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沖縄から東京へ!流転の写真日記

【bozzo】茅ヶ崎の夕景

2010-05-31 | PHOTO
05月31日。月曜日。
朝から日輪が東の空に、
穴を穿ったような鮮光を放つ。

強烈な週明け。

ビル清掃のお仕事は、
担当階の改装工事で朝から
ちゃぶ台をひっくり返したような忙しさ。

日輪の鮮光に目をつぶされたい思いにかられる。

      ●

背中の筋肉の硬直がなかなか治まらず、
何をするにしてもカラダがコチコチとなり、

「こりゃ、ぎっくり腰再発も免れまい」

とにかくこの緊張をリリースすることが先決
…と、千駄ヶ谷の東京都体育館へ。

東京移住以来、初の50Mプール。

月曜日の午前中ゆえ、人もまばら。
心置きなく背泳ぎを堪能。
背中の凝りを少しずつ解きほぐしてやる。

約1時間、水の中でのストレッチ。

おかげで腰もだいぶ軽くなって、
明日を迎えることが出来そうだ。

      ●

5月のゴールデンウィークに
茅ヶ崎の海岸でキャンプをした。

その時に収めた写真が、
思いの外、空気を持った目線で
撮られていたので、FLICKRにUP。

0501CHIGASAKI

目指すべき写真の片鱗が、少しだけでも見えてきただろうか?

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【Tom Jobim】コルコヴァード

2010-05-30 | MUSIC
Corcovado / Tom Jobim

部屋の片隅には ギター
恋が生まれ 歌が流れる

恋人を幸せにする歌が
時は静かに流れ 想いと夢を誘う

窓からはコルコヴァード山の
キリスト像が 見える

こんな幸せが 続けばいいのに

君がそばにいる日々が
愛の炎が消えてしまうまで

世界が信じられず 孤独だったボク

でも君に出会い
幸福の意味を知った

     ●

05月30日。5月の終わりの日曜日。
薄曇り、肌寒い陽気。
一仕事を終えたような疲労感の中、
ボサノヴァに浸る。

楽曲を聴きながら、
コパカバーナのビーチに想いを馳せる。

 風がすり抜ける海岸沿いのアパートで、
 夜毎あつまったカリオカのミュージシャンたちが
 階下の眠りを妨げぬよう、小声で歌うサンバ・カンサォン。

それが、ボサノヴァのはじまり。

 波の音を遠くに聞きながら
 バチートに工夫をこらし、
 今を生きる…その想いを音に乗せる。

部屋の窓からはコルコヴァードのキリスト像。

 おそらく陽は西に傾き、
 アンバーな光が光陰の情景を、
 部屋に送り込んでいるのだろう。

 片隅にあるギターが照らし出され、
 サウダーヂあふれる想いを蘇らせる。

 ソファには君のぬくもり。
 今しがたまで居た君への想い。

 ああ、世界が信じられず 孤独だったあの日。

 でも君に出会い、
 ボクは「今を生きる」意味を知った。

      ●

ボサノヴァのような、写真を撮ろうと思う。







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【Vinicius de Moraes】想いあふれて

2010-05-30 | MUSIC
Chega de Saudade / Vinicius de Moraes & Tom Jobim

悲しみさん 彼に言ってやってよ
あなたなしでは ダメなんだと
お願いだから 戻ってきてと
彼なしでは 生きていけないわ

思い出は もうたくさん
彼なしでは 安らぎはないの
終わりがないのは 私の心に巣食う
この哀しみと 憂鬱だけ


 だけどもし 彼が戻ってきたなら
 こんな素敵なことはないわ
 海に泳ぐ魚の数より 
 もっとたくさんの キスをしてあげる
 この両腕にしっかりと
 何万回も 彼を抱きしめるの
 何もいわずぬくもりに包まれるの
 飽きるほどキスの雨を降らせるの
 もう決して独りにはしないわ

      ●

ボサノヴァとは心のあり方
A Bossa Nova e um Estado de Esprito

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【Ronaldo Boscoli】遅すぎたなら、ごめんなさい

2010-05-30 | MUSIC
Se e Tarde me Perdoa / Ronaldo Boscoli & Carlos Lyra

遅すぎたなら、ごめんなさい

知っていたのね 人生の素晴らしさを

遅すぎたなら、ごめんなさい

心を偽りながら 来てしまったのよ

遅すぎたなら、ごめんなさい

夜更けに散った 恋の苦しさを抱いて

遅すぎたなら、ごめんなさい

もう疲れてしまったの
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【Vinicius de Moraes】あなたと私

