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八月十五夜の中秋の名月に対して、九月十三夜の月見は「後の月見」という。十五夜に次いで美しいと言われている月なのに、今夜はあいにくの曇り空で、時々小雨が混じり、ながめることができないのが残念だ。
そういえば、後鳥羽上皇は、建仁二年(1202)九月十三夜には、水無瀬(みなせ)離宮で歌会を行っている。この日は、上皇がかねて歌人達に詠ませておいた恋歌十五首を、歌合に番えたものが、藤原定家によって読み上げられ、その後、歌のよしあしについての評議が行われた。
定家の日記『明月記』によれば、この日は朝からよく晴れ、雲や靄もなく「夜月清明」だったという(うらやましい)。評議は夕刻になって終了したが、参加者の興醒めやらず、「月前秋風」「水路秋月」「暁月鹿声」の三題で当座の歌合が行われ、さらに「しうさむや(十三夜)」を各句の上に据えた折句歌と、「みなせかは(水無瀬河)」を隠し題にした歌を詠むことが求められた。
後鳥羽上皇は、十三夜の折句歌では、
志賀の波や浦わの月のさゆる夜に昔恋ふらし山の秋風
飛鳥井雅経(あすかいまさつね)は、同じく、
しばし見んうき雲晴るるさやけさは昔もあらじ山の端の月
と詠んでいる。二人ともすばらしい。
私も挑戦してみようと思ったが、折句歌は難しかったので、「十三夜」を五首の初めに置いて詠むことにした。「山家の月」の趣で、山里で侘び住まいする者の立場から詠んでみたのだが、うまくいかなかった…。
し 時雨れつる空とも見えず晴るる夜の月漏り明かす槙の板屋に
う 憂しとみる世もなかなかにそむかれず月かげばかり友とならひて
さ さびしさは月見るにこそまさりけれ同じ心に見る人もがな
む 虫の音も秋をや惜しむ草の原月に恨むる声ぞ聞こゆる
や 山里は訪(と)ふ人もなし夜もすがら月をながめてしのびわびつつ
写真の月は、昨日撮ったもの。本当は、今夜に照ってほしかった。