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#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Sep_25】カトルカールは仏語で四分の一の意。

2018-09-26 | DANCE
ダンス"カトルカール"プロジェクト N°16@セッションハウス

昨日はスタッフ見せでした〜!
後藤かおりさん作品、穴山香菜&ながやこうたの面白い組み合わせでした。
「アノニマス」「分断」といったネット社会のキーワードを想起させるアプローチで、
しかもGERO的日常の異和がふんだんに盛り込まれ、奥行きの深い作品に仕上がってました。
29日2ステあり。

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【Sep_23】アマヤドリ『野がも』観劇

2018-09-24 | ACT!
アマヤドリ『野がも』観劇。

イプセン1884年の作品。古典である。
古典だからセリフ回しもリズムも、今までのアマヤドリではなく、
どこか朴訥としている。

何故今、『野がも』なのか。

広田さんなりの思いを聞いてみたかったのだけど、
役者的には、今までの当て書きとは違うアプローチで役柄に寄り添うカタチが新鮮…とのこと。

それにしても『野がも』である。

ボクはお初であったのだが、
この戯曲の面白さを十全に受け止められたか…というと、
もやもやとしていた。

大きくは「勝ち組」の豪商ヴェルレ家と「負け組」の没落エクダル家の、
互いに利用し利用されの均衡=大人の事情を、
ヴェルレの息子グレーゲルスが「理想」を掲げて糾弾し、
没落ながらも成立していたエクダル一家の均衡を、
崩壊させてしまう…という内容なのだけど、

そこに対比としてあるのは、
かつてエクダル老人がクマを仕留めた「ホイダルの森」であり、
「野がも」やウサギやハトを野放しにした「屋根裏部屋=納屋」という昏い【自然】である。

グレーゲルスやヤルマール、ギーナやヴェルレ、レニングやセルビー夫人の、
人間社会における愛憎劇とは位相を違えて在るエクダル老人とヘドウィグ少女の、
軸足を【自然】の中に求める鳥瞰的視野が、この『野がも』の戯曲に奥行きを与えるのではないか?

「勝ち組」も「負け組」も所詮は一時の戯れ事。
「森」の幽玄に比べれば、何と些末な出来事でしょう。
…と、イプセンは人間の絶望すらを客体化しているのではないか?


初見の印象では、
あまりにも「グレーゲルスに翻弄されるヤルマールの絶望」が前景に出過ぎて、
山森信太郎さん演じるエクダル老人の世界観が後景に退いてしまった感が、否めなかった。

そういった突き放しがこの作品のキモだと、ボクは思う。
この写真の猫のように、不可解な存在を慈しむ感性が重要なのだと。

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【on_Flickr】0920_MURIWUI

2018-09-21 | DANCE
音楽とダンスの邂逅「 うねりめぐうり vol.2」@カフェムリウイ

大柴拓 (guitar)
サイトーシュン (percussion)
江頭慶子 (dance)
小椎尾久美子 (dance)
羽太結子 (dance)

写真UPしました〜!
【on_Flickr】0920_MURIWUI


初祖師谷大蔵、初ムリウィでした。
あいにくの雨でしたが、晴れたら気持ち良いロケーションなんだろうな…と思いつつ。
「うねりめぐうりvol.2」今回は撮影で参加。
ダンサーが三人になって、よりダンス主体の色合いが濃くなってました。
ボク的にはもっとトランスして欲しかったけど、新たな試みもあって、良かったかと。
拓さんのギターが神懸かってましたわ。
江頭さん、お初でしたけど積極的な動き。
シュンさんもきめの細かなリズムで煽ってました。
次の展開が楽しみ。

【Sep_19】絶対矛盾的自己同一

2018-09-19 | BOOKS&MOVIES
人の精神というのは、地表の部分を高くしようとすればするほど、
地下の部分も同じだけ呼応して深くなるわけです。
つまり、人が善を目指そうとすればするほど、
悪というのは、補償作用として必ずその人の中で同じ分伸びてきます。
同じように人が健康になろうと思えば思うほど、
地下にあるその人の不健全な部分は深まっていくはずなんです。


           (村上春樹インタビューより)

【絶対矛盾的自己同一】互いに矛盾し、依存する行為と直観が自己否定を通して同一性を保つ状態。(西田幾多郎)

【Sep_19】「トリクルダウン」が象徴する世の中

2018-09-19 | Photo-diary
今日は『難病者交流の集い』にボランティアで参加。
記録撮影してきました。

パーキンソン病や透析を必要としている人たちが
「障碍者総合支援法」でどのような福祉を受けることができるか、
保健師さんを招いての講演と、難病者同士の交流を目的とした場でした。

聞けば聞くほど「弱者が法に寄り添う」健常者主体のシステムで、
この社会はどこまでも強者ありきなのだなと。

「トリクルダウン」という言葉が象徴するように、
この社会は強者から弱者へ一方通行で流れていて、
いつのまにやら「おこぼれ」を与る身の振りが大事になってきたようで。
弱者への理不尽に抵抗するより、「エサ」をもらって恩顧を有難く受け取れ的風潮。
でないと「非マイノリティ」と呼ばれる人たちからの「弱者利権」の攻撃が容赦ない。

