夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

ひとり月前和歌会

2012-10-03 23:34:54 | 日記
このところ、秋が深まり空気が澄んで、月がとてもきれいなので、毎晩つい眺めてしまう。「中秋の名月」といわれる旧暦八月十五夜前後の月の美しさは、やはり格別だと実感している。

以前は、昔の貴族達が八月十五夜に、必ず和歌会を催して歌を詠み合っているのは、単に慣例でやっているのだろうと思っていた。今は、季節の美意識を大切にし、優れた感性を持っていた彼らの月を愛でる心情が、和歌や物語・日記などを通してよく伝わってくる。

『新古今集』の編纂を命じた後鳥羽上皇も、臣下達と共に、八月十五夜にはしばしば歌会や歌合を催している。

その中で、建仁三年(1203)年の八月十五夜には、和歌所で当座の和歌会を催し、九条良経や慈円、藤原定家ら当時の歌壇の有力メンバーたちと五首和歌を詠み合った。

その時の歌は、「あきのつき(秋の月)」の五文字をそれぞれ歌の始めに据えた五首を詠むというものであった。後鳥羽上皇自身は、

  あ 近江(あふみ)のや長柄の山の秋風に雲こそなけれ唐崎の月
  き 北へさりし雁も今宵の月ゆゑや秋は都と契りおきけん
  の 野とならんまでとや人の契りけん荒れたる庭の秋の夜の月
  つ 津の国の難波わたりは月の秋忘れね今は春のあけぼの
  き 来てとはん人のあはれと思ふまですめかし秋の山里の月

というように詠んでいる。(流石にうまい。)


私も真似をして詠んでみた。(めちゃ下手。)「月に寄せる懐旧」の趣である。

  あ あひみしも今は昔となりはてて袖に宿せる月の面影
  き 霧のうちに月霞めりと見えつるは昔を恋ふる涙なりけり
  の 野辺の虫に昔をとへばなきあかす草葉の露に月ぞ宿れる
  つ 月影を袖にうつして夜もすがら秋のものとてながめわびつつ
  き 木々の間に漏る月見ればかへりこぬ昔の秋ぞいとど恋しき 

それにしても、昔の貴族達は、身分関係への配慮はあるものの、和歌を愛好し、あるいは家職とする者同士が歌壇を形成し、歌を通じて交流したり、競い合ったりしていたのだ。そんな時代が、慕わしく思われてしまう。