夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

舟を編む(その3)

2013-05-31 22:47:50 | 映画
感想の続き
前回触れたように、この映画では主人公の馬締と香具矢(かぐや)との恋愛話がとても面白かったので、ここで取りあげておきたい。

香具矢は、馬締が学生時代から十年も住んでいる下宿(アパートではなく、本当に下宿屋)の大家・タケおばあさんの孫娘。
ある満月の夜、下宿で初めて香具矢と出会った馬締は、ひと目で恋に落ちてしまう。


馬締は辞書編集部の先輩・西岡に、好きな人ができたが、気持ちをどうやって伝えたらいいかわからないことを職場で相談する。そのときおかしかったのは、馬締が香具矢に関するデータを用例採集カードに書いていたことだ。(当然、西岡に見つかって取りあげられ、皆の前で読み上げられる。)
〔は〕やしかぐやさん
林香具矢さん
二十七歳。大家のタケおばあさんの孫。タケおばあさんが高齢の為、先日から同居を開始。
今までは京都で板前修業。
現在、湯島にある「梅の実」という店で働いている。

いくら好きになった人に関する情報は、詳しく知りたいものとはいえ、こういうことは心の中だけで、しっかり記憶しておくものでしょうが!というツッコミを、思わず入れたくなってしまった。


派遣社員の佐々木が早速予約を入れ、その日の夜に辞書編集部のスタッフがお揃いで、料亭「梅の実」に出かけることになるのは、かなり笑える。
辞書監修者の松本先生は、「大渡海」の「恋」の語釈は馬締に担当させることにすると言い、そのためにもこの恋は進展させなければ、と言う。

下宿のタケおばあさんも、二人の仲を取り持とうとして、何かと気をつかってくれる。香具矢が料理道具を見に、合羽橋に行きたいと言っていたから、案内してやれと馬締に促し、二人は休日に初めてデートする。しかもその日、香具矢から誘って遊園地(浅草の花やしき)にまで行き、観覧車の中でいい雰囲気にもなったのに、馬締は結局何も言えずに帰って来る。


直接口にして告白することができない馬締が、西岡を相手に職場で相談していると、佐々木が「手紙がいいんじゃない?ラブレター。」とアドバイスしてくれる。
ところが、馬締が後日、香具矢に渡す手紙についてご教授いただきたいと差し出したのを見て、西岡はびっくり。
「なんで毛筆なんだよ!戦国武将じゃあるまいし。」
しかも、文面も「謹啓」で始まり、
天高く馬こゆる秋 ますますご清栄のことと存じます
正直このような手紙を出すのは初めてになりますのでお見苦しい箇所も多いと思いますがどうぞ最後迄読んで…
云々と崩した字で書かれているのは、思わず笑ってしまった。

しかし西岡は意外にも、「このまま出せ。」と言う。
「なんてったってインパクトあるし、お前に興味があるなら、どんな手を使ってでも読もうとするだろう。興味がなかったらそもそも読まれないから、どんな字で書いてあっても同じだ。」
という内容のことを言う。


西岡の指示通り、恋文をそのまま渡すことにした馬締は、翌日、香具矢からどんな返事を受け取ることになったのか?
…これはやはり、映画か原作小説かで直接確かめていただきたい。この香具矢の台詞はとても小気味よくて、思わず胸がすっとしてしまった。宮崎あおいの演技もとてもよくて、(最近少し敬遠していたが)そうはいってもやはり、うまいしかわいいなあと思ってしまった。

この映画は、期待よりは興行収入が伸びず、さほど話題にもなっていないようだが、見所も多く、文句なしの良作なので、興味のある方はぜひご覧になっていただきたいと思う。

舟を編む(その2)

2013-05-30 22:49:55 | 映画
感想

この映画を観て、いちばん感銘を受けたのは、一般にはまず関心を持たれないであろう、辞書作りの実際を真正面から取り上げているところ。劇中、西岡が、
「あーもう、これ、いつ終わるんすかー!」
と音を上げる場面が出てくるが、用例を採集し、整理・分類する作業が、来る日も来る日も続く地獄は、確かに当事者にしかわからないだろう。私も大学時代、内輪の学会で国語学の発表をしたことがあり、ひと月ほど毎日図書館に通って、ひたすら用例カードを作り、データを補足し、分類したり並べ直したりを繰り返したので、「こんな辛気くさい作業、やってられっか!」と爆発しそうな気持ちになるのはとてもよくわかる。
しかし、その作業の中から、言葉の法則性を見出し、自分なりに説明を考えたりするのはとても楽しかった。

