元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「なぜ君は総理大臣になれないのか」

2020-08-15 06:56:50 | 映画の感想(な行)

 とても示唆に富んだ内容で、本当に観て良かったと思えるドキュメンタリー映画だ。また、政治不信が高まっている今だからこそ、本作の存在価値はより大きくなる。国民にとって政治とは何なのか、そして政治家の資質とは、有権者の意識はどうあるべきなのか。そんな基本的な課題に正面から向き合い、観る者を最後まで引き付ける。

 この作品の“主人公”は、衆議院議員の小川淳也だ。選挙区は香川一区で、現時点で5期目の政務に就いている。映画は彼が初めて立候補した2003年から、その足跡を追う。東大法学部出身で総務省入りという、絵に描いたようなエリート路線から一転、国民のために一念発起し、政治の世界に身を投じる。最初の選挙では敗れたが、2005年の総選挙では比例復活当選を果たす。ただ、それ以後は2009年を除いて選挙区では勝っていない。

 まず驚かされるのが、小川の政治姿勢だ。とにかく、真っ直ぐなのである。二世議員ではない普通の家庭の出身で、大きなバックも支持母体もない。純粋に自身の理念と信念だけをアピールして、ここまで国会で仕事をやってきた。利権には縁のない生活を送っているようで、いまだに狭い借家暮らし。私は彼のことを知らなかったが、2019年の衆議院の予算委員会で統計不正を質し注目されたとのことで、“ああ、そういえば”と思い出した次第だ。

 監督の大島新(大島渚の息子である)は、小川が初出馬する時から対象に密着してきた。その間、本人はもとより家族や支持者の並々ならぬ苦労、そして比例復活当選ゆえの肩身の狭さなど、さまざまな逆境が映し出される。何より印象付けられるのは、政治家に必要なのは理想や主張ではなく、根回しや忖度といった“立ち回りの上手さ”であることが強調される点だ。彼自身も“自分は政治家に向いていないのではないか”と悩むほどである。

 特に2017年の総選挙では、小池百合子への不信感よりも、世話になった前原誠司への仁義を柄にも無く重視し、うっかり希望の党から出馬したため辛酸を嘗めてしまう。選挙運動を手伝っていた娘の前で小川が有権者に罵倒されるシーンは、観ていて切ない。それでも、対立候補と最後までデッドヒートを演じたのは大したものだ。

 正直言って、私は小川の掲げる政策には賛同出来ない。中でも、解雇規制の緩和による雇用の流動化やベーシックインカムの導入には反対したい。しかし、対立する与党候補は二世議員で有名企業のバックアップはあるが、何ら政策らしい政策を打ち出していないのだ。それに比べれば、小川の方が数段マシである。次回の選挙がいつになるかは分からないが、香川一区は要チェックの選挙区である。
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「お名前はアドルフ?」

2020-08-14 06:52:27 | 映画の感想(あ行)
 (原題:DER VORNAME )舞台劇の映画化は難しいことを再確認した一作である。確かに二転三転する筋書きは飽きさせないし、キャストも芸達者ばかりなのは認めるが、どうも場の空気というか、演出も演技もノリが演劇のそれであり、映画として見れば違和感を覚える。また、ドイツ映画の“定番”であるナチスに関するネタの取り入れ方も、サマになっているとは思えない。

 文学者で哲学教授のステファンと妻エリザベスは、自宅でのディナーパーティーの準備に余念がなかった。エリザベスの弟トーマスとその恋人、そして音楽家のレネがやってくる予定である。真っ先に到着したのはトーマスで、恋人との間に子供が出来るのだという。ところが、トーマスは赤ん坊の名前を“アドルフ”にすると公言。



 あのヒトラーと同じ名前にするのはけしからんと、そこに訪ねてきたルネも巻き込んで、騒動が起きる。だが、そんな話は発端にすぎなかった。この一家はいろいろと秘密を抱えており、この“アドルフ”の一件をきっかけに、次々とそれらが暴かれることになる。欧州でヒットしたという舞台「名前」の映画化だ。

 そもそも、子供の名前ぐらいで大のオトナが掴み合いを演じること自体、観ていて“引いて”しまう。あの独裁者の名前はアドルフだったが、劇中でも言及されたように、アディダスの創業者のファーストネームだってアドルフだ。いかに今もドイツ社会はナチスの影に神経質になっているかが分かり、苦笑するしかない。

