夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

山の端の月

2012-11-30 22:37:13 | 日記


明日から期末考査が始まる。先ほど、やっと試験問題を作り上げ、印刷し終えた。一夜漬けする生徒を笑えないなあ。

今夜も月がきれいだった。じっと眺めていると、知らず知らずのうちに物思いを誘われてしまう。


  世の人の心にしめていかばかり今宵の月に物思ふらん

  かくばかり物思へとや山の端につれなく出でて月のすむらん

調理実習

2012-11-29 17:53:49 | 日記


前回の調理実習のときは、クラスの生徒にお裾分けがもらえなかったので(泣)、今回は家庭科室に直接もらいに行ってしまった。ちょうどできあがる頃を見計らって家庭科室に入っていくと、ちゃんと私の分を取り分けたお盆が用意されていた(感涙)。

餃子と卵スープとご飯だけのシンプルなメニューだったが、おいしくいただいた。IH調理器なので、餃子をパリッと焼き上げるのは難しかったようだが、味は◎。

学級通信用に、生徒が調理しているところ、食べているところと写真を撮りまくったが、みんな実にいい表情をしている。人間やはり、食べ物があると気持ちがなごむのだな、と改めて感じた。2学期は今日が最後の家庭科の授業だったが、3学期の調理実習では、毎年ガトーショコラを作っているらしいので、そのときには忘れずに担任に献上させることにしよう。

今宵の月に…

2012-11-28 22:49:42 | 日記

今朝はとても寒く、出勤のとき車に乗ろうとして、フロントガラスが凍り付いているのに気づき、少し驚いてしまった。季節は確実に、冬の寒さに歩を進めていることを感じる。

生徒たちは、これだけ寒いのに、今日の時間割は教室移動が多いのでぼやいている。様子を見ていると、廊下に出るたび、ぷるぷる震えたり、再び教室に帰ってきて、「あったかーい、生き返ったー」などと騒いでいるのが面白い。

今夜が満月であることはずっと意識していたが、午後からやや雲が多くなってきていたので、夕方頃には半ばあきらめかけていた。

6時過ぎに用事で外出し、月の出ている方向を眺めても、薄曇った夜空の向こうが明るくなっているのが見えるだけだったので、「せっかくの満月だから、きれいな姿を見たい」と思っていたら、なんと見る見る晴れてきた。

そのまま、岡山市街のやや北方にある三野浄水場近くに向かい、車を停める。このあたりは、中州があって旭川の流れがやや緩やかになるところで、空の月と、川面に映る月も見られるかと思ったのだ。

凍るような川風に吹かれながら眺めた月は玲瓏として、月光が旭川の水面にも降り注ぎ、とてもきれいだった。残念ながら、私のカメラは性能がそれほどよくないので、写真では、冷たく冴えた月光まで描写できていないのだが、今夜の月は自分の心の中まで照らし出し、来し方行く先、さまざまなことを思わせるように感じた。

  冬の夜の河風寒くなるままに三野の堰(ゐせき)に月ぞさえゆく

ライフ・イン・トウキョウ

2012-11-27 21:06:57 | 日記


一昨日の日曜日(25日)、昼過ぎまではのんびりと新宿で過ごした。暦の上での「小雪」から2日が過ぎ、都内では凍るように冷たい風が吹き、遠くの富士山は雪で白く覆われた姿が見えた。



新宿駅南口から降りてタイムズスクエアに寄り、そこから西口の方へゆっくり歩いてきたら、前方に高層ビル群が迫り、どうしても行きたくなった。

先日、現代文の授業で、日野啓三氏の『都市という新しい自然』を教えた。人間は有史以来、厳しい自然を克服して文明世界を築き上げてきたはずなのに、文明化の行き着いた都市の姿が、東京都心のビル街に見られるように、荒野や氷山や砂漠のような、人間を寄せつけない本来の自然の様相を呈してきているという逆説的な事態を指摘した評論である。



副都心のビル群の間を歩きながら、日野氏のいうように、無機質で荒涼とした自然に向かい合うような緊張感と、強い威圧感を覚えた。



そのまま、新都庁舎ビル45階の展望室に上がり、外の風景を眺めていたら、JAPANの「Life In Tokyo」(1979)の一節が頭をよぎった。

この曲は、ジャパンが1979年に初来日したとき、帰りの機内でデヴィッドが東京での印象をもとに書いたといわれている。

東京の街を見て、人工的とか、建物と家ばかりとか、人生は残酷だと言っている。

あれから30年あまり。今でも、デヴィッドが東京を眺めたら、同じような感想を抱くのであろうか?

