夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

プレゼン その後

2015-11-19 23:11:09 | 教育
先日から、授業で学生たちに、近現代の歌人をグループごとに5分で紹介するプレゼンをさせているのだが、これがなかなか面白い。
たいていは、パワーポイントでスライド資料を作り発表、というやり方なのだが、中には模造紙などに手描きで資料を作ってくる班もある。



班の中で役割分担をしたり、発表原稿も作ってきていたり、短い準備期間のなかでもいろいろ工夫しているのが分かると、嬉しくなる。
先月の学会で、共にシンポジウムのパネリストをされていた方(国語教育の大家)が言われていたのだが、受け身的に情報や娯楽を与えられることに慣れてしまった若者たちに、自分が表現する側に回らせる、それも時間などの物理的制約がある中でやらせるということを、教育の場で実践することの大切さを伺った。
今の勤務校では、そうした教育実践を行うのにふさわしい環境がいろいろと整っており、かなり自由なこともやらせてもらえるので、これから学生たちと協力して、よりよい授業のありかたを模索していきたい。


ある班の発表でとても面白かったのは、
「僕たちは、タイムマシンで石川啄木さんを連れてきて、お話をうかがうことにしました。」
というもの。
啄木のお面(学生の手描き)をかぶったご本人が登場し、インタビュアーが、
「あなたは、現在のお金に換算して、総額1,600万円もの借金をしたそうですが、一体何に使ったのですか?」
とか、
「借りた金額や相手の名前も細かく記していたのに、なぜ、ちゃんと返していないのですか?」
などと、鋭く突っ込んでいたので、クラスのみんなが爆笑していた。

一つだけ違和感を覚えることがあって、今の学生は、短歌や俳句を平気で横書きにしてくる。
どこの国の詩だか分からなくなるので、これだけは縦書きにしてくれよ。
と言いつつ、私もこのブログで、和歌・短歌を横書きにしている(制約があるため)ので、大きな声で言えないのだが…。

なんのために教えるのか

2015-06-05 21:53:39 | 教育
島根大学で行われた研修、
授業デザインワークショップ~「なんのために教えるのか」
学生に伝える授業デザインを考える~
に、新任教員は参加するよう言われ、同僚のA先生・S先生とともに出張してきた。

中国地方は梅雨入りしたばかりだが、昨日は朝から好天に恵まれた。島根大学・松江キャンパスは、木々の鮮やかな緑がまぶしく、行き交う学生たちの姿が輝いて見える。


研修は午前中に自己紹介とグループワークの後で、グループ毎にプレゼンテーション。
昼休みに、立食形式で、出席者同士の意見交換会。
今回は、われわれ新任教員の他は、開催校・島根大学の先生方が多く、「しまねっこ」や、先日、鳥取駅前にオープンしたスタバの話など、鳥取・島根のご当地ネタでずいぶん盛り上がった。

午後は、前半に〈学生に伝わる授業〉について、実例と学習理論の講座。
後半は、授業計画の作り直し(個人ワーク)とその発表。
前半の、特に「スキット」と呼ばれる寸劇を取り入れた、体験型講座が有意義であった。

講師の方が研修室で、実際に学生6人(まじめ担当3・ふまじめ担当3)と共に、講義形式の授業のスキットを行い、教師がレジュメを読み上げるだけのような授業をした場合、学生はどんな態度で受講するか、またその態度の裏には、学生のどのような意識や考えがあるのかが、実演とその後の質疑応答により深く理解でき、とても興味深かった。

また、後半の、授業計画の作り直し作業を通じて、国語教育の持つ重要性を再認識した。
今の勤務校では、学生に国語への苦手意識を持っている者が多い。しかし将来、社会に出て働く若者にとっては、日本語を用いて正確に物事を考え、読み書き話し聞く力、そして自ら学び自ら考える力を身につけることが、何よりも大切なのではないだろうか。今後も、学生にそうした力が育つよう、サポートしていきたいと思った。

会場の島根大学には、前任校で私の教えた生徒が四人在学中なので、もしかしたらどこかで会うかも、とひそかに期待していたが、実際には研修で一日拘束され、構内を歩いて回るような余裕もなかった。
教え子たちよ、元気でいるか、と思いつつ、松江を後にした。

近代俳句を教える (その4)

2015-02-05 16:36:19 | 教育
近代俳句の単元を終えた後で、生徒たちに感想をノートに書かせてみたが、授業中は難しい難しいと言っていた割に、意外に評判はよかった。

「俳句の楽しさがわかりました。」
「自分も俳句のおもしろさが分かったので、今度は自分で作りたいです。」
「どの俳句も、いろいろな想像ができて、とても楽しかったです。」
「五・七・五というたったの十七文字で、自分の思いを他の人に伝えることがどんなにすごいことか実感しました。」
「たった十七文字という少ない字数の中で、作者の心情、風景、伝えたいことが折り込まれていることが分かった。」
「俳句を詠んでいると、発想が豊かになるので、機会があればまた詠んでみたいです。」