2010-05-30 | MUSIC
Voce e Eu / Vinicius de Moraes & Carlos Lyla

どんなに頼まれても 行かない

陰口を叩かれても 悪く言われても

月夜のパーティに 誘われても

私は行かない 行きたくないの


微笑んでも 泣いてみせてもムダ

あなたたちが 何と思おうと平気

人生に疲れた女と 噂されてもいい

嫌な友だちを持ったと諦めて

あなたと私 他に興味はない


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【鳩山由紀夫】辺野古移設閣議決定

2010-05-29 | Photo-diary
05月29日。土曜日。
薄曇りの朝。気分も薄曇り。
朝刊に目をやる。

「辺野古移設閣議決定」

大きな見出しとともに鳩山の顔。
絶望的な知らせだ。

持ち上げておいて、落とす。

どれだけの思いがこの辺野古にあるのか、
この男は結局、何も学んでこなかった。

沖縄のことをこれだけ馬鹿にした話はない。
数々の疵を日本政府はこの島に残してきたけれど、
この閣議決定とともに行われる基地建設の映像を想像すると、
あの辺野古の土地が永代まで呪われるような気がして、
とてもじゃないが正気ではいられない。

写真は2000年に行われた「ニライカナイ祭り」の時のもの。

フェンスの向こう側は、アメリカ。
このボーダーラインがそのまま、美しい辺野古の海まで続いている。

ミネラル豊富な島。
人間の根源を知らせてくれる
希有な島。

自然と向き合い、生きること。

そんな当たり前のことを
静かに教えてくれる
原点回帰の島。

その島を日本はまた、蹂躙した。

鳩山由紀夫。どれだけパフォーマーな男なんだ。



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【ぬちまーす】ミネラル長寿説

2010-05-26 | ACT!
5月25日。火曜日。
爽やかで気持ちのよい風が流れる
五月晴れの東京。

こんな朗らかな日々が続いたら
ひとびともおだやかに暮らせるだろうに。

タイで会社経営する友人からのメールは、
そんな幸せを一撃する破壊力だった。

 騒乱は何度も経験してますけど、
 爆弾のモーニングコールとか、家の前で銃撃戦があったりしたの
 初めてだったから。
 津波では支店壊滅したし、空港占拠の時は大赤字したけど、
 それはお金の話しであって、今回は命の危険を感じた。
 大体さ、我々日本人は戦争兵器を身近に感じることないじゃないの。
 目の前で銃弾が飛んでくることも爆弾が爆発することもないし。
 ベランダから見えるビルにプロの狙撃手までいるんだから。
 まいっちゃうよね。
 漫画とか映画の話だよ、ほんとに。
 毎日歩いてる道が焼けてしまうというのも悲しいものがある。
 ビルやらゴムやらが焼ける匂いというのは嫌なものです。
 知り合いの日本食屋も全焼してしまった。
 
寒いだの、暑いだの、私情を挟んでられない状況下だ。
なんというか、地球上には実に様々な生き様があることを
今もって肝に銘じる。

あ、そうそう、友人はこうも書いていた。

 騒乱は終わったのだから、
 平和へとコマを進めるバンコクの日常も報道してほしい…と。

これは映画じゃなく、日常だ。
エンタテインメントを楽しむように報道しないで欲しいと。

      ●

昨日は最近お世話になっている会社で
海水100%のミネラルたっぷりな塩「ぬちまーす」で有名な
沖縄の高安社長の講演を伺った。

「ぬちまーす」は海水を空中散布し、水分を蒸発させる製造方法だから可能な粒子の細かさで
カラダに必要なミネラルを細胞から浸透させ、潤いを呼び込む…とのこと。

なにより驚いたのは、社長の「ミネラル長寿説」。

人間は母のお腹の中では「羊水」に浸って育つ。
「羊水」とはまさに海水と同じミネラルが備わっていて、
だから赤ん坊はミネラルが体内に豊富なのだけれど、

残念ながらミネラルは体内で生成することが不可能なため、
体外つまり食から接種することで補っていくしかない。

昔の大地は堆肥を用いて土壌も豊かだったから、
育つ野菜もミネラル豊富で問題なかったのだけれど、

農薬や化学肥料が主流の現代では、
野菜や家畜からミネラルを接種することはむずかしい。

唯一沖縄だけは、夏に上陸する台風のおかげで
海から吸い上げられたミネラルが毎年散布されて、
食卓に上がる食材は肉も魚も野菜もどれもミネラル豊富で、
だから沖縄県は今も日本一の長寿県なんだと。