 しかも、このドタバタ劇は舞台上で観れば映えるのだろうが、スクリーンの中では無理筋に見える。アドルフ騒ぎが一段落して家族それぞれの問題を描き出す中盤以降も、空間の大きさが舞台のままであり、映画とは相容れない。結果として、ストレスの溜まる作劇になっている。演者のセリフ回しも然りで、声を張り上げての新劇調が目立ち、映画作品としては何か違うのではという印象が拭えない。

 ゼーンケ・ヴォルトマンの演出は、演劇をそのままスクリーンに持ってきたという意味では達者なのかもしれないが、映画ならではの工夫が見受けられない。もっと思い切った脚色が必要だった。フロリアン・ダーヴィト・フィッツにクリストフ=マリア・ヘルプスト、カロリーネ・ペータース、ユストゥス・フォン・ドーナニーといった顔ぶれは馴染みがないが、おそらく演劇畑の人材を起用していると思われ、皆演技は申し分ない。しかしながら、次は映画向けのパフォーマンスを見てみたいと思った。
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「のぼる小寺さん」

2020-08-10 06:55:47 | 映画の感想(な行)

 青春映画の名手である古厩智之監督らしい、見応えのある若者群像劇だ。未だにはびこる軽佻浮薄なラブコメ劇ではないのはもちろんだが、深刻なシリアスドラマでもない。いかにもありそうな日常の描写を積み重ね、そこから幅広くアピール出来る普遍的な主題を引き出してゆく仕掛けには感心する。また、ボルダリングという題材も良い。

 北関東の地方都市の高校に通う近藤は、目的も無く漫然と日々を送っていた。一応卓球部に入ってはいるのだが、練習に身が入らない。体育館の一角では、同じクラスの女生徒・小寺が所属しているボルダリング部が練習に励んでいた。最初は何気なくその様子を眺めていた近藤だが、次第に彼女のひたむきさに見入るようになる。小寺に対する憎からぬ気持ちもあり、近藤も負けじと卓球に打ち込むのだった。そして、何の迷いも無く自身の夢を追いかける小寺に、同じ部の四条や学校をサボってばかりの梨乃、カメラが趣味のありかも、影響を受けていく。珈琲原作の人気コミック映画化である。

 タイトルにある“のぼる”というのは、文字通りボルダリングの競技形式であると共に、今ここにある地点から上位の次元にシフトすることを指す。人間誰しも、ましてや若い頃はヘンなプライドとか恥ずかしさから、愚直に何かに打ち込んでいる他人の姿を見ても、我が身を省みることはあまりない。せいぜい斜に構えて“人それぞれだから”と冷笑的になる程度だ。しかし、本作のヒロインは周りの者がスルー出来ないほどの存在感を醸し出す。

 何しろ小寺は、スポ根ものにありがちな熱血キャラではないのだ。そこに“のぼる”べき壁があるから、ただ“のぼる”だけ。他の選択肢に色目を使うことも、小器用に予防線を張ることもしない。あっさりと卒業後の進路をプロのクライマーと決めるほどである。自身が頑張っていることを強調している人物よりも、自然体で目標に向かって淡々と進む者の方が、強力なインフルエンサーたり得るのだ。そしてその波及力は、近藤たちだけではなく映画を観ている側にも伝わってくる。今からでも何かに対して“のぼる”ことが出来るのではないかと、そんな前向きな気分になってくる。

 古厩の演出は派手さやケレン味は無いが、各キャラクターに向き合い、その内面を丁寧に紡ぎ出す。小寺を演じる工藤遥は初めて見る女優だが、その身体能力には驚くばかり。本当のボルダリングの選手にしか見えないのだ。透明感とノンシャランな持ち味も含めて、期待の持てる人材である(元モーニング娘。のメンバーであったことも、今回初めて知った)。

 近藤役の伊藤健太郎も健闘しており、卓球の試合の場面はサマになっている。鈴木仁に吉川愛、小野花梨といった他の若手もイイ味を出している。CHAIによるエンディング・テーマと、ロケ地になった栃木県足利市の佇まいも捨てがたい。
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「バーディ」

