夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

十四日の月

2018-07-27 22:21:06 | 日記
このところ、猛暑の中あくせくしていたのが今日の夕方にひと段落ついて、ほっとくつろいだ気持ちで窓の外を眺めたら、大山のすぐそばに大きく月が見えた。
少し曇っていたので、空が薄桃色にかすんでいる中に大山と、満月に一日足りない月が浮かんでいる。


今日も一日、一生懸命仕事をしたけれど、うまくいったこともあり、そうでなかったこともある。
一週間の勤務が終わった安堵も、全円的な充足感とまではいかず、少し物足りなさを覚える今の自分の心情に重ねながら見た。

  あたふかぎりいとなむことの報いられ報はれずして今日も暮れぬる

夜をあはあはと

2018-07-26 18:04:47 | 日記
毎回、近代短歌の授業で実施している「穴埋め短歌」、今回は河野裕子の歌からの出題。

生きるとは ■■■■ことと 日記に書く 夜(よ)をあはあはと 春の雪降る

元の歌「疲るる」 

学生の解答(括弧内は私のコメント)
・「考える」(ルネ・デカルトの「われ思考す、ゆえにわれ存在す」ですね。)/「死を待つ」(我々は日常、自分が一日一日と死に近づいていることに、どれだけ気づいているのでしょう。)/「ときめく」「夢見る」(ぜひ、そのときめきや夢を持続させてください。)/「別れる」(愛別離苦は、人の世のならい。)/「失敗する」(間違いを繰り返しながら人は成長し、生きていくのです。)/「旅する」(日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。)/「恋する」(若い人が羨ましい。)/「日々知る」/「無意味な」(いいえ、どんな人生にもそれぞれの意味がある、というより、自分の人生の意味(使命といってもよいが)は、一生かけて自分で探していくのです。)/「寂しい」(そうですね、誰もが一人で生まれ、一人で死んでいく。)/「生き抜く」(受身で与えられた生を、自分の生として主体的に生きていく。)/「苦しい(苦しむ)」(同様多数。実はそうだ。誰もがそれぞれに、生きることは本来苦しいものだという覚悟を持つ必要がある。)/「終わりある」(有限だからこそ、命は尊く美しいのだと思います。)/「傷つく」(これもその通りです。だからこそ、他人の心の傷を思いやり、癒やせる人になりましょう。)


感想 
この歌は、河野裕子第一歌集『森のやうに獣のやうに』の跋文(ばつぶん)を書いた歌人・高野公彦が、その中で取り上げているもの。
河野裕子は昭和三九年(一九六四)、高校三年の時に、病気のため入院し、七月から翌年三月まで休学しているが、その頃の歌に、
  通学も進学も断ちて病む日日を病棟の庭に夾竹桃咲く(昭40・2)
  生きるとは疲るることと日記に書く夜をあはあはと春の雪降る(昭40・6)
  みづからを卑屈にするなと言ふ如く枯れ草の野にいぬふぐり咲けり(同)
  ふつふつと湧くこの寂しさは何ならむ友らみな卒(を)へし教室に佇(た)つ時(同)
  癒(い)えしのちマルテの手記も読みたしと冷たきベッド撫でつつ思ふ(昭40・9)
  振りむけば失ひしものばかりなり茜重たく空充たしゆく(昭40・12)
といった歌がある。高野公彦が言っているが、こうした「寂しさ、虚しさ、苦悩」が歌人・河野裕子の原点にあり、短歌はまず何よりも彼女にとって「自己救済の手段」であったのだろうと思われる。
学生の今回の解答に秀逸なものが多かったのは、年代的に近い、十代終わりの若者の苦悩や孤独に響き合うものがあったのかもしれない。

何か黒かりき

2018-07-19 19:38:23 | 日記
毎週、近代短歌の授業時、出席確認で学生にやらせている「穴埋め短歌」の小テスト、今回の出題は中城ふみ子。

①ひそひそと 秋あたらしき 悲しみ来(こ)よ 例へば■■の 悲哀のごとく (中城ふみ子『乳房喪失』)

