夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

池袋追懐

2014-08-31 22:36:35 | 日記

先日、祖母の葬儀で帰省した日は、池袋で夕食を済ませた。
その日の午前中の仕事を終えて、午後になって出発したため、実家に着くのは夜になるし、その頃には両親が通夜に出かけているというので、そうしたのだ。

以前、池袋駅西口の芸術劇場近くにあった食事処「おいしい水」がなくなったのは、かえすがえすも残念だ。
手作りのおいしい定食が手頃な値段で食べられて、しかもお酒(日本酒)をちょっと引っかけることもできる。
何種類かのお酒を一合からでも注文でき、地下の隠れ家風のお店で、食事を楽しみながらほろ酔い気分の至福の境地になれる、得がたい店であった。
私は、ここでは富山の銀盤をよく頼んでいた。

結局、その辺りにある定食屋で夕食をとったが、どうしても、充たされない感じが残った。

それにしても、池袋もおしゃれでモダンな街になったものだと思う。
今から30年以上前、父親が池袋の現場で働いていたとき、母親と妹とその現場を訪ねたことがある。
その時も確か西口に行ったと思うが、大きな建物がほとんどなく、あちこち建設工事中で、夜になると駅前といえども薄暗く、足下も悪かった。母親と妹と駅まで帰るときは、ゴミゴミした怖いところだということしか感じなかった。

今はすっかりきらびやかな若者の街になり、あの頃を思い出すと夢のようだ。
きっと、昔の有り様を覚えているのも、少数派ということになるのだろうな。

祖母の死を悼む

2014-08-30 21:58:01 | 短歌
祖母が亡くなって、早くも一週間になろうとしている。
最近は、自分の感情をよそに、自分の外部で時間がただ機械的に流れているような感覚を覚える。
いつの間にか、夜の来るのが早くなり、とんぼの群れ飛ぶ姿が見られ始めた。
初七日を前に、祖母の死を悼む歌を書きとめておくことにする。

母よりの電話のありてわが祖母が昨日の朝に亡くなりしと聞く
先日に帰省せしかどなどてわれ寝たきりの祖母を見舞はざりけむ
とり急ぎ他事はうち捨て帰郷しき葬儀にだけは参列せむと
実家まで帰れば父母は通夜終へて先ほど帰りしところなりといふ
大往生遂げしといふもおろかにて百年にあまる齢(よはひ)を思ふ
亡き祖母と別るる朝は傘させどそぼ降る雨に頬は濡れつつ
祖母なくばわれもなかりき代々を経て命受け継ぐ縁(えにし)を思ふ
名号を唱ふる声は輪になりて祖母を浄土へはこぶなるらむ
灰になりてかくも小さき亡きがらを見れば涙をおさへかねつる
朝夕に祖母の唱へし御仏(みほとけ)の法(のり)は死後にも祖母を守らむ

拙い歌ではあるが、祖母の冥福を心から祈る。

朝顔の露

2014-08-28 22:23:46 | 日記

祖母の葬儀から一夜明け、いつものように職場に出勤すると、中庭に朝顔の花が咲いていた。
夜明け前に降った雨に濡れ、花に露が置いている風情が可憐である。
よく見ると、花びらは、置いた露の部分だけが早くも色褪せて、露が乾く間も待たず、昼前には枯れてしまう花の命の短さを感じさせる。

『方丈記』の冒頭で、無常迅速の世のたとえに引かれ、また、

  朝顔をなにはかなしと思ひけむ人をも花はさこそ見るらめ

と『拾遺集』で歌われているのももっともだとは思うけれども、今朝は、朝の涼気の中で美しく咲いている姿に、しばし我を忘れて見入っていた。

  朝顔を見ればなぐさむ世の中の常なきことによそふるものを

祖母を見送る

2014-08-27 23:09:44 | 日記
昨夜は実家に泊まり、今日は朝食後、両親と共に祖母の告別式に行く。
朝から細かい霧のような雨が降り、傘をさしていても、頬がしっとりと濡れてくる。

斎場では会うのも久しぶりの(妹の結婚式以来、あるいはそれより以前からか)親戚たちから次々に声をかけられ、その変わりように驚く。子どもの頃、母親の実家で川遊びをしたり、夏祭りに行ったようないとこたちが、みな家庭を持ち、よいお父さんお母さんになっているのに今昔の感を抱く。

やがて導師が現れ、読経や焼香があった後で、亡き祖母についてお話をされる。
祖母は明治43年に生まれ、明治・大正・昭和・平成の四つの時代を生き抜いた。
一男四女を生み、多くの孫・ひ孫にも恵まれ、やがて玄孫(やしゃご)も生まれようとしている。
以前書いたように、祖母は富岡製糸場で働いたことを誇りにしており、私も何度かその話を聞かされたことがある。
信仰篤く、寝たきりになる前は、意識のはっきりしているときは常に勤行を欠かさなかったという。

いよいよ出棺というので、遺族・親族たちが棺いっぱいに花を入れ、亡き骸を火葬場まで送る。
収骨のとき、祖母がこんなに小さくなってしまったかと思うと悲しく、お骨の一つ一つが壺に拾い上げられていくのを泣きそうな思いで見ていた。
と同時に、心の中では、祖母にずっと感謝の言葉を繰り返していた。

祖母が戦前・戦後の厳しい時代、苦しい状況の中でも必死に生き、私の母を含め、何人もの子を生み育ててくれたからこそ、今、私がここにいる。
祖母は立派にこの世でのつとめを果たして旅立って行ったと思う。

導師は、そのお話の中で、「生死は不二のもの」と言っておられた。生前、篤く信心していた人は死後も仏法によって守られるのであり、死を恐れる必要はないのだと。
私も、祖母の死を悲しむばかりではなく、祖母からの生命の連続を大切にして生きていこうと思った。

先立たぬ悔い

2014-08-25 21:59:29 | 日記
昨日の朝、母親から電話があり、一昨日に祖母(母方の)が亡くなったことを知らされた。
百四歳ではあったし、数年来ほとんど寝たきりで、いつこうなってもおかしくないことは分かっていたはずなのに、それでも胸を押さえつけられたような苦しさを感じている。

先日、帰省したとき、昨年のように母親と、祖母の入院していた病院を訪ねておかなかったことが悔やまれる。
いつかくることなのに、どこかでまだ先のことと楽観していたのかもしれない。今日はずっと、

  先立たぬ悔いの八千たび悲しきは流るる水の帰り来ぬなり

という古今集の歌の、「先立たぬ悔い」という言葉が心に浮かんでいた。

明日は午前中は仕事に出なければならないが、午後から帰省し、明後日の祖母の葬儀に出席する。
こんな時は、勤め人である身の境遇がつらく感じる。