それだけミネラルは人間の営みに欠かすことのできない元素で、
…亜鉛・カリウム・カルシウム・クロム・セレン・鉄・銅・ナトリウム・マグネシウム・マンガン・ヨウ素・リン
体外から接種する以外に得る方法がない栄養なのだと。

アフリカの国民の平均寿命が日本に比べて極端に低いのは、
山も台風もない古代の大地でミネラルが枯渇してしまったため、
お母さんの羊水の中にすらミネラルが不足している状態で、
生まれてくる赤ちゃんも生長とともに急激にミネラルが不足し、
やがて生きる力を喪ってしまうからだと。

高安社長は断言されていた。
「ぬちまーすは人類を救う発明だ」と。

「ぬちまーす」さえ毎日接種していれば
生きるために必要なミネラルは常に補給できる。

肌も潤いを保てるし、記憶力も大幅にUPし、頭も良くなる。

      ●

8ヶ月ぶりに触れたうちなーんちゅの温かな雰囲気に、
ボクは何よりうれしくなって、
講演のあいだ頬はゆるみっぱなしだったのだけれど、

こんな豊かな土壌の沖縄に、
米軍基地を開発するといまだにのたまうている政治家に
聴かせてやりたい含蓄のあるお話だった。










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【いだくろ】NEXTREAM21

2010-05-26 | ACT!
遅ればせながら今月あたまに六行会ホールで行われた
いだくろのネクストリーム21の写真である。

彼女たちとは2010年の幕開けに行われた
「ダンスがみたい」新人シリーズ以来。

黒田なつ子さんと年末のイベントで知り合ってから、
ボクが勝手に追いかけているのだけれど、

毎回毎回ダンスという肉体表現に
深く深く分け入っている自分がいる。

彼女たちは、踊らずにはいられない生体〈Creature〉だと思う。

踊ることで「生きる」を体現している。
そして、体を動かすことで「生きることに無自覚」になろう…としている。

それが、ダンス。

音楽もそうだけど、
演じ手たちはプレイしている間、
演奏に、歌に、踊りに、没頭している。

どこまで無私であるか、
それが観客のボルテージに比例する。

演者の魅力は、
楽器そのものになるか、
歌そのものになるか、
踊りそのものになるか、だ。

そういった意味で、ダンスはむずかしい。

もちろん捉えることもむずかしいのだけれど、
演者が生体〈Creature〉として「生きる」そのものに成ることが
なによりもむずかしい…のだ。

「生きる」=「踊る」ために、
彼女たちは日夜エクササイズを繰り返し、血肉とさせる。

その発露が、ステージ上で、5分間花開く。
ボクはその一瞬一瞬を逃さぬよう、必死にファインダーを覗く。

なんと尊い行為なのだろう?

「生きることに無自覚」になる。
そんな哲学的な…とお思いだろうが、
「生きる」とは本来、無自覚なものであるはずだ。

「考える葦」として意識を客体化したあたりから、
人間の営みはどんどん間違った方向へ向かってしまった。
「生きる=死ぬ」の対立項で考えること自体が
生きることに自覚的(客体)だと、最近ボクは思うようになった。

朝日が昇り、夕日が沈み、夜が来て、また日輪が大空に浮かび上がる。

その繰り返しが「生きる」こと。

そのように毎日を謳歌できたら、きっとすばらしい人生だろう。

そこに近づくために、彼女たちは今日も踊る。

      ●

神楽坂セッションハウスにて今週の29日行われる
「Theater 21fes Step Up vol.31」に彼女たちも参加する。

次はどんな「生きざま」を魅せてくれるのだろう、
今から楽しみだ。

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【David Byrne】Psychedelic Afternoon

2010-05-26 | MUSIC
Ryuichi Sakamoto/Psychedelic afternoon

Grandpa swore he'd never cut his hair-in '67
Going on a trip to Grandpa's farm -- the hippie commune
He don't even watch TV at all -- so weird
But my grandpa's cool with me,

Mama says that granpa is naive --from too much trippin'
Grandpa even sang his songs for free--at the demonstration
All the Punks and Yuppie Scum they laugh--at him

Psychedelic Afternoon
Let's all sing a hippie tune
I will sing my song for you
That grandpa taught to me.

