船の心臓部、エンジンルームを見学しました。
大きなプロペラのエンジン、これがもう一か所ありました。
トレーラー、そして鉄板や木材、タンク・・・を載せたトラックなど、
かなりの重量の車を載せ、スピードも求められるフェリーなので、
20万トンの船と同じ位の大きなエンジンを使っているということでした。
船が動いている時のエンジンルームは40℃以上あり、
夏は大変きついそうです。
大きなエンジンや計測器など見学していると、
福島の原子力発電所のことが浮かんできました。
事故以前は、こんな平穏な機械室だったのでしょうか?
現状では 先が全く見えず、次から次へと問題が持ち上がっています。
体を張って頑張っておられる作業員の方々には、本当に頭が下がります。
どうか一刻も早く終息に向かいますように・・・と 願うばかりです。
別府に1日滞在し、夕方にはまたフェリーに乗り込みました。
またトラックや乗用車を一時間以上かけて積み込み、夕暮れに出発しました。
途中、22時頃 松山港に立ち寄りました。
早朝、5時ごろには明石大橋が見えてきました。
朝焼けの中、広大な海に架かる橋を見ていると、清々しい気持ちになりました。
橋を潜り抜けて・・・今度はデッキからの眺めです。
橋を背にして、もうすぐ大阪南港です。
雄大な景色をずっと眺めていると、津波の被害にあった
東北の海岸のことを思い浮かべてしまいました。
地震がおきる前は、おそらく こんな静かな海だったのでしょう。
できることなら地震前にタイムスリップしてほしいです。
別府では、約40年ぶりに ≪ 地獄めぐり≫ をしてきました。
今回行ったのは、『鬼石坊主地獄』と『海地獄』
鬼石坊主地獄では、まず温泉に入りました。
温泉には、露天風呂や景色のいい展望風呂もあり、のんびりとできました。
<鬼石坊主地獄>
まるで坊主頭のように、ボコッボコッと泥が噴出していました。
足湯もとても気持ちよかったです。
<海地獄>
入るとまず、きれいな緑色の池がありました。8月には、ここに
日本一のオオオニバスが出現するそうです。
海地獄の足湯は少し熱めの温泉でした。
モクモクと湯気が立ち上っている方へ行くと、地獄とは言い難い
コバルトブルーのとてもきれいな池がありました。
絶え間なく蒸気が上がって、池が見え隠れする 神秘的な情景でした。
ここでは、卵をぶら下げたかごに入れて、温泉卵を作っていました。
5個で300円、賞味期限は2日間ということでした。
帰宅して食べてみると、黄身はしっとりと甘く、白身は外側は固くて
中へいくにつれ柔らかい食感になり、久々に本物の温泉卵を味わいました。
別府の8つの地獄の中で、海地獄、血の池地獄、龍巻地獄、白池地獄が
国の名勝に指定されているそうです。
最近は 自然に対して畏怖の念を抱くことが多かったのですが、
地獄とはいいながらも、素晴らしい光景を目にすることができてホッとしました。
宇佐神宮
早朝に別府に到着、宇佐神宮にお参りに行きました。
宇佐神宮は、全国に4万社あまりある八幡様の総本宮だそうです。
平日の早朝ということもあって、人影はまばらでした。
広い境内を、手水舎→上宮→若宮神社→下宮→手水舎と
約30分のコースです。
境内にある大木は、今 パワースポットとして とても人気があるそうです。
そして宝物館には、重要文化財等 数百点の宝物があるということでしたが、
早朝のため閉館していて、見ることはできませんでした。
お参りの後、旅行で母がいつも楽しみにしているお土産屋さんへ行きました。
母は、お参りよりも お土産選びにいつも時間がかかります。
おせんべい、お饅頭、ラッキョウのしそ巻、かぼすカステラ、かぼす染めのケース
ひじきに明太子ふりかけ、飴、ザボン漬け、はったい粉、ブルーベリー黒糖・・・
たくさんのお土産を買っていると、お店の人がサービスで
ホッカホカの抹茶饅頭とお茶を出して下さり、
しばらくの間 お店の人と楽しく会話をしてから宇佐をあとにしました。
船旅
船に乗って、両親と一緒に2泊3日の旅行をしてきました。
大阪南港と別府観光港の往復、船中で2泊しました。
傍へ行くと、とっても大きなフェリーです。
総トン数・・・9,600トン 全長・・・約150m 幅・・・25m
旅客定員・・・850名
車両搭載・・・大型トラック100台・乗用車60台
車両は1階と2階に分けて搭載されます。
大型トレーラーや乗用車など 次から次へと乗船、少しの余裕はあったものの
積み込むのに 1時間以上もかかりました。
<船内の様子>
部屋には、いろんなグレードがありました。
私たちが泊まったのは個室、バストイレ付でした。
レストラン、売店、ゲームセンター、大浴場・・・いろんな施設がありました。
