夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

クイーンズデー

2013-04-30 21:58:44 | 日記
今日(4/30)の「産経抄」を読むと、皇太子ご夫妻のオランダご訪問に関する話題だった。

皇太子ご夫妻は、ウィレム・アレクサンダー皇太子の新国王の即位式に参列される予定だが、オランダ国民にとって今日30日は、一年でもっとも大切な祝日なのだという。日本の天皇誕生日にあたる「女王の日(クイーンズデー)」と呼ばれる日で、国民の多くが、オランダ王室のシンボルカラーであるオレンジを基調におしゃれをし、お祝いをしたりお祭り騒ぎをしたりするのだという。

クイーンズデーはもともと、ユリアナ前女王の誕生日なのだが、娘のベアトリックス女王が伝統を引き継いだのだそうだ。ウィレム皇太子が王位を継承する今日は、国民の祝賀ムードはさらに高まっていることだろう。

「産経抄」は、日本とオランダとの関わりの深さを語り、
今頃はちょうど、チューリップが咲き乱れているはずだ。即位式に出席される皇太子さまと、外国公式訪問が約11年ぶりという皇太子妃雅子さまが、オランダで素晴らしい時間を過ごされるよう、祈らずにはいられない。
と結んでいる。

今回のオランダご訪問が、直前までなかなか決まらず、週刊誌などで雅子さまの逡巡について、あれこれと取り沙汰されたことが念頭にあっての言葉だろう。

幸いにしてベアトリックス女王やウィレム皇太子は雅子さまのご病気に理解を示し、温かい気持ちをもってお待ちしていたと聞く。新国王の即位を機に、さらに両国の皇室の親交が深まることを心から祈っている。

デヴィッド・シルヴィアン1988年4月ライブ

2013-04-29 23:57:07 | JAPANの思い出・洋楽
『キーボード・スペシャル』1988年6月号に、同年4月に行われたデヴィッド・シルヴィアンの来日公演を取り上げた記事があったので、ここで紹介する。



4月11日、東京の五反田簡易保険ホールで行われたライブのレポートだが、私が行った翌日の中野サンプラザでのものと曲目は同じだと思う。

①Words with the Sharman(Part1 Ancient Evening)
②Words with the Sharman(Part2 Incantation)
③Orpheus
④Before the Bullfight
⑤Taking the Vail
⑥Wethered Wall/嘆きの壁
⑦The Boy with the Gun/銃を持った少年
⑧Riverman
⑨The Great Parade/ザ・グランド・パレード
⑩Castalia/カスタリア
⑪The Ink in the Well/詩人の血
⑫Nostalgia/ノスタルジア
⑬Forbidden Colours/禁じられた色彩~Backwaters
⑭Brilliant Trees/輝ける樹木
⑮Steel Cathedrals
⑯Let the Happiness In
⑰Gone to Earth
⑱Words with the Sharman(Part3 Awakening)

こうして書き写しているだけで、あの日、あの時の音と映像が脳内に蘇ってくる。

スティーヴ・ジャンセンのバスドラのキックが始まると、もうそのチューニングとアタックだけで、ある色彩感を強力に感じさせる。そしてベースが加わり、マーク・アイシャムのグラデーションのついた陰翳たっぷりのトランペットが加わると、それだけで、もうデヴィッドの世界が広がっていく。
デヴィッド・シルヴィアン初のソロ・コンサートの幕開けは、そっけないほどの自然さでスタートした。
デヴィッドの右手はプロフェット5とD-50のキーに添えられ、~延々と繰り返されるビートの中で、メンバーの奏でる楽音どおしのコミュニケーションが続き、突然のコーダ。
~(『ALCHEMY』の)メイン・タイトル「Words with the Sharman」でスタートし、この曲で終えた今回の公演は、そのこと自体がデヴィッドの"いま"を象徴していたようだ。



私が見たときのデヴィッドも、こんな感じの服装だったと思う。長い髪を無造作に後ろで束ね、ジャパン時代よりずっと地味で飾り気のないいでたちなのに驚いた記憶がある。写真のように、ギター、あるいはキーボードを弾きながら歌い、インスト曲ではパーカッションもやっていたように思う。

もう今から四半世紀も以前のことになることに感慨を覚えるとともに、一方であの日の記憶はいまだに少しも色褪せないことに驚いたりもする。

『明月記』を読む(8)

