草間弥生オフィシャルサイト
1929年生まれ…というから驚いた。
その存在感。
達者な口ぶり。
英語も話す。
創造力、集中力。
人生のすべてを
クリエイティブに捧げてきた
自我の強さが、すばらしい…と思った。
自我が強いから、
「草間弥生」は絵を描いているのだろうか?
どうもそうではなさそうだ。
絵を描く発端は彼女の場合、病気だった。
少女時代より統合失調症を病み、
繰り返し襲う幻覚や幻聴から逃れるために、
それら幻覚や幻聴を描きとめる絵を描き始める。
…とwikipediaにはある。
表現行為はつまり「世界につかまる体験」…と田口ランディは言う。
それは「恋をする行為」に近い。
自分ではどうしようもない狂おしい衝動がこみ上げ、
制御不能となり、心が世界に持って行かれてしまう。
「自我」よりも「忘我」。
映画の中で、草間弥生はよく自分の作品を誉めた。
「すてきな絵ねええ」「こんな詩、誰にも書けませんよ」
おそらく「忘我」な草間弥生と「自我」の草間弥生が交錯しているのだ。
このドキュメンタリーは2006年から描き始めた
F100号キャンバス50枚に及ぶ大作
「愛は永遠(とこしえ)」の制作過程を追ったものだ。
160cm×130cmの大きな画面を
ひたすら黒のマーカーで描き潰す。
その集中力たるは、忘我の域である。
78歳となり、取材者に「晩年の大作ですね」と言われ、
「わたし、晩年なの?」と切り返す草間弥生。
しかしこの「愛はとこしえ」は
相当なエネルギーの放出だと思う。
しぼんでしまってもおかしくない。
しかし、ますます鋭気盛んである。
矢沢永吉じゃないが、
表現者として憑依しているから
彼女自身の生命は衰えるどころか、
ますます若返ってくるのだろう。
本来、表現とはそのようなものなのだ。
我を忘れ没頭する。恋愛のように。
「世界につかまる体験」なのだ。
草間弥生、79歳。
まだまだ世界は彼女を手放そうとしない。
1929年生まれ…というから驚いた。
その存在感。
達者な口ぶり。
英語も話す。
創造力、集中力。
人生のすべてを
クリエイティブに捧げてきた
自我の強さが、すばらしい…と思った。
自我が強いから、
「草間弥生」は絵を描いているのだろうか?
どうもそうではなさそうだ。
絵を描く発端は彼女の場合、病気だった。
少女時代より統合失調症を病み、
繰り返し襲う幻覚や幻聴から逃れるために、
それら幻覚や幻聴を描きとめる絵を描き始める。
…とwikipediaにはある。
表現行為はつまり「世界につかまる体験」…と田口ランディは言う。
それは「恋をする行為」に近い。
自分ではどうしようもない狂おしい衝動がこみ上げ、
制御不能となり、心が世界に持って行かれてしまう。
「自我」よりも「忘我」。
映画の中で、草間弥生はよく自分の作品を誉めた。
「すてきな絵ねええ」「こんな詩、誰にも書けませんよ」
おそらく「忘我」な草間弥生と「自我」の草間弥生が交錯しているのだ。
このドキュメンタリーは2006年から描き始めた
F100号キャンバス50枚に及ぶ大作
「愛は永遠(とこしえ)」の制作過程を追ったものだ。
160cm×130cmの大きな画面を
ひたすら黒のマーカーで描き潰す。
その集中力たるは、忘我の域である。
78歳となり、取材者に「晩年の大作ですね」と言われ、
「わたし、晩年なの?」と切り返す草間弥生。
しかしこの「愛はとこしえ」は
相当なエネルギーの放出だと思う。
しぼんでしまってもおかしくない。
しかし、ますます鋭気盛んである。
矢沢永吉じゃないが、
表現者として憑依しているから
彼女自身の生命は衰えるどころか、
ますます若返ってくるのだろう。
本来、表現とはそのようなものなのだ。
我を忘れ没頭する。恋愛のように。
「世界につかまる体験」なのだ。
草間弥生、79歳。
まだまだ世界は彼女を手放そうとしない。