夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

近代俳句を教える (その2)

2015-01-30 19:51:39 | 教育
今回は、中村草田男の俳句二句、

  万緑の中や吾子(あこ)の歯生え初(そ)むる
  校塔に鳩多き日や卒業す

について授業で取り上げた。

中村草田男は、明治34年(1901)~昭和58年(1983)。父が領事をしていた中国福建省厦門(アモイ)に生まれたが、3歳の時に父の郷里・松山に移る。後、松山高校、東京帝大に進学。
石田波郷・加藤楸邨らとともに、「人間探求派」と呼ばれる。句集に『長子』(昭和11年)・『火の島』(昭和14年)などがある。

  万緑の中や吾子の歯生え初むる

「万緑」は辞書を調べれば、夏の盛りの頃の、見渡す限り緑一色の深緑の様子、という意味はわかる。
また、「吾子の歯生え初むる」が、生徒の答えたように、「口を大きくあけて笑う自分の子どもの口の中に、歯が生えはじめていて、嬉しく思う気持ち」を表していることもすぐわかる。

しかし、この季語と心情がどうつながるか、というところでは、生徒がなかなか理解できずにいた。

・万緑のようにわが子の歯がたくましく生えてほしいという心情。

は、当を失しているだろうが、

・わが子の成長を、「万緑」という言葉で、大きな喜びを表している。
・あたり一面の緑色の中で、自分の子どもが笑っていて、生えはじめた歯の白い色と対比させている。

といった理解は、かなり鋭いと思った。教師用の指導書には、この句は、〈父親として、わが子の無垢な生命力、生長を発見して歓喜する心情〉を詠んだものと説明している。深緑に映える白は、赤子の純粋で汚れのないことを象徴しているだろうし、万緑と赤子とは生命力あふれるイメージが照応するだろう。
高校生の感性は鋭敏で、説明は及ばずとも、直感的に本質を捉えていることがよくある。

  校塔に鳩多き日や卒業す

「卒業」が季語で季節は春というのはすぐわかるが、「校塔に鳩多き日」がどんな光景なのか、というのは、意外にイメージが湧かないようだった。

・雨の日でたくさんの鳩が雨宿りしている。
・たくさんの鳩が、校塔にまかれているえさを食べにきている。
といった理解もあった。

ここでは、「校塔」はその学校のシンボルとなる中心的な建物(時計台など)で、「鳩多き日」も、よく晴れた卒業式の日に、春の陽光の下、たくさんの鳩が校塔にとまったり、周囲を舞ったりする明るいイメージこそふさわしいのではないか、ということを説明した。

この俳句に作者のどのような心情が表現されているかについては、「別れの悲しさ」を挙げる者が数人いたが、鳩が平和のシンボルであり、上記のようにこの句に明るいイメージが浮かぶことからは受け入れにくいと話した。

・卒業を鳩たちからも祝ってもらっているような気持ち。
・たくさんの卒業生と共に旅立つことに未来への期待をふくらませている。

といった理解は鋭いが、自分が卒業しようとする時に、「校塔に鳩多き日や」という感慨を抱くことはやや考えにくく、教師用指導書にあるように、〈作者が卒業生とその前途を祝福する気持ち〉と生徒には説明した。

ちなみに、「卒業を鳩たちからも祝ってもらって~」というところで、一昨年の本校の卒業式のときに、鳩が式場の体育館で我が物顔に振る舞って困った話をしたら、生徒たちが大笑いしていた。

近代俳句を教える (その1)

2015-01-29 23:25:01 | 教育
2学期に1年生の現代文で近代短歌を教えたので、3学期は近代俳句について授業で取り上げている。

先日は、橋本多佳子の俳句二句、

  雪はげし抱かれて息のつまりしこと
  乳母車夏の怒濤によこむきに

を授業で扱ったのだが、そのときの生徒の反応や解釈を見て、俳句を教えるのは楽しいけれど、非常に難しいものでもあることを改めて感じた。

橋本多佳子は、明治32年(1899)~昭和38年(1963)、東京都生まれ。
山口誓子に師事して『馬酔木(あしび)』に参加し、句集『紅絲(こうし)』(昭和26年)で女流俳人の第一人者としての地位を確立したといわれる。

