今回先生から○をいただいた方の歌は、
午前零時湯船に沈み昨日とも今日ともつかぬ時にたゆたふ
というもの。
安逸感や浮遊感を詠んで気に入っていた歌なので、評価していただいて嬉しかった。