2020-08-09 06:39:05 | 映画の感想(は行)
 (原題:Birdy )84年作品。2020年7月に惜しくも世を去ったアラン・パーカー監督の代表作の一つで、彼がアメリカで撮った映画としては「フェーム」(80年)と並んで個人的に好きなシャシンである。また、あまりにも有名なラストシーンは、観る者に忘れられない印象を与えるだろう。第38回カンヌ国際映画祭にて、審査員特別賞を受賞している。

 60年代のフィラデルフィアが舞台。ベトナム戦争から帰還したアルは、顔に傷を負っていた。治療中の彼に、軍医少佐のワイスから呼び出しがかかる。彼の親友で、同じくベトナムから帰ってきたバーディが心を閉ざしたまま精神病棟に収監されているので、何とか出来ないかという依頼だ。



 アルとバーディは子供の頃から仲が良かった。外交的で闊達なアルに対しバーディは内向的で、あろうことか“いつか鳥になりたい”と本気で思っているような男だった。そんなバーディにアルは高校時代の数々の思い出を語り続ける。ところがバーディは何の反応も示さない。やがてアルが病院を退去しなければならない時刻が近づいてくる。ウィリアム・ワートンの同名小説の映画化だ。

 鳥になろうとするバーディは狂気の中にはあるのだが、それはスラム街で生まれ辛い経験ばかりしてきた少年の、精神的な一種の防御機能の発露とも言える。対してベトナム戦争は存在自体が狂気そのものだ。冷静に見れば、戦場で“勇敢に”戦う姿こそが、不気味で常軌を逸しているものではないのか。

 この監督は子供や若者を主人公に据えると無類の求心力を発揮するが、本作でも大きな狂気が若者のナイーヴな内面を押し潰してゆく、その様子を活写するパーカー演出の何と緻密で繊細なことか。そしてあのラストシーンだ。登場人物たちを信じる作者の想いがあふれ、圧倒された。私はこの映画を劇場で観ているが、ラストショットで観客全員が一瞬呆気にとられ、すぐさまドッと沸いたことを思い出す。

 主演のマシュー・モディンとニコラス・ケイジは好演。特にケイジは、この俳優にこれほどまでの内面表現力があったのかと驚かされた。ジョン・ハーキンスやクリスタル・フィールド、カレン・ヤングといった脇の面子も良い。マイケル・セラシンのカメラによる、文字通り浮遊感のある清澄な映像には感心する。音楽はピーター・ガブリエルが担当し、大ヒットアルバムになる「So」に取り掛かる直前に引き受けた仕事だと思うが、見事なスコアを残している。
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「ライド・ライク・ア・ガール」

2020-08-08 07:00:05 | 映画の感想(ら行)
 (原題:RIDE LIKE A GIRL)ドラマ部分は大したことがはない。展開が平板だし、監督がこれが第一作ということもあるが、素人臭い御膳立てが目立つ。だが、メインである競馬レースのシーンはかなり盛り上がる。また、今まで知らなかったオーストラリアの競馬事情を紹介してくれたのも有り難い。

 10人きょうだいの末娘として生まれたミシェル・ペインは、馬の調教師である父親のもと、騎手である兄や姉に囲まれて健やかに育つ。成長した彼女は、家族の影響もあって騎手を志望するようになる。厳しい訓練の末に、やっとデビューを飾ったミシェルだが、当初から実力を発揮。珍しい女性騎手ということで世間の注目を浴びる。



 ところが、コンディションの悪い状態で強行出場したレースで、落馬してしまう。一命は取り留めたものの脳に重大なダメージを負った彼女は、復帰は無理だと誰しも思っていた。2015年のメルボルンカップで、女性騎手として初めて優勝したミシェル・ペインの半生を追った実録映画だ。

 元々俳優であるレイチェル・グリフィスの演出はメリハリに乏しく一本調子で、盛り上がるべき箇所とそうではない部分との切り分けが上手くいっていないように思う。また、決して短くはない時間軸を駆け足で進めているせいか、結果としてエピソードの羅列に終わっている感がある。そして、何かというと場を持たせるためか、当時のヒット曲が芸も無く流れるのには閉口した。ここはたとえば強力なライバルを用意するとか、明らかな敵役を据えるとかして、ドラマの方向性を整えた方が良かった。

