夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

2015年追懐

2015-12-31 23:10:28 | 日記
毎年、大晦日にはその1年を振り返って記事を書いているので、今年も同様に、私にとって印象に残った出来事を挙げていく。

1番はやはり、今の職場に変わったこと。
最初の3ヵ月ほどは仕事にも学校にもなかなかうまく対応できず、周囲の方々にご迷惑をおかけしてしまった。
今も決して順調にいっているとは言い難いが、それでも研究面・教育面ともに自分の能力を超える仕事を要求され、それに応えようとしながら少しは成長できたのではないかと思う。

2番目は秘密です。

3番目は秋の学会で、シンポジウムのパネリストを務めたこと。
ご一緒させていただいたお二人のパネリストとは、落語でいえば真打ちと前座ほどの力量・経験の差があり、席上ではいたたまれない思いもしたが、終了後、思いがけないほど多くの方々とお話しすることができ、得るものも大きかった。
何よりも、シンポジウムの後で、自分の授業のやり方が変わった。
学生を授業に巻き込み、主体的に活動させる場を設けたり、国語や文学教育の使命を自覚し、古人(教育界の優れた先達や、古典の作者等)の求めた道を学生に伝えることを考えるようになった。

以下はランダムに挙げる。

米子に移住したこと。同じ中国地方だし、毎年山陰旅行に来ていたから、すぐ慣れるだろうと思っていたのはとんでもない間違いだった。
今でもどうかすると街中で道に迷うし、こちらの気候・風土・人情・文化・歴史などもまだ十分に理解できていない。
それでも、岡山より厳しく美しい自然がごく身近にあることに、日々驚きと安らぎを感じている。

山陰地方の研究者や郷土史家の方々との研究会に参加させていただくようになったこと。
地域の古文書の会の方々から、共同研究のお誘いを受けたこと。
今年に入ってからこうした方面での活動が増えたのは、やはり嬉しい。

一方で、今年は研究論文を1本も書けず、自分にとって本筋の研究が停滞しているのが悪かった点である。
米子からはすぐ行けるはずの隠岐にも、調査に行っていない。
学会や例会、セミナーに多く参加し、美術館・博物館にもたくさん行けたのは良い点だが、来年はこうした活動を少し整理し、米子にじっくり腰を据えての教育、調査・研究活動の充実が求められる。

短歌が遅々として上達しないのは、時々自分でも嫌になるが、慈円が、

  みな人に一つの癖はあるぞかしわれには許せ敷島の道

と歌ったように、下手の横好きということでこのまま行かせてもらうことにしよう。

研究室の整理や、自宅アパートの部屋の整理も済まないままに新年を迎えるのは慙愧に堪えないが、年明け後の優先課題ということにして、とりあえず今年を締めくくることとする。

それでは、みなさん、よいお年を。


今年観た映画から 2015

2015-12-30 08:47:57 | 映画
今年は5本しか映画を観られなかったので、全てを観た順番に紹介。

1.ゴーン・ガール元記事

美人妻の失踪から、事態は次々に予想外の展開を遂げ、その中で、夫と妻それぞれの隠された素顔も明らかになっていく。
この夫のように妻がサイコパスでなかったとしても、無邪気そうに振舞う妻や彼女を見ながら、「この可愛い頭の中に、何が詰まっているのか。」と問いたくなる男は、世に多いだろう。
この映画を観た後は、普段は気づかずに(気づかぬようにして)過ごしている、男女の深淵を覗き込んでしまったかのような、暗澹たる気持ちになる。

