夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

冬の花だより

2014-01-31 23:35:19 | 日記
今日は旧暦では元日。
日中はよく晴れて春を思わせる暖かさ。上着なしでも外を歩けるほどだった。
岡山市の最高気温は14.1度。
この暖かさに誘われて、半田山植物園に冬の花を見に行ってきた。

門を入るなり、たくさんの鳥の鳴き声が。
ふだんは野外で厳しい寒さに耐えている鳥たちも、きっと春は待ち遠しいにちがいない。

園内を歩いていくと、春風めいた暖かな風が吹き、よい香りが漂ってくる。
香りの主は、と思っていると、スイセンの花がたくさん咲いていた。


半田山植物園は、四季を通じて花々が楽しめるようになっており、この他にもビオラ、ストックなども花壇に植えてあった。


ロウバイは、その黄色で薄い花が蝋細工を思わせるから名づけられたのだそうだ。
今日は、雲一つない青空がきれいだった。


園内にはサザンカ園があり、そこに咲いていたカンツバキはとても可憐に見えた。
動かず物言わぬ花たちではあるけれど、それぞれに今を懸命に生きていることを感じ、いじらしくなる。

永遠の0(ゼロ) その2

2014-01-30 23:41:47 | 映画
内容紹介の続き
井崎が語る、決して臆病者ではなかったという宮部久蔵の姿は…。


昭和16年12月8日、真珠湾攻撃の後、戦勝にも宮部は浮かぬ顔で、米海軍の空母が一隻もいなかったことを気に掛けていた。
「敵空母を叩けなければ、この戦いは意味がなかったと思います。また、未帰艦機が29機も出ました。」
翌年6月、敵空母を叩けなかったツケが、ミッドウェー海戦で、恐ろしいかたちで払わされることになる。
宮部はその年、いったん内地に戻った後、今度はラバウルへ派遣され、小隊長となる。
その頃、井崎に宮部が語ったのは、
「私にとって、生きて帰るということは何よりも大切なことなんです。私一人が死んでも、戦局にたいした影響はありません。しかし、私が死ねば、妻と娘の一生は大きく変わってしまう。」


宮部は、内地に帰った際、横浜のわが家に帰り、娘の清子に初めて会っていた。
そして翌朝、別れる際、妻の松乃(=井上真央)に、
「たとえ手がなくなっても、戻って来ます。たとえ脚がなくなっても。たとえ死んでも、生まれ変わって、あなたと清子のもとに帰って来ます。」
と約束していた。
井崎は当時を振り返り、
「あの時代、あのような生き方を貫けた小隊長は、強い人でした。」
と語る。


しかしその後、ガダルカナル攻撃やマリアナ沖海戦など、生き残ることさえ難しい、困難な戦いが続く。宮部は、フィリピンでは特攻を拒否したが、昭和20年、海軍航空隊の予備教官となり、学徒出陣の若者たちを特攻兵として死地に送り出さなければならない立場になって、次第に精神的に追い詰められていく…。

感想
家族のために必ず生きて戻る、そう決意していた宮部がなぜ特攻を志願し、帰らぬ人になったのか。
宮部がその頃、自分と同様に特攻の直掩機に搭乗するようになった景浦に語ったのは、
「あれが特攻です。今日逝ったのも、私の教え子たちです。彼らがあの状況で、何ができると思いますか。敵の戦闘機の性能は、ゼロ戦を上回っている。私は彼らを死なせることで生き延びているんだ。私はどうすればいい!?」


宮部は特攻出撃の朝、教え子の大石に、自分が搭乗する五二型零戦を、君の二一型と交換してくれと言う。
出撃して間もなく、大石の乗った機はエンジントラブルを起こし、不時着。宮部はそのまま亡くなったが、大石は命拾いをする。…実は、宮部は搭乗前に機体に不具合があるのに気づいていたのだった。不時着の後で、大石は操縦席に、宮部が妻子の写真に添えて、「内地に帰って、彼らがもし路頭に迷っているようなら、あなたが助けてやってほしい。」
と書いていたのを見つける。


実はこの、宮部に搭乗機を譲られた大石こそ、冒頭に出てきた佐伯健太郎の祖父・大石賢一郎なのだが、詳しくは映画か原作小説かで確かめていただきたい。
この映画に関して、「戦争の賛美」とか「特攻を美談にしている」といった批判もあると聞く。
だが少なくとも私には、そのようには思えなかった。
先の大戦で命を落とした大勢の方々の犠牲に支えられて、現在の私たちの生はある。


映画の最後に、現在は老人となった大石賢一郎が清子に、
「あの人は、自分の死を恐れていたのではない。松乃やおまえの人生が壊れることを恐れていたのだ。生き残った者がなすべきことは、亡くなった人の死をむだにしないことだ。」
ということを語っていたのが印象に残った。
特攻の悲惨さや、当時の軍隊の、戦略不在なまま戦闘を継続することだけが自己目的化した組織としての欠陥も、宮部の生き方を描くことを通してリアルに伝わってきた。決して特攻や戦争を肯定するような映画ではなかったと思う。

永遠の0(ゼロ) その1

2014-01-29 23:50:07 | 映画
先日、職場の先生からぜひおすすめだと聞いて観に行った。
「特に女性のほうが、この映画を観てよかったという人が多いと思いますよ。」
ということだったが…。