また、これも意外だったのだが、生徒たちの感想にいちばん取り上げられていた句は、加藤楸邨の、

  鰯雲人に告ぐべきことならず

であった。
「とても自分では考えられないような内容の句を詠んでおり、驚きました。」
とあったように、難解だけれども(あるいはそれゆえに)魅力的に映る作品もあるのだと、生徒の反応でわかった。

次の感想にはハナマルをつけてやった。

「僕は俳句を詠んだことがないので、その難しさはわからないが、それでも芸術性は高いものだとわかる。たった十七文字程度で風景を想像させ、心理をも思い浮かべさせる作者には驚かせられる。十七文字で全ての思いをこめ、伝えられるわけではないけれど、その伝えきることのできない思いすらも技巧として使っており、読者に余韻を与え、考える余地を生じさせていることはすごいと思った。
俳句は奥が深く、ただ風景をそのまま書いただけでは駄目なのだと気づかされた授業だった。」

なんだか、私の拙い短歌に対する率直な意見のようにも見えてしまった。
短歌・俳句を問わず、読者に想像する余地を残しておくというのは、とても大切なことだと思う。
芭蕉が、「いひおほせてなにかある」と言っていたと、大学時代に習ったのを思い出した。
負うた子に教えられる、ではないが、結局、今回の授業でも、いちばん大事なことを生徒に教わったように思った。

近代俳句を教える (その3)

2015-02-04 18:51:12 | 教育
先日の授業で取り上げたのは、加藤楸邨(しゅうそん)の、

  鰯雲(いわしぐも)人に告ぐべきことならず
  隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな

の二句。

加藤楸邨は、明治38年(1905)~平成5年(1993)、東京都生まれ。水原秋桜子に師事し、『馬酔木』に投句していたが、昭和15年、自ら俳誌『寒雷』を創刊、主宰する。
中村草田男・石田波郷らとともに、「人間探求派」と称される。句集に『寒雷』(昭和14年)・『まぼろしの鹿』(昭和42年)などがある。

  鰯雲人に告ぐべきことならず

授業の中で、生徒たちに「鰯雲」の絵をノートに書かせてみたが、たいていわかっていた。辞書にあるように、秋のよく晴れた空高く、斑点状、または列状に一面に群がり広がる雲であり、「うろこ雲」とも呼ばれる。

発問は、教師用指導書にあった問いを利用し、この「鰯雲」の光景と「人に告ぐべきことならず」という心情がどのように結びつくか、と尋ねた。

いちおう、指導書には、答えとして〈鰯雲の白く淡い微妙な陰翳や繊細さと、胸中にひそかに秘めておく思いとが照応する〉とあるが、俳句としては無理があるという見方もあるようであり、非常に難解な句であるのは間違いないだろう。

生徒の答えは、さまざまであったが、その中で、

・鰯雲の美しい光景は、誰にも教えず、自分だけで独占して眺めたい。

という解釈が数人いた。美を解する者にしては、心が狭すぎないか、とツッコミを入れたが。

・鰯という弱くて群れをなして生きる魚と、作者が自分の中にある心の弱さとを結びつけ、誰にも告げないでいようと思っている。
という解釈は、「鰯」という言葉に引きずられすぎ、もっと「鰯雲」のイメージを適切に思い浮かべ、この思いを人に告げることはできない(人に告げるべき事ではない)なあと感慨を覚えながら眺めている作者の心情を考えてみようと話した。
季語が作者の心象風景となっている例であるが、作者の心情が読者にそれと知らされないからには、表現として破綻しているのではないかと指摘する生徒もいた。

・明日は海に鰯の大群が出現するので、他の漁師には知らせまいということ。

という答えには、授業をしていたクラスで大爆笑になった。
たしかに辞書を見ると、「鰯の大漁の前兆ともいう。」と説明にあるが、そこまで即物的に考えなくても…。

  隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな

生徒たちにはまず、「隠岐の島」といえばどんなイメージがあるか、と尋ねてみた。
教師の立場としては、〈日本海の荒波に囲まれた離島で、厳しい自然風土〉、〈小野篁・後鳥羽上皇・後醍醐天皇などが流された、流罪の地〉といった答えを期待していたのだが、観光とリゾートの島としての印象が強いようで、そういう答えが多かった。中には、
・鬼退治。
という答えもあった。(鬼ヶ島と隠岐の島は違うだろう…。)
・自然豊かな島で、周りが海で大波が押し寄せてくる。
・遠い島で孤立した場所。
というのは、かなり隠岐のイメージをよくとらえている。

