夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

戦後七十年余

2018-08-23 22:39:06 | 日記
先日、資料調査で地域の歴史館へ行った。
ここには昨年の同時期にも来ている。

米子の幕末・維新期の貴重な和歌資料を閲覧させてもらい、調査・撮影を行う。
途中で館長から挨拶を受けたが、その際に昨年と寸分違わぬ冗談を言われたため、反応に困った…。

今回は歌集等の写本だけでなく、和歌の短冊も調査することになったが、その短冊を包んでいるのが、多くは明治・昭和前期の新聞紙であったので、そちらも非常に興味深く見た。
特に昭和19年11月の毎日新聞。
この時期の日本は戦局が悪化して久しく、米・英・中などの大国を相手にしての戦争遂行能力は既に失われていた、と現在の我々は認識している。
しかし、この新聞では、日本の戦果を誇大に報告し特攻を賛美する記事、国民を根こそぎ戦争に駆り立てる論調の社説などがある中に、生活必需品の薪や木炭の値上げなど国民生活の窮乏ぶりをうかがわせる記事や、金属類の提供を求める広告などがあって、読みながら言いようのない悲しみを覚えた。


現状を正しく認識し、事実に基づいて物事を判断・思考する態度の不足、明確な目標と合理的な計画の不在、成果と呼べないものをそうと言い張る強弁など、我々が身近に経験し、あるいは自分もそれに加担していることばかりである。

敗戦後、我々が精算も克服もできないでいるものを、個人レベルでも不断に問い続けていく必要性を感じて帰って来た。

白鳳の丘

2018-08-19 19:14:35 | 日記
今年から米子市の歴史・資料関係施設の外部モニターを依頼されているので、今日はその見学で淀江に行った。

上淀廃寺(かみよどはいじ)跡も見に行った。白鳳期(飛鳥時代後期)にここに荘厳な寺院が建立されたが、平安時代中期に火災により焼失したのだという。


小高い丘から日本海と島根半島を眺めた。
後方の山からは、蝉の鳴き声が響いてくる。
立秋から十日ほど経ち、昼はまだ暑いものの、空の雲の様子、吹く風の気配には秋の訪れを感じる。

水に光れる

2018-08-02 21:02:39 | 日記
やや前のことになるが、近代短歌の授業で柳原白蓮を取り上げ、学生にも調べ発表をさせた。
毎回、出席確認のためにやらせている小テストの出題も、それに合わせて白蓮の歌から選んだ。

①怖ろしと 知りつつなほも 畏(おそ)れつつ ■■■■■■の 香りをぞ嗅ぐ
                         (柳原白蓮『幻の華』)
元の歌「毒薬の花」
学生の解答
・「果物の王」(ドリアンは、海外旅行の際、持ち出し禁止になっているところも多いそうです。)/「脱法大麻」(危険、禁止。)/「シンナー手にそ」(今時、懐かしい言葉を聞くものだ。私たちが中学生の頃、液体シンナーやセメダインをビニール袋に入れて嗅ぐ「アンパン」なる行為が、不良どもの間で流行していた。)/「トリカブトの花」(気をつけよう、根だけでなく花にも有毒成分が含まれる。)/「でっかい花」(ラフレシア?腐乱臭がするというが。)/「ブルーチーズ」(昨夜(よべ)食べしブルーチーズが胃から鼻へ香(か)の匂ひ来て目覚め最悪、お粗末。)

②昔より 持てる矜(ほこ)りを 今更(いまさら)に ■■■■■■■ ■■■■■■■
                                (『幻の華』)
元の歌「捨てむ捨てじと ためらふ我は」(→「捨てようか捨てないでいようかとためらうことよ、私は」の意)
学生の解答
・「自慢して回る 飲み会の席」(部下達が辟易しているのに、本人だけ気づかない。)/「手放せずにいる 自分が嫌に」「守ろうとする 我が嫌になる」(自分を嫌ってはいけない。自分だけは最後まで自分を見捨てず、褒め励まし、支え続けるのだ。)/「褒められたけど 何か足りない」(自分も気づいていない長所を褒めてくれないと満足できない。欲張りさん。(笑))/「我が子に告げて いばりたいのだ」(娘目線から父(あるいは母)を観察しての心のつぶやき、といった趣で面白い。)/「の一言で あっさりと捨てる」(まさかの発想で驚きました。)/「うたってみるも 誰に聞かせよう」(YouTube デビューの時が来た。)


③二つ三つ ■■■■■■■ 子とあそぶ 初夏(はつなつ)の日の 水に光れる
                              (『紫の梅』)
元の歌「金魚うかせて」 
学生の解答(括弧内は私のコメント。)
・「川に石投げ」「はねる石投げ」(下の句と響き合って、よい発想だと思います。)/「額に汗の」(確かに小さい子は、額に玉の汗を浮かべて一心に遊んでいることがよくあります。)/「ビーチバレーで」(ここは「ビーチボールで」の方がよいでしょう。)


柳原白蓮というと、初期の『踏絵』『幻の華』に多く見られる、我が身の悲哀と孤独をことさらに訴えるような、激しく情熱的な歌人というイメージが強いが、私は③のように母親の視点からささやかな日常を詠んだ歌や、晩年の、深い自己省察を経て濾過された抒情を詠んだ歌に共感を覚える。