夢かよふ

古典文学大好きな国語教師が、日々の悪戦苦闘ぶりと雑感を紹介しています。

月次の会・九月 (その1)

2014-09-30 23:36:07 | 短歌
今月の歌会には、先生の他に9名が参加。

今回の私の歌は、先日詠んだ二首を持って行った。
(提出歌)
  遮断機の下るる間をわが待ちをれば稲田をわたり秋の風吹く
(添削後)
  遮断機の下りゐる間を待つわれに稲田をわたり吹く秋の風

参加者の方からは、「この風景は、ちかさださんがお住まいの○○町でしょう。津山線の列車が田んぼの広がる中を走っていく、その踏切の遮断機のことだと思いますが。」とズバリ指摘された。
正解です。
その方は、会社を定年後、畑仕事をされているので、
「稲田を吹く秋風は、稲の花の香りや実の香りも運んできます。」
ということも言っておられた。

先生の添削のうち、「下るる間」と「下りゐる間」は小さな訂正のようだが、実は鋭い指摘だと思う。
前者だと、私は遮断機のバーが降りてくるのをじっと待っていることになるが、後者では、私はすでにバーの降りた遮断機の前で列車が行き過ぎるのを待っていることになる。もちろん、後者が正しい。
先生は、遮断機は理不尽に我々の進行を妨げる存在だとも言えるから、この歌は、

  遮断機に行く手阻まれ待ちをれば稲田をわたり秋の風吹く

でもいいかもしれないね、と言っておられた。

(提出歌)
  夕月夜(ゆうづくよ)稲穂なびかせ風吹けば田の面(も)に白き波の立つ見ゆ

初め、ある参加者の方から、「白き波」の意味を聞かれたので、正直に、
「すみません、これ、ウソの歌なんです。」
と言った。私が見たのは、たそがれどきに稲田を秋風が吹き、稲穂が波のように靡く光景だけだったのだが、
(もし、ここに月の光が照っていたら、きっと白い波しぶきが散ったように見えたにちがいない。)
と感じて、先の歌が思い浮かんだのだ。実際には、この日の月の出は午前零時頃だったので、夕月夜であろうはずがない。
それでも、何人かの参加者の方からは、「(光景として)目に浮かぶ。」「幻想的で素敵。」などと評価していただいた。

【感想】
先生は、二首目の歌はこのままでよいと言われ、丸をつけてくださった。
月の光に白く光る、風わたる田の面のイメージは、特に目新しさはないが、『新古今集』のような繊細な感覚なので、自分でも少し思い入れがあった。

今回の歌会の初めにあった、『百人一首』講読の話題は、また次回に。

服部忠志歌集『童貞抄』

2014-09-28 23:07:30 | 短歌
先日、月次の歌会で結社の本部に行った際に、先生の師である服部忠志の全歌集を借りてきた。
年配の会員の方からは、
「そうね、一度は読んでおいたほうがいいかもね。」
と言われたが、なにぶんにも、15もの歌集を一冊に収めてあるので、なかなか読み進めることができないでいる。

今回はその第一歌集である『童貞抄』(昭和22年2月)について。

服部忠志は、明治42年(1909)岡山県上道郡幡多村沢田(現岡山市沢田)に生まれ、岡山一中を経て、昭和3年(1927)國學院大学高師部に入学。
「釈超空(折口信夫)先生の教えを受けたいといふ世間知らずの子供らしい考へ」(巻末小記)によるものであった。
これより前、忠志は昭和2年(1908)、19歳のときに短歌結社「蒼穹」に入社していたが、昭和4年、岡野直七郎の渋谷の家に寄宿し、直接短歌の指導を受け、作歌に励むようになる。
忠志は「蒼穹」の歌人たちだけでなく、北原白秋や木俣修などとも交流があり、『童貞抄』はそうした環境の中で、忠志が昭和3~6年にわたって(作者20~24歳)詠んだ歌232首を、後に自選して(昭和22年、作者39歳)成った歌集である。

以下、私が読んで印象に残った歌を挙げると、
さし潮のいま満ちわたる沖つべにきらめく魚のはねあがりたり
おほらかに川面に舞へる鳶一羽朝の光に翼をかへす
原なかにおのづとつけるひとすぢの道ながながし森へつづきて
おのづからかすみて遠き山脈のかぎれる空にふたひらの雲
郊外のぬかるみ道にゆきあひて知らぬをとめと瞳(め)をあはせけり
大いなる公孫樹の裸木(らぼく)くろぐろと梢をのべて寒月を掃く
かぜのまに流れて来たる秋蜻蛉翅さへ透けてわがうへに浮く

忠志の歌には、派手な奇をてらったところがなく、地味な印象の歌が多いが、初々しさ、清新さを感じる。
何よりも、20代前半にもかかわらず豊富な語彙があり、端正な言葉遣いをしていることに驚かされる。

