#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

東京アート探訪 その3

2007-03-31 | Photo-diary
その人はひょっこり顕れた。

73歳。

とてもそのようなお年を召した方には見えない。
黒のスーツを着こなし、俊敏な身のこなしで、客人を案内している。

おそらく外国からの視察だろう。
自分の創造した建築物を隅々まで案内する気持ちって、どうなんだ?

マチエールに至るまで自分の目が行き届いているのだろうか?
「ここをよーく見てください。素材が違うんです。光の加減で文字が浮き上がる仕掛けです。」
…とか、設計者にしかわからないこだわりが随所に散りばめられているのだろうか?

やがて、その人の周りを都民が囲った。

「選挙、応援してます。」「がんばってください!」
…とかなんとか。有閑マダムが笑顔で、2ショットをお願いしている。
もちろん、嫌な顔ひとつせずケータイフォトに収まるその人。

自分の建築物内である。

敵が存在するわけがない。
その威厳を、この大きな創造物が肩代わりしてくれるのだ。
「見なさい。あなたは今、ワタシが産み出した建築空間の中に居るのですよ。」


空間を産み出してしまう建築家ってなんなんだ。


権威をかざして、おのれ自身を大きく感じてしまうものなのか?
「共生の思想」を傘に、都知事選に出馬する勘違いを起こしてしまうものなのか。

自分の力で空間を産み出す経験から、「共生」の意識が芽生えたのだろうが、
そこに「奢り」を感じずにはいられない。

産み出す力が、「人間至上主義」に行き着くのは、容易に想像できる。


その人は、自らの分身である建築物のエレベーターで、高みへと上り、いなくなった。


黒川紀章 Kisho Kurokawa Architect & Associates
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東京アート探訪 その2

2007-03-31 | Photo-diary
アートトライアングルのひとつ、国立新美術館。
都知事に立候補した黒川紀章の建築物だけあって、
オープンとともに話題持ち切り。

まあ、月曜日の午後なんで、
そこそこの来場者だろう…

と思いきや、やはり居ました…有閑マダム群。
オーガンジーの洒落たシャツを着て、赤い紅。
白髪交じりの髪をボブにまとめて、シンプルに落ち着いた感じ。
中には、どうみてもデコラティブでしょ!といったお召し物の方も。
とにかく館内は、人、人、人の渦。

みんながみんな、レオナール・フジタを観に来たわけでもないだろうに。

ここに渦中のCandidate、黒川紀章さん本人が現れるとも知らず。




国立新美術館
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東京アート探訪 その1

2007-03-31 | Photo-diary
笠間の寒々しい曇り空から一転、
月曜日はひさびさに東京でも晴天に恵まれた。

当初から予定していた
東京アート探訪に出かける。

まずは東京ミッドタウン。
この日はマスコミへの内覧会。
声高に案内をくりかえす男性。

サントリーミュージアムがOPENすると、
六本木アートトライアングルが完成。

どうなることやら。
東京ミッドタウン
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笠間で5年ぶりの再会 その4

2007-03-30 | Photo-diary
笠間芸術の森公園内にある、「陶の杜」を散策。

ヒノキの杜の中に、さまざまなカタチの陶が散在する。
この写真も、そんなオブジェのひとつ。
まるで生命体の集まりのように、
風にゆらゆらと揺れる姿を眺めていると、
時間を忘れてしまう。

太陽の光があれば、どれほど楽しげな写真になったことだろう。

他に、陶の古文書が煩雑に置かれた陶の本棚や、
魔女のプラットフォームと呼ばれる旅行鞄が点在する丘、
木琴のように音階を持つ空洞の陶が並んだ陶琴と呼ばれる楽器があったり。

2005年11月に開催された同じ茨城の展覧会
「Beyond the border from here」展を思い出した。

誠に豊かな杜だった。

笠間芸術の森公園「陶の杜」
ギャラリー木葉下(あぽっけ)
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笠間で5年ぶりの再会 その3

