91年製作の、北野武監督の3作目だが、同監督の映画ではこれが最も好きである。
清掃車のウインドウ越しに海を見ている若者・茂(真木蔵人)。ある日彼はゴミ捨て場に放置されていた壊れたサーフボードを拾い、修理する。観客はいつしか一言も口をきかない茂が聾唖者であるということに気づいていく。彼といつも一緒にいる貴子(大島弘子)もまた耳が不自由である。そのことを映画は安易な説明なしに見せていく。
浜に通いつめる茂だが、なんせサーフィンは初めてでうまく波に乗れない。彼と同じ年代のサーファーたちのグループは、茂の悪戦苦闘ぶりを笑っていたが、やがて日ごとに上達していく彼のサーフィンに一目置くようになる。そしてサーフ・ショップの店長の協力で彼はサーフィン大会に出場することになるのだが・・・・・。
いつもの荒涼とした暴力描写が全くないことに驚く。たとえば、茂が昔所属していたサッカー・チームにいる2人組が主人公に暴行をはたらいたり、茂たちとライバル関係にあるサーフィン・グループが殴り込みをかけてきたり、といったこの監督が好きそうなシチュエーションに持っていくのかな、と思っていたら、その気配も感じられず、映画自体が実に静かである。ただ、大胆にプロセスを省略したエピソードの挿入や、コメディ・リリーフ的なキャラクターをいたるところに配置させる方法など、この監督らしいタッチは十分に見られる。今回はたけし自身が出演していない、ということもあるかもしれない。
主人公2人は口がきけないという設定だから当然だとしても、セリフが少なく、映像のみですべてを語ろうとする姿勢は実に好ましい。監督自身“主人公たちはたまたま聾唖者だっただけで、若い恋人たちに余分な言葉はいらない。だいたい今の日本映画は説明的セリフが多すぎてイヤになる”ということを語っていたように、これは最も普遍的な恋愛映画の王道を歩んだ作品である。決して声をかけ合うこともない2人(手話も最小限度に抑えされている)。しかし、ただ心を寄り添わせる主人公たちを描くだけで、我々が忘れていた純粋な感情を、なんと鮮やかにうつし出していることか。
柳島克己の撮影による透明な海辺の情景が美しく、久石譲の音楽がまた抜群の効果だ。主人公2人はじめキャスト全員の好演が光る。そして胸を締め付けられるようなラスト・シーン。観る者一人一人の心に“夢の記憶”とも言うべき切ない感動と思い出を残すに違いない。
あれが切なさを増幅させて要るような気がします。