元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「のぼる小寺さん」

2020-08-10 06:55:47 | 映画の感想(な行)

 青春映画の名手である古厩智之監督らしい、見応えのある若者群像劇だ。未だにはびこる軽佻浮薄なラブコメ劇ではないのはもちろんだが、深刻なシリアスドラマでもない。いかにもありそうな日常の描写を積み重ね、そこから幅広くアピール出来る普遍的な主題を引き出してゆく仕掛けには感心する。また、ボルダリングという題材も良い。

 北関東の地方都市の高校に通う近藤は、目的も無く漫然と日々を送っていた。一応卓球部に入ってはいるのだが、練習に身が入らない。体育館の一角では、同じクラスの女生徒・小寺が所属しているボルダリング部が練習に励んでいた。最初は何気なくその様子を眺めていた近藤だが、次第に彼女のひたむきさに見入るようになる。小寺に対する憎からぬ気持ちもあり、近藤も負けじと卓球に打ち込むのだった。そして、何の迷いも無く自身の夢を追いかける小寺に、同じ部の四条や学校をサボってばかりの梨乃、カメラが趣味のありかも、影響を受けていく。珈琲原作の人気コミック映画化である。

 タイトルにある“のぼる”というのは、文字通りボルダリングの競技形式であると共に、今ここにある地点から上位の次元にシフトすることを指す。人間誰しも、ましてや若い頃はヘンなプライドとか恥ずかしさから、愚直に何かに打ち込んでいる他人の姿を見ても、我が身を省みることはあまりない。せいぜい斜に構えて“人それぞれだから”と冷笑的になる程度だ。しかし、本作のヒロインは周りの者がスルー出来ないほどの存在感を醸し出す。

 何しろ小寺は、スポ根ものにありがちな熱血キャラではないのだ。そこに“のぼる”べき壁があるから、ただ“のぼる”だけ。他の選択肢に色目を使うことも、小器用に予防線を張ることもしない。あっさりと卒業後の進路をプロのクライマーと決めるほどである。自身が頑張っていることを強調している人物よりも、自然体で目標に向かって淡々と進む者の方が、強力なインフルエンサーたり得るのだ。そしてその波及力は、近藤たちだけではなく映画を観ている側にも伝わってくる。今からでも何かに対して“のぼる”ことが出来るのではないかと、そんな前向きな気分になってくる。

 古厩の演出は派手さやケレン味は無いが、各キャラクターに向き合い、その内面を丁寧に紡ぎ出す。小寺を演じる工藤遥は初めて見る女優だが、その身体能力には驚くばかり。本当のボルダリングの選手にしか見えないのだ。透明感とノンシャランな持ち味も含めて、期待の持てる人材である(元モーニング娘。のメンバーであったことも、今回初めて知った)。

 近藤役の伊藤健太郎も健闘しており、卓球の試合の場面はサマになっている。鈴木仁に吉川愛、小野花梨といった他の若手もイイ味を出している。CHAIによるエンディング・テーマと、ロケ地になった栃木県足利市の佇まいも捨てがたい。
コメント
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