夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

ちはやふる 上の句

2016-04-26 22:32:45 | 映画
先日の文学の授業(短歌講座)のとき、学生に五色百人一首をやらせたら大盛り上がりだった。
中には映画「ちはやふる」を観に行って、『百人一首』だけでなく競技カルタにも関心を持つようになったという者もいたので、感想を聞くと、すごくよかったとのことだった。
この映画は二部作で、「上の句」の方は間もなく上映終了のため、ぜひにもと思って観に行った。
大人が見ても十分に楽しめる映画だった。

私は原作マンガを10何巻目までは読んでいたが、その後はフォローしていない。(確か、30巻くらいまで出ているはず。)
原作の登場人物を、どの俳優がどう演じているのかにも興味があった。


主演の広瀬すずは、最初、綾瀬千早の役としては背が低いかな、と思ったが、目が慣れてくると、まさに「ムダ美人」の千早そのものに見えてきた。
試合後に燃え尽きて、白目をむき鼾をかいて寝るところとか、服装おかまいなしで制服スカートの下にジャージをはいて平気でいるとか、無神経で女子力ゼロだけど、カルタにはひたむきで純粋さが魅力の千早が、マンガから抜け出たようだった。

まつげ君こと真島太一を演じた野村周平は、最初こそ茶髪のチャラ男に見えたものの、話が進んでくるにつれて、しっかり太一になりきっていた。
呉服屋の娘で『百人一首』愛の強い大江さんは、原作では一番好きなキャラだったが、実写版では上白石萌音が演じており、この配役は私のツボにはまった。

この映画は、ドタバタ劇な要素についていけないときもあるものの、泣けるシーンも名言もあり(「青春全部かけても勝てない? かけてから言いなさい。」)、何よりも、競技カルタの試合の迫力や魅力を手に取るように伝えてくれる。

映画のエンドロールにも流れていたが、「ちはやふる」は間もなく「下の句」が上映される。
こちらも楽しみだ。

今年観た映画から 2015

2015-12-30 08:47:57 | 映画
今年は5本しか映画を観られなかったので、全てを観た順番に紹介。

1.ゴーン・ガール元記事

美人妻の失踪から、事態は次々に予想外の展開を遂げ、その中で、夫と妻それぞれの隠された素顔も明らかになっていく。
この夫のように妻がサイコパスでなかったとしても、無邪気そうに振舞う妻や彼女を見ながら、「この可愛い頭の中に、何が詰まっているのか。」と問いたくなる男は、世に多いだろう。
この映画を観た後は、普段は気づかずに(気づかぬようにして)過ごしている、男女の深淵を覗き込んでしまったかのような、暗澹たる気持ちになる。

2.バルフィ! 人生に唄えば

インド・ダージリン、1972年。
シュルティ(写真右)は、婚約者と離れて訪れていたダージリンで、偶然バルフィ(写真左)に出会う。
バルフィは生まれつき耳が聞こえず口も利けないが、目と仕草で雄弁に話し、自由気ままに生きている。シュルティを一目で気に入ったバルフィは、彼女に熱烈にアプローチする。
〈バルフィという突風が、平凡な人生から一瞬で私をさらった。〉
シュルティがバルフィに好意を持つようになるのに、時間はかからなかった。
しかし、シュルティは母親からこの恋愛に反対され、
「その人はあなたに愛を語ってくれる? あなたの声が聞こえる? 恋愛は何度でもできる。」
と言われ、迷った挙句、婚約者とそのまま結婚する道を選んでしまう。

一方バルフィは、ダージリン随一の資産家の娘だが、自閉症であるため隠すように育てられていたジルミル(写真中央)と出会う。バルフィは一度は、病に倒れた父親の入院代を工面するため、ジルミルを誘拐して身代金を要求しようとするが、彼女を連れての逃避行の間に、二人はしだいに心を通わせていく。