2.バルフィ! 人生に唄えば

インド・ダージリン、1972年。
シュルティ(写真右)は、婚約者と離れて訪れていたダージリンで、偶然バルフィ(写真左)に出会う。
バルフィは生まれつき耳が聞こえず口も利けないが、目と仕草で雄弁に話し、自由気ままに生きている。シュルティを一目で気に入ったバルフィは、彼女に熱烈にアプローチする。
〈バルフィという突風が、平凡な人生から一瞬で私をさらった。〉
シュルティがバルフィに好意を持つようになるのに、時間はかからなかった。
しかし、シュルティは母親からこの恋愛に反対され、
「その人はあなたに愛を語ってくれる? あなたの声が聞こえる? 恋愛は何度でもできる。」
と言われ、迷った挙句、婚約者とそのまま結婚する道を選んでしまう。

一方バルフィは、ダージリン随一の資産家の娘だが、自閉症であるため隠すように育てられていたジルミル(写真中央)と出会う。バルフィは一度は、病に倒れた父親の入院代を工面するため、ジルミルを誘拐して身代金を要求しようとするが、彼女を連れての逃避行の間に、二人はしだいに心を通わせていく。


人妻になり、虚ろに生きているシュルティが、過去を痛切に悔やむ場面がある。
〈運命は何度も私たちを引き合わせたのに、私は心の勇気に従うことができず、運命に見放された。〉
この映画を観ていて、私たちは言葉があるからかえって不自由なのではないかと感じた。バルフィとジルミルは、恋のリスクを考えず素直に心に従い、言葉は不自由だが愛に満ちた人生をつかむ。私たちは嘘や建前に縛られて、自分の心の声が聞こえなくなり、どれだけの幸せを失っているだろう、ということを考えずにはいられなかった。

3.でーれーガールズ元記事

岡山を離れてまだ1年も経たないが、すでに郷愁のような気持ちでこの映画を振り返っている自分がいる。
倉敷美観地区、奉還町商店街、鶴見橋、岡山城、岡山駅地下…。ストーリーは原作とはかなり違っているところもあったが、物言わぬ背景たちが、実はたくさんのことを語りかけていたように思われる。

4.KANO―カノ― 1931海の向こうの甲子園

昭和6年(1931)、当時日本の統治下にあった台湾から甲子園に出場し、決勝戦にまで進んだ嘉義農林学校(嘉農)野球部の、実話に基づく映画。

近藤兵太郎(永瀬正敏)が内地から野球部の監督として赴任した時、嘉農は草野球レベルの弱小チームだった。部員は球も満足に捕れず、対戦したチームから、試合するのは時間の無駄とバカにされ、地元の人からも恥知らずと言われる始末。しかし近藤は、彼らを甲子園に連れて行くと宣言し、厳しい練習で鍛え上げ、わずか2年でその目標を実現する。


嘉農は三族共学を特徴とする学校だったが、野球部も実際に日本人・漢人・台湾原住民の混成チームであり、彼らが泥まみれになって一つのボールを追いかけ、必死に戦う試合のシーンは迫力に満ちていた。なんでも、嘉農野球部を演じたメンバーは全員野球経験者で、ピッチャー役のツァオ・ヨウニンは台湾大学野球のスターなのだそうだ。
泥臭いが熱い映画で、今年観た中では一番の感動作。

5.シンデレラ関連記事

女性なら、小さい頃絵本で読んで誰でも知っている話だが、男の私が観ても面白かった。
舞踏会のシーンはやはり圧巻。国中から着飾った娘たちが集まる中、シンデレラが魔法の力で変えてもらったブルーのドレスはひときわ美しく、他を圧倒していた。
ただし、私の記憶に強く残ったのは、ケイト・ブランシェットが演じた継母。
シンデレラを屋根裏部屋に移させ、使用人としてこき使い、いじめ抜くさまが半端じゃなく怖い。シンデレラがたまりかねて、私は何も悪いことはしていないのに、なぜこんな仕打ちを受けるのかと聞くと、
「あなたが若くて美しく、純真で善良だからよ。」
この台詞は人間性の本質を突いているように思った。

今年は米子という映画館のない町に来たこともあり、赴任して1年目で何かと慌ただしかったこともあって、7月以降はまったく映画を観る機会がなかった。
例年以上に、興味を惹かれつつ見逃してしまった映画が数多くあるのが悔やまれる。
来年は1本でも多く、映画を観に行きたい。

