元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「マドンナ・アンド・チャイルド」

2009-12-16 06:30:46 | 映画の感想(ま行)
 (原題:MAY NAGMAMAHAL SA IYO )96年フィリピン作品。私は96年のアジアフォーカス福岡映画祭で観ている。主人公ロエラ(ローナ・トレンティーノ)は生活苦のため幼い私生児を教会に預け、香港に渡ってメイドとして働いていた。7年後、フィリピンに帰国した彼女は片時も忘れられないわが子が行方不明になっていることを知る。ある孤児院で誰にも心を開かないコンラッドという少年と出会ったロエラは、彼こそ息子だと確信し、コンラッドも彼女を気に入る。一緒に暮らすことを約束する二人だが、実は親子ではなかったことが判明。あまりのショックで姿を消してしまうコンラッドだったが・・・・。監督はフィリピンを代表する女流のマリルー・ディアス=アバヤ。

 親子の絆、家族のふれあいといった題材を真摯に描き、観る者の紅涙を絞り出す、珠玉のような映画だ。同様のことを日本映画やアメリカ映画でやればクサくて見ていられないだろう。でも、舞台がヘヴィな状況のフィリピンの地方都市で、登場人物が抑圧された貧困層で、作者がその境遇を肌で知っている“当事者”であればそれは許される。ありふれたテーマでも映画は力を持つ。確固とした当事者意識と確信犯ぶりが映像の迫真性を増すのだ。

 豊かではない社会のしわ寄せは女子供のような弱者に来る・・・・というのは頭で理解していても、この映画に登場する子供たちを取り巻く環境は、あまりに悲惨で絶句する。特にロエラの実の子供であるレオナルドのエピソード。養子として預けた先の里親からは虐待され、見かねたメイドが彼を連れて家出。息子のように可愛がって育てたがレオナルドの心の傷は消えず“いつまた里親が自分を見つけに来るかわからない”と、夜ごとに家を飛び出し、ついには病気で死んでしまうという話は、もう泣くしかない。本能的に生きようとする彼らを容赦なく切り捨てる社会の理不尽さに(演じる子役の達者ぶりも相まって)純粋な怒りをぶつけたくなる。

 もちろん、社会問題を告発するだけの映画ではない。題名の“マドンナ”とは聖母のことで、カソリックの教義に深く根ざした母性が、シビアな状況でも確実に女性たちをつき動かしていることを描き、感動させる。ディアス=アバヤ監督は女性の心理描写に卓越したものを見せ、特にエゴと打算から真の家族愛へと目覚めるヒロイン像は実に等身大。足が地についている。演じるトレンティーノは大森一樹の「エマージェンシー・コール」で真田広之と共演した実力派女優だ。

 血はつながっていないが、信頼で結ばれた新しい家族を祝福するように雨が降り出すラストは素晴らしい。観ることができて本当に良かったと思える秀作である。

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