夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

和田秀樹『テレビに破壊される脳』

2012-07-31 16:16:12 | 
前著『テレビの大罪』(新潮新書)を読んで、教えられること、共感することが多かったので、この本も手に取ってみた。

特に印象に残った項目について、簡単に紹介してみる。

知識人のためのチャンネルがない(第2章)
日本で放映されている番組のほとんどは、どれも決まりきっている。知的関心の高い層に向けた専門のテレビ局がない。たとえば、ニュース番組が朝、昼、夕方、夜の特定の時間帯に固まっているために、それ以外の時間で、政治についての最新ニュースについて知りたいと思っても、該当する番組がない。
欧米や中国、また他の国でも、ニュースや討論番組、歴史、科学、美術など、さまざまな知識欲に応えてくれる専門チャンネルがあり、観たいときにいつでも番組を楽しめる。このような違いが、国民の知的レベルにもたらす影響を憂慮すべきだ。

子どもの学力低下を促す「バカ礼賛」(第2章)
特番を含め、クイズ番組を目にしない日はない。それ自体が悪いわけではないが、考えたり分析したりする「知力」でなく、いかに物知りかという記憶力だけが評価の物差しになっている。雑学やうんちくをひけらかす一流大学出身の芸能人やアナウンサーがもてはやされる一方で、B級アイドルや芸人が、わざとトンチンカンな答えをしたり、「おバカ」度を競うような風潮は問題だ。

認知的成熟度が退行する怖さ(第3章)
人間の認知は成熟してくるにつれて、物事には白か黒かだけでなく、中間に位置するグレーが存在し、それにも様々段階があることが理解できるようになる。本来一般的な大人は、教育を受け、社会的な経験も積んで、思考様式も発達・成熟しているのが当然である。大人同士であれば、お互いにグレーの存在を認め合って、軋轢や衝突もうまく回避したり、多少の違いには目をつぶって協力し合ったりができる。
しかし、テレビは単純に白黒で分ける傾向が顕著なので、幼い頃からテレビ漬けになると、認知的成熟度が発達しないまま成長するリスクが高まる。大人でも、長時間テレビばかり見ているうちに、認知度が退行し単純化して、善悪二元論の思考パターンしかできなくなる恐れがある。


私自身はテレビをたまにしか見ないが、和田さんが指摘されるような問題があることはよくわかる。

就職してから、長時間労働に加えて、家に帰ってからも仕事のための勉強、自分の勉強、趣味の時間をとりたいので、テレビは自然と見ないようになった。その後故障しても直さないまま地デジ化が進行し、テレビを見るとしたら、外食や散髪の時に店でつけている番組を見る程度だ。しかし、ニュース・スポーツ、本格的な音楽番組、教養系の番組の他は、見るに値しないものが多いように感じる。

特にバラエティは、「ひな壇」形式のクイズ・トーク番組ばかりで、芸人やタレントの笑えない話がだらだら続く。ちゃんと聞こえているし、面白くもないのに、彼らの会話の一部がテロップででかでかと表示される。ニュースやスポーツ中継でも、音声だけでなく、文字による説明が過剰に画面に表示される。今のテレビ番組の制作者たちは、視聴者の識字レベルをどのくらいと想定しているのだろう。

もちろん、私が見ない時間帯・局で、多数の良心的な番組が作られているだろうことも承知している。賢い、「選択的な視聴者」になればいいではないか、とも言われそうだ。しかし、テレビがあることで見なくてもいい番組まで見てしまう損失と、テレビがないために見ておくべき番組を知らず見ることもない損失とを比べたら、後者の方が軽微だと私は思うのだ。(ただ、数年前に漫画『あんどーなつ』がドラマ化されたときだけは、毎週見た。何度かは、勤務先のテレビで見させてもらった)。

自分自身は、中学・高校の頃にテレビでアニメ・歌謡・ドラマばかり見ていた癖に、偉そうなことを言うけれども、今の生徒たちには、あまりテレビ番組を見てほしくない。映像や放送の技術は大幅に進歩したが、内容も進歩しているとはお世辞にも言えない。私たちが見ていたころより、テレビでやるのはいずれも陳腐で低俗なものが増えているように感じる。特にアニメは、映画であれだけ質が高く良心的な作品が出ているのに、昔と比べて、テレビと映画のアニメの質がかけはなれ過ぎているように思う。