 しかしながら、レースの場面はよく撮れていると思う。メルボルンカップという大会の存在は今回初めて知ったが、その規模には驚かされた。距離が3.2kmというのはかなり長い方だが、何と24頭立てだ(ちなみに、英国ダービーステークスは16頭立て、国内では日本ダービー等の18頭立てが最大)。これだけ派手だと、映画としては実に見栄えがする。また、業界内での男女格差問題に関しても、ちゃんと言及されている。

 主演のテリーサ・パーマーは、前半のヒロインの女子高生時代は年齢面で辛いものがあるが(笑)、それ以外はよくやっていると思う。父親に扮したサム・ニールも、さすがの貫録を発揮。そして特筆すべきはダウン症の兄役のスティーヴィー・ペインで、実は“本人”が演じている。しかも彼は見るからに心優しいキャラクターで、ミシェルの良き協力者として、本当にイイ味を出している。マーティン・マクグラスのカメラがとらえた競馬場およびその周辺、そしてヒロインの故郷の風景は、本当に美しい。
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「俺たちは天使じゃない」

2020-08-07 06:55:21 | 映画の感想(あ行)

 (原題:We're No Angels )89年作品。ニール・ジョーダン監督作品としては「モナリザ」(86年)に次いで良い出来だ。元ネタになった、マイケル・カーティス監督による1955年製作の同名作品は観ていないが、本作独自のイイ味は出ていると思う。ロバート・デ・ニーロにショーン・ペンという有名スターを配し、それぞれに的確な仕事をさせているのもポイントが高い。

 1935年、窃盗罪によりカナダ国境付近の刑務所に服役していたネッドとジムは、凶悪犯のボビーの脱獄計画に巻き込まれ、成り行きで刑務所から脱走してしまう。ニューイングランドの小さな町に逃げ込んだ2人は、国境を越えるために神父に成りすます。ところが、欠員が発生した教会に送り込まれることになり、修道院での生活を始めるハメになる。何とかカナダに逃亡する機会をうかがう2人だったが、上手くいかない。

 やがてネッドは、耳の不自由な娘を育てるシングルマザーのモリーを好きになってゆく。一方、2人を追う刑務所長の一行と地元警察の捜査はこの町にも及び、さらにはボビーまでネッドたちに接近する。そんな折、祭りの日にカナダの姉妹関係にある教会まで信者たちが行列することになり、ネッドとジムはその中に紛れ込もうとする。デイヴィッド・マメットによる戯曲の映画化だ。

 爆笑の連続を期待するような映画ではないが、それでも笑いとペーソスは全編に散りばめられており、飽きさせない。何より、服役囚が聖職者を装うことによるギャップがおかしい。ニセ神父のはずのジムが苦し紛れに覚えた聖書の一行に、自らの“体験談”を加えて説教(演説)すると、教会と信者に大ウケする皮肉も笑えるが、これが宗教に対するアイロニーにはならず、根っからの悪人ではないネッドたちの善良な部分を照射させるモチーフになっているあたりが巧妙だ。

 終盤には思わぬアクションシーンが展開し、ネッドたちの活躍が描かれるのだが、その後の“奇跡”の現出についても無理がない。ラストは御都合主義だが、時代設定から見れば許容できる(現代だったら、こう上手くはいかない)。ジョーダンの演出は派手さはないが、浮ついたところが無く、ドラマをしっかりと見せる。

 デ・ニーロとペンのパフォーマンスは申し分なく、特にデ・ニーロの“顔芸”には楽しませてもらった。モリーに扮したのはデミ・ムーアで、この頃の彼女は魅力的だった。撮影監督にフィリップ・ルースロ、音楽にジョージ・フェントンという手練れのスタッフを起用しているのも評価できる。
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「WAVES ウェイブス」

2020-08-03 06:51:58 | 映画の感想(英数)

 (原題:WAVES )二部構成になっているのを知らずに観て、いささか面食らった。結論から言うと、第一部はつまらない。第二部はそれなりに見応えがある。だから前半の内容は適当に端折って(ナレーションや短い回想場面だけで構わない)、後半だけで映画の中身を組み立てた方が数段良かったと思う。

