夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

本棚完成

2015-07-30 23:43:56 | 日記
先日届いた本棚は、今日ようやく完成。
私が岡山から帰ってきた日曜日の夕方に、男子学生たち4人が集合し、本棚を組み立ててくれた。
4人とも、建築学専攻の学生なので、平面の設計図から立体に展開するのも、何の苦もなくやってのける。
私はどうもこういうのが苦手なため、彼らの手際のよさを感心しながら見ていた。

彼らは私の研究室前の廊下で、暑さに汗を流しながら、高さ2mを越える大きな本棚を4つ組み立て、研究室に運び入れ、配置を決めるところまでやってくれた。
その後、私が仕事の合間に、棚を一つ一つビスで固定していき、今日すべてが終了した次第である。

男子学生たちには、その労をねぎらい、お礼は当初ハンバーガーと約束していたが、焼き肉に格上げしておごってやった。
若者はさすがによい食いっぷりで、大喜びしてくれたので、彼らに組み立てを頼んでよかったなと思った。

私のアパートの一室にうずたかく積まれた段ボールは、これから少しずつ運び出すことにする。
赴任以来4ヵ月、研究の態勢がようやく整うことも嬉しいが、自分の住まいがようやく片付くことにもほっとしている。

母校で学会

2015-07-28 23:23:54 | 日記
土曜日の午後は、母校で内輪の学会があり、役員会から出席した。
恩師を初め、先生方にご挨拶し、私の近況などを報告する。
以前から私が研究を続ける上でのご助言を頂き、今回の転職を心から喜んでくださった先生方には、いくら感謝してもしきれない。

役員会が行われた演習室には、各大学から寄贈された国語・国文学関係の新着雑誌が置かれているので、今度の大会のシンポジウムで、私が発表する内容に関連する論文・実践報告などをチェックし、コピーもさせてもらった。演習室の校舎内での位置は変わったが、窓から見える、大学の裏山の眺めは昔と変わらない。
一応、来月、国文研に資料集めに行くつもりではいるが、この春以降の新しい雑誌を大まかに点検できたのは助かった。


学会が行われた大講義室は、この秋、私がシンポジウムで発表する会場に当たっているので、当日のことを心に思い描きながら、その日の発表を聞いていた。
学会後の懇親会では、大学にほど近い居酒屋で、先生方や院生、学生たちとたくさんお話しすることができ、昔、自分が院生だったときのことを思い出して、懐かしい気持ちになった。

文化講座

2015-07-26 22:24:54 | 日記
先日、私の勤務校の前任者で、今は岡山の女子大に勤めておられる方から、電話がかかってきて、
「自分が米子でやっている文化講座を、来年から引き継いでほしい」
旨の依頼があった。
その打ち合わせで昨日の午前中、研究室を訪ね、1時間余りお話ししてきた。


引き継ぎに関する説明は短時間で済み、後は、その方が米子にいた間に手がけてきた山陰地域の文学資料の調査研究や、学際的な研究者のネットワーク構築について、お話をうかがうことになった。
自分の研究の進展だけを考えるのでなく、他の分野・機関の研究者とも積極的に交流し、広い視野をもって活動してこられたことがよく伝わる内容だった。

「今後は(研究調査や人的交流に関して)、山陰全体を見据えるだけでなく、岡山ともつながりを持ってやっていってください。」
と励まされ、胸が熱くなった。

私はまだ力不足で、前任者には遠く及ばないが、今できることを一つずつしっかり積み上げていく。

続 月次の会・七月

2015-07-25 22:42:03 | 短歌
昨日は、久しぶりに月次の会に参加することができた。
米子を出発する時間がやや遅れたので心配したが、高速道路を飛ばして行き、なんとか30分遅れで結社の事務所にたどり着いた。
ドアを開けて中に入ると、ちょうど先生が『百人一首』の解説を終えて、出席者のみなさんの詠歌の披講が始まったところであった。
歌会の雰囲気も、みなさんも、少しも変わっていないのに、なぜか懐かしい感覚に襲われる。
今回は先生の他は、私を含め11人の出席であった。

私の今回の歌は、次の二首。


(提出歌)
  長かりし今年の梅雨もはや過ぎて皇居の杜に夏を感じをり
(添削後)
 ○
長かりし今年の梅雨も明けぬらし皇居の杜の色も濃くなりて

先日、宮内庁三の丸尚蔵館に「絵巻を愉しむ」展を観に行ったときの、皇居の印象を詠んだ。
この日は猛暑日で、梅雨明けしたばかりの、本格的な夏の訪れを皇居で感じた巡り合わせを歌の形にしてみたかった。
出席者の方々からは、結句の難を指摘され、もっと具体的な言葉で、夏を感じたことを表現すべきだと言われた。
確かに、「夏を感じをり」と言ってしまうと身も蓋もない。
先生の添削後の表現を見て、昔の歌人が「回して詠む」と歌論で言っているのは、きっとこういうことなのだな、と思った。


(提出歌)
  紫陽花も半ばは枯れて梅雨明けの東御苑(ひがしぎょえん)に蝉鳴きわたる
(添削後)
  紫陽花も半ばは枯れて梅雨明けの東御苑に蝉鳴きしきる

出席者の方からは、第二句の「半ばは」の「は」が日常語的で気になる、ということを指摘された。
ただ、冗語であることは認めつつ、紫陽花の花が咲いたまま、この暑さで無残に枯れ始めている姿に感慨を覚えていることを伝えたい気持ちもあった。
結句は、客観的に「鳴きわたる」と詠むよりも、先生の添削のように「鳴きしきる」とした方が、より実感のこもった歌になるように思う。

出席者のみなさんの詠歌からは、「こんな素材も歌に詠めるのか」とか、「一つの物語のように、映画の一場面のように、歌を構築することもできるのだな」というように、新鮮な発見を得たり、長年短歌に携わってきた方の詠歌技術を教えられたりで、短い時間ではあったが、たくさんの収穫を得た。
先生の添削やコメントに直に接することができるのも貴重で、歌会はやはりいいなあと思いつつ帰って来た。

帰処

2015-07-24 23:11:49 | 日記

明日、私の母校で内輪の小さな学会があるので、岡山に行く。
今日の勤務と研究会を終えて出発しようとしたら、学生が2、3人質問に来た。
来週末から期末試験があるせいとはいえ、色々教わりに来てくれるのは、やはり嬉しい。

高速道路へ向かう途中、弓ヶ浜から見る大山がとてもきれいだった。
しばらくぶりに岡山に行けるのは、心弾む思いだが、今の自分には、ここがやはり「帰処」、帰るべき安住の地なのだと思う。

  帰処はただここにありとて大山にしばし別れを告げて旅立つ