夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

伊能忠敬と弓浜半島

2016-03-31 22:28:19 | 日記
先日のことになるが、日頃何かとお世話になっている古文書の会代表の方が、境港で講演会をなさるというので参加してきた。
江戸時代後期に全国を測量し、当時としては極めて精密な日本全図を作成した伊能忠敬と、弓浜半島との関わりについてのお話だった。

とは言っても、測量の際、忠敬自身は米子にとどまっていて、弓浜半島を実際には歩いていない。(測量は彼のスタッフが行った。)
しかし、忠敬の著『山島方位記』を見ると、その測量地点から当時の弓浜半島の海岸線の位置が把握できる。
忠敬の測量隊は弓浜半島を、日本海側も中海側も、現在の海岸線よりずっと内側を歩いている。
日本海側はだいたい、今より200Mほど内側に入った、産業道路(国道431号線)の辺りが海岸線であったらしい。

伊能大図(第155図)で見る弓浜半島は、現在よりずっとほっそりしているので驚いた。
中海側の新田開発や干拓、日本海側の砂浜の移動などがあって、今のような地形になったのだそうだが、話を聞いていてとても勉強になった。


境港からの帰りは、やはり弓ヶ浜沿いに車を走らせたくなった。
昔はこの辺りが海岸線だったのかと思いつつ、431号線を走った。

米子今昔

2016-03-27 19:56:26 | 日記
先日、職場の同僚の先生からチラシをいただいたので、山陰歴史館の企画展「写真が語る米子の歩み」を観に行った。
館長の挨拶文によれば、今回の展覧会は、新米子市誕生10周年記念の企画事業で、市民にも米子市内の古い町並みや建築物などを写した写真の提供を呼びかけて実現したものだそうだ。


山陰歴史観の建物は、旧米子市庁舎で、昭和5年(1930)に新築されたもの。
当時の市予算に匹敵する21万5千円もの工費をかけ、山陰随一といわれていたそうだ。

普段住んでいる町なのに、知らなかったことも多くあったので、いくつか紹介すると、

①現在、米子で一番(=山陰最大)の飲み屋街として知られている朝日町は、もともと商店街だった。近年は商店が立ち退き、飲食店街になっている。

②山陰最大の地銀・山陰合同銀行(私も口座を作っている)は、昭和16年(1941)に米子銀行と松江銀行が合併してできた。
なるほど、それで「合同」なのか。

私の今の職場の近くにある「稲田酒造」は、もともと米子城下にあった。
創業は江戸時代の寛政年間にさかのぼる老舗である。
昭和62年(1987)、隣接する鳥取大学医学部付属病院の拡張工事のため、現在地に新工場を建設した。

米子市は、昭和2年に市政が施行されて以降、数度にわたって近隣の町村を合併し、広域化して現在に至っている。
その折々の市街地図や、昔今のたくさんの写真などを見ているうちに、わが住む町への愛着の念が湧いてきた。

前掲の館長の挨拶文には、この企画展は「郷土の歴史への関心を深め、私たちが住むまちへの誇りと愛着心を醸成する」ためのものであり、また「貴重な古写真からは、時代とともに移り変わっていくまちの姿を伺い知ることもできる」とあったが、その通りの内容だった。
今日で会期終了になるため、慌てて観に行ったが、米子のたどってきた歴史をわずかなりと理解することができてよかった。

雪わずか

2016-03-26 22:56:20 | 日記

日頃お世話になっている、境港古文書の会の代表が、講演会をなさるというので、午後に境港に行って来た。(内容の紹介は、また後日に。)

講演会の後で、境水道大橋を渡り、島根半島を少しドライブしていたら、そちら側から大山がくっきり見えた。
山頂付近の雪は残りわずか、あと幾日かを待たずになくなってしまうのかもしれない。
そう思いながら、この大山の眺めを、しっかりと目に焼き付けた。

桜咲く

2016-03-25 23:21:46 | 日記
昨日は学内で内輪のセミナーがあり、私が発表者を務めた。
教職員合わせて20名ほどの方が出席してくださり、なかなか盛況であった。
ここ数ヶ月、私が調べている〈門脇重綾と和歌〉について、途中経過の報告を行った。
重綾の生い立ち、『蠖園集』について、重綾の人的ネットワークについてなど、スライドを使いながら40分ほど話した。

発表をすることによって、問題点がだいぶ整理できたし、参加者の方から質問や意見も頂戴することができた。
今後の課題も明確になったので、6月に市民対象で行う文化講演会に向けて、しっかり準備することにしたい。

セミナー後は、座談会と称する食事会があり、さらに場所を替えて飲み会に行った。
分野の違う先生方から褒められたり、率直な意見や耳寄りな情報をいただけたのは有難い。


翌日の今日は、勤務校の卒業式。
2時間半近い、長い式典の間にも、勝手な私語などをしたりする学生がいないのはさすがである。

こちらでも、ようやく桜が咲き始めた。
日当たりのよいところでは、だいぶ開花が進んでいる。
来月の入学式まで2週間ほど。
その頃まで、なんとか花がもってほしい。

両参り

2016-03-22 23:12:01 | 日記
旅行3日目は、朝、チェックアウトを済ませる前に、泊まっていた玉造の温泉街を散策し、玉造湯神社にも行った。
その後、松江で土産物などを買い、宍道湖の北側から出雲へ向かう。

出雲大社の話題は、このブログで何度かしている()し、お昼に食べた出雲そばについても書いたことがあるので、そちらに譲る。
両親は、出雲大社にお参りするのは初めてだったが、三年前の遷宮で美しく蘇った御本殿や、神楽殿の大しめ縄などを見て、しきりに感心していた。


不思議なことに、この日は玉造温泉を出るときから雨が降り始めたのだが、大社にお参りしている間はやんで、参拝後、出雲歴史博物館を見ていたら、ざあざあ降りになってきた。
日頃の行いがよい(両親の)というのは、こういうことか。

美保神社と出雲大社の両参りもできたし、両親にも私にも心に残る旅になったと思っている。