 フロリダに住む高校生のタイラーは、工務店を営む父と医者である母、そして優しい妹と、裕福な家庭で何一つ不自由の無い生活を送っていた。学校では成績は優秀でレスリング部のレギュラー選手。何もかも順風満帆に見えた。しかし次第に彼は肩に違和感を覚えるようになる。医者の忠告を無視して強行出場した試合で、タイラーは選手生命を閉ざさせるケガを負う。さらに同じ頃にガールフレンドの妊娠が発覚。捨て鉢になった彼は、取り返しの付かないトラブルを起こす(ここまでが第一部)。

 不祥事を起こした兄のため家庭は暗くなり、口数が少なくなった妹のエミリーは、生きる気力を失ったような日々を送っていた。ある日、彼女は兄と同じレスリング部のルークから声を掛けられる。彼はすべての事情を知ってはいたが、それでもエミリーに好意を寄せていた。シャイだがナイスガイのルークと付き合ううち、エミリーは少しずつ前を向き始める。だが、ルークも心に大きな傷を抱えていたのだ。ルークの辛い過去を清算するため、2人は旅に出る。

 タイラーは、まったくどうしようもない奴だ。自分がどれだけ恵まれた環境にいるのか理解せず、学業やクラブ活動での名声は全て自分一人の手柄だと思っている。それどころか実の母が亡くなって後妻を迎えた父親を、内心バカにしている。その驕りが肩の故障を軽視し、恋人に対して威圧的な態度を取らせ、結果として人生が早々と詰んでしまう。こんな人間には同情出来ないし、また斯様なキャラクターを映画が延々と追うこと自体、不快感を覚える。

 対して、エミリーとルークが主人公になる第二部は、けっこう感慨深い。乗り越えられない過去など無いという、ポジティヴなスタンスには納得だ。ロードムービーの形式を取っているあたりもポイントが高い。ただ、この第二部の中身が第一部の低調ぶりをカバー出来ないばかりか、映画自体のスタイルを不格好にしている。

 ケルヴィン・ハリソン・Jrや、ルーカス・ヘッジズ、テイラー・ラッセルといった若手キャストは良くやっているとは思う。ただトレイ・エドワード・シュルツの演出はスタイリッシュではあるが、画面サイズがシークエンスによって変わるのは小賢しくて愉快になれない。ただしテーム・インパラやフランク・オーシャン、ケンドリック・ラマーなどの楽曲を集めたサントラ盤はオススメだろう。
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ブルックス・ブラザーズが破綻。

2020-08-02 06:58:07 | その他
 去る2020年7月8日、アメリカでもっとも歴史ある衣料ブランドの一つであるブルックス・ブラザーズが、事実上倒産した。ただし日本において店舗を展開している株式会社ブルックス ブラザーズ ジャパンは本社とは異なる資本で運営されているため、従来通り営業を継続するという。

 個人的な話になるが、私は(少なくとも若い頃は)トラッド派である。流行にあまり左右されず、どんなシチュエーションでも一応サマになるトラッド・ファッションは、ワードローブの主力とするにはもってこいのメソッドだった。ブランドは数多くあったが、その中でもブルックス・ブラザーズはアメリカン・トラッドの代表としてその名を知られていた。



 ブルックス・ブラザーズの最初の海外事業展開は、実は日本である。80年代前半に、九州でも初めて福岡市の某百貨店に同ブランドが進出した。私はその頃は福岡県以外の某県の片田舎に住んでおり、実際にその店に足を運ぶことが出来たのは、開店して数年後である。とはいえカネの無い若造だった私に、スーツだのジャケットだのといった値の張るものは買えるはずもない。さんざん悩んだ挙げ句選んだのは、一着のポロシャツだった。ただしポロシャツとはいっても、他のメーカー品よりもずっと高い。財布もすっかり軽くなってしまったが(笑)、帰宅して着てみると、驚いた。

 色はライトブルーだったが、とにかく輝くような青さで、しかも品が良い。そして生地は肌に吸い付くようで、着心地は極上だ。これが有名ブランドというものかと、大いに感心した。その後、長きにわたってボタンダウンシャツやセーターなどを機会があるごとに買い求め、今でも数着のアイテムが洋服ダンスの中にある。