2007-03-30 | Photo-diary
茨城県には何度も足を運んでいたが、
恥ずかしいことに「笠間」という市を今回、初めて知った。

なぜこんなに陶芸が盛んなのか?
詳しいことはわからない。

茨城県全体が、アートに力を入れているようにも見える。
⇒「決してそんなことはない。むしろ、遅れてる。」と愛ちゃんは言う。

しかし、水戸芸術館の前衛的な展覧内容や
1991年に行われたブルガリアの作家クリストのアンブレラ・プロジェクトのような
大々的なインスタレーションも、記憶に新しい。

ここ茨城県笠間市も、街と陶芸が密接に関係していて、
GWに行われる陶炎祭(ひまつり)では、220もの陶芸作家が作品を持ち寄り、
相当なにぎわいを見せるようだ。

陶芸のギャラリーが隣接する「ギャラリーロード」を見て回る。
新進気鋭の作家たちが、さまざまな種類の陶芸を展示・販売していた。
どれもこれも沖縄のやちむんとは趣が異なっていて、おもしろい。
やはり、土が違うからなのか?手にした感触からして、硬質な印象がある。



笠間芸術の森公園
クリストのアンブレラ・プロジェクト
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笠間で5年ぶりの再会 その2

2007-03-30 | Photo-diary
その後、彼女は「3ヶ月で戻ってくる」と言い残して、沖縄を離れる。

ボクたちも、せいぜい半年ぐらいで戻ってくるだろうと踏んでいた。
「南米に行ってくる!」って勇んでいったけど、行けて半年だよなあ…って。

ところが、彼女はその後4年間ものあいだ、
南米をメキシコ⇒ボリビア⇒アルゼンチンと南下し、
さらにはスペインへと足を伸ばす「流浪の旅人」となった。

時々、忘れた頃に送られてくる手紙は
写真付きで元気な姿が確認できたが、
日本語もたどたどしく、
銀細工の道売りで生計を立てていると聞くと
ジプシーさながらの姿が思い起こされ、
「ホントに大丈夫なんだろうか?」と
肝を砕いた。

     ●

実際のところ、話を聞いてみると
想像以上に波瀾万丈だったことがわかった。

もちろん、想像の域は出ない。

彼女の南米での毎日が、
沖縄でゆるゆると過ごしているボクに
わかるはずもない。

せいぜいNYでの悪戦苦闘を重ね合わせる程度だ。

「髪の毛に虱がついて、坊主になった。」
「体重が42キロにまで落ちた。」

多くは語らないが、
その実体験から出る言葉の重さに
彼女の4年間を想う。

この4年間の機微に富んだ毎日がきっと、
今後の彼女の人生を彩ることになるのだろう。

5年ぶりの再会は
そのブランクをまったく感じさせなかったし、
彼女の性格やそぶりも昔のままだったのだけれど、
時折見せる「ふっと」した表情や、瞳の奥に
刻まれた「記憶」の深さを感じたりした。

     ●

愛ちゃんは今、
南米生活で培った技術を生かして
銀細工の製作・販売を行っている。

llerva(愛ちゃんのシルバーアクセサリー)