なんと狭量な世間になったことか。

LGBTQにもオキナワにも「弱者利権」の理屈で攻撃が後を絶たない。
同じオキナワからも佐喜真候補のように、
抵抗より「エサ」を受け取れ…と主張する人たちが出てきているワケで。
元凶を正さず対処法で凌ぐ思考は、生きる土台を失う結果に追い込まれるハズなのです。

今日の集いでも、代表の方が目に涙を溜めて主張されていました。
「しっかり権利を主張して、サポートを受けなければ私たちはこの社会では生きられないのです」と。
この傾向はどんどん増していくだろうと思われます。
「弱者利権」を主張する輩の想像力の欠如が決定的だからです。

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【Sep_14】遊園地再生事業団『14歳の国』

2018-09-15 | ACT!
遊園地再生事業団『14歳の国』初日観劇〜!


1997年の酒鬼薔薇事件を背景に、
生徒不在の教室で教師たちが鞄の中身を調べる…という奇異な設定から、
大人たちの無責任で他人行儀で自己完結な姿態が浮かび上がる20年前の戯曲。

こそこそしながらも無駄口ばかり叩く先公どもの、
自己保身的な振舞が腹立たしくも滑稽で、
なんとも複雑な気持ちになる。

なんつうか、20年経っても全く変わってないのよね、

大人たちは。やはり組織に属してしか自立できないこの国の社会機構に問題アリアリだし、
敗戦と向き合ってこなかった為政者たちの偽善欺瞞な指向が、
無責任体質を醸成したことは否めない事実。

鞄の中身を調べながら、その根幹には足を踏み込もうとしない「事勿れ」と、
そんな脆弱な精神を見透かした14歳どもの、社会をなめた振舞との断絶が、ホント絶望的。

1日まで残19ステ。

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【Sep_13】当の人間も自然の一部だから。

2018-09-14 | ACT!

初日迎えました〜!青年団リンクやしゃご『上空に光る』
ステージナタリーで紹介されてます〜!

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日本は特に時間の流れが速くて、
2020年の五輪を勝手に節目と設定して、
政府はそこに猪突猛進していきたい勢いなんだけど、
取り巻く自然はその盲目ぶりを察知して、
いろんなところで災害引き起こしてる。

消費社会だからって、
何もかも燃料のように消費して、
前へ前へとつんのめってるけど、
当の人間も自然の一部だから。

大槌のように、留まっていたい土地もあると思う。

時間も多様に考えられると良いんだけど、
資本経済がそれを許さないのよね。
そうやってどんどん忘我の彼方へ葬り去られていく。
もっと大局的に捉えられないもんだろうか。



『上空に光る』を観ての感想です。24日までやってます。

【on_Flickr】0910_AKATSUKI

2018-09-13 | DANCE
笠井瑞丈×鯨井謙太郒「暁ニ告グ」@セッションハウス
写真UPしました〜!
【on_Flickr】0910_AKATSUKI

瑞丈さんと謙太郒さんの血潮滾る「暁」な円舞!
オイリュトミーのアプローチを随所に、
「菊と刀」や三島由紀夫のTEXTを散りばめ、
この国の今後を憂う内容。

特に【三島由紀夫】のイメージに負うところが大きく、
ハラキリ直前の事大主義を憂えたミシマの嘆きを、
体現するかのようなふたりの動きには目を瞠る力強さがあった。

ベートーヴェンの荘厳たる響きの中、
ひたすら迎撃に耐える姿は、
藤田嗣治の『アッツ島玉砕』さながらに
絶望に酔う恍惚感すら感じられた。

思えばミシマも、
特攻隊招集の検査で不適合であった屈辱をバネに、
敗戦後の25年間、自らをBuildUpし、
ハラキリに耐えうる身体の醸成に努める
…という矛盾を成就した男だった。

アンビバレンツ。

「ボクらが闘っているのはフェイクの戦争だ。
国を治めているのはフェイクの政府だ。
でもボクらはそのようなフェイクの世界に、
そのフェイク性との関わり方の中に、
リアリティを見出しているのです。
ボクの書く小説もそれと原理的に同じです。
ボクらはフェイクのシーンを歩いて通り抜けています。
でも歩いているボクら自身はまったくフェイクではない。
リアルな存在です。
それがひとつのコミュットメントであるという意味合いにおいて、
そのシチュエーションはリアルなものです。
それは真実のリレーションシップを有しているものです。
ボクが書きたいのはそういうことだと思う」

(村上春樹インタビューより)

真理を皮一枚で被うフェイク。
実世界を物語抜きで体得できないのが
人間という生き物なのか。

肉体だけが真理を感じ、
掴みかからんとしているのに、
頭デッカチな私たちは、
それをまた物語で包んでしまう。

『暁二告グ』の昂揚感から、
そんなことを考えた夜でした。

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