辞書編集部に配属替えになったばかりの馬締が、編集長の荒木から資料室に案内されるシーンは印象的だった。
中には、おびただしい数の用例カードが並んでいる。
「ここには、100万以上の言葉が保管されている。辞書作りは、言葉集めから始まる。初めに言葉ありき、だ。まず言葉を大好きになることだ。」


その後、「大渡海」は作業工程に従って、採集した用例の整理・分類から、見出し語の確定、一度あった編集事業の中止の危機を乗り越えて語釈執筆/外部発注、原稿を印刷所に送り、校正(5校まで)作業へと進行していく。最初の編集会議(1995年)から3校(2008年)まで行くのに13年もかかっている。さらに翌年、気の遠くなるような朱入れ校正作業の果てに、ようやく4校に入り、辞書作りは最終段階に入る。編集長の馬締は、学生バイトを大勢雇い、数十人体制で臨むこととし、来年3月の刊行も決定する。
ところがここで、とんでもないミスが発覚。見出し語から「血潮(ちしお)」が抜けていることが分かり、馬締は作業をいったん中断し、すべての語を点検し直すことにする。この最大の危機に、馬締はスタッフ全員に対し、編集部に泊まり込みでの協力を要請する。
正直、私だったら、スタッフに非人道的な奉仕を強いることを躊躇してしまうにちがいない場面だ。しかし、馬締は納期を守って辞書を完成させる使命を遂行するために、あえて非情な決断を下し、誠意をもってスタッフの協力を求める。スタッフは信頼をもって応え、ほとんど徹夜での作業を幾晩も続けて、ピンチを脱することに成功する。この場面には、馬締の人間的な成長を強く感じた。


この映画では、馬締と香具矢(かぐや=宮崎あおい)との恋愛もおもしろかったので、次回はその話題を取り上げる。

舟を編む(その1)

2013-05-29 22:31:36 | 映画
対人関係が苦手で、出版社では「使えない社員」扱いされていた青年が、辞書編集という天職を得て、中型辞典「大渡海」の完成に漕ぎつけるまでの話。


さわりだけあらすじ
1995年、東京・神田神保町。大手出版社・玄武書房の旧館に、辞書編集部はある。しかし、倉庫などと一緒にあるカビ臭い部署で、社員のなかにすらその存在はあまり知られていない。
辞書編集部ではこの度、中型国語辞典の「大渡海」を手がけることになったが、編集長の荒木(小林薫)が定年で間もなく退職することになる。辞典を監修する老日本語学者・松本(加藤剛)は、
「荒木君がいなければ、僕は辞書を作れません。」
「妻の具合がよくなくて、定年後くらいそばにいてやりたいのです。」
荒木は部下の西岡(オダギリジョー)とともに、社内に自分の後釜となる者を探すことにする。



辞書編集は社内でも人気がなく、後釜探しは難航するが、営業部にいる西岡の彼女・麗美(池脇千鶴)が、
「ウチに営業やらせても全然使えないのがいるから、連れて行ってよ。大学で言語学をやってたらしいし。」
「連れて行ってよ、って、ウチの部は保健所じゃないんだから…。」

西岡が荒木と共に営業部にどんな人物か見に行くと、彼(松田龍平)は上司から、書店回りの営業をさせても成果が上がらないことで叱られていた。荒木は彼を廊下に呼んで話を聞くことにする。差し出した名刺には、「馬締光也(まじめみつや)」と書かれており、真面目を絵に描いたような男で、西岡はコミュニケーション能力が乏しいことを危ぶむ。だが荒木が、
「右、という言葉を説明できるか?」
と尋ねると、馬締はしばらく考えてから、
「…西を向いたとき、北に当たる方が右、です。」
と答え、すぐに辞書を引きにいく。その様子を見て、荒木の顔に確信の表情が浮かぶ。


後日、辞書編集部で、新辞書「大渡海」の編集会議が行われる。メンバーは、松本、荒木、西岡、派遣社員の佐々木(伊佐山ひろ子)、そして馬締。「大渡海」は中型辞典(広辞苑サイズ)で24万語を収録し、若者言葉や俗語、現代語も積極的に取り入れ、「今を生きる辞書」にする方針なのだという。
翌日、ホワイトボードには作業工程が示される。
1.言葉集め・用例採集
2.カード選別・見出し語選定
3.語釈執筆
4.レイアウト
5.校正