忠志自身は、「昭和初頭の思想混乱期に処した僕の貧しい青春歌集」(巻末小記)と書いているが、燻し銀のような渋い味わいの歌々で、若くしてこれだけの作歌の力量を示していることに、昔の人はすごかったのだなあと思ってしまう。

花子とアン 最終回

2014-09-27 23:48:25 | 日記
多くの方々から惜しまれつつ、「花子とアン」が終わる。
今日の最終回では、やはり、「赤毛のアン 出版記念会」での花子のスピーチを素晴しいと感じた。

私は本の力を信じています。
一冊の本が心の支えとなって、自分を絶えず励まし、勇気づけてくれるのです。

どんなに不安で暗い夜でも、必ず明けて、朝がやってきます。
そして、曲がり角の先には、きっと一番いいものが待っている。
それは、物語の中でアンが教えてくれたことでした。

私の今までの人生を振り返っても、いくつもの曲がり角を曲がってきました。
…思いがけない所で曲がり角を曲がり、見通しのきかない細い道を歩くことになったとしても、そこにも優しい心、幸福、友情などの美しい花が咲いていると、今は強く信じています。

アンのように勇気を出して歩いていけば、曲がり角の先にはきっと、美しい景色が待っています。

誰でも真剣に生き、自分の人生から何かを得ようとする者にとっては、どんな時代・環境も過酷で試練に満ちており、不安定要因が山積みの毎日を生きることがつらくなることも多いだろうと思う。

そんな時に、村岡花子のこの言葉は必ず、希望を失わず前に進む勇気を与えてくれるだろう。

私としては、花子が「本の力を信じています」と言ったことに共感した。
私自身も、本の力に支えられ、励まされて、生きづらい世の中を、今までどうにかやってこられたと思っている。

「花子とアン」では、人間関係だけでなく、学問・教育や文芸・教養の大切さ、書物への愛情など、通常のドラマではあまり扱わないようなことにも触れられていたのがよかったと思う。
もちろん、俳優陣の配役や演技の良さ、セット、衣装などにも着目はしていたが、何よりも「翻訳家と歌人」の生き方に焦点を当てて描いていたことが、私には興味深かった。

これだけの良質な作品を世に送り出してくれた方々に、心から感謝の意を表したい。

卒業生来訪

2014-09-25 23:54:49 | 日記
今日は勤務校の体育祭。
昨夜の雨でグラウンドがぬかるんでおり、整備のために1時間遅れでの開始となった。
その影響でいくつかの競技が取りやめとなり、3年生がやるはずだった綱引きもなくなった。
ふだん私が教えに行っている3年のクラスの生徒が、
「最後の体育祭なのに、自分が出る種目がなくなってしまったんですよ。」
と残念そうな顔をしていた。
最後の体育祭に出場できず、思い出を残せなかった生徒が気の毒になるとともに、学校側の配慮のなさを恨めしく思った。

体育祭が終わった後、今日撮った、生徒たちの写真を整理しつつ、学級通信を作っていると、夕方にこの春の卒業生がひょっこり遊びに来た。
大学生協で買ったという、大学のイメージキャラクター「とりりん」の瓦せんべいを携えて。

卒業生諸君、私たち教員は君らが来てくれるだけで嬉しいので、どうかお土産まで気を遣わないでくれ給へ。

この生徒は、大学で今学んでいる内容が非常に実践的で、やりがいがあるので、学生生活も充実しているということを話していた。
サークルに入り、来月に文化祭もあるので、大学を拠点としていきいきと活動しているようだ。
自分に合った進路だったと思う、という言葉に、この生徒の受験指導に携われてよかったと思った。
他の先生方も交えて歓談しながら、しばし清閑の時間を過ごした。

陸奥八仙 ピンクラベル 吟醸 火入

2014-09-23 22:41:50 | 日本酒紀行

陸奥八仙 ピンクラベル 吟醸 火入
八戸酒造(青森・八戸市)のお酒。
麹米 青森県産華吹雪
掛米 青森県産つがるロマン
精米歩合 麹米55% 掛米60%
アルコール度数 16度
醸造年度 2013(25BY)

蔵元のHPでは、「陸奥八仙は“華やかな吟醸香”と“さわやかな甘み”が特徴」とあるが、その通りに甘口で飲みやすいお酒だった。
片口にそそぐだけで、あたりに甘やかな香りが漂い、桃源郷気分。

甘み、うまみ、香りの三拍子揃った美酒であり、口あたり爽やか、後味もくどくはない。
仕事帰りの疲れてだるい身体にも、すんなり浸透し、癒される…。
やわらかく抱きしめられるような酔い心地で、改めて日本酒のよさを感じた。