夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

王になった男

2013-02-28 20:24:17 | 映画


韓国映画を見るのは久しぶり。『悪魔を見た』(2010)のイ・ビョンホンが主演、『ただ君だけ』(2012)のハン・ヒョジュも出演するというので、上映を昨年から楽しみにしていた。この映画は、韓国のアカデミー賞といわれる「大鐘賞」で主要15部門を受賞し(過去最多)、観客動員1,200万超の大ヒットを記録したのだそうだ。

朝鮮王朝時代、王と瓜二つの容貌であったために、影武者とされた男の、15日間の物語。

あらすじ(さわりだけ)
1616年、第15代王・光海君(イ・ビョンホン)は、暗殺の危機に瀕しており、次第に暴君となっていった。
宮廷内では、王の反対勢力が幅をきかせており、片時も油断を許さない状況である。
光海君は「誰も信じられぬ」と言い、腹心に命じて秘かに自分の身代わりとなる者を探させる。

そのころ、妓生(キーセン)宿で酔客相手に王が女官と戯れる卑猥な芸を披露していた道化師のハソン(イ・ビョンホン=二役)は、王とよく似た容姿であるため目を付けられて宮廷に連行される。その夜、ハソンと対面した王は、自分と瓜二つであることを確認し、これなら影武者として使えるとほくそ笑む。

ところがある日、王が毒に当たって臥せってしまう。この事実が公になると、反対勢力を勢いづかせてしまうことになるため、王の腹心で都承旨(承政院の長官)のホ・ギュンとチョ内官は、光海君を秘かに山寺に送って治療させ、当面はハソンを王の代役に仕立ててこの危機を乗り切ろうとする。しかし、影武者であったはずのハソンは、次第に王としての意志と判断力を持ち始め、政務を勝手に行うようになる。また、敵方や王妃(ハン・ヒョジュ)がそれぞれ、ハソンが本物の王でないことに気づき、宮廷内では偽の王を玉座から追放しようという動きが急になっていく…。

感想
各種雑誌などでの評価が高かったので、ずっと楽しみにしていたが、期待以上の見応えある映画だった。
イ・ビョンホンの演技は、やはりすごい。残忍で暴虐な光海君。軽薄なお調子者だが根は善良な道化師のハソン。その同じハソンが、仮そめに即いた王位に、誰よりもふさわしい名君になっていく。お得意のアクションは今回ほとんどなかったが、滑稽な演技からシリアスで緊迫したシーンまで、幅広く演じられる役者だと思う。
ハン・ヒョジュは相変わらず美しかった。
また、王の毒味役の少女のサウォルは、どこかで見たような女の子だなあと思っていたら、『サニー 永遠の仲間たち』(2011)で主人公・ナミの女子校時代を演じていたシム・ウンギョンだった。



俳優たちの演技や、脚本、音楽もすばらしかったが、私としては衣装や調度類の豪華さに、まず目を奪われてしまった。それらに惜しみなく金がかけられていることが、華麗な宮廷生活と熾烈な権力闘争を描くこの映画に、何よりも真実味を与え、重厚な作品にさせていたように思う。きっと女性なら、王妃や女官たちの着ている美しい着物や、王妃の髪飾りに、思わずうっとりするのではないだろうか?
願わくば、日本でもこれぐらいふんだんに金をかけて、『源氏物語』や『平家物語』の世界が再現されんことを。

N・ヒル『仕事の流儀』(その20)

2013-02-27 22:33:47 | N・ヒル『仕事の流儀』
第18章の続き。

When defeat comes, as it will, accept it as a hurdle that has been placed in your way for the purpose of training you to jump higher! You will gain strength and skill from each hurdle that you surmount. Do not hate people because they oppose you. Thank them for forcing you to develop the strategy and imagination you will need to master their opposition.
(“How to sell your way through life”‘18 How to choose an occupation’)


失敗がやって来たときは、それを、あなたをより高く跳躍できるように鍛えるために、あなたの行く手に置かれた障害物として受け入れよう。あなたは自分が乗り越えるどの障害物からも、強さと技能を手に入れるだろう。自分に反対するからといって、人々を嫌ってはならない。彼らの反対を克服するのに必要となる戦略と想像力を発達させるよう、自分に強いてくれているのだと、彼らに感謝しよう。


自分と考えや立場を異にする者――たとえそれが自分と敵対する者であったとしても――の存在は大切だ。彼らの存在は自分の物の見方や考え方を相対化し、客体化し、それが本当に正しいものなのかを見つめ直すきっかけを与えてくれる。自分と同質の者たちに囲まれ、自分の意見や考えの妥当性を疑わず、自分が間違った行動をしても正してくれる人もいないことの方が、はるかに問題だ。