 さて、新型コロナウイルス感染症の拡大により、アパレル業界は危機に陥っている。あのレナウンも5月に破綻したほどだ。また、コロナ禍に伴う在宅勤務の増大で、ビジネスパーソンの服装がカジュアル化している。極端な話、部屋着で仕事が出来てしまう場合が多くなるのだ。もちろん外出しなければならないケースもあるが、そのために服装に敢えて気を遣う必要性は、今後小さくなっていくだろう。ファストファッションの質も上がっている昨今、ブルックス・ブラザーズのようなブランドの出番は少なくなる。これも時代の趨勢だ。

 しかしながら、ファストファッションとは明らかに異なるクォリティのものを身に付けると、気分が良くなるのも確かである。身なりを整えると、ある程度言動も違ってくる。良い服を着れば、あまり無様なことはしたくない(笑)。

 ブルックス・ブラザーズは決して高級ブランドではない。もちろん安くはないが、ちょっと無理すれば若者でも買える。そのくらいのグレードのブランドの必要性が、消えることは考えられない。同社の日本法人はこれからも事業を続けるとはいっても、順風満帆とはいかないだろう。それでも、頑張って欲しいと思う。
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「はちどり」

2020-08-01 06:59:22 | 映画の感想(は行)

 (英題:HOUSE OF HUMMINGBIRD)丁寧に作ってあるとは感じたが、いまひとつピンと来るものが無い。やはりこれは日本と韓国との国民性の違い、それ以上に国情の相違が大きく影響しているのだと思う。主人公を取り巻く環境に関して、私が問題だと思ったことは劇中ではさほど深刻に取り上げられておらず、反対に大したことはないと感じたものが、ストーリー上ではクローズアップされている。作者の立ち位置が異なれば、観る者の評価も変わってくる。そんな当たり前のことを再認識した。

 94年のソウル。女子中学生のウニは両親と姉そして兄と一緒に団地の一室で暮らしていた。彼女は学校には馴染めず、付き合うのは別の学校の友人や年上の男子学生だ。両親は小さな餅屋を営んでおり、子供たちと向き合う余裕は無い。ある日、彼女が通う学習塾に新しい女性講師ヨンジがやってきた。彼女は一風変わった雰囲気を持ち、ウニの話を根気よく聞いてくれる。ウニが病気で入院した際には、ヨンジは積極的な言葉で励ますのだった。

 10月21日の朝、漢江に架けられた聖水大橋が崩落事故を起こす。ウニはニュースを聞いて、パニックに陥る。なぜならその時間帯は、姉が乗るバスが橋を通過しているはずなのだ。第69回ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門グランプリをはじめ、各種映画アワードを獲得している青春ドラマだ。

 ウニの家庭は非常に問題があると思う。両親はあまり子供たちの面倒を見ていないにも関わらず、しっかりと店は手伝わせる。そして長男には過大な期待を寄せる。そのストレスから、長男はウニに対して暴力を振るっている。そもそも、子供たちは親に敬語を使うように言いつけられているのは、何とも異様だ。

 これが日本映画ならば、そんな状況が大きく物語を動かす素材になるはずだ。しかし作者は、そのことに対して特に問題意識を持っていないようである。反面、ヨンジの存在は映画では大きく取り上げられるが、彼女自身は別段突出した個性も才能も持っていない。ただ、塾生の話し相手になるだけだ(ついでに言うと、外見もパッとしない ^^;)。この程度の人間が、ヒロインの内面に大きく影響を与えるとは、とても思えないのだ。

 ウニの伯父の不遇な人生や、ウニが難病を患うくだりも、別にドラマを大きく動かすモチーフに成り得ていない。男子学生との関係や、下級生の女子との交流も、何とも要領を得ない。そして終盤での聖水大橋の一件は唐突に過ぎる。それがラストの伏線になるとはいえ、無理矢理に入れ込んだ感が強い。

 監督のキム・ボラはこれがデビュー作ということだが、確かに破綻の無い仕事は評価出来る。だが、映画の前提自体が理解しがたいものであるため、映画としての求心力は感じられない。なお、主役のパク・ジフは大熱演で、今後を期待させるものがある。キム・セビョクにイ・スンヨン、チョン・インギといった脇の面子も悪くない。ちなみに、アジア通貨危機による韓国経済の大失速は、この映画の舞台になった94年から3年後のことだ。橋の崩落事故はその凶兆だったのかもしれない。
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