夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

花のころ

2013-03-31 23:05:57 | 日記


一昨日の午後から体調を崩してしまい、この土日は食事以外ほとんど寝て過ごすはめになってしまった。昨日のブログも、書きかけてすぐあきらめ、先ほど残りを書いてUPした。(身の上をのみ書く日記(ブログ)といいながら、読者に心配をかけるような記述で申し訳ない)。

今日の夕方になって、気分もさわやかになったので、ようやく外に出て夕食を済ませ、指導要録を書いたり雑用をしたりの仕事をする。まる二日、外の世界に触れずにいたら、桜がほぼ盛りになっているのに驚いた。昨日一昨日とやや寒かったので、満開は今週の中頃になると思っていたのだ。
風邪でふせっている間は、この週末にやりたかったことのあれこれを思い、身も世もないように思い煩っていたが、外に出て花の夕映えを見、春の華やぎに触れて、心も浮き立つように感じられ、また明日からがんばればいいという気持ちになった。

  世はなべて花のころとぞなりにける絶えぬ思ひのながめせしまに

禁じられた色彩

2013-03-30 23:23:24 | JAPANの思い出・洋楽


1983年に発表された坂本龍一/デヴィッド・シルヴィアンの「禁じられた色彩(Forbidden Colours)」。坂本龍一が作曲した、映画『戦場のメリークリスマス』のテーマ曲にデヴィッドが歌詞をつけて歌い、まるで別の曲にしてしまった。
私は当初、12インチシングルのレコード盤で持っており、そちらはA面が「禁じられた色彩」、B面が坂本龍一の『戦メリ』アルバム所収「ザ・シード・アンド・ザ・ソウワー」「ラスト・リグレッツ」だった。
その後、だいぶ経ってから写真のCDマキシ・シングル盤を入手した。(中古レコード市で見つけたのだが、発売は1991年らしい。)収録曲は、
1.禁じられた色彩
2.バンブー・ハウス
3.バンブー・ミュージック
4.禁じられた色彩(versionⅡ)
と、2・3曲目に1982年の坂本/シルヴィアンのコラボ作品が入っているのが、ファンとしては嬉しい。また、4曲目に「禁じられた色彩」のヴァージョン違い(イントロの教授のピアノが、言語を絶した美しさ)が入っている。これは、もとデヴィッドのシングル「レッド・ギター」のB面に収められていたらしいのだが、たいていの方は、デヴィッドのソロ3作目『シークレッツ・オヴ・ザ・ビーハイブ』(1987)日本版のボーナス・トラックで聴いたヴァージョンなのではないかと思う。



それにしても、インストゥルメンタル作品としてすでに完成している「戦メリ」のテーマ曲にヴォーカルをかぶせようとは、他の誰も思いつかない(あるいは思っても恐れ多くてできない)だろうに、あえてやってしまったデヴィッドは凄いとしかいいようがない。
坂本龍一のピアノとシンセ、ストリングスに、デヴィッドの粘っこいヴォーカルが絡みついて有機的な、別の生命を持つ曲になってしまっている。
歌詞の持つ力を強く感じるのも、この曲の特色である。タイトルは、デヴィッドが愛読したという三島由紀夫の「禁色」(三島の多くの作品は英訳されており、海外でも評価が高かった)から着想したそうだが、映画の雰囲気にも合い、どこか退廃的で人生に対する懐疑的な内容を多く含んでいるのも、この時期のデヴィッドらしい。

  My love wears forbidden colours
  (僕の愛は禁じられた色彩を帯びる)
  My life believes(in you once again)
  (僕の生は(もういちどあなたを)信じる)

  I'll go walking in circles
  (足もとの土すら信じきれず)
  While doubting the very ground beneath me
  (それでも全てのことに盲目的な信仰を示そうとしながら)
  Trying to show unquestioning faith in everything
  (何度も同じ地点にたち戻ってしまう) 
  ※訳は中川五郎



坂本龍一とデヴィッドの共同製作は、ジャパン時代の『孤独な影』(1980)の「テイキング・アイランズ・イン・アフリカ」に始まり、前掲「バンブー・ハウス/バンブー・ミュージック」とこの「禁じられた色彩」を経て、デヴィッドのソロ『ブリリアント・ツリーズ』(1984)、『シークレッツ・オヴ・ザ・ビーハイヴ』(1987)につながっていく。この作品はそうした二人の音楽的交流とその結実を見ていく上でも興味深い。