本の内容は、前著の方が充実していた感はあるが、現代日本の重要な問題点を指摘してくれていることは変わらない。とりわけ、子どもと深く関わる、親や教師たちが、一人でも多くこの本を読んでいただきたいと思う。


「ブラック・ブレッド」

2012-07-30 21:50:25 | 映画
スペイン映画を見るのは久しぶり。『パンズ・ラビリンス』(2006)のような、ダークで重厚な世界観を期待して見に行った。

内戦後の1940年代のスペインが、この映画の舞台らしい。

主に、内戦によって運命を狂わされた一家と、その一族についての話だったように思う。

映画の冒頭、山中で、荷物を運ぶ馬車が何者かに襲われ、崖から突き落とされる。

崖下で、主人公の少年(アンドレウ、11歳。写真左)が最初の発見者となるが、殺されたのは幼なじみで同級生のクレットと、その父のディオニスだった。アンドレウは、息絶える前のクレットが「ピトルリウア」(洞穴に住む怪物の名)と言うのを聞き、彼らの死に不審を抱く。そして、純粋な好奇心のままに、その真相を知ろうと行動するアンドレウは、しだいに、嘘で塗り固められた大人達の悪と、忌まわしい過去を暴いていくことになってしまう。それは、アンドレウがずっと尊敬し愛していた父・ファリオル(写真右)にも及び…。

父は、家業を継いで農夫になるのが嫌で夜学に行き、革命派の教師の影響で左翼政党に入り、内戦後は弾圧される側になった。ディオニスとつるんで労働組合や裏の仕事をしていたが、貧しい生活は妻が紡績工場で必死に働いて支えており、聡明な息子が医者を志しているのに、自分のせいでその夢を叶えてやれる見込みがないことに苦しんでもいた。

冒頭の殺人も、父が農場主のマヌベンス家に金で買われてしたことだった。マヌベンス夫人の弟が亡くなった後、夫人がディオニスに書類を盗ませ、財産を横取りしようとした。しかし、ディオニスが夫人を脅して金を手に入れようとしたため、夫人が父を雇って殺させたのだ。

全てを知ったアンドレウは、しかし、マヌベンス家の養子となり、名門校で学んで医者となる道を選ぶ。映画の最後、学校にやって来た母親に冷たい態度をとり続けるが、母親は意外なことを告げる。「お父さんは夫人に、沈黙を守る代わりに息子を頼むと手紙に書いていた。今のお前があるのは、お父さんのおかげだ。…お母さんは、お父さんを許すことにしたわ」。

また、刑務所で死刑を前にして、父が面会に来た妻と息子に会うシーンも印象的だった。父は息子に、「内戦でみな傷ついた。戦争で一番恐ろしいのは、理想を忘れてからっぽになることだ。…人間にとって一番大事なものは、ここと、ここにあるんだよ」と言って、息子の頭と胸を手で押さえ、抱きしめてやる。…監督がこの映画で伝えようとしたことが、ここに現れているように感じた。


最初からハラハラしながら、あっという間に見終わった。たくさんの内容を詰め込みすぎで消化不良な感じは残るし、最後につながるにしても、筋が複雑すぎて、ついていきづらかったけれども、少年の成長というテーマはしっかり伝わったと思う。

管理人より。

2012-07-29 11:34:00 | 日記
このブログの管理人より、読者のみなさまへ。

いつもこのブログをご覧いただき、ありがとうございます。

ネット空間では「ちかさだ」を名のっているので、当ブログでもこの名前を使わせていただきます。

書きだして半年以上になるのに、ブログに関する基本的なことも知らないままで続けていましたが、最近、それではいけないと思い始めました。

これから少しずつ、本を読んだりして、読者の方が見やすく読みやすいブログになるようにしていきます。

写真の大きさを調節するやり方がわかったので、これからは写真も楽しんでもらえるかと。

また、コメントへの返信の仕方もようやく知りました。コメントの送信と同じでいいんですね。何か、特別な機能を使わなければならないのかと誤解していました。(これでおわかりと思いますが、私はIT能力が乏しいので、少しずつ勉強していきます。)

今日から、画面がリニューアルされた感じになったでしょうか?

