夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

松阪

2017-08-24 21:20:15 | 日記
昨日は、本居宣長ゆかりの史蹟や記念館などを訪ねて、松阪市の中心部をほぼ一周してきた。

一昨年から、鳥取の国学と和歌を学ぶようになって、改めて国学の大成者である宣長の存在の重要性を感じるようになった。
そこでぜひ、宣長がその一生のほとんどを過ごした松阪と、本居宣長記念館に行ってみたくなったのだ。

江戸でも京都でもなく、文化的には辺境だったはずの松阪にいて、しかも昼間は医師として働きながら、宣長がどのようにして自分の学問を完成させたのか、知りたい気持ちもあった。
……ただ結局は、学問に王道なしという単純な事実を思い知らされることになったが。


学問は、好奇心に導かれながら、自ら信ずるところを楽しみながら行うこと。
倦まず弛まず、年月長く勤め励むべきこと。
基礎から積み上げ、正しい順序で研究していくこと。

私の職場の同僚が言っていたのだが、宣長は今日の日本語学の分野から見ても、先駆的で重要な研究をいくつも行っているという。
古事記の注釈はいうまでもなく、源氏物語の研究や歌論でも優れた著作を数多く残しており、神道や国学の体系化に果たした役割も大きい。

正しい方法・方向で研究を地道に長年積み重ねていけば、35年をかけて完成した「古事記伝」44巻のような大業も成し得るし、場所は問題にならない。

たった一日で、宣長のような知の巨人についてどれほど理解を深められたかは心もとないが、今後の自分の研究への指針をたくさんいただいたような思いで帰ってきた。


三重を味わう

2017-08-23 22:10:58 | 日記
昨日、宿は松阪に取ったが、夕食はやはり三重の美味しい魚と地酒を豊富に味わえる店がよいと思い、県都の津に移動。
松阪から津までは、快速を使えば20分もかからない。

駅前の庵JUJU(「アジュジュ」と読むらしい)に行き、本日のおすすめの酒から、迷うことなく「天遊林 夏純」を注文。
苺のような甘い香り、口当たりさっぱりで、名前の通り爽やかな、涼味を感じるお酒だった。
この店は半合から注文できるので、他にも「るみ子の酒」や「作(ざく)」など、三重のお酒を満喫させてもらった。
海の幸も、尾鷲港直送という新鮮な魚貝のお造りや、名前に釣られて頼んだ「桑名の焼き蛤」が美味しかった。


個人的に嬉しかったのは、お店のメニューに伊勢うどんがあったこと。
伊勢うどんは麺がふわふわでコシがなく、つゆは丼の底のほうに甘じょっぱい醤油だれがたまっており、よくかき混ぜて食べる。
麺の上にはかつおぶしと刻み海苔がかかっており、熱々のをふうふうしながら食べた。

岡山・香川の、コシの強いうどんに慣れた人は、カルチャーショックを受けるかもしれないが、非常に美味しいので、三重を訪れた方にはぜひ食べてほしい。

幻の宮

2017-08-22 23:49:40 | 日記
源氏物語ゆかりの地を訪ねる旅で、今回は伊勢へ。

来月の源氏物語講座では、「絵合」(えあわせ)の巻を取り上げるのだが、そこに斎宮女御(さいぐうのにょうご)が登場する。
六条御息所の娘で、伊勢斎宮を6年間務めた後、帰京して冷泉帝の女御となった女性だが、源氏物語の中で重要な役割を果たす人物であり、また歴史上実在する「斎宮女御」(村上天皇の女御・徽子(きし))をモデルにしていることからも、伊勢斎宮についてもっと知っておきたくなったのだ。


写真の斎宮歴史博物館や、いつきの宮歴史体験館などを見学し、平安時代の斎宮の日常生活や、昭和45年以降続いている、斎宮跡の発掘調査の成果などを知ることができた。
特に、斎宮歴史博物館の映像展示室で見られる「斎王群行」「今よみがえる幻の宮」のショートフィルムと、いつきの宮歴史体験館近くにある「1/10史跡全体模型」が、伊勢斎宮の実体を理解するのに役立った。

文学はやはり、机上の学問だけでは不足であり、その作品の形成にかかわる風土を知ることの重要性を改めて感じた。

不発

2017-08-21 22:32:34 | 日記
今日は資料調査・撮影のために、朝から山陰歴史館へ。
閲覧を依頼しておいた資料を吟味し、順次撮影していくのだが、思った以上に分量が多く、予定していたよりも長く時間がかかってしまった。


また、この山陰歴史館は、旧米子市庁の建物をそのまま利用しており、施設の老朽化が著しい。
館長が私に挨拶に来てくれたついでに、
「うちは冷暖房完備ですから。夏は暖房、冬は冷房。はははッ!!」
と冗談を飛ばしていったが、室内は本当に暑く、蒸し風呂のような中で文書の調査と撮影を行った。

風で紙がめくれてはいけないので、学芸員さんがサービスで入れてくれた扇風機も「弱」でしか使わず、うだるような暑さもものかは、なんとか必要なところまでは作業を終えることができた。

今回調査した資料はすべて写本で、書写者の息づかいを肌で感じながら、ふと、この資料は私に出会えることを待っていたのかもしれない、もしかしたら、私が米子に来たのもこうしたことのためにであったのかもしれない、などと因縁のようなものを感じた。

帰る際、今回の資料調査のお世話をしてくれた学芸員さんにお礼を述べてから、
「(暑い中の作業で)0.5㎏くらいは痩せたような気がします。」
と冗談のつもりで言ったのだが、まったくの空振りだった。

考えてみれば、ここで働いている人にとっては、これが毎日の仕事の現実である。
施設・設備に恵まれた職場環境に慣れ、不用意な発言をしてしまったのが、我ながら情けない。

神功皇后

2017-08-19 22:08:23 | 日記
これは少し以前の話になるが、月岡芳年(つきおか・よしとし)の浮世絵が手に入り、とても気に入ったので研究室に飾り、日にいくたびも眺めては目を喜ばせている。
芳年は幕末・明治期に人気のあった浮世絵師で、特に歴史や伝説などに題材を取った作品が多いが、この絵は神功皇后を描いたもの。
『古事記』に見える、神功皇后が新羅遠征の後、肥前国松浦の小川で鮎を釣ったという話をもとに、女傑にふさわしく凜々しい姿を描いている。


先日の歌会には、このことを詠んだ歌を投稿した。先生の添削をいただいた形で紹介する。

  芳年の浮世絵を得て日にいくたびも眺めをりその「神功皇后」を
  浮世絵の神功皇后小川にて鮎釣るさまを良しとわが見る