  雪はげし抱かれて息のつまりしこと

は、作者が冬の雪の激しい夜、ひとり部屋の中にいて、昔、恋人に強く抱きしめられた吹雪の夜を回想した句と考えられる。

ただ、生徒の答えでは、作者が家の中にいると答えた者は一人しかいなかった。
冬の雪が激しく降る中、恋人に抱きしめられて緊張し、息苦しい、といった解釈が何人も出た。

ここでは、「息のつまりこと」と過去の助動詞「き」の連体形が使われているから、作者が過去(おそらく若かった頃)のことを回想している表現で、激しい雪に触発されて、恋人の男性から強く抱きしめられた記憶が蘇ったのだろうということを説明した。

  乳母車夏の怒濤によこむきに

は、作者が海辺にいて、激しい高波が打ち寄せる浜辺に、乳母車が横向きに押されてゆくさまを見て、高波に乳母車がさらわれそうな不安感を表現した句と見られる。

生徒の答えでは、
・子どもが荒れ狂う波のようにたくましく生きていくよう願っている。
・乳母車が崖から落ちそうになって、危ない(助けねば)と思っている。
・作者は乳母車の中にいて、夏の怒濤を見ながら人生を振り返っている。
など、珍解答がいくつかあった。

中には、若い母親が赤ちゃんを乳母車に乗せて散歩する様子を見て、独身女性の作者が羨ましい(自分も結婚したい)と思っている句だと解釈する生徒もいた。

私からは、それだと「夏の怒濤」という言葉が生きてこないでしょう。言葉を極度に切り詰めて詠む俳句では、季語に作者の心情が託されることが多い。ただの高波でなく、怒濤と表現しているのは、作者に恐ろしく感じさせるような状況があったはず。浜辺に押し寄せる波に対して横向きに進んでいく乳母車が、さらっていかれそうな不安感を覚えたから、「夏の怒濤」と言ったのだと思いますよ、ということを説明した。

削ぎ落とされた表現で、詞が遠心的な結合をしている俳句から、作者が伝えようとしたイメージ、世界をどのように生徒につかませるかはなかなか難しく、教えながら常に頭を悩ませている。

新春の集い

2015-01-28 23:26:42 | 短歌
先日、私が所属する結社の「新春の集い」に参加してきた。
これは毎年一月に、結社の会員が一堂に会して新年を寿ぎ、各賞受賞者を祝うなどする催しなのだが、私は出席するのは初めて。

会場はホテルの大広間で、結婚式場などに使われる場所なので、スーツでなくカジュアルな服装で来てしまったことを少し悔やんだ。
同じテーブルに座った方々ともお話させていただいたが、歌歴何十年という方ばかりで、この二月にようやく二年目を迎える私は、自分もいつかこのようになれるのかな、と思ったりもした。

お隣の女性と話していたこと。
初心者の一年は無我夢中で、ただ手当たり次第、折々に見たこと感じたことを歌にしていくだけだったが、二年目というサイクルで、さらに変化していけるのか、マンネリに陥ってしまうのか。未体験ゾーンに入っていくことに不安もある。
毎年同じように、春の花や秋の月の季節が巡ってきて、その度ごとに歌を詠むことになろうが、変わりばえのない歌しか作れないか、あるいはその時の自分にしか詠めない歌になるのか。

できるなら、結社の先輩方のように、上手に詠歌の年輪を重ねていけたらと思う。

私のお隣にはまた、『朝日新聞』の岡山歌壇の選者を務めている男性の方がおられ、最初の自己紹介の時は緊張してしまったが、お話していくうち、その素朴な人柄にすっかりひきつけられてしまった。


(写真は、1/11に東京中央郵便局内で撮った、富士山のパネル。)

この日は、初めに先生から開会の挨拶があった後、坂本信幸氏(高岡市万葉歴史館々長)が新春にふさわしく、「山部赤人の富士山の歌」(万葉集・巻三・317、318)についてご講演をされた。
一般には、『百人一首』に詞を変えて載る318歌「田子の浦ゆうち出でて見ればま白にそ富士の高嶺に雪は降りける」が有名であるが、豊富な用例と諸家の説を紹介して、その名歌たるゆえんを説き明かしたお話はとてもわかりやすく、参考になった。