自分の失敗を直視せず、他人のせいにしたり、自分の欠点を指摘してくれる人を排除したりするような者には、もっと大きな失敗――破滅が待ち受けている。失敗を克服する努力をしない怠惰や、自分の失敗を認めない傲慢さ、失敗の責任を自ら引き受けることをしない倫理観の欠如は、本人だけでなくその周囲までも、大きな不幸に巻き込んでしまう。

失敗は、しないに越したことはないが、誰しも避けられないものである。改めて、失敗とどう向き合うかに、個人の資質が問われることを思う。

春遅き年

2013-02-26 22:02:25 | 日記


二月ももう終わりなのに、なかなか暖かくはならず、今年は春の遅い年に見える。例年ならこの時期は、梅も盛りになる頃なのに、岡山では数日前からようやく開花が始まった程度である。

勤務先の学校の庭にも、いつもより遅い梅の花がきれいな花を咲かせ始めた。近寄ってみると、とてもよい香り。風が吹くと、いっそう匂い立つような感じがする。

 春遅き年にもあるかな咲く梅の花よりにほふ風ぞ身にしむ 

私は桜より、厳しい寒さに耐えて咲く梅が好きで、毎年立春を過ぎる頃から、早く、いつになったら、と待ち始める。今年ももう間もなく、梅が盛りを迎えるだろう。その時になったら、昔から馴染みの場所に、きっと見に行こうと楽しみにしている。

『明月記』を読む(2) 

2013-02-25 22:15:46 | 『明月記』を読む
正治二年(1200)七月 藤原定家三十九歳。

一日。乙卯。天晴る。静闍梨、御社より出でて来臨す。喜び乍(なが)ら、護身を加へしむるの処(ところ)、今日は無為。効験殊勝、感悦極まり無し。今日、出車八条院に献ず。鳥羽殿に御幸。今夜即ち小浴す。心中に所存有り。精進を始め了(おは)んぬ。


この月の『明月記』の記事には、定家の病悩に関する記述が多い。定家は一生を通じて病気がちであった人で、特に咳(がい)病・風病、すなわち呼吸器系の疾患に悩まされていた。

兄の僧、静快(せいかい)阿闍梨(あじゃり)が日吉神社からやって来て、護身の呪法を加えてもらったところ、効き目があり、気分が爽やかになった。この静快と定家は親密であったらしく、特に正治年間にはその名がしばしば見えている。

ちなみに定家の兄弟姉妹は極めて多く、存疑の者も含めると二十人以上(!)に及ぶ。また、定家の姉たちのうちの五人は、この記事に出てくる「八条院」、つまり鳥羽天皇の皇女・子(しょうし)内親王に女房(貴人に仕える女性)としてお仕えしている。定家が、経済的には十分に恵まれていない(絶えず貧乏を嘆いている)にもかかわらず、八条院に出車(いだしぐるま=女房が乗る車)を献上しているのは、この姉たちが八条院の鳥羽殿への御幸(ごこう=おでまし)に従うためである。

出車 (京都金光寺蔵「一遍上人絵巻(宗俊本)」『原色日本の美術第8巻 絵巻物』(小学館))

定家が夜になって身を清め、精進潔斎を始めているのは、翌々日の三日から日吉神社に参詣するためである。当時の貴族たちの心願成就にかける本気度は、現在の私たちの社寺参詣とはまるで違うことに改めて驚く。


日吉大社 (MAPPLE 観光ガイドサイトより転載)
日吉神社は、滋賀県大津市坂本(比叡山の東麓)にあり、平安遷都後は、都の表鬼門(北東)にあたることから王城守護の神として、また天台宗延暦寺の創立とともにその鎮守神として、貴族たちの崇敬を受けた(現在は日吉大社と称する)。後三条天皇をはじめとして、歴代の天皇・上皇や、藤原道長ら摂関家の参詣がたびたびあった。後鳥羽上皇も、日吉社に参詣し、和歌を奉納もしている。

さて、定家が未(ひつじ=午後二時頃)に輿(こし)に乗り出発して、京都を出て日吉社に着くのが夕方になっている。現在では、JR湖西線で京都から比叡山坂本駅まで約20分、そこから徒歩でまた20分ほどで行くことができる距離であるが、当時はそれだけかかったのだ。自分の信仰心の浅はかさを知らされるようで、少し恥ずかしい気持ちになる。

蒼太の包丁

2013-02-24 23:30:57 | 『蒼太の包丁』


今、書店に行くと、オヤジ系漫画雑誌の定番『漫画サンデー』の最終号が置いてある。売上部数の低迷から、昨夏より週刊から月2回の発行となっていたが、看板作品の「静かなるドン」(新田たつお)も昨年12月で終了し、廃刊は避けられないと見られていた。