人妻になり、虚ろに生きているシュルティが、過去を痛切に悔やむ場面がある。
〈運命は何度も私たちを引き合わせたのに、私は心の勇気に従うことができず、運命に見放された。〉
この映画を観ていて、私たちは言葉があるからかえって不自由なのではないかと感じた。バルフィとジルミルは、恋のリスクを考えず素直に心に従い、言葉は不自由だが愛に満ちた人生をつかむ。私たちは嘘や建前に縛られて、自分の心の声が聞こえなくなり、どれだけの幸せを失っているだろう、ということを考えずにはいられなかった。

3.でーれーガールズ元記事

岡山を離れてまだ1年も経たないが、すでに郷愁のような気持ちでこの映画を振り返っている自分がいる。
倉敷美観地区、奉還町商店街、鶴見橋、岡山城、岡山駅地下…。ストーリーは原作とはかなり違っているところもあったが、物言わぬ背景たちが、実はたくさんのことを語りかけていたように思われる。

4.KANO―カノ― 1931海の向こうの甲子園

昭和6年(1931)、当時日本の統治下にあった台湾から甲子園に出場し、決勝戦にまで進んだ嘉義農林学校(嘉農)野球部の、実話に基づく映画。

近藤兵太郎(永瀬正敏)が内地から野球部の監督として赴任した時、嘉農は草野球レベルの弱小チームだった。部員は球も満足に捕れず、対戦したチームから、試合するのは時間の無駄とバカにされ、地元の人からも恥知らずと言われる始末。しかし近藤は、彼らを甲子園に連れて行くと宣言し、厳しい練習で鍛え上げ、わずか2年でその目標を実現する。


嘉農は三族共学を特徴とする学校だったが、野球部も実際に日本人・漢人・台湾原住民の混成チームであり、彼らが泥まみれになって一つのボールを追いかけ、必死に戦う試合のシーンは迫力に満ちていた。なんでも、嘉農野球部を演じたメンバーは全員野球経験者で、ピッチャー役のツァオ・ヨウニンは台湾大学野球のスターなのだそうだ。
泥臭いが熱い映画で、今年観た中では一番の感動作。

5.シンデレラ関連記事

女性なら、小さい頃絵本で読んで誰でも知っている話だが、男の私が観ても面白かった。
舞踏会のシーンはやはり圧巻。国中から着飾った娘たちが集まる中、シンデレラが魔法の力で変えてもらったブルーのドレスはひときわ美しく、他を圧倒していた。
ただし、私の記憶に強く残ったのは、ケイト・ブランシェットが演じた継母。
シンデレラを屋根裏部屋に移させ、使用人としてこき使い、いじめ抜くさまが半端じゃなく怖い。シンデレラがたまりかねて、私は何も悪いことはしていないのに、なぜこんな仕打ちを受けるのかと聞くと、
「あなたが若くて美しく、純真で善良だからよ。」
この台詞は人間性の本質を突いているように思った。

今年は米子という映画館のない町に来たこともあり、赴任して1年目で何かと慌ただしかったこともあって、7月以降はまったく映画を観る機会がなかった。
例年以上に、興味を惹かれつつ見逃してしまった映画が数多くあるのが悔やまれる。
来年は1本でも多く、映画を観に行きたい。

続アナ雪

2015-07-01 23:30:48 | 映画
先日、映画『シンデレラ』を観に行ったら、同時上映の短編アニメ『アナと雪の女王 エルサのサプライズ』がなかなか面白かった。

昨年紹介したアニメ映画『アナと雪の女王』の後日談のようなお話である。
アレンデール王国のエルサ女王は、妹・アナの誕生日のために、ずっと前から準備していた。
素敵な誕生日にしようと。
しかし、当日エルサは、よりにもよって風邪をひいてしまい…。


