夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

山陰の冬

2015-11-30 23:50:33 | 日記

今日の米子地方は曇り時々晴、降水確率10%と天気予報で言っていたので、すっかり安心して、朝は洗濯物をベランダに干してから出勤した。
昼過ぎまではほぼそんな感じの空模様だったのだが、夕方頃になって鉛色の雲が垂れ込め、雨が降ってきた。
(何なんだよ~~!!)
と心の中で叫びながら、週一度の寮務会議に向かう。

会議が始まる前、同僚の先生方に、
「天気予報が当てにならない。うかつに洗濯物も干せない。」
とこぼしていたら、
「こっちでは、天気予報に出てなくても、小雨が降ってくるくらいのことはよくある。」
と言われた。

そういえば、こちらに越して来たばかりの頃、町中、やけにコインランドリーの店があるなあと思っていたのだが、やはり、冬場は洗濯物が乾きにくい気候のせいもあるのかもしれない。
去年の今頃、今の勤務校に用事で訪れた際、岡山を出たときは晴れだったのに、米子はどんよりとした曇り空で時折雪まじりの冷たい風が吹いていた。事務の方から、
「山陰の冬はずっとこんな感じですよ。」
と言われたことを思い出した。

米子は中海、大山、弓ヶ浜、日本海と美しい自然に恵まれた土地ではあるが、長く暗い山陰の冬はここも例外ではない。
私は以前から冬の山陰が好きで、近年は毎冬、山陰を旅していたが、旅行と生活とは別物と知りつつ、ここでの冬の情趣をじっくり味わうことを楽しみにしている。

モネ展

2015-11-29 22:44:52 | 日記
先日、上野の東京都美術館に「モネ展――「印象、日の出」から「睡蓮」まで」を観に行った。
印象派のコレクションで知られるマルモッタン・モネ美術館所蔵の約90点の作品によって、モネの生涯をたどりながら、彼の世界に迫るという展覧会である。


この展覧会は「家族の肖像」から「最晩年の作品」まで、8つのパートに分かれていたが、特に印象に残った作品は、「霧のヴェトゥイユ」という1879年の作品。
ヴェトゥイユはパリ北西60㎞ほどにある町で、画面には12世紀の教会を中心に、セーヌ川の対岸から霧に包まれたヴェトゥイユの町が描かれていた。曖昧で朦朧とした印象であり、街並みが輪郭を失い、霧の中に溶けていきそうな錯覚を覚える。
風景を写実的に、細密に描き出すことは必ずしも必要ではなく、対象から浮かんだイメージを曖昧なままに表現するやり方もある。これは短歌にも通じるものがあり、景色が必ずしも読者の心内で鮮明な像を結ばなくてもよいのではないかと思った。

「鉄道橋、アルジャントゥイユ」(1874年)は、鉄道橋と川、周囲の緑、青空と白雲が描かれただけの小さな絵(14×23㎝)なのに、不思議に心が惹きつけられる。

「クルーズ川の渓谷、夕暮れの効果」(1889年)。モネは、フランス中西部のクルーズ川の渓谷の、時間帯で様々に変化する光の効果を何枚も制作しているそうだが、この作品は、日没の頃の、谷の山肌と川の青に夕陽の赤が刻々と変化していく印象を確かに捉えていた。
モネの作品には、タイトルに「効果」という言葉がよく出てくる。対象を画布上に正確に再現するのではなく、光の効果や、自分の心に対象がどう映ったかという印象、イメージを表現しているように感じた。


モネが睡蓮を愛し、ジヴェルニーの自邸に睡蓮の池を造り、絵のモチーフとして長年繰り返し描いたことはよく知られている。
モネ美術館には、世界で最も多くのモネの「睡蓮」が所蔵されているそうだが、年代の異なるそれらの作品を見ていると、一人の画家でも作風は次々に変わり続けることがよく分かる。
あくなき美の探求、表現の追求がそうさせるのだろうが、短歌においても、優れた歌人は多様な詠み方を常に自らに課し、歌風が変遷することを思い出した。

最晩年のモネは白内障が悪化し、一見荒々しく、何を描いているのかわからないような作品が多くなる。しかし、
「目を細めて見ると――。」
と、私の背後で鑑賞していた二人連れが話しているのが聞こえたので、試してみた。
確かに、目を細めて見ると、モネが視力の低下した眼で描こうとしたものがおぼろげに浮かんでくるように思われた。

この展覧会では、モネの家族思いの人柄や、浮世絵にも関心が高く美術品のコレクターとしても一流であったこと、長生きしたゆえに自身の成功をその眼で見ることができた一方、愛する家族や友人の死にも遭うなど、極めて振幅の多い人生を送ったことも伝わった。
何よりも、美の表現者として一生衰えることのない絵画への情熱を燃やしたモネの生き方に圧倒され、この展覧会を見ることのできた幸運を思った。

