夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

伊勢物語を詠む(その3)

2014-07-30 23:35:15 | 短歌
今回の研修に向けて、実は事前に『伊勢物語』で三種類、詠歌の準備を進めていた。
一つは実際に提出した、第四段を歌ったもの。
二つ目は、先日(7/9)の記事で紹介した、「布引の滝」の歌。これはもともと、第八十七段に出てくる布引の滝を詠もうとして、実際に現地の景も見てきたのだが、どうしても叙景歌になってしまい、物語からは離れた感じになったので、そちらは結社の歌誌に投稿することにした。

三つ目は、私が『伊勢物語』でいちばん好きな第百七段を詠んだもの。これは、「身を知る雨」とか、「代作の恋」として知られる佳話で、このブログで二年ほど前(2012/6/20)に取り上げたことがある。詠歌の準備をしていたのが、ちょうど梅雨の時期だったので、長雨を口実に男の訪れが途絶えることを悲しむ女の立場から詠んでみた。

  逢ふことも間遠になれば長雨をかこちて過ぐすわれぞかなしき
  われを君まことに思はばかばかりの雨にさはらで通ひ来なむや
  君来ずてわが身の果てはいかならむ村雨(むらさめ)降ればまして泣かれぬ
  五月雨に水(み)かさいや増す川を見れば身さへ流れむ嘆きせらるる
  村雨の空をながめてうちわびぬ音せぬままに忘らるるかと

ところが、後から気づいたのだが、この百七段は、もともと今回の詠歌の対象となった十の章段には含まれていなかった…。
郵送前に投稿規定を確認して、そのことに気が付いたときはショックだった。
非常に残念だが、せっかく詠んだので、ここで紹介しておくことにした次第。

伊勢物語を詠む(その2)

2014-07-29 23:42:14 | 短歌
今回の研修で、他の参加者の方々の詠歌を見ながら、そうか、こんな詠み方もできたのか、とか、このような想像力の働かせ方もできるのか、と幾つも発見があった。

たとえば、『伊勢物語』の第9段「東下り」を念頭に置きつつ信濃路の旅を詠むとか、第4段の悲恋を背後に揺曳させながら自分のかつての恋を歌うとか。
また、第6段「鬼一口」の話を男女の相聞歌仕立てで詠んだ方もいた。
色々な段を取り上げながら、五首で自分なりに一つの物語世界を作った方もいた。

いちばん驚いたのは、第9段に出てくる業平の折句歌、

  唐衣着つつ慣れにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ

を踏まえ、自らも折句歌に挑戦した方が何人もおられたことだ。
たしかにこの歌は、自分も折句を試みようかという意欲をそそる歌だ。


東下りの途次、三河国・八橋で業平は、ある人から、沢辺に美しく咲いていた「かきつばた」(杜若)の五文字を句の上に据えて旅の心を詠めと言われ、この歌を詠んだ。
「唐衣を着つづけて身になじむように、慣れ親しんだ妻が都にいるので、都を離れはるばる遠くまでやって来たこの旅がつらく思われることですよ。」
といった意味だが、この歌の読みどころは、ひどく手の込んだ仕掛けにある。折句で、
  らころも
  つつなれにし
  ましあれば
  るばるきぬる
  びをしぞおもふ
と、初句から第五句までの頭に「かきつばた」の文字が詠み込まれているだけではない。
初句の「唐衣」は「着る」を導く枕詞。
「唐衣着つつなれにし」までは、「なれ」を導く序詞。
「なれ」は「慣れ」と「萎れ」(衣服が身になじむ)、「つま」は「妻」と「褄」(着物の裾)、「はるばる」は「遙々」と「張る張る」(着物を洗い張りする)、「き」は「来」と「着」の掛詞。
さらに、「唐衣」「着る」「萎る」「褄」「張る」は縁語。
というように、この歌は言語遊戯の極致というか、超絶技巧を凝らした作なのだ。
今回は、六人ほどの方が「かきつばた」の折句にチャレンジしておられた。歌においては、かような遊び心も大切であったことを改めて思い出した。