風邪をひいたエルサが、くしゃみをするたびに、魔法の力で小さな雪の精のような雪ダルマが次々に生まれ、いたずら好きの子どものように遊び回り、盛大な誕生日のパーティーの準備があわや台無しに…。という展開がおかしく、何度も噴き出しそうになった。
また、エルサのくしゃみから雪の精が生まれるところには、古事記の神話でイザナギが禊ぎで目や鼻を洗い、また杖や腕輪を投げ捨てて神々が成ったことを思い出してしまった。

もちろん、本編の映画『シンデレラ』も面白かったが、『サプライズ』も楽しくかわいい作品だったので、ぜひおすすめである。

でーれーガールズ

2015-02-20 23:51:38 | 映画
以前、原田マハの原作小説を読んだことがあったので、どのように映画化されるのか、とても気になっていた。
現在、岡山で先行上映中の『でーれーガールズ』を観に行ったので、簡単に紹介。

さわりだけあらすじ
中学卒業後、東京から岡山に引っ越して来て、地元の名門・白鷺女子高校に入学することになった佐々岡鮎子(優希美青)。
大半の生徒は附属中学から上がってくる中で、鮎子は学校の雰囲気にも岡山弁にもなじむことができないでいた。
しかし、クラスメイトにからかわれていた鮎子を、同じクラスの秋本武美(足立梨花)が助けてくれたのをきっかけに、二人は親しくつきあうようになる。
鮎子はマンガを描くのが大好きで、現在は初の長編『あゆとヒデホの物語』にかかりきりである。
ヒデホは、神戸大学の学生で長身ハンサム、しかもイカすロックンローラー。取り巻きの女性も多く、モテモテなのに、あゆだけを好きでいてくれる。
鮎子は自分の心の中に存在する理想の男性と、自分の分身との恋物語を描いていたのだが、ある日、そのマンガを描いたノートが武美に見つかってしまう。
武美は『あゆとヒデホの物語』が実話だと信じ込むばかりか、ヒデホに夢中になってしまい、鮎子にいつか彼に会わせてくれるよう頼み込む。
…実は武美には人に言えない秘密があった。
生まれつき心臓が弱い彼女は、医者からこのままだと30歳までしか生きられないと言われており、広島の病院で心臓手術を受けるべきだと勧められていた。しかし武美は、成功するという保証もない手術を受けることが恐く、また、素敵な男子とつきあう経験もないままに死ぬこともつらく思っていた。そんな武美にとって、鮎子のマンガに描かれたヒデホは、実際に会ってみたいと熱望させるに十分な、生きる支えのような存在になっていった。
しかし、ヒデホに夢中になるあまり、腕にカッターナイフで“HIDEHO”と彫り込んだ武美に、鮎子が心の中で隔てを置き始め、また、鮎子に(武美には内緒で)現実のボーイフレンドができたことから、二人の関係が微妙にすれ違い始める。
さらに、クリスマス前のこと。鮎子が授業中も熱心に手袋を編むのを見て、武美はヒデホへのプレゼントだと思い、〈あゆとヒデホの恋の応援団〉を自認する自分も二人にプレゼントしようと思い、ペアのマフラーを編んで準備する。
ところが、クリスマスイブの日。
学校帰りに鮎子が喫茶店「ドンキホーテ」でボーイフレンドと待ち合わせし、手袋を渡しているところを、鮎子にヒデホとのペアのマフラーを渡そうと後を追ってきた武美が見てしまう。武美は怒りで逆上し、鮎子にマフラーの入った袋を投げつけて走り去る。
ケンカ別れしたまま、数日後の終業式、武美が広島に転校することになったことが分かり、鮎子は仲直りの機会を失ってしまう。


30年後。
人気漫画家となった鮎子のもとに、母校・白鷺女子高校から、120周年記念式典で講演してほしいと依頼が舞い込むが…。

感想
まだ公開前なので、今回はネタバレなし。
細かい欠点や不満は挙げればキリがないが、原作を読んで、しかも地元の地理に詳しい人間なら当然感じるていのもの。
1980年代初めの時代の雰囲気がよくとらえられていたし、愛すべき岡山の魅力満載の作品だったと思う。
後楽園と旭川周辺の景色が美しく、私は学生時代その近くに下宿していたので、映画の中で懐かしい風景が繰り返し映し出されたのにじーんときてしまった。
女子校(山陽女子がモデル)が舞台だから、登場するのは当然女性ばかりなのだが、女優陣の演技もとてもよかった。
岡山県民だけでなく、ぜひ全国の方々が見て、岡山も岡山弁も好きになってほしいと思う。

