夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

寒時雨

2017-11-28 22:52:58 | 日記
今月の歌会には、先日、明治神宮の宝物殿に企画展を観に行ったときに詠んだ歌を提出していた。
今日、歌会の担当の方から、当日の詠草を送っていただいたので、先生の添削をいただいた形で紹介する。

  時雨降る明治神宮の木々の間に銀杏の散るを木洩れ日かと思ふ
  昼なれど小暗き色の空の下神宮の杜に降る寒時雨

二首目の結句は、もとは「時雨降るなり」だったのが、このようになっていた。
「寒時雨」は初めて見る言葉だったが(辞書にはない)、ネットで検索してみて、木俣修の歌集『冬暦』に、

  昨日(きぞ)の日にひとくびられし草なかにこの夜しんしんと降る寒時雨(さむしぐれ)

という歌があるのを知った。


時雨の中、神宮の杜を歩いた日の、体の芯から冷えるようだった寒さを思い出した。

スタンダード

2017-11-22 19:10:12 | 日記
仮名古筆の話題の続き。
他のどの分野でも同様だろうが、本物や一流の品に直接触れる経験を多く持つことが、自分の中に審美眼や価値観の基軸をつくってくれると信じている。

私は今、米子の旧家に伝わる和歌資料を調査しているのだが、江戸時代の後期ともなると、だいぶ仮名の崩し方や用字などに時代特有の癖や誤りもある。
それらを見て判断するためには、やはり古い時代の伝統と標準を知っておくことが自らの拠り所となる。

仮名古筆の名品を生で鑑賞する機会は、これからも大切にしていきたい。


昨日は午後からよく晴れて、雪化粧の進んだ大山を見ることができた。
今年は冬の訪れが早く、過去二年よりも厳しい寒さの日が多くなりそうに感じる。

かな文字の美

2017-11-20 22:09:12 | 日記
昨日は東京の出光美術館で開催中の「書の流儀Ⅱ―美の継承と創意―」展を観に行った。
一昨日のセンチュリーミュージアムに続き、仮名古筆を中心とした名品80点ほどに触れることができた。


展示の案内文に、

  漢字の草書体を参考に創り出された「かな書」独自の世界は、平安時代、11世紀中頃に完成を見る。流麗な筆致と優美な姿形とを兼ね備えた表情は時と共に移ろいながら多彩な美的表現を展開させている

ということが書かれていたが、仮名文字の繊細で流れるように美しい筆致は、書かれている詩文の素晴らしさや美麗な料紙にも劣らない魅力を見る者に訴えてくる。

重要文化財の「継色紙」(伝小野道風筆)、「高野切」(伝紀貫之筆)をはじめ、書道史的、美術史的にも高い価値を有する作品ばかりなのだが、私のように和歌を学ぶ立場の者はつい、文字を読んで内容を理解しようとしてしまう。
(だから見るのに非常に時間がかかる。)

そんな中で、久しぶりに読んで、この歌はいいなと思ったのは、中務の、

  わすられてしばしまどろむほどもがないつかはきみをゆめならでみむ

だった。伏見天皇筆「筑後切」の歌だった。

活字本でなく、書の名人によって書かれた美しい筆跡で味わうと、よりいっそうその歌の内容が引き立つように感じられる。
こうした展覧会に来ていると、平安時代の昔、貴族たちがどのような料紙、どのような筆跡で和歌のやりとりをしていたのかに思いを馳せてしまう。

時雨降る

2017-11-18 22:23:49 | 日記
今日の午前中は明治神宮に行き、宝物殿で「近代の御大礼と宮廷文化―明治の即位礼と大嘗祭を中心に―」展を観る。
ここのところ、幕末・明治維新期という時代に関心を持っているため、この企画展はぜひとも見ておきたいと思ったのだ。


時雨の降る中、午後は早稲田に移動し、センチュリーミュージアムで「古筆―かなの美―」展を観た。
古筆断簡を中心に、藤原定家筆「後撰和歌集」断簡(紹巴切)
  よろづ世の霜にも枯れぬ白菊をうしろやすくもかざしつるかな
伝藤原公任筆「伊勢集」断簡(石山切)
  隠れ沼の底の下草水隠れて知られぬ恋は苦しかりけり
など、まさしく名品の揃った展示をじっくり鑑賞してきた。

今の私には、こうした仮名古筆の貴重資料を見て学ぶのが、何よりの経験になる。

しばしお別れ

2017-11-17 22:22:17 | 日記
美術館見学のため、この週末は東京へ行く。


白い雪の目立つようになってきた大山とも、しばしお別れ。
天気予報によると、これから冬型の気圧配置になり、山陰では雨が降るというから、大山ではきっと雪になるだろう。
帰ってきたとき、大山の雪化粧がどれだけ進んでいるか楽しみだ。