次の、「木の芽をかこむ怒濤かな」はどんな情景か、という問いには、生徒たちはだいぶ苦戦していた。

指導書を参考にすると、〈四方から荒波が押し寄せる厳しい自然に耐えて、この隠岐島にも再び春がめぐって来、島中で今、木の芽がいっせいに芽吹いている早春の情景〉と考えられるようだが、たった十七音でここまでの内容を表現できるのが凄い。

・春に木々に萌え出た木の芽を襲うかのような勢いで、島の周囲から怒濤が押し寄せている。
・海辺に芽吹いた木々の芽が大波にさらわれようとする様子。

といった解釈が多かったのだが、俳句では季語に作者の心情が託されていることが多いから、作者はむしろ、「木の芽」の立場に立っていると考えて、この俳句を受け止めるべきではないか。小さな木の芽が冬の厳しい寒さに耐え、今、春を迎えて、島の周囲から押し寄せる怒濤に張り合うように、懸命にその芽を出し始めている、という想像を島全体に広げた、微視的でもあり巨視的でもある句なのではないか、ということを生徒には説明した。

隠岐の海は冬場は特に荒れやすく、今でもフェリーや高速船が冬期はたびたび欠航するという。まして昔、隠岐に暮らす人々は、厳しく閉ざされた冬を過ごしていただろうから、春を待ち望む気持ちはわれわれが想像する以上に強かったに違いない。
そうしたことも考え合わせながら、この俳句を読んでほしい、と生徒に話して授業を終わりにした。

近代俳句を教える (その2)

2015-01-30 19:51:39 | 教育
今回は、中村草田男の俳句二句、

  万緑の中や吾子(あこ)の歯生え初(そ)むる
  校塔に鳩多き日や卒業す

について授業で取り上げた。

中村草田男は、明治34年(1901)~昭和58年(1983)。父が領事をしていた中国福建省厦門(アモイ)に生まれたが、3歳の時に父の郷里・松山に移る。後、松山高校、東京帝大に進学。
石田波郷・加藤楸邨らとともに、「人間探求派」と呼ばれる。句集に『長子』(昭和11年)・『火の島』(昭和14年)などがある。

  万緑の中や吾子の歯生え初むる

「万緑」は辞書を調べれば、夏の盛りの頃の、見渡す限り緑一色の深緑の様子、という意味はわかる。
また、「吾子の歯生え初むる」が、生徒の答えたように、「口を大きくあけて笑う自分の子どもの口の中に、歯が生えはじめていて、嬉しく思う気持ち」を表していることもすぐわかる。

しかし、この季語と心情がどうつながるか、というところでは、生徒がなかなか理解できずにいた。

・万緑のようにわが子の歯がたくましく生えてほしいという心情。

は、当を失しているだろうが、

・わが子の成長を、「万緑」という言葉で、大きな喜びを表している。
・あたり一面の緑色の中で、自分の子どもが笑っていて、生えはじめた歯の白い色と対比させている。

といった理解は、かなり鋭いと思った。教師用の指導書には、この句は、〈父親として、わが子の無垢な生命力、生長を発見して歓喜する心情〉を詠んだものと説明している。深緑に映える白は、赤子の純粋で汚れのないことを象徴しているだろうし、万緑と赤子とは生命力あふれるイメージが照応するだろう。
高校生の感性は鋭敏で、説明は及ばずとも、直感的に本質を捉えていることがよくある。

  校塔に鳩多き日や卒業す

「卒業」が季語で季節は春というのはすぐわかるが、「校塔に鳩多き日」がどんな光景なのか、というのは、意外にイメージが湧かないようだった。

・雨の日でたくさんの鳩が雨宿りしている。
・たくさんの鳩が、校塔にまかれているえさを食べにきている。
といった理解もあった。

ここでは、「校塔」はその学校のシンボルとなる中心的な建物(時計台など)で、「鳩多き日」も、よく晴れた卒業式の日に、春の陽光の下、たくさんの鳩が校塔にとまったり、周囲を舞ったりする明るいイメージこそふさわしいのではないか、ということを説明した。

この俳句に作者のどのような心情が表現されているかについては、「別れの悲しさ」を挙げる者が数人いたが、鳩が平和のシンボルであり、上記のようにこの句に明るいイメージが浮かぶことからは受け入れにくいと話した。

・卒業を鳩たちからも祝ってもらっているような気持ち。
・たくさんの卒業生と共に旅立つことに未来への期待をふくらませている。

といった理解は鋭いが、自分が卒業しようとする時に、「校塔に鳩多き日や」という感慨を抱くことはやや考えにくく、教師用指導書にあるように、〈作者が卒業生とその前途を祝福する気持ち〉と生徒には説明した。

ちなみに、「卒業を鳩たちからも祝ってもらって~」というところで、一昨年の本校の卒業式のときに、鳩が式場の体育館で我が物顔に振る舞って困った話をしたら、生徒たちが大笑いしていた。