We saw a shooting star from on a hill--across the heavens
The real reality is just unreal--in my opinion
Laughing Dancing Joking Talking all--the time
And my grandpa's cool with me

丘の上から、満天の星空に流れ星を見たよね
本当にリアルなものってリアルには見えない
まあ、僕の意見だけど
いつも笑って踊って冗談を言い、話し出すと止まらなかったけど
僕にとっては、とてもクールなお祖父さんだったんだ

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【川崎太一朗】HIT THE ROAD

2010-05-17 | MUSIC
川崎太一朗 on myspace

5月13日木曜日。
横浜関内モーションブルーヨコハマで行われたLIVE。

太一朗さんとは、
以前Icchie Special Session BandのLIVEで面識はあったのだけど、
今回の1st Full Album「HIT THE ROAD」リリースパーティの話は伺っておらず、
ビル清掃のゴミ箱から出てきたチラシで知ったのが月曜日。

あわてたボクは、すぐさまメールを出して撮影したい旨を伝え、
太一朗さんに快諾いただいた経緯となる。

ISSBのLIVEで初めて触れた彼の音色は、
端正な容姿とは裏腹のエモーショナルでファンキーで、
それでいて哀愁を引きずったリリカルさを併せ持った
理想的なトランペットで、ボクは完全に惚れ込んでしまったのだけれど、

今回あらためて彼のリーダーLIVEでその音に触れ、
そのテクニックに裏打ちされた感性の豊かさに、涙が出た。

写真もそうだけど、音楽も「降りて」くるもの…だな、と思う。

いかにオープンマインドで周りの音を「聴き」、
いかに素直に自分の音で「感応」するか…。

太一朗さんのトランペットは
とても繊細にその「感応」を体現していた。

なにより音がいい。管が鳴っている。当たり前だけど。

今回のアルバムのプロデューサーは
SOIL&PIMP SESSIONのトランぺッタータブゾンビさんなんだけど、

そのタフゾンビさんもゲスト参加して、2TPで激しくバトルを繰り広げたあたりは、
文字通りビンビンに空気が張って、どうしようかと思ったくらい熱いものがあった。

通常、自分のリーダー作発表…なんて時は、
花形トランペットを目立たせるべく、
同じ楽器をメンバーに加えたりしないものだと思うけど、

太一朗さんは堂々と2管で勝負して、
見事に自分の音を体現していた。

これもつまりは「聴く耳を持て」ってことじゃないか?

     ●

撮影自体は会場の制約もあり、
はじめの5分しかステージ周りで撮影できなかったけれど、
いや、その5分間でボクのボルテージも最高潮になって
バシバシ感応し、ビンビンになって、体現しちゃった。

いや、でも最後までイキたかった…のが本音ではあるけどね。

素晴らしい時間を感謝。

ぜひとも次回も撮影したいと思う。






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【木村秋則】奇跡のリンゴ

2010-05-17 | ACT!
5月17日。月曜日。
ブルーマンデー。
週末の疲れ、引きずっている。

恨めしいほどの青空。

     ●

「聴く耳を持て」

写真を撮るにあたって、そんな発見があった…と
興奮気味にこないだ書いたのだけど、

この週末、その源泉とも言える本
「奇跡のリンゴ」絶対不可能を覆した農家木村秋則の記録
を読みながら、おろおろと涙を流した。

この琴線の振れ具合はハンパじゃなく、
とても短時間で解説できるような感動じゃないのだけれど、

無農薬でリンゴを実らせた…という事実から
じつにさまざまなことを思い知らされ、背中に戦慄が走った。

話の導入は2006年12月7日放送のNHK「プロフェッシャル」がわかりやすい。

品種改良を繰り返し、もはや農薬なしでは花を咲かせることすらできない「リンゴ」。
その人間に管理されまくった果物を自然に還そうと8年間闘い続けた人、木村さん。

6年目の夏には貧窮の極みに達し、家族7人野垂れ死ぬ現実にとうとう自殺を決意。
死に場を求めて山中を分け入ったその先で、たわわに実をつけたどんぐりの木と巡り会い、
無農薬、無農薬と躍起になったあまり、結局はリンゴの木を管理していた事実に気づく。

