夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

『明月記』を読む(1)

2013-01-31 22:53:01 | 『明月記』を読む

(「冷泉家の至宝展」図録〔NHK・NHKプロモーション発行〕より転載)

このブログでもしばしば取り上げている、後鳥羽上皇と藤原定家。
昨年来、彼らの書や作品に直接触れる機会が何度もあり、改めて彼らの和歌史上、そして日本文化史上における存在と影響の大きさを感じるようになった。
特に藤原定家は、和歌史上の巨大な存在であり、死後間もなくから歌聖として仰ぎ見られ、名声に包まれてきた人物である。

しかし、生前の実像はどうだったのか。
どのような意志を持ち、どのような意識で日々を生きていたのか、もっと知りたくなった。

幸いにして、定家はその日記『明月記』を遺してくれている。また、定家の伝記や『明月記』に関する研究や著作も数多い。
このコーナーでは、定家と後鳥羽院との出会いのあたりから、『明月記』を繙き、少しずつ紹介していくことにしたい。

上の写真は、京都の冷泉家所蔵の重要文化財、定家自筆『明月記』第九巻から、建仁三年(1203)正月(旧暦の一月)四日条の一部。ちょうど、810年前の今頃の時期だ。
  四日 天晴
  午時参摂政殿御共参院今日御幸始也~
と、定家が摂政左大臣の九条良経の供をして行動したことが書かれている。
『明月記』は原本がかなりの部分残っているが、当時の公家日記の常として漢文体で書かれ、しかもご覧のように、決して読みやすいとは言えない字でびっしり記してあって、中には判読に苦しむところもある。だが、それも含めて史料を読むことの楽しさなので、このコーナーでは、著者の生の声を聞ける面白みも伝えていけたらと思っている。


(上掲「冷泉家の至宝展」図録より、定家図)

最後に『明月記』の著者・藤原定家は、応保二年(1162)~仁治二年(1241)、八十歳。鎌倉時代前期の歌人で、名の「定家」は通常「ていか」と呼びならわしている。藤原道長の六男・長家を祖とする歌道家・御子左(みこひだり)家に生まれ、正二位中納言にまで進んだ。父の俊成(しゅんぜい)は、『千載和歌集』の撰者。後鳥羽上皇の厚遇を得て、歌壇の第一人者となり、『新古今和歌集』では撰者の一人となる。その後、上皇とは不和を生じ、処罰をこうむるが、承久の乱(1221)後は歌壇に復帰して大御所的存在となり、『新勅撰和歌集』では単独の撰者となった。

家集(かしゅう=個人歌集)は『拾遺愚草(しゅういぐそう)』で、妖艶巧緻な歌風といわれる。和歌・歌学に関する著作多数。歌集、物語、日記をはじめとする古典の書写、校訂も広範に行っている。

上の定家像は、冷泉家に伝わるもので、似絵(にせえ=肖像画)の名手・藤原信実(のぶざね)作との伝承を持つが、実際は時代が下る鎌倉後期の制作と考えられている。現存する定家の肖像の中では最も古いと見られているが、私は定家の人となりをよく伝えてくれる絵のように感じている。

ちなみに、「冷泉家の至宝展」は、今から14年前の平成11年、京都文化博物館で行われたのを観に行った。(後に、詳しく触れることもあるだろう。)当時はあまりお金がなかったので、岡山から鈍行で京都まで行き、午前中に展覧会を鑑賞し、午後から龍谷大学で行われた例会に参加した。展覧会に夢中になって時間があっという間に過ぎ、お昼ご飯は近くのラーメン屋で急いで食べた覚えがある。例会が終わった後は、古本屋に寄って帰って来た。貧しいけれど夢があった時代だったなあと、苦しいことばかりだったはずなのに、今はとても懐かしく思い出される。

採点終了!

