夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

今年観た映画から 2014 続き

2014-12-31 22:50:25 | 映画
それでは、私が今年観た中から、印象に残った5本の映画を順番に挙げる。

1.『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』元記事①元記事②

自分の戻りたい過去にタイムトラベルして、何度も過去をやり直せる能力があっても、運命の人に巡り会うのは天文学的な確率だし、人の幸・不幸までは変えられない。
まして、そんな能力など持ち得ない我々にとって、唯一重要なのは、今日この一日をどう幸せに生きるかということだ。
この映画を見て、平凡な幸福を得、また維持することがいかに難しいかを改めて知った。

元記事にも書いたが、初めて登場する場面でのレイチェル・マクアダムスが絶妙に可愛かった。
髪型は前髪パッツンだし、服装も持ち物もあまり垢抜けてはいないのだが、外見や人柄によく合っていて、トータルで見るとすごくキュートで、主人公がひと目惚れするのもよく分かる。

2.『怪しい彼女』元記事①元記事②)。

70歳の意地悪ばあさんが、中身はそのまま、20歳に戻してもらったことから起こる数々の騒動が面白かった。
主演のシム・ウンギョンに期待して観に行ったが、見た目ハタチなのに言動の端々に老婆の本性が出てくる「怪しい彼女」っぷりを怪演していた。さんざん笑って、でも最後は家族の絆を感じさせて泣かされ、今年一番の面白い映画だったと思う。

3.『マルティニークからの祈り』

夫が背負った多額の借金を少しでも返済しようと、怪しい話に飛びついてしまったジョンヨン(チョン・ドヨン)。
ジョンヨンはフランスまで「金塊」を運べば、大金が手に入るとだまされ、現地で麻薬密輸の容疑で逮捕されてしまう。
投獄されたのはフランスの海外県、マルティニーク島(カリブ海にある)の刑務所。ジョンヨンは、言葉も通じない環境で麻薬犯として拘束され、看守からの虐待にも耐えながら、夫と娘との再会を待ちわびるが…。

ジョンヨンは、祖国から1万2千㎞も離れたマルティニークで、出所後も仮釈放のまま軟禁生活を送り、2年も帰国できないままになる。映画ではここに、駐仏韓国大使館の怠慢と不作為が重なり、見ていてやりきれない気持ちになる。
この話は、韓国で実際に起こった事件をもとにしているそうだ。
ストレスと絶望でみるみるうちに痩せ衰えていく(しかし、それでもなお美しい)ジョンヨンを演じるチョン・ドヨンの鬼気迫る演技が見事だった。

4.『ハンナ・アーレント』元記事①元記事②)。

映画の最後にあった、ハンナ・アーレントの学生へのスピーチが今も心に残っている。
「思考する能力」は人間の最も大切な資質であり、それを失うとモラルまで判断不能となり、結果、平凡な人間が悪事や残虐行為に走ることになると。
全体主義の恐怖は、実は我々のごく身近にあり、思考力や道徳、責任感を放棄した者が権力を濫用し、個人や集団の行動だけでなく内面まで干渉・統制しようとするとき、どれだけ悲惨なことが起こるかを思わずにはいられなかった。

5.『ウォルト・ディズニーの約束』

ロンドンに住む小説家、パメラ・トラバースのもとに、ウォルト・ディズニーから『メリー・ポピンズ』の映画化の依頼があり、ついてはロサンゼルスに2週間、調査旅行だと思って来てくれないかという。
後日、ウォルトに初めて会ったパメラは、
「メリー・ポピンズはミュージカル映画など論外、跳んだりはねたりには向かないし、歌ったりもしない。全てが台無しだわ。」
と契約の申し出を断る。しかし、ウォルトは、
「映画化は娘との約束だ。私は娘との約束を破ったことはない。それに、この映画は娘だけでなく、世界中の子どもたちを幸せにする。傑作を作ろう。」
と、彼女を熱心に口説き、ようやく映画の製作へこぎつけるが…。

映画を作っている現在と、パメラの少女時代とを何度も行ったり来たりする構成は、確かにややわかりづらい。
ただ、それを通して、パメラの不幸な生い立ちと、小説『メリー・ポピンズ』の創作との関わりが浮かび上がってくる。
堅物で変人のパメラのかたくなな心を、ウォルトが次第に解きほぐしていく様子も、見ていて温かい気持ちになる。
「私たち物語を作る者は、現実ではなく想像力で人を癒す。どうか私を信じてほしい。」
ウォルトのこの言葉が心に残った。

前回書いたように、今年は映画を見る本数自体は少なく、見逃してしまったものもたくさんある。
しかし、こうして振り返って見ると、少ないなりに充実していたな、と思う。
娯楽として面白いものだけでなく、その時々の自分の問題意識に合致していたり、あるいはそれを喚起してくれる作品が多かったのは嬉しかった。
来年もまた、よい映画との出会いがありますように。

今年観た映画から 2014

2014-12-30 23:11:12 | 映画
毎年、今の時期に、自分の主観でその年の映画ベスト5を選んでいる。
その準備作業として、今年観た映画を月別に紹介。(上映開始月で表示。)
タイトルの後の☆はよかった、☆☆はすごくよかった、の意味。