春期補習終了。

2013-03-29 22:04:16 | 日記
学年末考査の翌週から始まった春期補習は、約3週間の日程をすべて終了した。
その間に、新入生を迎えるための準備や年度末業務、諸行事もあったので、忙しい毎日だったが、なんとか一段落ついた。
なによりほっとしているのは、毎日次の日の授業の予習をしていたのから解放されること。前にも書いたが、毎日新しく授業の準備をしなければならないのは、通常の学期期間中にはないことなのだ。
補習で教える問題について、まず自分で解いてみて自己採点する。生徒の答案を採点して、どこが弱いかを把握する。強化ポイントがメインになるように、授業の組み立てを考えながら予習する。現代文の場合はそれに、板書計画も加わる。これらのことは全部ルーティン・ワークなのだが、授業の予習にはそれなりに、いやかなり頭も使うので、正直今週はへとへとだった。

明日から始業式までは充電期間。短い期間だが、残った年度末業務を片付け、新年度の教材を準備し、教科指導や学級経営の計画を立て、「黄金の三日間」をよい形で迎えられるように取り組んでいく。

『明月記』を読む(5)

2013-03-28 23:09:33 | 『明月記』を読む
正治二年(1200)七月 藤原定家三十九歳。

十八日 天晴る。早旦内供(公暁)来臨す。請ふに依るなり。院の百首作者の事、相公羽林(公経)に相尋ねんが為なり。昨日消息を以て之を示すに、返事に云ふ、事の始め御気色甚だ快し。而るに内府(通親)沙汰するの間に、事忽(たちま)ち変改あり、只老者を撰び此の事に預かると云々。古今和歌堪能に、老を撰ぶ事未だ聞かざる事なり。是(これ)偏(ひと)へに季経の賂(まひなひ)を眄(み)て、予を弃(す)て置かんが為結構する所なり。季経、経家は彼の家の人なり。全く遺恨に非ず、更に望むべからず。但し子細を密々に之を注し、相公の許(もと)に送り了(おは)んぬ。漸々に披露せんが為なり。存知すべきの由返事有り。今日心身猶(なほ)不快なれば、指し出でず。今暁健御前物の気を追はると云々。是用途無きに依るなり。不便。

記事の内容
七月十五日の記事で、定家は、自分が後鳥羽院の催す百首(以下、「正治初度百首」あるいは「初度百首」と呼ぶ)の人選から漏れていることを知って落胆していた。
だが、その後定家は自分の妻の弟、西園寺公経に、詳しい事情を教えてほしいと手紙で問い合わせていたらしい。この日の朝早く、その返事を携えて内供(公暁。公経の兄弟)が定家のもとにやって来た。その返事によると、初め「正治初度百首」を企画する段階で、定家は歌人の員数に加えられており、後鳥羽院もそのことについては「御気色甚だ快し」と、乗り気な様子であったらしい。ところが、内大臣の源通親(みちちか)がこの計画に加わったところから、たちまち方針が変わり、「初度百首」にはもっぱら「老者」(四十歳以上)の歌人を選んで参加させることになったのだという。


(「源通親像」『天子摂関御影(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)』画像はウィキメディア・コモンズから転載)

源通親は内大臣・源雅通の長男で、後白河~土御門に至る七代の天皇に仕え、朝廷での要職を歴任していた。後鳥羽院の后・在子の養父であり、土御門(つちみかど)天皇の外祖父に当たり、当時絶大な権勢を振るっていた。譲位後の後鳥羽院を和歌の道に誘導した有力な存在であるとも見られており、実際、自邸で催す「影供歌合」(えいぐうたあわせ=歌聖・柿本人麻呂の肖像の下で催す歌合)に後鳥羽院をしばしば招いている。

ここで問題は、通親が歌壇的には定家らの御子左(みこひだり)家と対立する六条家の藤原季経(すえつね)を師とし、その庇護者的存在であったことである。具合の悪いことに、定家はこの季経と折り合いが悪かった。(『明月記』の正治二年四月六日の条に、定家が季経を「えせ歌詠み」呼ばわりし、季経が判者を務める歌合には参加しないと仮名状に書いたことが季経の耳に入り、激怒されたという記事が出てくる)。
また、通親は自らの政敵である九条家とその関係者を敵視しており、九条家の家司(けいし=職員)である定家も、その人脈に連なる者として排斥された可能性もある。定家は日記に、通親が季経から賄賂を受けて、自分を排除するために画策したことだろう、季経も経家(季経の甥。六条家の歌人)も通親の家の人(従者)であるし、と決めつけているが、賄賂云々はもちろん定家の憶測に過ぎない。しかし、参加歌人を「老者」に限る条件が後から出てきたのは、やはり定家らの締め出しを図ったのであろう。定家は、「初度百首」に参加できなくても残念でもないし、望んでもいないと強がりを書いているが、今回の事情を細かく記し、再び公経に書状を送っている。