2013-04-28 23:57:21 | 『明月記』を読む
正治二年(1200)八月 藤原定家三十九歳。

九日 去る夜今日雨沃(そそ)ぐがごとく、聊(いささ)かの隙(ひま)無し。河水大いに溢れ、田畝又水底と為ると云々。早旦相公羽林(藤原公経)、夜前に百首作者仰せ下さるるの由其の告有り。午(うま)の時許(ばかり)に長房朝臣の奉書到来し、請文を進め了(おは)んぬ。今度加へらるるの条、誠に以て抃悦(べんえつ)す。今に於いては渋るべからずと雖も、是偏(ひと)へに凶人の構ふるなり。而るに今此くのごとし。二世の願望已に満つ。(下略)

記事の解説
大雨のこの日、早朝に義弟の宰相中将・公経から吉報がもたらされた。
昨夜、「正治初度百首」の作者に定家を加えるよう、後鳥羽院の仰せがあったのだという。やがて正午頃、藤原長房(後鳥羽院の近臣)が正式の書状を携えて定家の邸を訪れ、定家は請文(うけぶみ=承諾の受取状)をたてまつった、とある。

七月二十六日の記事では、定家は、この百首の人選は後鳥羽院のご意向ではなく、もっぱら「権門(源通親)の物狂ひなり、弾指すべし」と息巻いていた。だが、その後、定家の父の俊成が後鳥羽院に直接働きかけ、定家と他二名を新たに作者に加えてもらうことに成功したのだ。(この経緯は次回紹介する)。定家は「抃悦」(べんえつ=手を打って喜ぶ)し、現世はもちろん、来世の願望まですでに満たされてしまったと思われるほどだ、と嬉しさをはばかることなく書きつけている。

感想
定家は一方で、今回の一件は自分を百首の作者から外そうと、「凶人」(通親や六条家の季経などをさすと思われる)が画策したけれども、結局このような次第に相成った、ざまをみろと言わんばかりに口汚く罵っている。定家の記述はこのように、怒りを爆発させたり、ひどく意気消沈したり、大袈裟に感動したりと、非常に浮き沈みが激しい。目崎徳衛氏は、
さて、こうした現金な豹変は、『明月記』全巻を通じる特徴である。それは詩人の激越な感受性をうかがうには至って面白いけれども、後鳥羽院時代の最大史料として用いるには、冷静な史料批判による客観性の確認が必要である。(『史伝 後鳥羽院』吉川弘文館)
と述べておられる。
私としては、定家の歌人としての類いまれな才能と後世に神格化されたほどの名声の一方で、人格的には未成熟で(現代ならアダルトチルドレンとか発達障害と言われかねない言動がまま見られる)処世が拙い彼に、むしろ共感せずにいられない。

蒼太の包丁 旭川編

2013-04-27 23:08:42 | 『蒼太の包丁』
以前(2/24)、『漫画サンデー』に連載されていた「蒼太の包丁」の最終回の話題を何気なく取り上げたところ、それから二ヶ月経った今でも、ちょくちょく読んでくださる方がいるようである。私自身、通読したわけでもなく、さほど熱心な読者というわけでもないのに、長い期間にわたって記事を閲覧していただけるというのは、それだけの人気作だったということなのだろう。連載終了後、しばらく遠ざかっていたが、先日刊行された「蒼太の包丁」37巻を遅ればせながら読んでみた。

この37巻は「旭川編」としてまとめられており、単行本帯に俳優・津川雅彦(旭川観光大使)の、「『旭川』を知るにこれほど素晴らしいガイドブックはない」というコメントが寄せられている。

蒼太が板長として働く銀座「富み久」が、耐震検査と補強工事を行うことになったため、若女将のさつきが従業員全員に二週間の休暇を与えることにし、蒼太が旭川へ旅立つところから、この話は始まる。


(マンサンコミックス「蒼太の包丁」第37巻。以下同じ)
蒼太がまず向かったのは、「上野ファーム」。日本屈指のガーデニングが楽しめる場所で、TVドラマ『風のガーデン』(2008)のロケ地にもなった場所だそうだ。蒼太が園内にある射的山から、市内の様子を眺めていると、オーナーの上野砂由紀さん(ガーデニングの第一人者らしい)が不意に現れ、旭川一帯はアイヌ語で「カムイ・ミンタラ」、神々が遊ぶ庭と呼ばれることを教えてくれる。