1月 『ウォールフラワー』(☆)、『ハンナ・アーレント』(☆☆)、『アメリカン・ハッスル』(☆)
2月 『鑑定士と顔のない依頼人』(☆)、『マイヤーリング』(☆)
3月 『ウォルト・ディズニーの約束』(☆☆)、『寫眞館』『陽なたのアオシグレ』(同時上映、☆)、『アナと雪の女王』
4月 『エヴァの告白』(☆☆)、『たまこラブストーリー』(☆)
5月 『ブルージャスミン』(☆)、『はじまりは5つ星ホテルから』(☆)、『WOOD JOB! 神去なぁなぁ日常』(☆)
6月 『レイルウェイ 運命の旅路』(☆)
7月 『ヴィオレッタ』
8月 『怪しい彼女』(☆☆)
9月 『マルティニークからの祈り』(☆☆)、『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』(☆☆)
10月・11月 ここに該当する作品を一本も観ることができなかった…。(涙)
12月 『フランシス・ハ』(☆)

今年は短歌という新しい趣味(むしろ習い事か)を始めたので、その分、映画を観る機会が減ってしまった。
観たいと思いつつ、見逃してしまった作品が、今までよりずっと多いのが悔やまれる。
『少女は自転車に乗って』『ダラス・バイヤーズクラブ』『ダーク・ブラッド』『ルーシー』『her 世界でひとつの彼女』『マダム・イン・ニューヨーク』『舞妓はレディ』『ジャージー・ボーイズ』『ローマの教室で』『グレース・オブ・モナコ』『サスペクト』…。
『ゴーン・ガール』だけはなんとか、上映期間が終わるまでに観たいと思っているが…。

マイベスト5については、次回取り上げる。

かひなきもの

2014-12-29 23:12:11 | 雑談
昨夜は昔の卒業生と街へ飲みに行き、日付が変わるまで痛飲したので、今日は宿酔になってしまった。

十日ほど前、私が例会で東京にいたとき、以前、「モテキ」の記事で話題にした、卒業生三人の一人(二度目に担任したクラスの生徒)、Y君から電話がかかってきた。
「僕、来年から大阪で就職なんで、その前に一度、ちかさだ先生に会っておきたいと思って。」
「そっか、じゃ、就職祝いも兼ねて飲みにでも行くか。」

彼ら三人のうち、もう一人は仕事で来られないとのことで、Y君・M君と駅前の居酒屋に行った。
Y君は今、修士論文で必死な状況。
M君は大学卒業後、地元の公務員になり、回された部署で今、しんどい思いをしているそうだ。
彼らの近況報告を聞きながら、高校時代の面影が重なり、人間は成長するけれど、基本的な人柄は変わらないものなのだな、と感じる。

級友たちの現在について、知っていることを教え合ったり、母校の昔今のことを話したり、楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

「Y君も来年からは社会人だから、次はちょっと大人の店に連れてってやろう。」
と言って、駅前にあるバーに行き、就職祝いにシャンパンを開けてもらい、乾杯した。
ここは、静かで落ち着いた感じのバーで、カクテルのバリエーションも豊富だし、ウィスキー・ブランデーも数多く揃えているので、私としてはイチオシの店なのだ。

ところが、肝心のY君がすでに酔っ払ってしまい、シャンパンの後でマスターに水を頼み、グラスで出てきた水をゴクゴク喉を鳴らして飲むと、
「はあ~、水がいちばんうめ~!!」
思わず、高校時代のように、彼の後頭部に「バシッ!!」と食らわしてしまった。
Y君は、高校の頃も、空気を読まない言動で、教員や級友の怒りのスイッチを入れることが多かったのを思い出した。
三つ子の魂百まで。雀百まで踊り忘れず。
Y君はその後、オレンジジュースを頼み、飲んでまた、
「あ~、オレンジジュースうめ~!!」
と大きな声で言ったため、二度目の「バシッ!!」を食らわしてやった。

まったく、せっかく大人の店に連れてきたかいがない。
M君と共に、
「Yは社会人になってもなんかやらかすで、こりゃ…。」
という気持ちになったのであった。

与謝野晶子展 (その2)

2014-12-28 11:26:53 | 短歌
この展覧会で特に印象に残ったのは次の二つ。(解説パネルの記述に拠っています。)

家庭と仕事
(解説)
明治35年10月に寛と晶子は結婚するが、晶子は実家から勘当され、決して祝福された結婚ではなかった。
しかし、5男6女の子宝に恵まれ、忙しい執筆活動や添削の仕事をこなしながらも、家庭では子育てに追われる日を過ごしていた。
実際に家計を支えていたのは晶子自身であり、また多くの子どもに恵まれると同時に、養育費や生活費といった経済的な理由から常に多くの仕事を抱えていた。
ある時は自分の作品を出版する準備や、またある時は面識のない人物の歌の添削や詩集の序文など、困難な仕事である上に多忙な毎日を送っていた。
それでも、全国で講演会を開き、また歌人としても多くの作品を遺した晶子の仕事ぶりは、とても器用で要領が良かったと想像される。
家事や子育ての忙しい日々の中で生活していた晶子は、徹夜明けでも周囲の人に悟られないように帯だけでも結びかえられるようリバーシブルの帯を使用した。
自身が女性であることを忘れなかった晶子は、働く女性の心得として、美しい服装を心掛け、お化粧は忘れないように必ず行い、突然の不幸にも対応できるようにとの言葉を遺している。