その『マンサン』に連載されていた作品で、「蒼太の包丁」というのがある。北海道・静内出身の北丘蒼太(そうた)という若者が、上京して青春のすべてを日本料理に捧げ、修業に打ち込む物語である。私がよく行く喫茶店にコミックスが置いてあり、読み出したらすっかりハマってしまい、その店にある単行本はすべて読み、時々は『マンサン』でも読んでいた。わりあい人気作であるために、同誌の廃刊後はどこか別の雑誌に移って連載を続けるのではないかと思っていたが、実際は最終号の巻頭カラーで登場し、連載が終結することを知って寂しくなった。

蒼太が第二の故郷・東京で、いずれ自分の店を持ちたいと言っていた目標はどうなるのか、また蒼太が伴侶として選ぶ女性は、さつきと雅美のどちらになるのか、ずっと気になっていたので、先日最終話を読んでみた。

ちなみに、蒼太は高校卒業後に上京して、東京でも五本の指に入る名店といわれる銀座「富み久」の親方・富田久五郎に拾われ、修業に励んで一流の料理人としての経験を積んでいる。蒼太は、弟子入りして間もない頃に出会った親方の娘、さつきを恋し続けている。親方夫婦の引退後、さつきは若女将として修業し、「富み久」の経営についても学んでいるが、年下の料理人の蒼太に、好意以上のものも感じている。



一方、雅美は、蒼太が以前、助(すけ=助っ人)として日本橋の老舗料亭「神かわ」に赴いていた折に出会った女性料理人である。雅美は都立葉明高校(相当の進学校という設定)卒業後に料理専門学校で学び、「神かわ」で修業中に蒼太と知り合い、その真摯な姿勢に惹かれるようになる。その後、「神かわ」の親方が後継者不足から自分の代で店を畳むことを決意すると、雅美は蒼太を追うようにして「富み久」に移ってくる。



「蒼太の包丁」は、蒼太の和食修業と四季折々の料理や食材の紹介がメインの話題であるが、周囲の人間模様もよく描かれており、蒼太が好意を寄せるさつき、蒼太を慕う雅美など、恋愛の要素もあって、なかなかに飽きさせない工夫がなされている。蒼太はずっとさつきを思う気持ちが変わらないように見えるのに、雅美はそのことを知っていながらも、
「人の気持ちって、変わることもあると思うから。」
と言い、
「私は、蒼太さんと一緒に仕事が出来れば、それでいい。」
と自分に言い聞かせて、静かに耐えながら、蒼太にとって自分が必要になったときのために、自身修業に打ち込む。



このマンガを読んでいて、だから私は、ずっと雅美を応援していた。蒼太に対しては、今好きなのはさつきかも知れないけど、経営者になるさつきと、従業員とでは立場も違うし、性格も微妙に合わないように思える。雅美のようにおとなしいが芯が強く、下からしっかり支えてくれる女性の方が合うのではないか、と思っていた。

最終話がどうなったか、というと…。
蒼太は結局、北海道の食材を生かした店をこの東京で出したい、という自分の夢を実現させるために、親方に暇を出してもらうことを申し出、銀座の「富み久」(周辺の再開発のため、新店舗になる)を継ぐさつきとは、別の道を歩むことになる。蒼太の店は、大泉学園の住宅街に、「富み久」の建物を移築した形で、「富み久 カムイ」として、北海道の食材にこだわった居酒屋での出発ということになる。ある日、開店祝いにさつきが親方からの祝儀の品を持って「カムイ」を訪れると、店からまず現れたのは雅美だった。…まだ結婚には至らないが、蒼太の夢を支え続ける決意をした彼女の長年の思い(たぶん、知り合って十年近く経っているはず)が報われたことに、いち読者として、この上なく嬉しい気持ちになった。

私は基本的に俗物なので、マンガも大好きで、生徒以上に真剣に読んでいるが、マンガにもやはり良質なのとそうでないのとがあり、前者が少なく後者が非常に多いことを日々痛感している。「蒼太の包丁」は、その数少ない良作の一つであったと思うので(最近の絵柄はあまり好きでなかったが)、話が大団円を迎えたことを喜びつつも、連載終了には寂しさを禁じ得ない。

〔2/25追記〕
昨日の記事では、雅美は岡山県出身と書いたが、今日確認したら、雅美と蒼太が出会った頃には、都立葉明高校を卒業したと書かれていた。回想シーンでは、雅美は高校時代、都内の家から通学していたようであり、友達と話している会話も標準語である。ただし、最近の号では、雅美は岡山に里帰りしたということになっており、何かひっかかりながらも昨日は岡山県出身と書いてしまった。このへんはどうなっているのだろうか?なお後考を俟つ。