…そしてついに8年目の春、7つの花が咲いた。

木村さんは語る。
「人間に出来ることなんて、そんなたいしたことじゃないんだよ。
 みんなは、木村はよくがんばったって言うけどさ、私じゃない、
 リンゴの木が頑張ったんだよ。これは謙遜なんかではないよ。
 本気でそう思ってるの。
 だってさ、人間にはどんなに頑張っても自分ではリンゴの花のひとつも
 咲かせることが出来ないんだよ。手の先にだって、足の先にだって、
 リンゴの花は咲かせられないのよ。そんなこと当たり前だって思うかもしれない。
 そう思う人は、そのことの本当の意味がわかっていないのな。
 畑を埋め尽くした満開の花を見て、私はつくづくそのことを思い知ったの。
 この花を咲かせたのは私ではない。リンゴの木なんだとな。
 主人公は人間じゃなくてリンゴの木なんだってことが、骨身にしみてわかった。
 それがわからなかったんだよ。自分がリンゴを作っていると思い込んでいたの。 
 自分がリンゴの木を管理しているんだとな。
 私に出来ることは、リンゴの木の手伝いでしかないんだよ。
 失敗に失敗を積み重ねて、ようやくそのことがわかった。
 それがわかるまで、ほんとうに長い時間がかかったな」

      ●

この話は、無農薬農業だけで収まっているようなスケールじゃない。
人間の営み、経済の仕組み、地球の未来をも包括するような話だ。

「聴く耳を持て」でボクは
写真は相手の声を「聴く」ことで、相手の声を「取り込む」ことができる…と書いた。
そこに撮影者の「意図」が入ると、たちまち写真そのものがつまらなくなる。

木村さんの話も同じだ。

人間はリンゴの花を咲かせることが出来ない。
リンゴの花を咲かせたのは、リンゴの木自身だ…と。

これは経済も同じ。

物々交換の共通価値として登場した貨幣は、
本来、流通の仲介役以上のモノではなかった。
しかしそこに人間の「意図」が芽生え、貨幣が貨幣を生む仕組みを作ってしまった。
それが「利子」だ。
貨幣は本来、モノとモノのあいだをスムーズに流れる存在だった。
それが「利子」の仕組みにより、貯蓄され、売買され、貸借され、淀むモノとなった。

そして、地球の未来も…。

強欲な人間は地下資源を無尽蔵に掘り起こし、
熱エネルギーの消費こそが人間社会の発展…強いては地球の未来をも保障するものだと思っている。
近年の急激なエコライフブームも、結局はその行為への免罪符でしかない。
地球の声を聴くこともなく地球を管理できると思っている人間に、未来はない。
二酸化炭素を減らしたところで、気休めでしかないと、なぜわからないのだろうか?

解決の糸口は、もっとシンプルだ。
   
   「聴く耳を持て」

つまりは身の丈を知れ…ということか。
木村さんの「8年」という月日が、
その意識改革の難しさを物語っている。

しかし、今始めずして、いつ始めるというのだろう。

ボク自身が出来ること。
それは写真を通して、
そのことを体現し伝えることでしかない。

「奇跡のリンゴ」…これはひとつの警鐘だと思う。











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【bozzo】聴く耳を持て

2010-05-14 | Photo-diary
5月14日。金曜日。
5月半ばだというのに、気温18度。
陽射しは初夏の装いだが、冷気漂う。

昨日、おとといと終電が続き、
睡眠時間が3時間を切った。
さすがに眠い。

今日もこれから打ち合わせ。

ちょっと横になれば良いものを
ブログなど更新している。

      ●

昨日は関内のモーションブルーまで足を伸ばし、
若手トランぺッター川崎太一朗さんの1st Full Album
「Hit the Road」リリースパーティの撮影に。

モーションブルーは制約が多く、
ステージ周りでの撮影は「お客様のご迷惑」となるので
禁止とのことだったのだけれど、

…心躍った。

やはり同じ楽器を演奏している…という
限りない親近感が、ボクを踊らせる。

…太一朗さんを射程に捉え、
 その醸し出す肉体の緊張感から
 ファインダー越しに次のフレーズを想像する。

だからなのだろうか?