第23段「筒井筒」には、参加者の詠歌が集中した。やはり幼な恋を実らせての結婚、その後一時期疎隔を生じるが、再び夫婦仲が回復する、という筋立てには共感できる向きが多いのだろう。
ここで、ある参加者が、「筒井筒」に自分の経験を重ねて詠んだが、出来上がった歌は虚々実々になってしまった、という感想を述べたとき、先生が、
「歌というのは本当のことでありすぎてもいけないし、本当のことを詠むものでもない。歌い手はよく、〈地の声〉と〈歌う声〉は違うと言う。」
と、表現虚構意識について言及されたのが印象に残った。
また、先生は、
「作品はただそこにあるもの、〈存在〉であって、感動できればよい。読む側は、作者がどう意図して作ったかなどはふつう考えないし、そもそも関係ない。」
ということも言われたが、これも非常に重要な指摘だと受けとめた。

この日得たものは他にもたくさんあったが、くだくだしくなるので、紹介はここまでにする。今回の研修は、現代短歌と古典とをどう関わらせるか、事実や体験と表現、虚構の問題、実作と批評など、多くのことを考えさせられる機会となった。

伊勢物語を詠む (その1)

2014-07-27 23:55:25 | 短歌

今日は私の所属する短歌結社で研修会があり、参加してきた。
今回の研修のテーマは、
「『伊勢物語』を読み、その内容にちなんだ歌を詠む」
というもの。事前に『伊勢物語』全125段の中から第4段、第6段、第9段など10の章段が指定されており、そのうちのどれか一つ、あるいは複数の段を選んで短歌5首を詠み、投稿することになっていた。

現代短歌で古典作品にちなんだ歌をどう詠むのか、全く見当がつかないまま、とりあえずひねり出した歌を郵送しておいたが、正直、不安なまま今日の研修会に臨んだ。

初めに、まず先生から『伊勢物語』と〈歌物語り〉についての解説があった。
『伊勢物語』は歌物語の最初の作品といわれるが、それよりはるか以前から歌を伴う物語、ある歌の詠まれた事情を物語ることは存在し、その〈歌物語り〉の痕跡が『万葉集』や『古事記』には窺われる。
また、『伊勢物語』の〈みやび〉(風流)の精神の源流は、中国唐代の文人達の文学観・人生観に求められる。
といったお話であった。

その後は、参加者の詠歌の紹介。全員の詠歌が予め段ごとに分類整理されており、まずそれぞれの段がどのような内容か、説明があった後で、進行役が各人の歌を詠み上げ、先生が添削(一人につき一首のみ)、さらに進行役が詠者に感想を求める、といった流れで、ゆっくり進んでいった。



私は、『伊勢物語』第4段で詠んだので、読み上げられる順番が最初の方になった。
この第4段は、愛する女性を失った男の心惑いを描いた話である。
男には深く愛していた女がいたが、旧暦の正月(むつき)十日頃、女は行方をくらましてしまった。
その後、男は、女の居場所は知っていても(帝のもとに入内したとされる)、通っていくこともできないで、つらいと思いながら暮らしていた。
翌年の正月、梅の花盛りの頃、男はかつて女の住んでいた家に行き、昨年とのあまりの境遇の変化を嘆きつつ夜を明かし、一首の歌を詠む。

  月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして

『伊勢物語』でも代表的な章段であり、「月やあらぬ」の歌も名歌としてよく知られている。
なまじ小細工を弄するよりは、自分の感じたままを詠もうと思い、男の気持ちに寄り添って、自分のただ思いつく言葉を使って詠んだ。

  かたはらに君なきを思へばいにしへに見しごともあらぬ春の夜の月
  ともに見し梅の色香は変はらぬを契り絶えにしことぞかなしき
  ありし日を恋ひて来つれど一人のみ見るもかひなし梅の盛りに
  この世にはむなしきものとなしはてし縁(えにし)も知らで梅は咲きけり
  面影を心にこめて来し宿は立ち居につけて昔しのばる

どうしても、現代の言葉や感覚を取り込むことができず、現代の短歌とはいえない歌になってしまった…。
先生からは、二首目の歌がよいと言われ、

  ともに見しこの梅の花は変はらねどたより絶えにし人ぞかなしき

というように添削していただいた。

この研修会の話題は、後日もう一度取り上げる。

母校で学会

2014-07-26 23:51:04 | 日記

今日は、母校の国語国文教室主催の学会があり、私は昨年から編集委員になっているので、役員会から参加した。
大学に入るのは数ヶ月ぶり。中央図書館が、5月に耐震補修工事を終えたばかりで、とてもきれいになっていた。
恩師をはじめ先生方にご挨拶するとともに、在学していた頃の後輩たちと久しぶりに会い話をする。