(感想)
晶子は歌人・詩人として、また女子教育・婦人運動の評論・実践など多方面にわたって活躍したが、家庭人としても立派な生き方を貫いていた。晶子の姿勢は、仕事と家庭との両立に日々苦慮する現代女性にとっても、きっと学べるものがあるのではないかと思う。

古典文学―生涯の師として
(解説)
幼少の頃から多くの古典文学に触れてきた晶子にとって、『源氏物語』は特別な存在であり、紫式部のことを「私の十一、二の時からの恩師」と語っている。人生の中において二度も現代語訳に取り組み、昭和13年に刊行された『新新訳源氏物語』は最後の大作となった。

(感想)
晶子は、『源氏物語』の他にも、『栄華物語』『徒然草』などの現代語訳も行っている。
展示品の中には、『新新訳源氏物語』「紅葉賀」巻の自筆原稿もあったが、当然くずし字で書かれており、原稿用紙のマス目を無視するどころか、罫線の枠からも平気ではみ出していた。
晶子ほどの大家にもなれば、清書していない下書きを原稿として出しても通用したのだろうと想像するが、これを活字に起こすのは相当の労苦だったと思われる。
漢字で書くべき文字も大半は仮名で書かれ、書き直し、訂正、削除、挿入、書き足しなどが、原稿用紙にびっしりと書き込まれていた。
晶子が執筆に傾けたすさまじいエネルギーを垣間見るとともに、彼女の大量の著作物がこのようにして生み出されたことを実感した。

会場には吉兆庵美術館所蔵の、晶子の短歌の短冊も10葉展示されており、
  あかつきの竹の色こそめでたけれ水の中なる髪に似たれば
  風まじり小さめ混りに日かげさす真珠の花の山ざくらかな
といった歌が書かれていた。
晶子はあまり文字を続けず、一字一字が割合分かれた書き方をする。美しく整った字で、その短冊の価値が高いのもうなずける。
解説には、晶子の筆跡について、「情熱的で大胆な歌人として知られる晶子だが、そのイメージと異なった繊細でたおやかな文字を書いている。十代の頃の字ははっきりとした激しい字を書いていたが、結婚後は次第に鉄幹の字に似てくる。」
とあったのが興味深かった。

与謝野晶子展 (その1)

2014-12-27 22:52:27 | 短歌
岡山駅前の吉兆庵美術館で開催中の「与謝野晶子展―作品にかくされた物語―」(12/28まで)を見に行った。
展示品の数は必ずしも多くはないが、懇切でゆきとどいた解説により、晶子の生涯と創作活動のあらましがたどれる構成になっていた。


展示品の中で、まず印象に残ったのは、晶子が初めて短歌を寄せた『明星』第2号(明治33年5月)。
『明星』がこのときはまだ、文芸雑誌というより、新聞のような体裁なので驚いた。晶子の歌は、「花がたみ」という題で6首あったが、
  ゆく春を山吹さける乳母が宿に絵筆かみつつ送るころかな
  しろすみれ桜がさねか紅梅か何につつみて君に送らむ
  春の野の小草になるる蝶見ても涙さしぐむ我身なりけり
など、古典の素養は感じるものの、正直、それほどよい歌とは思えなかった。
第一歌集『みだれ髪』の刊行が翌年(明治34)8月だから、その後1年ほどで晶子が新派歌人として急速に成長したことがわかる。

他の展示品では、
  掛軸「かまくらや御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」
  「鉄幹・晶子 寄せ書き十首」
  「百首屏風 不二の雲」
などが印象に残った。
最後の屏風は、数十にも及ぶ歌が晶子の筆によって書かれたもの。
これは、夫・鉄幹がヨーロッパに外遊する旅行費を工面するために作成されたものであり、夫への愛情を示した逸品だという。

私は、晶子の筆跡をまとめて目にするのは初めてだったが、情熱的な短歌や、聡明で意志の強そうな外見に似ず、意外に繊細な字を書くのに驚いた。
解説にあったのだが、晶子は細い筆を好み、日本画に使う筆を愛用していたそうだ。
自身絵も描いた晶子は、美術にも強い関心を持っていたことがうかがわれ、展示されていた晶子の歌集は、『みだれ髪』(明治34年)・『小扇』(同37年)・『恋衣』(共著、同38年)・『舞姫』『夢之華』(同39年)・『常夏』(同41年)など、みな判型・装幀・表紙絵などに意匠を凝らした芸術性の高いものであった。

与謝野晶子展の話題は、次回、もう一度取り上げる。