2013-01-30 12:25:55 | 教育


昨日今日と本校の入試で、毎年恒例の採点地獄…。
私は恩師と同様、採点のような単純作業になると真っ先に音を上げるタイプである。特に、単純な足し算だけのはずの、得点計算を時々間違える。国語科の同僚のみなさん、なるべくなら迅速に済ませたい採点の足を引っ張ってすみません。

もともと言語脳が優位で、数字を使った演算処理がよほど苦手なのだろうと思う。事務職に就いて、お金や数字を扱う仕事が主だったら、きっと戦力外通告されていただろうな。よくぞ、言葉を教えることがメインの今の仕事に就いたものだと、過去の自分に感謝する。

採点はまた、近年視力が落ちてきた私には、以前よりこたえるようになってきた。特に、ボールペンの赤の色が時々、目を突き刺すように感じられる。

そんなわけで、休み時間には遠くを見たり、目薬をさしたり、温熱蒸気シートでリラックスしたりしながら、なんとかしのいだ。

そして先ほどようやく採点終了!みんなでお疲れさまを言い合った。

今夜は本当は映画を観に行きたかったが、次の機会にしよう。栄養のあるものを食べて、勉強して、ゆっくり入浴して、早めに寝るのが正解だ。
明日から、またがんばろう。

デヴィッド・シルヴィアン『ウェザー・ボックス』

2013-01-29 23:44:30 | JAPANの思い出・洋楽


先日のマーク・アイシャムの話題から、デヴィッド・シルヴィアンのソロ活動(初期)を思い出し、そういえば、持っていたっけと引っ張り出してきた。1989年に発売された、デヴィッドの5枚組CDボックス。この品については、
「80's UK New Wave」(http://blog.livedoor.jp/uknw80/archives/51284594.html)
というブログに紹介されているので、詳細はそちらに譲り(筆者がどなたか存じ上げぬが、懇切丁寧なレビューですばらしい)、簡単な説明のみ施すことにする。

“weather box”を辞書で調べたら、「おもちゃの晴雨自動表示器。家の形をしていて湿度の変化に応じて人形が出入りする」とあった。
タイトル同様、このCDセットも趣味よく遊び心に溢れた作りである。方形の箱を閉じている蓋を開けると、金泥の文様を施した蒔絵(まきえ)のようなCDが現れる。まるで、華麗に装飾された和本を収めた昔の書物箪笥のようだ。



5枚のCDは、デヴィッドのソロ転向後の最初の3つのアルバムから、
『ブリリアント・ツリーズ』(1984年) DISK-1
『ゴーン・トゥ・アース』(1986年)ボーカル編がDISK-3、インストゥルメンタル編がDISK-4
『シークレッツ・オブ・ザ・ビーハイブ』(1987年) DISK-5

また、当初はカセットのみで発売されたインスト作品の、
『錬金術』(1985年) DISK-2 
から成る。

1989年当時、ファンは『錬金術』を除き、これらの作品はすでにCDで手に入れていたであろうから、音楽的な興味よりコレクターズ・ボックスのような感覚で買ったのではないかと思う。



歌詞ブックも写真のように、開くと表紙の裏に雨だれが浮き上がっていて、目だけでなく手で触っても楽しめる。また、裏表紙の方には、煙草を押しつけて焼け焦げた穴が開いているなど、非常にアートな作りになっていた。解説で立川直樹氏が言っているが、
「飽きがこないばかりか、美の迷宮の深みへと誘われて幸福な夢遊病者になってしまう“魔法の箱”」
という感じがする品だ。

N・ヒル『仕事の流儀』(その17)

2013-01-28 23:18:01 | N・ヒル『仕事の流儀』
第17章はとても短く、どのようにして仕事を生み出すかについて。

ヒル博士は、セールスマンシップには鋭い想像力が重要だと述べたあと、想像力には“synthetic imagination(総合的な想像力)”と“creative imagination(創造的な想像力)”の二つがあるという。

Synthetic imagination consists of combining or bringing together two or more known ideas, principles, concepts, or laws and giving them a new use. Practically all inventions are created through the faculty of synthetic imagination because they consist merely of a new combination of old principles and ideas, or of giving old ideas of principles a new use.