この写真は、彼女の仕事机。
細かい作業を器用にこなして
見事な銀細工を紡いでいた。

くるみを輪切りにしたステキなネックレスを
再会の祝いにいただいた。

今もしっかり身につけている。

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笠間で5年ぶりの再会 その1

2007-03-30 | Photo-diary
羽田空港から上野駅を経由して、一路「笠間市」へ。

茨城県笠間市。陶芸の街だ。

常磐線の取手で乗り換え、友部まで2時間。
水戸の手前だというのに、「鈍行」だから時間がかかった。

友部駅についた時には、日が暮れていた。

5年ぶりの再会を果たしたのは、彼女「愛ちゃん」。
まさか日本で再会できるとは…思ってもいなかった。
そのぐらい、波瀾万丈な5年間を彼女は送っていた。

ちょうど5年前の正月、ボクたちと愛ちゃんは
インドネシアのバリ島にいた。

バリ島北部のウブドにあるイギリス人の別荘(Villa)を
4泊だけ借り受けて、
超ぜいたくな亜熱帯リゾートを満喫していた。

プールが森に向けて、開かれている絶景ヴィラである。
食事はプールの中州にあたるダイニングで、鳥の声をBGMに過ごす。
夜は、森閑としたウブドの息づかいを感じながら、星明かりの下、ワインをたしなんだ。

とにかく、至福の時間が流れていた。

今となっては、夢のまた夢なのかもしれないが…。






バリ島のヴィラに泊まる
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9ヵ月ぶりの東京

2007-03-28 | Photo-diary
03月24日から27日までの4日間、久しぶりに東京滞在。
昨年の6月以来の錦糸町・亀戸界隈へ。

25日の誕生日には、家族揃っての夕食。
久々の再会とごちそうに顔もほころぶ。

おまけにオルゴールからコーヒーミル、真っ赤なシャツにお年玉(?)まで頂く始末。
サプライズな満38歳となった。(ありがとう、感謝m(_ _)m)

Global Warmingの影響か、例年になく桜の開花も早いようで、
近所の緑道もチラホラとうすピンクに色づいていた。

特に月曜日の晴れ間は、気持ちよく過ごすことが出来た。
黒川紀章の国立新美術館や、お台場のノマディック美術館にも足を運んで、
モンパルナスのモディリアーニやレオナール・フジタ、カナダのグレゴリー・コルベールを拝見。
友との再会に話もはずむ。

いい時間を過ごして、心も体もすっかりリリーフされた4日間だった。

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Perfect World by 城 直樹

2007-03-23 | New York
人は切ない存在だ。

EMBRACEABLE YOU

何かを抱きしめていないと、
とてもじゃないが、持たなくなる。

「おぎゃあ」と産まれてからこのかた、
少しずつ何かを失ってきた。

時には音を立てて崩れるようなこともあった。

年を取るとは、そういうことなのだろう。
感覚を鈍らせていくしか術はないのだ。

EMBRACE ME

抱きしめられたいと思うのは、
失われたモノの記憶を引き戻したいから?

おぼろげに刻まれた感触を取り戻したいから?

IRREPLACEABLE YOU

行き着く場所なんかない。
すべて寂滅してしまうんだ。

     ●

城直樹のPERFECT WORLDを聴いた。

アコースティックギター一本で、
オーバーダビングもなしに、
ポリフォニックな音の世界を構築する
希有なギタリストだ。

彼が奏でる「PERFECT WORLD」は切ない。

「完全なる世界」とは、なんだ?

欠けることを知らない世界。
すべてが満たされた世界。

城直樹は、センシティブにPERFECT WORLDを奏でる。

一音、一音、人々の嘆きに封印をするかのごとく。
抱きしめられても満たされることのない思いを受け取るかのごとく。

COME TO PAPA, COME TO PAPA, DO

生まれ出たその日から、ずっと失われてきたその記憶を
静かに手向けるかのごとく。


城直樹 official web site
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妻帰国。

2007-03-22 | Photo-diary
フランスのパリで10日間のバカンスを終え、
今日、妻が無事成田空港に到着した。

8時間の時差で、昼夜が逆転し、眠気が収まらない。

ひとまず体調を整えながら、
残りの10日間を、充足して過ごすようだ。

実家の桜並木もソメイヨシノを咲かせているらしく、
最高気温10度の陽気でも、春はやってくるらしい。


週末はボクの38歳の誕生日。
その日は家族水入らず、パリのおみやげ話を聞きながら、
祝いの酒を飲んで過ごすつもり。

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La Vie en Rose

2007-03-22 | BOOKS&MOVIES
Hold me close and hold me fast
The magic spell you cast
This is La vie en rose