研究発表は後半のみ聴かせていただいたが、ゼミの後輩がこれまでの研究の蓄積を窺わせる立派な発表をしており、今後のいっそうの活躍が期待された。
この日の発表は、留学生によるものが多く、母国語でない言語を用いて語学・文学研究に従事する困難さを克服する情熱を感じ、大いに刺激を受けた。

ごく内輪の学会ではあるが、やはり研究はいいなあとしみじみ思った。私も来年は学会発表できるよう、今の調査・研究を地道に進め、まずはこの夏休みの間に論文を一本仕上げることにする。

月次の会・七月

2014-07-25 23:23:35 | 短歌
先月に続き、地域の短歌会の月例会に出席。今回も先生の他に12名が参加。
先生の『百人一首』講読は、小式部内侍(こしきぶのないし)の、

  大江山いくのの道の遠ければまだふみも見ずあまの橋立

の歌について。

先生は、非常に手のこんだ歌で、十四、五歳(と推定されている)の少女がとっさに詠んだ歌とは思えないほどすばらしい、と称賛しておられた。
また、『百人一首』の中でも最も親しまれている歌の一つであり、小式部内侍がこの歌を詠んだ経緯が説話化され、美化・誇張されていくことについてもお話があった。そういえば昨年、古文の授業で『十訓抄』所収の「大江山」の話を教えたことがあったな。

先生は、小式部内侍は、美貌と才能を兼ね備えた相当すごい女性で感心するしかない、古代の宮廷は一握りの人たちだけのサロンだったが、その中で激しく競い合うから、こうした才女が次々に現れたのだろう、という内容のことを言っておられた。

その後は、例によって一人ずつ、出席者の詠草の披露、参加者による合評、先生の添削。
今回の私の歌は、先週末、夕立ちで激しい雷雨になったときのことを詠んだもの。
(提出歌)
  梅雨明けはまだも来ぬかと雷雲の下にうごめく積雲の群れ
(添削後)
  梅雨明けはいまだ来ぬかと雷雲の下にうごめく雲を見てゐる

参加者の方からは、「『梅雨明けはまだも来ぬか』と思っているのは、ちかさださんのはずなのに、雲を見ている『我』という表現がないのは、違和感を覚える」という内容のことを指摘された。
これは、私が古典和歌の発想と表現にあまりに慣れすぎているため、しばしばやらかすことである。
この歌を詠んだときは、雷を鳴らす真っ黒な雨雲の下に、夏の積乱雲の卵のような雲たちがたくさんうごめいていて、それがまるで、梅雨空を早く引き退かせ、自分たちが夏空を支配する機を窺っているような、不穏な光景に見えたのだ。しかし、その景色を言葉に写し取れば能事足れりと思っていたのは、自分の浅はかさであった。
やはり現代短歌は「我」の文学なのであり、〈今ここにある自分〉を閑却して詠んでもうまくいかないことを痛感した。

(提出歌)
  層雲に茜の光映りたり夕立ち過ぐるなごりの空に
(添削後)
  層雲に茜のなごり映りをり夕立ち過ぐるたそがれの空

参加者の方からは、景色としては浮かぶのだが、「夕立ち」の「なごりの空」というのがちょっとわかりづらいということを言われた。
夕立ちがおさまった後も、大気の状態がまだ不安定で、その余韻をとどめている空と雲の様子をこう表現したのですが…とは説明したが、確かに、夕立ちの後に空に残るもの、といわれてもイメージするのは難しかったかもしれない。
先生が添削してくださったように、夕立ちの後の空は晴れて、日没後もしばらくは、空に層状に広がった雲に夕日の赤の名残が映っている、とした方が、表現としてはずっとよい。

【感想】
先生は、二首目の歌に丸をつけ、「『たそがれの空』で(体言止めとして)終わると、新古今風だがな。(笑)。」と言って、にっこりしておられた。
いつもながら、先生の添削の冴えはすごいと思った。
また、この会の参加者の方々は、合評のときにどんどん自分の意見や感想、批評を表明される。私も気づかないような用字の誤りや表現上の矛盾なども、次々に指摘される。とはいえ、ギスギスした雰囲気にはならず、冗談や笑いも交えながら、素敵な緊張感のある歌会だった。