夕方 大阪を出発して、翌朝の6時半ごろ別府に到着です。
大阪南港には、大阪市の帆船『あこがれ』が停泊していました。
HPを見てみると、帆船は様々なイベント等に利用されていました。
銅鑼の合図とともに、 きれいな夜景を見ながら出発しました。
白梅
会陽の翌日の植木市で白梅を買い、植えてもらいました。
これは数日前の写真・・・
今ちょうど 満開の白梅は、今日の雨で散り始めました。
今年は、庭に植えてあった紅カナメが枯れてしまったのと、記念樹を ということもあって
植木市に行きましたが、木の本数や種類が
例年より大分少なくなっているような気がしました。
不景気で、大きめの庭木はなかなか売れなくなったと言われていました。
この冬は、黄色のロウバイ→ピンクのしだれ梅→紅梅→白梅と
長い間 楽しむことができました。
世界最大規模の災害から11日が経ちました。
テレビからは、大変不自由、且つ苦痛な避難生活の様子、
そして、捜索や お世話をされている方々の使命感が伝わってきます。
原発のことも大変気になります。
前の見えない、厳しい生活を強いられている被災者の人達のために
私たちに今 何ができるだろうかと考えさせられる毎日です。
身の回りでは、寄付についての話題が持ち上がったり、
いろんな所で募金箱を目にするようになりました。
心づくし
3月20日戌の日、ちょっとしたお祝い事がありました。
父が、お赤飯と鯛を準備してくれました。
今日の お赤飯は少し柔らかめ・・・
鯛は頂いたものを、この日のために冷凍しておいてくれました。
ふっくらとした立派な鯛で、大皿から尾っぽがはみだしています。
最近は、まずオーブンで焼いた後、炭火で焼いて焦げ目をつけるという
手の込みよう、本当にありがたいことです。
大震災以来、荷物の輸送が混乱しています。
先日 宅急便を送るとき、
「東京へは1週間位かかることもあります。
生ものは入れないようにして下さい。」ということだったので、
娘からのリクエストのものを入れ、ダメもとで送ってみました。
すると、なんと翌日のお昼には到着、いつもより早いとは・・・。
これが分かっていれば、冷蔵物や手作りのものが送れたのに残念でした。
そろそろ輸送網が元の状態に戻りつつあるのでしょうか?
材料の下準備した後で、宅急便に問い合わせをしたため、
作った巻きずしは送れず・・・次回のお楽しみとなりました。
3月は別れのシーズンです。
今日は、お茶のお稽古仲間が、ご主人の退職とともに
田舎へ引っ越されるので、送別会をしました。
その友人が、『西川荘』へ行きたいというので、ランチしてきました。
ランチ会席の『しらとり』、品数が30種類以上もある充実したお料理でした。
その一品一品が、本当に丁寧に仕事をしてある感じで、
今まで食べたランチの中でもトップクラスで、ちょっとした感動ものでした。
そして店員さんも とっても感じが良かったので、リピーターになりそうです。
友人とはお別れが名残惜しく、引っ越し前にもう一度 送別会をすることになりました。
今日はスーパーの朝市で分葱を買ってきて・・・
久しぶりにぬたを作って食べました。
一昨日、八朔を使ってママレードを作りました。
果汁を絞った後の実は、少し砂糖を加え 熱を入れて冷凍し
ゼリーを作るときなどに利用します。
ママレードを作っている最中の11日午後2時46分・・・
テレビで地震速報がありました。
それから12分後、東京暮らしの娘が 職場からメールをくれました。
「揺れは大きかったけど、無事です。」
一先ずホッとして、テレビを観ていると・・・
現実離れした、目を疑うような映像が、次々と流れてきました。
すぐに、スマトラ島沖地震のときの津波を思い出しました。
日本で、こんな悲惨なことが起こるなんて・・・
娘はその日、徒歩で2時間半かかって帰宅したということでした。
そして、日を追うごとに被害が拡大し、その惨状を観ていると
被災された方々が本当に お気の毒で、言葉になりません。
余震が続いていますが、早くおさまりますように、
まずは行方不明の方が早く見つかりますように・・・
今以上に大変な惨事が起きませんように・・・と、
ただひたすら祈るのみです。
春菊
昨日、新鮮な春菊をいただきました。
昨年、畑に春菊の種をたくさん蒔き、
こんな春菊が長い間 食べられると期待していたのですが、
我家の春菊は、マルチングもして頑張ったにもかかわらず全滅・・・。
厳しい寒さには耐えれなかったようです。
本格的な防寒をしなければ、こんな春菊は作れないのかなぁー。
来年はあまり期待せず、寒くなる前に食べてしまうことに決めました。
今日は、この春菊を使って 白和えを作りました。
とても柔らかくて美味しい春菊でした。