蒼太は旭川で神々に導かれるように、様々な人々や料理、食材などとの出会いを果たすが、その中には実名の人物(旭山動物園の前園長なども出てくる)や店や場所も多く登場する。
蒼太は北海道・静内の出身だが、旭川はよく知らないため、同郷会のツテで市役所観光課の大西が色々と案内をしてくれることになる。


蒼太は初め大西から、居酒屋「独酌 三四郎」を手伝いながら旭川に滞在してはどうかと勧められる。だが、その翌日、昼食で大西に案内された和食料亭「花まる亭」の料理と、店主の料理人としての姿勢に蒼太は感じるものがあり、その場でこの店で働き、勉強させてもらえないかと頼み込む。


数日後、「花まる亭」で働いている蒼太の前に、「富み久」で共に働く女性料理人・雅美が現れる。蒼太を慕う雅美は、旭川へ食材探しの旅に出た蒼太の後を追って、自身も北海道の食を知る体験をしようと、稚内から旭川に下って来たのだ。
さらにそこに、蒼太の幼なじみで今は静内にいる純子(一時期、「富み久」の仲居をしていた)、はたまた若女将のさつきも東京からやって来て、旭川での様々な食材や人々との出逢いはますます盛り上がりを増す。


彼らが旭山動物園を訪れる場面も出てくる。普段は勝ち気な純子が意外に恐がりだったり、おとなしそうな雅美がいちばんはしゃいでいたりするのが面白い。この動物園には、私も昨年行ったので、なんだか懐かしい気分になってしまった。


蒼太は旭川での滞在でたくさんの収穫を得、また、旅のもう一つの目的であった人探し(これが「幸せの黄色いハンカチ」のようないい話)もうまくいって、無事に東京に帰っていく。
この「旭川編」で印象に残ったのは、市役所観光課の大西の存在だ。無愛想でとっつきにくい男だが、実は誰よりも旭川を愛し、蒼太の案内も、職場には有休や半休を取ってエスコートしていた。不器用だが誠実で誇り高い大西の生き方が、特に心に残った。

また、雅美推しの私としては、この旅行で雅美が蒼太にとって、しだいにかけがえのない存在になっていくのを、とても嬉しい思いで見た。人探しで悩んでいることを蒼太が打ち明けると、雅美は自分のことのように蒼太と一緒に考え、提案をしたり積極的に行動したりする。蒼太を支えたり、共に喜び合ったりする場面もあり、この旅が後に結ばれる二人にとっての転機になったのかな、というふうに感じた。

この一巻で完結した内容になっているので、「蒼太の包丁」を読むのはまったく初めて、という人でも大丈夫。ぜひ多くの方が手にとって読んでいただければと願う。

RSKバラ園

2013-04-26 23:29:41 | 日記
新学期が始まって、はやひと月。
受験学年の担任のキツさを実感する毎日である。

そんな仕事の合間の息抜きで、岡山市内にあるRSKバラ園に行って来た。
バラの時期には未(いま)だしだが(来月下旬頃から見頃となる)、ここでは四季折々の花が楽しめるのだ。



この藤棚は、長さなんと50メートル(!)
先週の今頃見たら、どんなに見事な紫のカーテンだったろう。
ただし、花はやや色褪せても、濃密な香りはそのままだった。



ハナミズキは今が盛り。白いの、薄紅色の、どちらもとてもきれいだ。
切り紙細工にたとえられる、独得な形の花が、強い風にあおられている。



ボタン園は、ちょうど見頃を迎えていた。
ここには50品種、1,000株のボタンが植えられているそうだ。
中国では「花の王」と呼ばれるほどゴージャスな花だが、葉や茎は貧弱でバランスが悪いように見え、花の見事さに感心はするが、正直、それほど好きではない。
この花にあまりいい印象を持っていないのには、もうひとつ理由があって、以前職場の同僚とキャバクラに行ったとき、谷間の梅の話をしたら、ボタンが好きだった嬢とはまったく話が合わなかった…。

友人に後日、このことで愚痴ったら、
「キャバ嬢にそんな話をするのが悪い。」
とダメ出しをくらった。
「キャパ嬢相手の話題なら、ファッション、グルメ、旅行、ペットでしょうが!」
と怒られてしまった。
…いや、まったくその通りです。



バラ園には、小一時間ほどいただけだったが、しっかり癒されて戻って来た。
明日は一日、模試の監督。事前の準備や事後の答案回収・発送なども私の仕事なので頑張ろう。

RSKバラ園は、来月17日から開園40周年記念の特別イベントがあるそうだ。400品種、100万本というバラとともに楽しみにしている。