君ありて

2015-11-28 21:17:35 | 短歌
先日、岡山市の吉備路文学館に行ったとき、「15人の文豪による泣菫宛書簡展」という企画展の中に柳原白蓮の歌があった。
倉敷市出身の詩人・薄田泣菫は、大阪毎日新聞社に入社後、学芸部長に進み、芥川龍之介、菊池寛、志賀直哉、谷崎潤一郎、武者小路実篤らを新聞小説の執筆者として積極的に起用するなど、文学界の発展にも貢献した。(同展解説による)


この企画展では、倉敷市が所蔵する泣菫宛の文学者達の書簡が展示・紹介されていたが、芥川龍之介・有島武郎・菊池寛・北原白秋など、錚々たる顔ぶれに驚く。今回初公開の資料もあり、どれも興味深かったのだが、私がいちばん印象に残ったのは、白蓮の短歌だった。

大正9年4月10日の日付を持つ短歌の詠草31首で、筑紫時代の白蓮が、伊藤子の名で大阪毎日新聞に投稿したものである。

  侍女が死にて百日過ぎぬかくてなほあるがごとくもふと文を書く
  筑紫には京(みやこ)育ちの侍女も逝きていよよ淋しき春は又来ぬ
  白雲のただよふ見れば鳥辺野の煙りの末と亡き人おもふ

など、侍女をなくした悲しみを詠む歌に始まり、全体的にしめやかな情調の叙情歌が多い。
その中でも、

  今日もまた夢の続きを見る如くはかなきことをして暮らすなり
  思はれて思ひを知りぬ君ありてこの淋しさも慣らひそめたり
  大方の世の嘆きにも馴れ馴れて今より後は何に泣くらん

の三首、特に二首目の歌が心に残った。この日は、晩秋の時雨が冷たく身にしみるように降っていたので、いっそう。


春画展

2015-11-26 23:31:42 | 日記
会場の永青文庫が分かりにくい場所にあったので、地下鉄有楽町線・江戸川橋駅を出てから、迷い迷い行った。
ようやくたどり着くと、すでに入場を待つ長蛇の列が。
話には聞いていたが、ものすごい人気で、改めてこの展覧会への関心の高さを感じた。
観に来るのは私のような中高年男性ばかりかと思っていたが、実際には二、三十代の女性もかなり混じっていたので驚いた。

順番を待つ間、来場者が退屈しないよう、館員さんが永青文庫について説明してくれた。
永青文庫は、細川侯爵家の事務所として昭和6年(1930年)につくられた建物が、その後博物館になったもので、肥後熊本の大大名であった細川家に伝来する歴史資料や美術品等の文化財を収めている。
中に入ると、古い建物であることを実感でき、階段や壁の装飾などが素敵であり、細川家が代々使っていた家具や調度なども置いてある。
応接室も、普段は見られないが、今回は館長の意向もあってカーテンを開けている。過去にはモナコ王妃であったグレース・ケリーも歓談した部屋なので、ぜひ見てほしい、云々。


春画を生で見るのは初めてだったが、版画よりは肉筆画の方により魅力を感じた。
繊細で艶めかしく美しい、至上のエロティシズムとはこういうことをいうのかと思う。
美人の乱れた髪、鼈甲の簪(かんざし)、透けた薄い着物を通して白い玉のような肌が見える。
指を絡め、頬から目元、額まで紅潮させた女性が、恍惚とした表情を浮かべている嬌態に、年甲斐もなく胸がドキドキしてしまった。

永青文庫を出てから、近くの蕎麦屋で酒を頼み(秋鹿・純米吟醸があった)、心の火照りを冷ましたが、いかにも眼福を得たという気持ちになった。

初冠雪

2015-11-25 23:46:06 | 日記
東京から帰って来て昨日今日と、米子では急に寒くなった上に、冷たい雨が降り、いよいよ本格的な冬に入りつつあることを実感する。
晴れの少ない山陰の冬というのは、こんな感じなのかと思いつつ、今朝も小雨がぱらつく曇り空を、やや憂鬱な気持ちで眺めていた。

雨が小止みになった昼前、授業中に何気なく教室の外を見ると、雲の間から現れた大山の山頂あたりに白いものが。
授業を中断して、学生たちに、
「あれ、雪だよね。雲じゃないよね。」
と聞いてみたら、先生今頃気づいたのとでも言いたげに、
「雪。」
と答えられた。

今年の大山は、新聞記事にもなるくらい冠雪が遅く、例年より3週間ほども遅れての雪化粧となった。
学生の話では、昨年は11月に入ってすぐにそうなっていたらしい。
先日、東京に向かう飛行機から富士山の冠雪を見たけど、大山も負けていない、向こうは高さもあるので、日本一の称号は譲るにしても、日本で二番目に美しいのは間違いなく大山だ、と言ったら、彼らが笑っていた。




  いつしかと待ちつつをれば雲間よりあらはれ出でし雪の大山
  白雲と分きぞかねつる大山は今年初めて雪いただきて