When you kiss me heaven sighs
And tho I close my eyes
I see La vie en rose

When you press me to your heart
I'm in a world apart
A world where roses bloom

And when you speak, angels sing from above
Everyday words seem to turn into love songs

Give your heart and soul to me
And life will always be
La vie en rose

抱いておくれ しっかりと
君のかける呪文 バラ色の人生
君の口づけで天国が吐息をもらす
目を閉じると見える バラ色の人生

君の心臓に押されれば
そこは別天地バラの花咲き乱れ
君が口を開けば空から天使が歌唄う
日々の言葉一つ一つが恋の歌となる
おくれこの僕に 君の心と魂を
そうすれば人生はいつもバラ色の人生

「バラ色の人生」を挿入歌に持ってくるあたりが、すでに切ない。
男と女のつかの間の幸せを歌ったシャンソンの名曲が、
逆光のふたりのシルエットに重なるように流れる。

決してバラ色ではなかったアメデオ・モディリアーニとその妻ジャンヌ・エビュテルヌの
人生を描いた「モディリアーニ・真実の愛」は、アンディ・ガルシアがモディリアーニに心酔して
制作総指揮を司り、自ら主演した映画だ。

アメデオ・モディリアーニは、1884年7月12日にイタリアで生まれ、フランスはモンパルナスで活躍した作家である。
同時代の作家にパブロ・ピカソがいる。スペイン人とイタリア人という異国の作家同士だったこともあり、
お互いを激しく意識した間柄だった。ピカソが名声を欲しいままにしたのとは反対に、
モディリアーニは、天才ゆえの不遇の生涯を36歳で終える。

生涯を貧窮と持病の肺結核で苦しみ、その不遇を紛らわすべく、
大量の飲酒、薬物使用などの不摂生を繰り返す。
妻のジャンヌ・エビュテルヌは、酒と薬で身を滅ぼすアメデオを献身的に見守り、
子どもを身ごもりながらも、1920年1月24日に彼が死んでしまうと、
その2日語に後追い自殺を図ってしまうのだ。21歳という若さで。

「バラ色」とはほど遠いが、愛で燃え尽きたふたりの人生。

切なくてやりきれないが、100年近くたった今でも、
人の心を揺るがす愛の強さを感ぜずにはいられない。

アメデオ・モディリアーニの遺作は妻を描いた「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」である。
映画の中でも、彼の作品はひときわ人の心を打つ。






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Orion DRAFT New Design!

2007-03-21 | Photo-diary
昨日マスコミ各社へ通達、
解禁になったので、やっと紹介できる。

オリオンビールのドラフト缶が6年ぶりにリニューアル!
2001年から使われていた現行のデザインは
50周年を迎える5月18日にすべて切り替わる。

デザインコンペから2年あまり。

瓶ビールのラベルが先行して、
缶デザインはいつから採用されるのか…と
ハラハラしていたが、今年にはいって急展開。

鳥栖や御殿場の製缶工場へも立ち会い、試刷りを重ねた結果、
上品な質感のパールホワイトをベースにあしらったステキなデザインに仕上がった。

街に溢れるオリオンドラフトの看板は
5月を境にすべて入れ替わる予定だ。

空港で観光客を迎える「ようこそ、ビールのうまい島へ」
とうたわれたドラフト看板も、このデザインに差し変わる。

これだけ大規模なパッケージデザインに関われたことを誇りに思う。
(デザイナーA氏に感謝!)