五島美術館

2012-11-26 21:06:18 | 日記


昨日は、昼過ぎまで新宿でのんびりと過ごした。その後、渋谷から半蔵門線~東急大井線と乗り継いで上野毛(かみのげ)駅で降り、徒歩5分ほどで五島美術館へ。『産経新聞』の朝刊で紹介されていた、「時代の美② 鎌倉室町編」を観てきた。

五島美術館の新装開館にあたって、同館が所蔵するコレクションを、来年の3月まで会期ごと・時代順に公開していく特別展で、今回は鎌倉・室町時代の名品を紹介する期間の前期(~12月7日まで)であった。




小さな美術館だし、展示品の数自体は少ないが、書籍・絵画・墨筆・彫刻・調度などの優品が目白押しなので、そのひとつひとつに感心したり感動したりで、正直とても疲れてしまった。これからご覧になる方は、体力が充実している時に行かれることをお勧めする。(笑)

来館者があまり多くなかったので、じっくり作品に見入ったり、メモをとったりしながら、1時間半ほどかけて存分に展示を味わうことができた。

今回の一番の目玉は、国宝『紫式部日記絵巻』であるが、写真のものの他、三段を見ることができた。今まで写真や図版で見慣れてはいたが、実際にこの目で見ると、細かな筆遣いや彩色、あるいは褪色や劣化などの様子までが手に取るようにわかる。私としては第二段の絵がいちばん印象に残った。これは、寛弘5年(1008)11月1日、皇子誕生から50日目の祝いの様子を描いたもので、中宮彰子が敦成親王(後の後一条天皇)を抱いているところが描かれており、赤子の敦成親王の表情がなんともかわいらしい。

一休宗純の「梅画賛」や重要文化財の延慶本『平家物語』、重文『白氏文集』(金沢文庫本)など、貴重な書画や典籍ばかりで、時間を忘れる。『白氏文集』は巻子本で、ちょうど「長恨歌」の部分が広げてあった。内容はわかっているのに、詩の最後の部分は、何度読んでも悲しくなる。かつて七月七日の夜、長生殿で玄宗皇帝と楊貴妃はひそかに、「比翼の鳥、連理の枝」と永遠の愛を誓い合ったのに、貴妃は今は幽明界を異にしている。「天長地久時有りて尽くるも、此の恨みは綿々として絶ゆる期(とき)無けむ」。



今回の展示では歌書類も充実しており、重文『上畳(あげだたみ)本三十六歌仙絵 紀貫之像』、同『佐竹本三十六歌仙絵 清原元輔像』が見られたのは眼福というべきであった。ただし、私としては、『時代不同歌合絵』(断簡)が見られたのが最も嬉しい出来事であった。

『時代不同歌合』は隠岐晩年の後鳥羽院の手に成る秀歌撰で、時代の異なる歌人百人の代表歌三首ずつを、歌合のように番えた作品で、絵巻も多く伝存している。今回見られたのは、藤原兼輔・藤原俊忠の番いと、伊勢・九条良経の番いの断簡だった。

  思ひ河絶えずながるる水の泡のうたかた人にあはで消えめや(伊勢)
  もらすなよ雲ゐる峰の初時雨木の葉は下に色かはるとも(良経)

といった私の好きな歌たちに、こういう形で出会えるのも感激する。


ところで、出品目録を見ると、後期の展示の中に、重文「熊野懐紙(後鳥羽天皇筆)」、「小倉色紙(藤原定家筆)」などが挙がっている。後期もぜひ見たいのだが、なかなか決心がつかず、迷っている。