感想
定家が「全く遺恨に非ず」と言っているその言葉が逆に、今回の事態がかねてからの宿怨で動いていることを証し立てているのがなんとも皮肉である。
昔も今も、どの世界でも、男社会では党派やら利害関係やら怨恨が絡んでくる。口では立派なことを言っていても、実際は好き嫌いの感情で人事が左右されているのもよく見る光景だ。それにしても、「老者」にわずか一歳足りないから「初度百首」に参加できないって、そんなルールありかい!と定家が叫びたくなる気持ちはよくわかる。都合の悪い人間を排除するために、権力者側が手前勝手なルールを作って、いいように事を進める…。これをやられたら、どんな立派な人でも憤懣やるかたなく、腐ってしまうだろう。

N・ヒル『仕事の流儀』(その23)

2013-03-27 22:31:42 | N・ヒル『仕事の流儀』
第19章には、ちょっと怖い話も出てくる。

Gin parties are very exciting. To some, they are very interesting. To all, they are destructive! If you have not the willpower to resist the temptation to join your friends in parties of this kind, you had better look for new friends whose habits will tempt you in a more profitable direction. These parties, so popular in this age, collect a heavy toll in two ways from all who indulge in them: Their victims pay in loss of efficiency, which means loss of earning capacity, and they pay sooner or later in loss of health.
Young people can, because of the endurance of youth, make tremendous inroads upon their vitality without apparent effects. There comes a time, however, when these debts against one's health must be paid. Nature attends to this! She keeps a set of books in which every item is recorded. Moreover, she forces the individual to become his or her own bookkeeper. The charges compiled through the indiscretions of youth are collected through the infirmities of old age.
(“How to sell your way through life”‘19 How to Budget Your Time’)

ジン・パーティー(辞書に出てこないが、カクテル・パーティーのようなものだろうか。小宴会の意味に理解しておく)は、とても刺激的なものだ。ある人にとっては、それらはとても面白いものだが、すべての人にとっては有害なものだ。あなたがもし、この種のパーティに友人と参加する誘惑に抵抗する意志の力がないなら、あなたをもっと有益な方向に引っ張ってくれる習慣を持つ、新しい友人を探しなさい。こうしたパーティーは若い年代にはありがちなものだけれども、それにふけるすべての者から、二つの方面で重い税金を徴収することになる。その虜になった者は、能率の損失、つまり稼ぐ能力の損失という対価を支払うことになり、彼らは遅かれ早かれ健康の損失という対価も支払うことになる。

 若い人は、若さという持ちこたえる力があるため、明らかな影響もなしに、自分の旺盛な生命力にものすごく害を与えることもやれる。しかしながら、時が来れば、それらのツケが回って健康を損なうという代償を支払わされる。自然の結果として、このことが生じるのである!自然は、(あなたが自分の健康に対して行った)全ての項目を記録した帳簿一式を保管しており、さらに、自分自身の帳簿の簿記係になるよう強制してくる。若い頃の無分別を通して積み上げられたツケの請求は、老年になっての疾患を通して回収される。

ヒル博士は、この後にある話を紹介している。かつての学友を病院に見舞いに行くよう頼まれたヒル博士は、そこに変わり果てた友人の姿を見る。彼はまだ老年になってもいないのに、若い頃の無茶がたたって中風を患い、脳に部分的な麻痺があって、いずれは精神障害になろうとしているというのだ。十代の頃から過度な飲食やセックスを重ね、八時間の気晴らしだけでは済まず、他の二つの八時間(睡眠と仕事)からも過剰に時間を引き出した結果、彼は健康を損なうだけでなく、経済的にも苦境に陥っていたという。

悲しいことだが、似たようなケースを、私は同じ業界の人で何人か見たことがある。やりがいのある職業に就いたはずなのに、まだ五十代で亡くなったり、あるいは破産してしまったりという人は、ほぼ例外なく酒かギャンブル(あるいはその両方)に依存した結果だった。ヒル博士が説いている効率的な時間配分を知っていれば、本人だけでなくご家族にとっても痛ましい、このような結果は防げたのではないかと思う。ヒル博士が挙げているのはやや極端な例と言うべきなのだろうが、職業を通じて社会に奉仕し、家族を養い、自己実現していこうとする人にとって、一日二十四時間しかない時間を、どう使うのがeffective(効率的)なのかは常に考えておかなければならない問題だ。