だからこそ、TVCM不採用は、愕然とした。
大事に愛でてきた我が子の晴れ姿を、他者に託すような心境だ。
しっかりと演出し、世に送り出したかった。

なんとか、9月以降の展開には、
自社のクリエイティビティを結集し、
TVCM採用にこぎつけたい。




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逆光に立つドン

2007-03-21 | MUSIC
ステージ上で、スポットライトを浴びるドン。
アセロラダイエッツのドニーだ。

彼の存在がなかったら、
南国ドロップスライブもここまで盛り上がらなかった。

やさしい奴。

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【大盛況!】南国ドロップスLIVE in 桜坂劇場

2007-03-20 | MUSIC
「真栄原社交街から桜坂社交街へ」
…とサブタイトルのついた南国ドロップスの
 桜坂劇場LIVEが、17日夜2100から行われた。

客の入りもまばらで、正直アウトじゃないか…と
開演前まで不安の時間を過ごしていたが、

始まってしまえば…もう止まることが出来ない。

パフォーマンスに飲み込まれないように、
観客の冷ややかな視線にやられないように…
ひたすら自分たちの音楽をプレゼンテーションしよう!

そんな気負いがあったかなかったか…
初めの2曲は、ちょっとカチコチとしていた。

そこに顕れた救世主、「アセロラダイエッツ」のドン。
彼を交えた楽曲「Fat Man Blues」で、観客も肩の力が抜け、
メンバーたちも心底、音楽を楽しむ雰囲気が出てきた。



桜坂社交街と真栄原社交街がうまくミックスされた、
バンドの色が良く出たライブパフォーマンスだった。



何しろ映画館である。
客席300名がすべてゆったりとした椅子を備えている…キビしい空間なのだ。
下手をすれば、寝入ることだって可能なセッティングで、
よくあそこまで盛り上げることができた…と我ながら感心してしまう。


アンコールも無事終了、
劇場入り口での挨拶もみなさん好意的で、
CDの販売とサイン会とで、しばらく賑わった。

いろんな意味で、
一皮向けたライブを行うことができ、
メンバーたちの自信にもつながったことだろう。

次のLIVEも、楽しみ。




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【日曜日】蹴伸びリラックス

2007-03-19 | Photo-diary
さまざまな重荷から解放された(一時的とはいえ)日曜日。
「蹴伸びリラックス」を求めて、いつものプールへ。

重力の緊張を水中で解き放ち、ひたすら弛緩体勢。
蹴った勢いで体を水の流れに任せ、ゆるやかに筋肉を解す。

20歳から欠かさず行っている「蹴伸びリラックス」だ。

「水中」があるからこそ「地上」の生活にも耐えられる。
人間も元を辿れば、シーラカンスまで行き着く。
「水中」生活の記憶も、きっとこの体に刻まれている。

    絶対に。

…そんな宛もない思考で、脳みそも弛緩させながら、
ひたすら手足をばたつかせる【水泳】という運動は、
ボクの存在には、欠かせないものとなった。

20歳の時点からの話だ。…実は。

      ●

田無市に住んでいた小学校1年生の時。
ボクは夏休みの水泳教室が、イヤでイヤでしょうがなかった。


毎日駄々をこねて、「行きたくない」と泣き叫んだ。
母親に蹴飛ばされて、無理矢理ウチを出る。
小学校まで40分もの道のりを、泣きっ面で歩いた。
途中、八百屋の店先で時間を潰す。

時計をチラ見しながら、もぞもぞとしている。

居心地が悪くなると、次の店の軒先へ。
そうやって、できるだけ時間を稼いだ。

小学校のプールに着く時には、すでに次のクラスが授業を受けていた。

「仕方ない」といった面持ちで、ボクは持ってきた水泳パンツを水に浸す。
タオルも適当に湿らして、水泳バッグにしまい込んだ。

復路は足取りも軽く、道草も気の向くまま。
それでも後ろめたいのか、母親の顔が脳裏にちらついた。

「ただいま!」と空元気に挨拶して玄関をくぐった…かどうかは、記憶にない。
そこまで演技派な小賢しい子どもだったら、もっと器用に生きていただろう。

今でも「蹴伸びリラックス」をしながら、時々思い出すボクの水泳エピソード。
それぐらい、【水泳】とボクは切っても切れない関係なのだ。

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