総合的な想像力は、二つかそれ以上の既知のアイディアや原則や概念、あるいは法則を結合したりまとめたり、それらに新しい用途を与えたりすることから成っている。実際、すべての発明は、総合的な想像力の働きを通して生み出されるものである。なぜなら発明は、単に古い原則やアイディアを新しく結びつけることから、あるいは古い原則のアイディアに新しい用途を加えることから成っているからである。一方、

Creative imagination consists of interpretation of basically new ideas, plans, concepts, or principles that present themselves through the creative faculty and whose source is outside the range of the five senses of perception.
(“How to sell your way through life”‘17 How to create a job’)

創造的な想像力は、本質的に新しいアイディア、計画、概念、あるいは原則を解釈することから成る。それは創造的な働きを通して現れ、その源は五感の認識の範囲外にあるものである。

ここで、我々は普通、ヒル博士の分類のうちの「総合的な想像力」しか(あるいはそれさえも)使っていないように思う。

自分の仕事を振り返っても、生徒のために授業を創造するのでなく、今まで自分のやってきた仕事の範囲内のアイディア、プラン、知見、原則、方法論、あるいはせいぜいその組合せで授業を処理しているのが実情だ。

本当は、同じ内容の授業を複数のクラスで行うとしても、生徒の傾向も学力も雰囲気もレディネスも違うはずなのに、同じようなパターンで授業をしてしまうことが多い。逆に、同じ予習しかしてきていなくても、そのときそのときの生徒の理解や反応に気を配り、どうすればよくわかり、かつ面白くなるのか想像力を働かせて授業を行ってうまくいったこともある。

ただ、ヒル博士のいう「創造的な想像力」は、もっと高い次元での創造をさしているように思う。これは自分の経験でいえば、研究授業とか入試問題の作成とか、論文を書くというくらいのレベルでの集中と努力を要求するような気がする。いずれも、自分の取り上げる題材やテーマについて、本質は何かということを突き詰めて考え、日常レベルでの思考を越えた新たな概念やヴィジョンを生み出すものである。

これはすごく難しいことのように見えるが、ヒル博士は、想像力の働きは、体の器官同様、使うことでもっと鋭敏なものになる、と言っている。想像力は複雑なもので、天才にしか効果的に使えないと考える人がいるが、それは間違っていると。この言葉は、他人より想像力の働きが鈍い私にとってはありがたい。

また、ヒル博士が、「最も望ましく、最も高い報酬を与えてくれる地位は、想像力にあふれた人が自分自身のために創造した地位である」という言葉は、この章でいちばん印象に残った。今やっている仕事が、自分にとって最高の仕事になるように、不断に想像力を発揮させて取り組むことがどれほど大切なのかがわかった。

倉敷

2013-01-27 22:25:34 | 日記


用事で倉敷に行ったので、先日来たデジイチを初めてお供に連れて行った。E-P1を見慣れた目にはやはり、形(なり)がごついように見えるが、思ったより軽く、手にしっかりなじむフォルムなのがよい。

ファインダーを通して被写体を確認するのも、昔使っていた銀塩カメラ以来で、懐かしい感覚だ。
まだ操作に慣れていないので、とりあえずプログラムオートのみで、気の赴くまま何枚か写真を撮ってみた。
軽快にサクサク撮れる感じが心地よい。
美観地区を歩いている途中で日が暮れてしまったのだが、暗くなってもしっかりピントを合わせてくれるのは嬉しい。
想像以上に性能がよいのに驚くが、機械音痴の私が、うまく使いこなせるのか不安にもなる。

家に帰ってきてから、PC画面で映像を確認してみたが、細部までしっかりとした再現性を示しているのに感心した。
これから長いつきあいになりそうなので、時間をかけてじっくりどんなカメラか理解していき、その特性を見極めて使っていきたい。

ちなみに上の写真は、倉敷美観地区の北側にある阿智神社への入口のあたり。森田酒造の隣にある、倉庫を改装した「おいしいものギャラリー」倉敷平翠軒(へいすいけん)の建物が左側に映っている。このあたりから本通り商店街にかけて、近年お洒落な店が増えていて、町歩きしていて心楽しいエリアだ。今日は、用事の帰りにほとんど素通りしただけだったので、次回はゆっくり訪れてみたいと思っている。