夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

無重力ウォーク

2014-04-28 20:24:33 | 日記
一昨日、倦怠感と悪寒から、午後にしようと思っていた仕事がほとんど手につかないまま、夜に帰宅してすぐ寝込んでしまい、昨日は終日、食事以外はベッドから出られなかった。
今朝になっても頭痛・喉の痛み・悪寒は収まらず、熱を測ってみると38.7度(その後測り直して38.3度)だったので、もしかしてインフルエンザか?と嫌な予感が脳裏をよぎる。
先週来、勤務校では生徒たちの間にインフルエンザがプチ流行しており、私の担任するクラスにはいないものの、授業に行っているクラスでは2~4人ほどインフルで出席停止になる生徒が出ていたのだ。
ただし、私が4年ほど前の暮れにインフルエンザになったときは、体の節々(特に尾てい骨のあたり。なぜ?)が痛かったのに対し、今回はそうした自覚症状がないので、大丈夫なような気もするが、急な高熱は気になる。
保健室のO先生に最寄りの医院を教えてもらい、午前中の空き時間に診察を受けに行った。

結果、陰性だった。
思わず、胸をなで下ろした。
インフルエンザを発症していたら、いろいろな意味で困ると、それまで不安が渦巻いていたのだ。

解熱から2日、発症から5日後までは出勤ができないし、さっそく今日この後から私の授業を自習にしなければいけないから、その分の教材を用意し、関係するあの先生とこの先生…に話を付けて、教頭にも連絡しなきゃだな。病気で休暇も取らないとだし、そのへんの手続きや準備があれこれ煩わしい。
また、今日1時間目に授業をしてしまったから、生徒たちに感染に注意と呼びかけなければいけない。

そうしたもろもろの心配が、医師から検査の結果を伝えられて、いっぺんに消え去った。
とはいえ、熱が高いのには変わらないので、その後の授業のときは、足下がふわふわと浮いたような感じだった。
生徒にはこうしたことをネタに笑いを取ったが、それでも、以前インフルエンザにかかって39度熱が出たときは、超常現象だったという話をした。
何を食べてもさっぱり味がしないし、立って歩いても無重力空間のようにまったく足に力が伝わらない。
月面を歩いたらこんな感覚なんだろうかと思った、と言ったら、生徒たちが笑っていた。

先ほど家に帰ってきて、体温を測ったら37.5度にまで下がっていた。
今夜はゆっくり休んで、養生させていただくこととする。

大炊殿

2014-04-25 23:19:19 | 旅行
下鴨神社は、上賀茂神社とともに、来年式年遷宮(しきねんせんぐう)を迎える。
これは、二十一年ごとに御本宮以下の社殿を造り替えることだが、社殿の多くは国宝・重要文化財であるため、現在では大修理をもって式年遷宮に替えている。
「下鴨神社の年中行事と式年遷宮」は、その記念として行われる特別展であり、第1回「みあれのまつり-御蔭祭と賀茂祭(葵祭)」が現在開催中である。(6月下旬まで)
毎年行われる、5月12日の御蔭(みかげ)祭と、5月15日の賀茂祭(葵祭)に関する当社所蔵の資料が展示され、『賀茂葵祭絵巻』(江戸時代中期)が初めて公開されるというので、楽しみにしていた。


会場は、神社境内の西端にある御車舎資料館で、そのすぐ隣にある重要文化財の大炊殿(おおいどの。写真)も、普段は入れないが特別公開(共通券が必要)となっている。
大炊殿は、毎朝神前に捧げる供え物や、すべての年中行事の際の食材を調理する「神様の台所」である。
大きな竈や、大釜、水桶、臼などがあり、ここで神に献じられる御飯、餅、長芋、昆布などを煮炊きしていたのかなと思う。
庭に出ると、桂の木の新緑がまぶしい。


この辺りにはもともと、葵祭などの年中行事の際に斎院(賀茂社に奉仕する未婚の皇女)が滞在する御所があったが、応仁・文明の乱の兵火で消失し、大炊殿や葵の自生する「葵の庭」だけが再現されたのだという。
この葵(フタバアオイ)は、賀茂神社の祭事に用いられ、同社の社紋でもある。
「葵の庭」の由来を説明する立て札に、賀茂斎院であった式子(しょくし)内親王が詠んだ、
  忘れめや葵を草に引き結び仮寝の野辺の露のあけぼの(新古今集・夏・182)
の歌が紹介されていた。これは、葵祭のために式子内親王が賀茂社の神館(かんだち=神事や潔斎のためにこもる建物)に泊まった際の作とみられる。


「葵の庭」に咲いていたイカリソウの花。
船の錨にたとえられる変わった形の花だが、淡い紫の色でとてもかわいい。

下鴨神社

2014-04-24 23:35:15 | 旅行

下鴨神社は、正しくは賀茂御祖(かもみおや)神社といい、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)の二神を祀る。
洛北の鴨川と高野川の合流点に位置し、平安遷都後は王城鎮護の神として崇敬されるようになった。後鳥羽院は特に信仰が篤く、度々参詣もしており、『新古今和歌集』の撰集が完成に近づいた元久元年(1204)十二月には、三十首和歌を奉納もしている。(このときは他に、石清水八幡宮、賀茂上社、住吉社、日吉社にも三十首和歌を奉納している。)


下鴨神社の神域には、多数の樹木が鬱蒼と生い茂り、糺(ただす)の森と呼ばれている。その中を参道に沿って歩いていくと、左手に瀬見(せみ)の小川、右手に泉川、大鳥居の前に奈良の小川など、清冽な水の流れに、心身共に癒されるような気がする。