捉えられた写真から
トランペットの見事な音が聞こえてくるのだ。

…そして、悟ったのだ。

最近のボクの写真が変わった…と
いろいろなひとから言われるのだけれど、

…どうやら、ボクは「聴く耳を持った」ようなのだ。

LIVEの撮影を数多くこなすうちに、
定着させる写真から音が聞こえてくるようになった。
それがつまりは「聴く耳を持つ」ということなのか?

…被写体がもつ内面の声を捉えようとする結果、
 風の音や光のつぶやきが語りかけてくるようになったのだ。

続きは次回。













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【坂本龍一】二人の果て

2010-05-11 | MUSIC
【YouTube】坂本龍一/二人の果て

舗道にたたずむ ひとりの女は
男をみつめる 言葉もかわさず
乱れた髪に ただ手をさしのべる

つかのま流れる 危険な行方は
炎のように 傷つく鳥のように
いつも いつも 似てる
ふたり何処へ ふたり何処へ 行くの

カモメが舞う空 入り江の黄昏
昔と何も変わらない 風景
苦いコーヒーと 古ぼけたジュークボックス

コインをひとつ 持ってたらちょうだい
きっとこの歌は 幸せを呼ぶから
いつも いつも こうして
聴いているの ここに すわって

      (lyrics by 大貫妙子)

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【bozzo】原点回帰

2010-05-10 | memories
5月10日。連休明け最初の月曜日。
雨の気配をそこはかとなく感じさせる曇り空。
朝からベタつく湿気に同僚のおばちゃんも
 「朝から暑いわね、ホント」
と剥がれ落ちそうな厚化粧越しに笑顔。

こちらも、すかさず笑顔。ニッ。

ビル清掃にもゆるやかな人間関係がある。

       ●

一日中、悶々と企画の骨子にアタマを占有される。
  「自分にとっての原点回帰とは?」
月末までにまとめる企画書のガイドライン。


はて、今のコドモたちには反抗期ってあるんだろうか?
原点に立ち返って、ふとそんなことを考える。

反抗すること、それは自分の思考がひとつの思想を帯びる時。

自我のめざめのとき。

       ●

転校生だったボクは、周りに自分を合わせることで
社会との帳尻を合わせていたのだけれど、
中学2年生の冬、友だちから借りたレコードのおかげで、
ある種の恍惚と戦慄がカラダ中を巡り、自己にめざめる。

…というほど、完成された自己は持っていなかったのだけど。

Motley Crue
1981年デビューのLA出身のハードロックバンド。当時ボクは12歳。
世の中は横浜銀蝿となめネコが席巻していた時代。

一触即発のフラストレーションが社会を取り巻いていたのか、
なんとなく刺々しいモードが「時代の空気」だったのか、
片や松田聖子やたのきんトリオらアイドルがTVを賑わしていただけに、
すべてにおいてアンチな存在である…長髪男の彼らにボクは心底魅了されるのだった。

忌野清志郎が「いけないルージュマジック」でショッキングなキスシーンを見せたのは1982年。
男がルージュをつけてブロンドの長い髪を振り乱し、sexやviolenceを歌っている絵は、
常識ある家庭には、タブーのすべてを詰め込んだような破廉恥極まりないものだったに違いないのだけれど、

だからこそ、いままで型にはまることを良しとしていた転校生のボクにとっては、
「生きる歓び」がそこには詰まっているように見えたのだろう、一瞬にして虜となり、
崖を転げ落ちるかのように、ハードロックやヘビィメタルにのめり込んでゆく。

でも、あのときの恍惚や戦慄がなかったら、
ボクは今のボクではありえないし、
感動で心振るわせるほどの感性を持ち合わせてもいなかっただろう。

今でもMotley Crueを聴くと、馬鹿みたいに感性剥き出しだった
あの時代の自分が顔を出す。

あの時期の多感な自分に、今のボクは何を提示できるのだろう…。

ワケもわからず中指をおっ立てた無垢な自分に。















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【田村隆一】水銀が沈んだ日

2010-05-06 | ACT!
5月6日。連休明けの木曜日。
晴天続きで浮かれ通しのGWも終わり、
「蒸し暑さ」の不快さまで加わった今日の朝は、
東京移住6ヶ月間で一番の高気温を記録したんじゃないか…