今後も、マイナーチェンジしていきますので、どうぞよろしく。

高校生と買い食い

2012-07-28 23:32:59 | 教育
生徒と話していると、おいしいラーメンやお好み焼きの店を教えたりしてくれる。また、土曜日の半日授業の後で、「このあと、どこに食べに行く?」などと話をしているのを見ると、いいなーと思ってしまう。

高校生は、我々が思っている以上に行動範囲が広く、また独自のアンテナで、どこに安くてうまくて量の多い店があるかというのを知っているものだ。

お小遣いが限られているから、大人の行くような店には行けないけれども、友達と買い食いをしたり、穴場の店を見つけたり、もしかすると彼らの方が外食をエンジョイしているのかもしれない。

私も高校時代は、実家から自転車で通学していたが、放課後に友達と焼き鳥のスタンドで立ち食いしたり、駅前の「娘娘(にゃんにゃん)」という格安で腹いっぱい食べられるラーメン屋でがっついたりしていた。(さっき「食べログ」で検索したら、この店はまだ地元民に愛されつつ存続しているようだ。値段もあまり変わっていない)。

普段、生徒と接しながら、ときどき、自分の高校時代の記憶を呼び起こされることがある。そして、両親や先生達に見守られながら、平凡だけど楽しくて幸せな日常を過ごさせてもらっていたことに、今にして気づく。

英文法完全制覇

2012-07-27 22:35:29 | 教育
7月の補習は今日で終了。期末考査の翌週(9日)から今日まで、生徒もそうだが、教員も少ないスタッフをやり繰りして、本当に頑張ったと思う。私は2年生のクラスにしか教えに行っていなかったが、3年生担当の先生方は相当しんどかったろうと思う。

とりあえず、授業の予習の負担は当分ないので、今日の午後から解放感に浸り、夕方からしばらく見に行っていなかった映画を見て、夕食を食べながらビールも飲んでしまった。

補習授業は、国語2種類の他に、2年文系の生徒対象で、基礎英文法まで教えていたので、予習が大変で、勤務時間内では足りず、毎朝5時起きで勉強していた。

英文法は、英語科のM先生にプリントを作っていただき、時間を計って生徒に解かせた後、一人ずつ教室の前に出てこさせ、大問毎にそれぞれの問題の解答を答えさせ、その根拠も説明させるスタイルで行った。説明の後、他の生徒に質問させたり、間違っているところをこちらで訂正、補足説明をしたりした。

受験英文法でおなじみの、動名詞、不定詞、分詞構文、関係代名詞、仮定法、話法など、一通りは取り扱うことができた。

その間、予習する上でお世話になったのが、泉忠司さんの『歌って覚える 英文法完全制覇』である。というか、この本と辞書以外はほとんど必要がなかった。薄手の本なのだが、内容が濃く、しかも説明が非常にわかりやすい。自分で間違えたり、生徒もつまずくようなポイントについて、的確で要領を得た解説があるので、授業の前にそれを頭に入れておけば、たいてい事足りた。

もちろん、英語プロパーの教員からは他にオススメの著者や参考書があるだろうし、細かい知識はこれ以外にもストックしていく必要があろうが、「最」がつかない程度の難関大学の問題までは、これ一冊でかなりカバーできると思う。

この本は、発売された当初、新聞の読書欄に取り上げられたのに興味を持って購入し、自分でも付属のCDを聴いて勉強した。…今まで書き忘れていたが、この本の最大の特徴は、このCDにある。

なんと、不定詞や分詞構文、仮定法などという括りごとに、覚えるべき例文が15ずつほど、意味を持った歌詞になっており、それに曲がついて、歌って覚えられるようになっているのだ。もちろん、歌詞としてみれば相当ムリで不自然なものもあるが、実用歌なのでそこは割り切るべき。J-POP風の歌で11曲、全部覚えると200ほどの例文が覚えられることになる。中には、比較級の歌で“The happiest bride”のような、なかなか秀逸な曲もある。♪彼といるといちばん幸せ~Nothing gives me more pleasure than to be with him.♪ など、今でも、覚えた歌が自然に口をついて出てきたりする。

この本で勉強していた頃は、河合塾の模試の英語の問題を、生徒と一緒に解いて勝負に勝ったこともあった。(2年生相手。3年生になるとさすがにムリ。あと、今ではダメだろう)。また、理系の生徒だが、英語が伸びないと悩んでいたI君にこの本を教えたところ、姉妹編の『英単語完全制覇』の方を買って勉強し、センター試験でビックリするような点が出て、そのおかげで第一志望の大学に受かったそうだ。後日、I君の母親から、「よい本を紹介してくれてありがとうございました。」と感謝されてしまった。

賛否両論あろうが、大部で詳細な文法書とは別に、覚えるべき要点を短期間で五感をフルに活用しながら力ずくで覚えてしまうのには向いている本だと思う。