その後は、結社の各賞受賞者と歌集を出版された方々のお祝いや年間行事の説明、会員の方々による様々な余興の披露などがあった。
私が面白いと思ったのは、余興は受賞者と共に、その所属する地域の歌会の方々が応援団になって行うことだ。
様々な趣向を凝らした演芸が次々に行われ、なんだか応援合戦のようにも、TV番組の新春隠し芸大会のようにも見え、非常に盛り上がっていた。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、お開きとなったが、このような大きな催しでなければ会えないような方々と交流することができ、とても有意義な機会となった。

暴風雪 その後

2015-01-26 22:19:48 | 日記
私は地域紙を読むのが好きで、旅先では必ずご当地の新聞を買うようにしている。
先日、米子に行ったときも、『日本海新聞』と『山陰中央新報』を買ったのだが、先週は何かと忙しく、後者はなかなか読めないまま、職場の机の本棚の上に放置されていた。

先ほど、その存在を思い出して『山陰中央新報』を読んでいたら、1/18に「暴風雪」として取り上げた話題が、記事になっているのに気づいた。

山陰両県では17日、冬型の気圧配置が強まり、積雪の影響でJRのダイヤなどが乱れた。
(中略)
鳥取県警高速隊によると午後1時半ごろ、鳥取県江府町内の米子自動車道江府インターチェンジ(IC)―湯原IC間(約35㌔)の上り線で大型トラック1台が積雪によりスリップし、道路をふさいだため後続車両が約1時間、立ち往生した。けが人はなかった。
現場は岡山県境近くで、車両撤去や除雪作業などのため江府IC―湯原IC間が上下線とも約6時間半通行止めとなった。


当日、岡山・鳥取県境は激しく吹雪いていたから、きっと視界も悪く、にわかに降り積もった雪で、タイヤが滑ったというのは十分ありそうなことである。
高速道路上で、後続車両が約1時間も立ち往生した、というのも、もし私がそんな状況に遭遇したら、どんなに心細い思いをしただろうかと怖くなった。

私は一度、雪の峠道でひどい目に遭っているので、車で冬の雪道を行くときには警戒を怠らないようにしているが、それでも事故は、いつどんな形で襲ってくるかわからない。
今は一年でもっとも寒い、大寒の頃。
このブログを読んでくださるみなさんも、雪道の運転には十分にご注意ください。

歌学び、初学び (その十八)

2015-01-24 21:15:12 | 短歌
今月の「初心者短歌講座」は、先日の東京での例会と重なったため、参加することができなかった。
いちおう、事前に詠草だけは送っておいたのだが、当日出席していた参加者の方が、先生の添削された原稿用紙に、丁寧なお手紙を添えてわざわざ私に送ってくださった。
どうもありがとうございます。

今回、私が詠んだ歌は、先月、奈良の春日大社に参詣したときのもの。

(提出歌)
  朝拝の祈りを捧ぐ底冷えする春日大社の直会(なほらひ)殿にて
(添削後)
  春日大社の直会殿にてねもころに祈りを捧ぐ底冷えする朝

(提出歌)
  東日本大震災の犠牲者に魂(たま)安かれと神主は祈る
(添削後)
  東日本大震災の犠牲者の魂よ安かれと祈る神主(かみぬし)

(提出歌)
  復興の祈りをこめてみな人の唱ふる祝詞(のりと)被災地を思ひ
(添削後)
  復興の祈りをこめてみな人の唱ふる祝詞に被災地を思ふ

感想
今回、先生のは①の歌に付いていた。
先生の添削を見ると、この歌で本当に主題に据えるべきは、冬の朝の厳しい寒気の中、身も心も厳粛に改まった気持ちで祈りに向かった、その心の姿勢であったことを知らされ、先生が、見て即座にそうしたことを把握し、それに応じた表現に直してしまわれるのに感嘆する。
万葉のふるさと・奈良で詠んだ歌であるので、「ねもころに」(心をこめて、入念に)という、『万葉集』によく用いられる言葉を加えているのも趣深い。
いつものことながら、先生の添削からは、現代短歌のあるべき発想・措辞などを教えられ、力量・経験共に乏しい私が、思いつきにまかせて詠んだだけの歌に寄り添いつつ、短歌としてふさわしい形姿に整えてくださっていることを感じる。

今回の講座は出席者が少なかったため、先生による詠草の添削のみで、近代歌人の短歌についての解説はなかった由。
ただし、次回は若山牧水の『海の声』を取り上げるそうなので、今から楽しみにしている。