  下鴨の糺の森に響(とよ)むなり瀬見の小川の水のせせらぎ


国宝の東御本宮・西御本宮にお詣りしたが、この日は日曜日と大安が重なっていたため、境内では神前式の花嫁行列と何度もすれ違った。
朝から、いつ雨が降り出してもおかしくない空模様であったが、結局夕方まで天気が保ったのは、神様の思し召しか。
写真は、境内の外れにある井上社で、人々の罪穢れを清めてくださる神様という。この池は御手洗(みたらし)池といい、葵祭(賀茂祭)に先立つ、斎王代御禊(ごけい)はここで行われる。(ただし、一年交替のため、今年の斎王代御禊は上賀茂神社。)


井上社は、御手洗川の源流が湧き出している井戸の上にお社があるため、そう呼ばれるのだそうだ。また、みたらし団子は、御手洗池の水泡の形を模したもので、ここが発祥の地なのだという。
御手洗川にかかる太鼓橋のたもとに、八重山吹が盛りに咲いていた。
晩春を彩るその花を見ていると、過ぎて行く春が別れの時期を告げるかのように思えてくる。

河合神社

2014-04-23 23:17:06 | 旅行
この日は、後鳥羽院の和歌と信仰との関わりの深い神社巡りで、下鴨(しもがも)神社へ。
京阪電車に乗って出町柳駅で降り、徒歩十分ほど、まず摂社の河合神社へ参る。


河合神社は下鴨神社内にあり、神武天皇の母神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀る。
女性の守護神・美麗の神として近年ことに崇敬を集めているそうで、多くのご婦人方が参詣されている。
美人になる御利益があるというが、女性の美への欲求は、かほどに強いものであることを感じる。


河合神社の境内には、方丈の草庵が再現されていた。
『方丈記』の作者・鴨長明は、下鴨神社の禰宜(ねぎ)の家に生まれたが、早くに父親を亡くした。和歌や琵琶に優れ、一時期、後鳥羽院歌壇でも活躍するが、その後、河合社禰宜への道が閉ざされ出家。大原山に隠棲し、やがて日野に移り、方丈の庵を結んだ。


『方丈記』にあるように、「広さはわづかに方丈(四畳半ほどの大きさ)、高さは七尺がうちなり」という草庵の中には、阿弥陀画像が掛けられ、「和歌・管弦・往生要集ごときの抄物(抜き書き)」と思しき物も置いてあった。
究極の簡素な住まいで、
「ただ仮の庵のみ、のどけくして恐れなし。程せばしといへども、夜臥す床有り、昼をる座あり、一身の宿すに不足なし。」
とか、
「ただ静かなるを望みとし、愁ひなきを楽しみとなす。」
と『方丈記』には書かれている。しかし、私はどうしてもこのような寂しい住まいを、「自らこれを愛す」と言える境地にはなれそうにないと思った。山里での孤独な生活を風流に楽しめるほど、私は心を強く保つことができない。

境内には、鴨長明の資料展示もあり(有料。共通券を購入)、複製品が多いものの、長明と『方丈記』の勉強になり、気づいたらここだけでかなりの時間を過ごしていた。

名前を覚える

2014-04-22 23:31:56 | 教育
宿泊研修も終わり、今週からいよいよ授業が本格的に始まりだした。
毎年、この時期にいちばん苦労するのは、教えに行くクラスの生徒たちの名前を覚えることである。
今年度、私は学年をまたいで6クラスに授業に行く。
そのうちの一クラスは、先週の宿泊研修の際に、私の担任する組と行動が一緒だったので、やや不自然なほど、その生徒たちと接触するようにして、2日間でなんとか顔と名前を覚えられた。
これは非常にツイているケースだが、たいていのクラスは授業でしか接する機会がないので、事前に予習してから授業に臨むようにしている。新学期の今の時期は、生徒が出席番号順に並んでいるので、机の配置を覚えておき、どこに誰が座っているかということを、何度も紙に書き出して練習しておく。
そして、授業の時には、生徒を指名したり質問したりする機会を多くし、覚えてきた名前と目の前の生徒が早く一致するよう努める。
どのクラスでもたいてい、GW明けには席替えしてしまうので、あと1週間ほどで全部記憶しきる必要がある。

映画『青い鳥』(2008)で阿部寛が演じた吃音症の国語教師は、一度授業をしただけで、そのクラス全員の名前を覚えてしまったと、生徒たちが驚いて会話するシーンが出てくる。
また、『置かれた場所で咲きなさい』(2012)の著者で、ノートルダム清心女子大学理事長の渡辺和子さんは、学長だったとき、毎年、新入生の名前を入学前に全員覚えていたそうだ(この話は、卒業生の方から聞いた)。

凡才の私は、D・カーネギー著『話し方入門』(市野安雄訳、創元社)第4章「記憶を増進する」の中にある、「名前の覚え方」という項目を参考にしている。
カーネギーは、もしその名前がありふれたものなら、同じ名前の友人と結びつけ、反対に珍しいものだったら、相手にその名前について話してもらえば、記憶を助けてくれるという。

また、名前と仕事を結びつけて覚えるのは効果がてきめんだとも言っている。職種は、かなり明確で具体的なものだからだ。高校生には仕事はないが、出身中学や所属する部活動と共に記憶すれば、思い出しやすい。(私のいる1年団の学年主任は、この覚え方が得意で、生徒の把握力が高く、いつも感心している。)

「初対面の相手の容貌を、細かく観察して下さい。目や髪の色に注意し、顔立ちもよく注意して見ます。服装や話しぶりはどうでしょう? 容姿や人間性について、鮮明で強烈な印象をつかんだら、それを名前と結びつけるのです。次に会った時、こうしたはっきりした印象が記憶によみがえり、ついでに名前も浮かんでくるというわけです。」
当面は、カーネギーのこの言葉を胸中に刻み、忘れず実行することにしよう。