内容の紹介

2004年、東京。
佐伯健太郎(=三浦春馬)は、司法試験に4年連続で失敗中で、自分の進路に不安と迷いを感じている。
そんなある日、祖母・大石松乃が亡くなる。
健太郎は、葬儀の後で、祖父の賢一郎と自分に直接の血のつながりはなく、祖母の最初の夫は特攻で亡くなったのだということを初めて知り、衝撃を受ける。姉から、
「血のつながった本当の祖父のことを知りたくない?」
と言われ、健太郎は始めは嫌々ながらに調べ始める。


宮部久蔵(=岡田准一)。
昭和9年海軍入隊。
結婚生活わずか4年、しかもそのほとんどは戦地で過ごし、26歳で亡くなったのだという。

インターネットを利用して、かつての戦友という人に次々に会い、話を聞く健太郎。
しかし、彼らの語る宮部の評判はさんざんなものであった。
「ヤツは海軍一の臆病者だった。命が惜しくて惜しくてたまらないヤツだよ。」
「勝つより命を守ることを第一に考える男だった。(戦闘機による)乱戦でもヤツは任務を遂行していなかった。」
「帝国海軍の恥さらしと言われていた。実戦では逃げ回ってばかりいて、護衛の任務を怠っていた。」
など、芳しくない話ばかり。


一方で、違う見方をする者もいた。
「考えてもみろ、宮部が臆病者なら、なぜ特攻に行った?」
また、小隊長(宮部)のおかげで自分は戦争を生き延びることができたと感謝する井崎という老人は、
「小隊長が臆病者と言われていたのは、仕方のないことだった。スゴ腕中のスゴ腕で、小隊長とゼロ戦との組み合わせは無敵だった。しかし、空襲が始まるとすぐ高い所に逃げてしまい、乱戦を嫌った…。」
と、「臆病者」宮部久蔵の真相について話し始める。

過去からの贈り物

2014-01-27 23:32:39 | 日記
昨日、大学院時代の恩師からメールがあって、昨年投稿した論文の第二稿を近日中に郵送するから校正をよろしくとのことであった。
この論文で、過去五年ほど取り組んでいたテーマについては一応の区切りをつけることができたので、今週からまた別のテーマに新しく取りかかろうとしている。

恥ずかしながら、そちらは、大学院時代にすでに手がけていながら、その後、学位論文の執筆を優先するため中断したまま、十年余り放置されるに任せていた。

今朝、その頃の草稿やメモがあったはずだと探していたら、クリアファイルに週刊誌程度の厚さ(『週刊新潮』くらい)のものが挟んであった。
当時の私は、論文の下書きをしたり構想を書き出すのに、なぜかノートを使うことを嫌い、プリントやテストの裏紙(B4サイズわら半紙)を利用していた。
今は赤茶けた紙に、ボールペンでびっしり文字や表が書かれていて、この頃の自分は怠け者として黒歴史だったはずなのに、なんだか見直してやりたい気持ちになった。

この下書きをもとに、一部分は原稿を書いて当時の大学院の演習で発表しており、今読んでもなかなか充実した内容で、この続きを書かないでいたことが悔やまれる。
でも、過ぎたことを後悔しても仕方がないから、今から少しずつ書き足していくことにする。

本当はわかっている。
書かなかったのではなく、書けなかったのだと。続きを書こうとしても、きっと当時の自分の手には余ったと思う。
放置されていたのも、きっと今の自分に手渡され、完成に向けて再び進み始めるためであったに違いない。
当時の気負った文体や、恩師からの影響が露わにすぎる点は修訂しなければなるまいが…。
かつての自分ががんばっていた証しに、必ず世に出してやろうと思う。

日本酒紀行(17)陸奥八仙 黒牛

2014-01-26 23:19:58 | 日記
今回の店長セレクトのお酒は、この二本。


陸奥八仙 銀ラベル 吟醸あらばしり 生原酒
八戸酒造(青森・八戸市)のお酒。

 原料米 麹米/華吹雪 掛米/まっしぐら
 精米歩合 麹米55%・掛米60%
 使用酵母 まほろば 吟
 日本酒度 -1
 酸度 1.6
 アルコール度数 18度

あらばしりだが、意外に甘くやわらかい味。
さわやかな風味だが、はじけるような感じは少ない。
舌触りがなめらかで、香り高いお酒。
アルコール度数が高いので、やはり飲み応えはハードだ。

純米しぼりたて 黒牛(くろうし) 生酒・原酒
名手(なて)酒造(和歌山・海南市)のお酒。

 原料米 山田錦・五百万石など
 精米歩合 麹米・酒母50%/掛米60%
 使用酵母 協会9号系
 日本酒度 +3
 酸度 1.8
 アミノ酸度 1.3
 アルコール度 18-19度

しぼりたてだが、しっとりと落ち着いた感じもある。
澄んだきれいな味で、おだやかな酔い心地だ。
私としては、こちらの方が気に入った。開栓したばかりのお酒を飲ませていただいたのはありがたい。

今の季節は、各地の酒蔵でちょうど造りや仕込みが行われている時期。
一年で最も寒い時期に、杜氏や蔵人たちが厳しい労働に耐え、心血を注いで作るからこそ、真に美味しいお酒が生まれることを思う。