…以下、映画はこの工程に沿いつつ、途中で持ち上がる様々な事件や人間模様を織り込みながら、ひとつの辞書が出来上がるまでのドラマを描いていく。
松本の学究としての姿勢や、辞書編集一筋で38年間勤め上げた荒木の生き方に感銘を受け、辞書作りに一生をかける決意をする馬締だが、一人でできる仕事ではない。荒木からは、「自分の辞書を作れ。」と言われたが、対人関係能力の拙さを自覚するだけに、馬締は自分に果たしてそんな役割が勤まるのか思い悩み、重圧に押しつぶされそうになる…。

大江山

2013-05-28 23:18:44 | 教育
今日の夕方に、ようやく採点は終了。明日の実力テストの準備や、中間考査の成績不良者への追試も行っていたので、なかなかはかどらなかったが、無事に済んでほっとした。

テストの採点作業は、作成した問題の難易度・分量が妥当だったかだけでなく、日頃の自分の教え方、学習のさせ方が適切だったかもわかる機会である。一生懸命教えたつもりでも、定着が不十分だった場合には原因を突き止め、対策を練らなければならないが、一方、自分の狙い通りに理解がなされている場合は、とても嬉しくなる。

さて、表題の話。
2年生の古典のテストで出題した「大江山」の文章は、『古今著聞集』(ここんちょもんじゅう)所収。才女・小式部内侍(こしきぶのないし)の、『百人一首』にも採られた名歌が、どのようにして生まれたかを語るエピソードである。


(『別冊歴史読本 百人一首100人の生涯』新人物往来社)

和泉式部が、夫の藤原保昌に伴って、その赴任地の丹後に下向していた頃、京で歌合があり、和泉の娘・小式部内侍も歌人に加えられて出詠することになった。その頃、中納言・藤原定頼(さだより)が小式部内侍の局の前を訪れ、
「丹後へ遣わしていた使いは帰って参りましたか?」
と、中にいた彼女をからかった。小式部は、御簾から半ば体を乗り出して、定頼の袖を押さえて引きとどめ、

大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天橋立(あまのはしだて)
(大江山へ行く生野への道が遠いので、丹後にある天橋立には、まだ訪れたこともありませんし、丹後にいる母からの手紙も、まだ目にしてはおりません。)

という歌を詠んだので、定頼は思いがけず驚きあきれてしまって、
「これは一体どうしたことか。」
とだけ言って、返歌を詠むこともできず、袖を振り払って退散してしまったそうな。

出題は型のごとく、読み単・意味単、文法(助動詞)、部分訳、和歌の修辞技巧(掛詞・縁語の指摘)について問い、記述で理由説明問題を出した。定頼が、「思はずに、あさましくて」(思いがけず、驚きあきれて)とあるが、その理由を答えよ。

しかし、問題を作って印刷した後で、模範解答を作ろうとして意外に難しい問題だったことに気づき、焦ってしまった。いちおう生徒には、
定頼が小式部内侍の和歌の才能を見くびり、母親から代作の手紙は届いたかとからかったところ、母から指導は受けていないという内容の歌を、技巧を凝らし当意即妙に詠んで抗議されたため。
という解答例を示したが、今もって自信がない。あまり込み入った内容を答えさせるのではなく、もう少し記述しやすい設問にすればよかったと反省している。


(上掲『百人一首100人の生涯)

私自身は天橋立を訪れたことはなく、日本三景の一つの名勝ということしか知らない。実際に行ったという生徒は、
「たいしたことないですよ。」
と言っていたが、そう言われるとあまのじゃくな私は、逆に行ってみたくなる。

  音に聞く天橋立 大江山いくのを越えて踏みもみてまし

梅雨入り…

2013-05-27 22:51:34 | 日記


気象庁の発表では、中四国地方は梅雨入りしたとみられるそうだ。これは平年より11日も早いという。
先日(24日)、RSKバラ園で紫陽花が咲いているのを見て、あれ、もうそんな時期だったっけ、と思っていたが。

新聞の記事で知ったのだが、紫陽花は淡い緑色で咲き始め、白→青紫→桃紅色へと色変わりすることから、「七変化」との別名があるそうだ。これから梅雨明けまで約1ヶ月間咲き続け、雨に打たれていっそう美しさを増す姿で、ともすればふさぎがちなわれわれの心を明るくしてくれるにちがいない。

やはりというか、花言葉は「移り気」「浮気」「美しいが冷淡」。紫陽花のためにはやや気の毒な感じもする。

岡山では岡山市の吉備津神社、倉敷市の安養寺、種松山公園などが紫陽花の名所らしい。外出がものうくなる季節だからこそ、その風情を愛でに行ってみたい。