元の歌「チャップリン」 
学生の解答
・「落葉」(人から顧みられず、踏みつけにされる。家庭内で居場所がなく、邪魔な定年後の男性を「濡れ落葉」ということまである。)/「転校」(二学期に転校すると、なかなか友達が作れなくて辛い。)/「アネモネ」(花言葉は、「はかない恋」「恋の苦しみ」「見捨てられた」「見放された」だそうで。)/「日曜夕方」(「サザエさん」のエンディング曲を聞くときに憂鬱を感じる人、多いそうです。)

②熱たかき 夜半(よは)に想(おも)へば かの日見し ■■■■■■■は 何か黒かりき (中城ふみ子『花の原型』)

元の歌「麒麟(きりん)の舌」
学生の解答
・「彼の素肌」(松崎し○る!? Mr.メラニン。)/「害虫の王」(ゴ○ブリの言い換え乙。)/「あの弁当」(のり弁におかずがひじき、椎茸、昆布、茄子…。)/「宿の刺身」(朦朧とした意識で、食中毒の原因を思う。)/「カイロの中」(使い捨てカイロの中身、開けてみたんだ…。)

③死後のわれは 身かろくどこへも 現れむ たとへば ■■■ ■■■■■■■ (同)

元の歌「きみの 肩にも乗りて」(「あの子の 肩の上とか」という、きわめて近い解答があった)
学生の解答
・「好きな あの人のところ」(同様多数。この設定はマンガ・小説・ドラマ・映画にも多い。)/「明日の 授業参観」(子を残して死んだ親は気がかりでならないだろう。)/「夜の 理科準備室」(幽霊が行って楽しいところかという基本的な疑問が…。)/「墓場で 運動会など」(いやこれ、「鬼○郎」のパクリだから!)/「寝ている 子供の夢に」(スゲーな、夢の世界にも移動できるんだ…。)/「君の 振り向く先に」(相手からは見えていないと分かっていても、せめて視界の中に、という切ない気持ちが伝わります。)/「庭へ 花を咲かせに」(まるで妖精のよう。)/「無人の ディズニーランド」(「真夜深きネズミの国は寄る辺なき霊たち集う園(その)となりおらん」お粗末…。)



感想
キリンの舌はなぜ黒いのか。気になったので、ネットで検索してみた。
キリンは舌を出して枝などを巻き取って摂食するため、舌が日差しに晒される時間が長くなりがちなので、紫外線で舌が傷むのを防ぐためにメラニン色素がついていると考えられているそうである。
それにしても、高熱にうなされながら思い出すのが、可愛い顔をしたキリンの不気味な長く黒い舌、というところに、中城ふみ子の非凡な感性と想像力を感じる。

竹を取る

2018-07-15 21:50:32 | 日記
来月、勤務校でオープンキャンパスがあるのだが、その時に付属図書館で行う企画展示の監修を、私がすることになった。
メインは、学生が自分のお勧めの本をPOPと共に紹介するコーナーなのだが、その展示スペースのデザインは七夕をテーマに統一する。
オープンキャンパスの実施は、ちょうど旧暦の七夕に近い頃でもあり、図書館内に本物の竹を置き、飾り付けも行う。

今日はその竹の下見に行って来た。
勤務校の先生が郊外にセカンドハウスを持っており、週末農業をされているのだが、竹林があるという話を聞いていたので、ぜひ一度見に行かせてくださいとお願いしてあったのだ。


今日の午前中に市内で待ち合わせ、先導してもらってそのセカンドハウスに行った。
明治元年頃に建てられたという古民家で、中に入ると、私の父の実家によく似た感じで、とても懐かしい感じがした。
家の裏の竹林をざっと眺め、ちょうどよい大きさの竹を後日取りに来させていただくことをお願いした。

よい竹が手に入るし、七夕飾りは美術同好会の学生たちが作ってくれることになったので、どんなものが出来上がるか、今から楽しみだ。