続 月次の会・十二月

2015-12-29 22:08:36 | 短歌
今回の月次の会には、無理をすれば出られるかとも考えたが、当日は夕方まで会議があり、翌日は部の遠征で山口だったので断念した。
昨日、当番の方から、当日の詠草が送られてきた。(ありがとうございます。)

今回提出したのは、十日ほど前、吹雪のあった日と、その翌朝に詠んだ歌。
前回の当番の方が、私に当日の詠草を送ってくださった際、「次回は、雪の大山のお歌があるでしょうか。」ということを書かれていたので、期待されているかもしれないと思い、拙い歌をひねってみたのである。


(提出歌)
  大山より海の方へと吹く風に雪おこしの音遠く響かふ
(添削後)
 大山より海の方へと吹く風は雪おこしの風か遠く響かふ

(提出歌)
  かくてこそ大山と思ふ白妙の雪降り積みて天にそびゆる
(添削後)
  かくてこそ大山と思ふ白妙の雪をかづきて天にそびゆる

一首目は、吹雪いて大荒れだった日に、窓の外を見やると、大山から海の方に吹き下ろしてくる風に乗って、遠くから雪おこしの音が響いてくるように感じられたので、詠んだ歌である。
句切れなしの説明的だった歌を、疑問形を用い四句切れとすることで、印象鮮明な、生気ある歌になった。
二首目は、わずかな変更とはいえ、「雪降り積みて」という客観的描写から、「雪をかづきて」(雪をかぶって、頭上にいただいて。)という擬人法を用いた表現にすることで、神山としての大山を詠むにふさわしい歌になったと思う。

今年の納会に参加できなかったのは残念だが、来年もまた、先生と歌会のみなさんと共に、よりよい歌を目指していけたらと祈っている。

しくじった…

2015-12-27 23:13:26 | 日記
防府に来たとはいっても、宿泊のみで観光は全くできず。
時間に余裕があれば、学生たちを連れて防府天満宮や毛利氏庭園などに行けたのに。

防府には、私が先日、近代俳句の授業で取り上げた種田山頭火の生家跡もあるのだが、私は昨年、教育研究大会でここに訪れた際も時間の都合で行っておらず、今回もみすみす機会を逃すことを残念に思っていた。
夜ホテルに来て、朝早く出発するのでは仕方がない。

  分け入つても分け入つても青い山
  うしろすがたのしぐれてゆくか

といった山頭火の句を思い出しつつ、翌朝、駅前のホテルを出発し、バスの車窓から防府駅の方を見て、しまった、と思った。
防府駅前には種田山頭火の銅像があるのを忘れていたのだ。
もう少し早く思い出していれば、バスに乗り込む前の短い時間でも、写真くらい撮れたのに。


しくじった…、という思いを引きずりつつ試合会場に着くと、きらら浜が朝日に映えてきれいだった。
この日は12月末とは思えないほど暖かく、よく晴れて、日中は上着なしでも過ごせるくらいだった。
ただし、夜に米子に帰ってくると雨が降っており、同じ中国地方でも山陽側と山陰側とではまるで天気が違うことを改めて感じた。

きらら浜

2015-12-26 18:46:55 | 日記
部の引率で山口県へ。
米子を朝出発して、午後2時頃、明日試合が行われる山口きらら博公園に着いた。

ここには多目的ドームや屋内プール、サッカー・ラグビー場、スポーツ広場などの施設があり、以前は国民文化祭や国体の会場にもなったことがある。


この辺りはきらら浜といい、戦後の干拓によって生まれた土地だそうである。
日本海の冬の荒波を見慣れ初めているからか、波の穏やかな瀬戸内の海がなんだか懐かしく感じられた。

今夜は防府に泊まる。
昨年の中国地区教育研究大会(その①その②)以来、約1年ぶりに来るので、とても楽しみだ。