と、

よくわからない喜びを噛みしめて神宮前まで来てみたら、
思春期の少年よろしく銀杏並木がモクモクと枝葉を伸ばしていて、
体毛の伸びる早さにとまどって頬を赤らめている…
…親のような居心地の悪さを、勝手に感じた。

      ●

水銀が沈んだ日/田村隆一

追いつめられた鹿は断崖から落ちる
だが 人間が断崖から落ちるためには
一篇の詩が必要だ

寒暖計の水銀が沈んだ日
ニューヨークのイースト・ヴィレッジにある
安アパートをぼくは訪ねて行った

階下は小さな印刷屋と法律事務所
詩人の部屋はその二階だが
タイプライターと楽譜が散らぼっているだけさ

むろん 詩人の仕事部屋なんか
昔から相場がきまっている 画家や
彫刻家のアトリエなら 形の生成と消滅の

秘密をすこしは嗅ぐこともできるけれど
ここにあるのは濃いコーヒーとドライ・マルチニ それにラッキー・ストライク
ぼくには詩人の英語が聞きとれなかったから

部屋の壁をながめていたのだ E・M・フォースターの肖像画と
オーストリアの山荘の水彩画 この詩人の眼に見える秘密なら
これだけで充分だ ヴィクトリア朝文化の遺児を自認する「個人」とオーストリアの森と
ニューヨークの裏街と

      ●

昨日は青山ブックセンターで行われた
大森克己「Bonjour!」発売記念イベントに参加。

計6時間に及ぶトークセッション!
「今日は本音をばらまける。すべてをぶちまける!」と息巻いていた大森氏。

たしかに大森克己三部作の撮影秘話満載で、
「なぜ16カットに収まったのか?」「なぜこのインターバルで3冊なのか?」「なぜウサギなのか?」
…といった素朴な疑問をひとつひとつ繙いて行くカタチで、とても興味深かったのだけど、

なんといっても圧巻は残り15分で登場した
リトルモア社長孫家邦氏だった。

      ●

「この国は今モーレツに最悪ですよ」
そう切り出した孫さん。

「ここまでアメリカの手下を露呈した首相はいない」
…と、沖縄基地問題を批判。

「この国をどうにかせにゃならん!」
…と、2ヶ月前まで臨戦態勢だったらしいのだけれど、

「肩肘はって無理しても、底が知れることがわかった」
…と、ひるがえり、

「達観した。地道に作品を発表することこそが大事」
…と、クリエイティブこそが世界を救うと断言。

その中で特に氏が力説していたのは、
「ストーリーを語るな、物語を語れ!」ということ。


ストーリーってのは「小さな説=小説」的思考で出来上がったもの。
物語ってのは、「重層的に拡がる、ストーリーの総和」つまりポリフォニックな同時代的展開のこと。

ここからはボクの解釈だけど、
「今」という時代をいかに取り込み、表現するか…ということなんじゃないか?

孫さんは、おそらく「小説」という表現形式自体を否定していたように思うんだけど、
村上春樹のようなものがミリオンで売れて、いったい時代が変わったか?…と。

こんな「ヘンテコリンな時代」にしたのは、
他でもないハルキストたちじゃないのか…と。

内に向かって自己の内面ばかりに興味を示し、
自分を取り巻く世界を変えよう!とする虚勢をあざ笑った。

「世界なんて自分の手で変えられるものじゃない」

そんな諦観を植え付けたのは、他ならぬ村上春樹じゃないのか?…と。

      ●

孫さんはここまで具体的なことは言ってなかったが、
「物語を語れ!」とは、時代の空気を読め!ということなのではないか。

トークの中心となった田村氏のセンテンスも、「断崖から飛び降りる覚悟」。

大森さんが写真家の高木こずえさんに対して
「人にまみれているなぁ…」と言ったことにもつながるのだけど、
その重層的な時代の振る舞いに対して、自分なりの言葉を発信する…

その行為が尊いのであって、それが世界を変えるのだ。…と。

「ボクが世界を変えるのだ!」という大風呂敷を広げろ!
6時間に渡るトークイベントを通して彼らが発信したメッセージ。

ボクはそれにえらく共鳴したし、
ボクが東京に来た理由もまさしく「世界を語り、世界を変える」ために来たのであって、
その共振こそが求めていたことだ!とあらためて武者震いがして、うれしかった。

雨だれが岩を穿つように、間断なく発することこそが、表現者に求められていることだ…と。
















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