夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

「戦陣に舞う揚羽蝶」展

2016-01-30 20:47:35 | 日記

これも境港で、古文書の会の代表の方から勧められていたのだが、現在、岡山の林原美術館で、岡山・鳥取池田家連携展示の一つとして、「戦陣に舞う揚羽蝶―池田家草創期―」という企画展が行われている。

揚羽蝶は池田家の家紋で、本展では、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康にそれぞれ仕えつつ、戦乱の時代に活躍して、後に岡山藩主として繁栄する池田家の草創期に焦点を当て、当時の文書や武具、画像・絵巻などが展示していた。

池田家の当主たちだけでなく、信長・秀吉・家康の書状も多く紹介されており、展示品に添えられた解説も懇切丁寧で、彼らの人柄や武将間の交渉、当時の世相も伝わってくる内容だった。


本展で心に残ったのは、寛永9年(1632)、岡山藩主・池田忠雄が31歳の若さで亡くなったときに、当時鳥取藩主だった池田光政が、叔父の忠雄の死を悼んで詠んだ歌である。

  憂きにそふ涙ばかりを形見にて見し面影のなきぞ悲しき

光政の幼い頃はその後見人であった忠雄の死を哀傷する思いが切々と伝わってくる。

「鳥取藩池田家三十二万石」展

2016-01-29 21:58:02 | 日記
先日、境港で、マルマスでの昼食会のときに、古文書の会の代表の方から、
「岡山に行くなら、ぜひ岡山県立博物館に寄ってください。今、鳥取と岡山の文化交流事業で、鳥取池田藩に関する展覧会が始まったばかりです。鳥取県立博物館所蔵の大きな「因幡国絵図」や「伯耆国絵図」も展示していますよ。」
と勧められたので、岡山に行ったついでに早速見てきた。


岡山藩と鳥取藩の池田家は同じ池田輝政から分かれ、鳥取藩主だった池田光政が、親戚の池田光仲と領地を交換して岡山に入り、それぞれの子孫が明治維新まで続く。
今回の展示では、鳥取藩池田家の歴代藩主の肖像画やゆかりの古文書、武具などの他、米子城や鳥取城の絵図などもあった。(後者は複製品)。

個人的に興味深かったのは、藩主やその夫人などの和歌短冊や色紙。
四代藩主・池田宗泰の和歌短冊には、

  秋の野の萩のにしきを其のままに鹿の音(ね)ながらうつしてもがな

十一代藩主・慶栄の夫人、宝隆院の和歌色紙には、

  和歌の浦の芦辺の田鶴(たづ)も幾千代かかよひてすまん庭の池水

とあった。


今回は時間不足で、ほとんど駆け足で見るだけとなってしまったので、会期中にまた岡山を訪れる機会があれば、ぜひもう一度観に行きたい。

ちろ鯉で一杯

2016-01-28 21:31:29 | 日本酒紀行
先日、岡山で一泊した夜のこと。
表町で夕食後、喫茶店でコーヒーを飲みつつ手紙を書いたり、勉強したりしてから、
(そういえば、あの店、空いてるかな)
と思い出し、「ちろ鯉(り)」に一杯やりに行った。

幸い、カウンター席が空いていたので座り、「睡龍」(奈良県)古酒を熱燗で頼む。

この店は昨年の3月に開店したのだが、美味しいお酒を飲み頃の温度でお燗にして出してくれるし、店主が直接蔵元を見学に行くくらい、日本酒に関心が高い。
せっかく知ったいい店なのに、それから間もなく私は米子に越してしまい、とても残念に思っていたのだ。


「悦鎧陣」(よろこびがいじん、香川県)を飲み終えてお店を出るとき、店主が外まで送ってくれ、
「3月3日が、うちが開店して一周年なので、立ち飲みパーティーをやるんですよ。ぜひ参加しませんか?」
ということを言われた。
「今は岡山に住んでいないので…。ただ、それに近い頃に出張でこちらに来ますから、その時はぜひ寄らせてもらいます。」
と答えて帰って来た。

先日は飲んでいないお酒で、まだ美味しそうなものがいくつもあるので、次に訪れるのが今から楽しみだ。

続 月次の会・一月

2016-01-27 23:38:18 | 短歌
今回の月次の会にも参加はできなかったが、二日後に結社の「新春の集い」があったので、当番の方に会場で詠草を渡していただいた。

今回提出したのは、次の二首。

 ①(提出歌)
   音に聞く山陰の冬の厳しさよ雪雲に日を幾日も見ず
  →(添削後)
  山陰の冬の厳しさ雪雲に覆はれて日を幾日も見ず

  ②(提出歌)
   粟島の丘より見れば中海の彼方に冬の陽は沈みつつ
  →(添削後)
   粟島の丘より見れば中海の彼方に冬の陽が沈みゆく


一首目は、岡山に住んでいたときも、山陰出身の方から、冬は寒く晴れの日も少なく気が滅入ってくる、と聞いてはいたけれど、十二月一月と過ごしてくるうちに、山陰の冬の厳しさを実感して詠んだものである。
元の歌で、下句の「雪雲に日を~見ず」という言い回しが窮屈だと感じていたが、先生の添削のように、初句の「音に聞く」を冗語であるとして省いておけばよかったと思う。
二首目は、わずかな修正であるが、「沈みゆく」としたほうが、今まさに冬の夕陽が沈んでいく光景が読者の心に浮かんできやすいだろう。

二首目は、授業で学生の創作短歌・俳句の投票結果を発表したときに、私の最近詠んだ歌ということで、写真とともに学生に紹介した。
学生たちが冬休みの課題で詠んだ短歌・俳句についての話題は、また後日に。

新春の集いのことなど

2016-01-26 21:28:22 | 日記
一昨日の日曜日は、私の所属する短歌結社の「新春の集い」が岡山であった。
先生とは、昨年11月の若山牧水シンポジウムや同6月の中国地区ブロック研修でお会いしているが、月次の会の方々とは約半年、その他の方々とはほとんど1年ぶりであり、ご無沙汰のお詫びをしつつ近況報告などさせていただいた。
みなさん変わりなくお元気そうで、安心するとともに、歌をなかだちにした、先生や結社の方々との輩(ともがら)意識に支えられて短歌を続けられていることを思う。

新春の集いに先立ち、先生がご挨拶で言われていたことが心に残った。
今日ここに電車で来る途中、雪の降るのを窓から眺めていて、

  雪降れば山よりくだる小鳥おほし障子のそとに日ねもす聞こゆ

という島木赤彦の歌を思い出しながら、この寒波の中、北の方から来る会員たちが、無事来られるか気にかかっていたそうだ。

この日は、岡山では概ね晴れていたものの、時折雪が舞う天気で、ほとんど零度以下の厳寒の一日となった。
天気予報では、山陰は暴風雪ということなので、新春の集いは途中で退出させていただき、用事を済ませて夕方に出発したが、高梁あたりから大雪が降り始め、凍結した道路をゆっくり安全運転で走った。
江府から米子までは猛吹雪。まったく視界の利かない中を、恐々帰ってきた。


一夜明けて、すっかり雪に覆われた米子の町を見る。
粟島の小高い山も真っ白である。
今まで暖冬で、山陰の冬は長く厳しいと聞いていたのに拍子抜けしたような気持ちでいたが、ここにきてようやく、それらしくなってきたように感じる。