ゴーン・ガール

2015-02-14 23:22:12 | 映画
昨年からずっと観に行こうと思いつつ、なかなか機会に恵まれなかったが、先日ようやく観ることができた。

さわりだけあらすじ

ニック・ダン(ベン・アフレック。写真上)が、ライターとしての仕事を失い、妻と共に故郷であるミズーリの田舎町に戻って2年。
現在は妹のマーゴと「ザ・バー」を経営している。
ある日、ニックは朝から妻の姿が見えず、3時間余りも探した挙げ句、「ザ・バー」に行き、苛つきながらバーボンを呷る。
ニックが不機嫌なのももっともで、今日は妻との5回目の結婚記念日だったのだ。
だが、ニックが家に戻ると、部屋が荒らされており、ガラステーブルが割られ、キッチンには血痕が残っている。
ニックは妻が何者かに暴行され、連れ去られたと思い、警察に通報する。


妻のエイミー(ロザムンド・パイク)は、少女時代、人気絵本『完璧なエイミー』のモデルとなった有名人。
ハーバード大を卒業後、NYでライターをしていた頃に、とあるパーティーでニックと知り合って恋に落ち、結婚した。
エイミーは美しく聡明で、ニックの好みに完全に適った女性であり、この結婚はうまくいくものと思われた。
しかし、エイミーが父親の多額の借金を肩代わりし、また、二人が共にNYでの職を失い、ニックが強引に自分の故郷のミズーリに帰ることを決めたあたりから、結婚生活は暗転し始めていた。

警察から第一発見者として犯罪の疑いをかけられる中、ニックはTVに出演し、視聴者に捜査への情報提供を呼びかける。
かつての有名人である美人妻の失踪というので、全米の注目が集まるが、その直後からニックにとって不都合な事実が次々に浮かび上がってくる。
浪費癖による借金、愛人の存在、妻への暴力や多額の保険をかけさせていたことなど、ニックによる妻殺害の容疑が固まっていき、ニックは窮地に立つことになる。
一方で、ニックの知らなかった妻・エイミーの過去やその隠された素顔も次第に明らかになっていく。

感想(ネタバレ)

数日前、放課後の教室で、生徒たちと雑談中に、この映画を観たことを話したら、
「自分も『ゴーン・ガール』観た。」
と嬉しそうに言う者がいた。
その生徒は以前、『セブン』(1995)を観て気に入っていたので、同じデヴィッド・フィンチャー監督の作品だからと観に行ったのだそうだ。
しかし、あまりの後味の悪さに引いた、と話していた。
たしかに、サイコパスで殺人を犯した(正当防衛ということになっているが)とわかっている妻と、結婚生活を続けていかなければならないというのは悪夢以外の何物でもないだろう。
しかも、妊娠を楯に取られ、失踪妻が監禁から必死に逃れて夫の元に帰ってきたニュースに全米が沸く中、離婚を口に出すことはできず、TVのインタビューに答えて「父親になります。」と言わざるを得なくなる結末には暗澹とした。

いや、もっと暗澹とするのは、この映画を通して、女性というもの、あるいは結婚の正体が、われわれ(特に男性)の思っているようなものではない、という認識を否応なく突きつけられるところかもしれない。
この映画を観る前に、ある人から、「人間不信になるよ。」と言われたのを思い出した。
観ている間は不安と緊張でハラハラしどおしだし、見終わっても心が安まることはないので、恐いのも大丈夫、という人でないとオススメできないが、間違いなく傑作であり問題作であると思う。