夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

雑感

2012-06-30 22:08:21 | 日記
今日の午前中の授業で、試験範囲までを全て教え終えた。

お昼ご飯は、H先生のおごりで、T先生と三人でラーメンを食べに行った。

その後で、安心感からか、どっと疲れが出て、応接室の来客用のソファで1時間以上寝てしまった。

多少、うしろめたい気持ちはあったが、今週、いろいろあったから、まあしかたがない、と思う。

今日の授業は、鈴木孝夫の『日本語と外国語』からの文章で、日本人とイギリス人の食文化や教育理念の違いなど、興味深い内容で、生徒のくいつきもよく、集中して授業ができた。

その文章の中に、運動会での入賞者に対する扱いの違い、というのが出てくる。

日本では徒競走などの後で、平等に参加賞を出す、あるいは平等に何も出さないところが多い。

イギリスでは、小学校などでも、順位に応じて差を付けて現金を出すところがある。

日本人は、勝った者にだけ賞が与えられ、負けた者は何も貰えないのは気の毒で不公平だ、と考える。

イギリス人は、強い者、努力した者がそれ相応に報われるという、現実社会を支配している競争原理は、学校でも例外でないと考える。

という話だった。

双方の是非について、生徒に意見を聞いたり、私の意見を言ったりした。

日本では、保育園などの運動会で、かけっこをしても途中からみんなで手をつないでゴールインし、順位をつけないところがあるそうだ。こういった、理念のために現実を曲げるような平等主義については批判的な意見が多かった。

一方、イギリス型も、競争原理が行き過ぎるとえげつない争いになり、日本人の通常感覚には合わないだろう、という感じの意見が多かった。

私の担任するクラスの生徒は、よく発言してくれ、集中して授業に臨む生徒が多い。これには感謝している。

さて、来週から期末試験本番。

試験問題もまだできていないが、明日からまた頑張ろう。

一夜明けて。

2012-06-29 23:14:15 | 日記
昨日の長旅の疲れがとれず、体調はしんどかったが、そういつまでも休めないので出勤する。

授業の時間割変更や、朝礼終礼に私の代わりに行ってくださった先生方の机に、お土産のお菓子を置く。

群馬に行ったのに、なぜか土産菓子は博多の「ひよこサブレ」。

実は昨日ちゃんと、高崎駅でお土産に、地元の銘菓「旅がらす」を買ったのだが、東京駅で東海道新幹線に乗り継ぎをする際に、前の上越新幹線の列車の棚に忘れてきてしまったのだ。

岡山駅についてから、駅構内のショップで土産菓子を探したが、まさか岡山の菓子を渡すわけにもいかないし、喜んで食べていただけそうなものを見つくろって、結局こうなった。

しかし、いきなり自分の机上に福岡のお菓子が置いてあるのを見つけた先生の何人かは、驚いたらしい。


昨日の授業の振り替えもあるので、今日は五時間授業をした。七時間のうち五時間授業するのは、さすがにきつかった。しかも、授業の合間に小テストの採点や、ノート点検や、プリント作成もあったので、午前中はバテバテだったが、午後から調子が出てきた。

午後の最後の授業は、川端康成の「小切」の問題の解説。新感覚派の作家らしい、感覚的で象徴的な表現、描写も多いのだが、巧みな構成、研ぎ澄まされた文章、心理描写の的確さなどに生徒はしきりに感心しているようだった。

放課後は、学級通信の作成。月に一、二度の発行なのだが、月替わりには必ず、翌月の予定表を添えて出すことにしている。ささやかなものだけれど、楽しみにしてくれている保護者の方もいるので。

夜になって、勤務校の近くのお店で、同僚のS先生とK先生に先日お子さんが生まれたお祝いの会に参加する。

亡くなる命もあれば、新たに生まれてくる命もあるのだなあと当たり前の感慨を抱く。

今日も一日、なんとかがんばって過ごせてよかった。

告別式

2012-06-28 19:29:12 | 日記
会場では、久しぶりに会う親戚の多くから、珍しがられ懐かしがられた。

なにしろ大半は、十数年前の、父方の祖父の法要か、十年ほど前の私の妹の結婚式以来だから、しかたがない。

祖母は子沢山、孫沢山で、もし祖母がいなかったら、これらの人はこの世に存在しなかったことになる。当たり前のことだが、血のつながりの不思議さ、尊さを思わずにいられなかった。

そういえば、祖母の血はとても濃かったようで、私の父も、そのきょうだいも、みな祖母によく似た顔をしている。孫の中にさえ、似ている顔の者がいるくらいなのだ。

祭壇に置かれた、穏やかな笑顔の祖母の遺影を眺めながら、祖母は亡くなったけれど、その子や孫の中に生き続けていることを感じた。

祖母は明治42年(1909)の酉年に生まれ、それにちなんだ名をつけられた。以来、明治・大正・昭和・平成と、四つの時代を生きてきたことになる。働き者の女性で、家事や子育てだけでなく、脚の不自由な祖父を支え、畑仕事や養蚕などでも、人の何倍も働いていた。料理も上手で、特に蕎麦打ちは人から頼まれるほどだった。

明るく世話好きな人柄で、幼い頃おとなしくて気弱だった私は、いつも祖母を頼りにしていた。93歳の生涯を、祖母は立派に生き抜いたと思う。

願わくは、あともう少し長生きしてもらって、昔祖母とした約束を叶えたかったが…。

  百年(ももとせ)にななとせ足らでみまかりき約束(かねごと)叶へ見せましものを

この約束は実現させて、墓前に報告に行く。

下仁田駅

2012-06-28 18:09:23 | 日記
帰りの電車に乗るために、妹に駅の近くまで車で送ってもらった。

何か土産物でも買おうとして、駅前の商店街に入るが、それらしい店がやっていない。子供の頃、祖母に連れられて食べに入った定食屋はまだあったが、今日は開いていないようだった。

下仁田駅に入ろうとして、駅舎が昔のままなのに驚いた。次の電車が来るまで待った待合室も、ポスターや幾つかの掲示物を除き、私の子供の頃とほとんど変わっていない。

薄い桜色のペンキを塗った木のベンチ、大きなガラスで仕切った向こうに駅員室、壁に張られた「葱と蒟蒻下仁田名産」という「上毛かるた」の宣伝の紙まで、昔通りだった。

それにしても、

  山川は昔ながらに亡き人の帰らぬのみぞ悲しかりける

下仁田へ

2012-06-28 17:08:34 | 日記
電車は時に、民家の軒先をかすめるように、また、トンネルの中、橋の上、田畑の間を過ぎて進み、神農原のあたりからしだいに、山は高く、谷は深くなっていく。

終点の下仁田は山紫水明なところ、私にとっては「国のまほろば」である。

父の実家はここから、バスで20分以上行った終点から、さらに歩いて30分くらいの山奥にある。

今日の告別式は、この下仁田に一つだけあるセレモニーホール(私の従兄弟の職場)で行われたが、その後の父の実家の近くでの納骨には行くことができなかった。

そちらまで立ち会うと、今日中に帰岡できなくなるから仕方がないが、夏休みにはお墓参りに来る。