#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【bozzo】地域通貨について考える

2010-04-25 | Photo-diary
4月25日。日曜日。
この週末は天気に恵まれ、行楽日和。
来週からはゴールデンウィーク。
陽射しも温かくなれば、気持ちも高揚し、思考も好転するのか。

この週末は地域通貨について「悶々と」考えていた。

      ●

井上ひさしさんについで、多田富雄さんが亡くなられた。
白州正子さんのプリンシプルを嗣ぐ方として
これから読み解いていこうとしていただけに、
その訃報には衝撃が走った。

「生きているというのは、体の中に死を育てていること」
「人間はDNAの乗り物ではなくて、DNAが人間の乗り物」

免疫学を超えた視点が、そこにはある。

      ●

英会話のジオスがNOVAについで破綻。
ワンマン経営ゆえの終末。

世界各国にも教室を展開していただけに、
ただうなだれるのみ。

英会話の能力を高める志があって起業をし、
教室を開いて生徒を募り、「月謝」で生計を立てる。
好評だから教室を増やし、生徒をさらに募る。
外国人の先生を雇い、さらに手を広げ、教室も拡大。

だるま式に資本も膨らむから、どんどん教室も広げ、ついには海外へ。

資本主義経済ではピラミッド式にお金が集まる。
資本調達者がお金を得るカタチだ。
ダブついた資本(利益)は、開発に使わないと税金に持って行かれる。
だからどんどん手を広げる。私腹を肥やす。
あの手この手で利益を隠蔽する。

だから右肩上がりの成長が止まると、その修復が大変。

成長が「前提」の資本主義経済だから、衰退する企業には滅法厳しい。
広げた教室をどんどん畳む。経費を節約する。リストラで雇用を整理する。
縮小に縮小を重ね、無駄を省き、健全な経営状態へ戻す。

その衰退のスピードを読み間違えると、ジオスのように金が回らなくなり破綻する。

生徒を抱えて継続することが事業の根幹なので、
安易な縮小もできず、このような結果になったのだろうか。

      ●

そんなこともあって
ミヒャエル・エンデの「エンデの遺言」を再読。

「根源からお金を問うこと」に再び想いをめぐらす。

お金の価値が時間とともに減価する…という
シルビオ・ゲゼルの思想に則って経済機構の再構築はできないものだろうか?

そのひとつの答えとして「地域通貨」があった。

しかし、2000年頃はこの書物の影響もあって地域通貨も隆盛したが、
今はどこも下火。閉鎖した地域通貨も少なくない。

地域活性化が目的としてある地域通貨は、
結局のところ周辺地域の経済を食って反映する。

先進国が第三国の資源や労働を食って反映するのと同義だ。

資本主義経済の構造そのものを再構築しないと、
やはりむずかしいのだろうか?

経済のしくみ自体を問うことは、
社会のルールを問うことに近い。

「裸の王様」を名指しするようなことなのか?

そんなことをグルグル考えながらネットを巡っていたら、
千葉県の地域通貨「ピーナッツ」は11年目を迎えた今日でも健全に機能しているようだった。

このブログによれば、
リーマンショックの影響で今は「第三次地域通貨ブーム」だそうで、
さまざまな取り組みがアメリカでも動き出しているようだ。

Debelopmentを前提とした経済のメカニズムそのものを
今一度考え直すときに来ていると、ボクは思うのだけど、
この急激な成長ゆえにほつれてきた社会構造を根源から問うのは、
やはり無理な話なのか…。

ジオス同様、衰退のスピードを読み間違えると、
たちまち「破綻」の状況が訪れる…。

いや、実はもう第三国では「破綻」が広がっていて
そこに目を向けられない構造(隠蔽)が、
どんどん状況を悪くしているのかもしれない。

イサカアワー
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【タテタカコ】卑怯者

2010-04-21 | MUSIC
手にとるように感じる心
やさしさと言うのなら
私はちっともあなたの気持ちを
予想すら出来ないし

あなたの助けを求める悲鳴
耳をふさいでしまう
あなたが暗いトコで手を求めても
私はふりはらうし

引っぱる力はありません
引きのばす力もないです
やさしいフリをよそおうことなら
できるけど長くはつづきませぬ


弱い心をくるんであげる
やさしさがあるのなら
私はきっともたれかかりきり
いつまでたっても芋虫のまま

あなたの心情測ってみても
何センチかわからなくて
私の屁理屈並べてみても
どれもまずくて食べられない

肩がわりする力はありません
導いてゆく力もないです
身代わりになる勇気もありません
共倒れする覚悟もないです


ただ自分が倒れないように
ただ自分が立って歩くのを
ただ自分が轢かれないように
ただ自分になってゆくのを

【YouTube】タテタカコ/卑怯者

      ●

4月21日。水曜日。
「なんだよ、この天気」
「昨日は雨で、今日は腫れ、でもって明日は雨」
「気温も14度だったり、23度だったり」
「始発の時間はまだ寒いからコートが手放せないんだよ」
「で、この天気だろ。またコートが荷物じゃねえかよ」
ビル清掃の所長の話。

気分屋の女の子とつきあってるみたいな、そんな毎日。
今日の様子で明日が読めない。

「ねえ、明日は果たして、どんな気持ちなの?」

推し量るしか、術なし。
これも恋みたいで、よろしいか。

      ●

ボクは心に常に音楽が鳴ってないと、生きられないようだ。

Jobimは今でも心を満たしてくれる。
その旋律に身悶えしながら、黎明の空を見上げたりしてる。

でも最近は、この人の歌声が心に響いている。

タテタカコ。

まさに「祈る」音楽。
よけいな説明はいらない。

ざらつく心を直接触るような、そんな剥き出しな感覚。

それでいて昇天しそうな、高音の無垢な音。

静かに降りてくる。
そしてじんわりと心の中を満たしてくれる。

タテタカコの音楽の充足感は
いったいどこからくるのだろう。

サウダーヂ…とは無縁の、
剥き出しでいて、無垢で、瑕瑾も曇りもない、まんまの音。

どろっと、している。
受け取っても、どうしていいやら。
でもそのざらざらした感覚に
いつの間にか心解き放たれる。

…やばい。
しばらく鳴り響いていて、
ボクの心を離さないかも。







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【Villa-Lobos】Bachianas Brasileiras

2010-04-18 | MUSIC
4月18日。日曜日。
砂町銀座へ一週間の食材を買い出し。
天気も良く、陽気でもあり、商店街はにぎやか。

昼飯にネパール人が経営するカレー屋へ。

ワンコインの500円で本場のカレーが食べられるとあって、
お昼時は家族連れで大にぎわい。

ネパール人がつたない日本語でひとりひとりに
オーダーを聞いて回っている。

カレーの種類に【ナンorライス】をセレクトするメニュー設定なので、
客のオーダーに対していちいちネパール人が
「ナンですか?」とオーダーの確認をするのだけど、

そのイントネーションが、「何ですか?」と聞き返しているようで
端で聞いていて、ひとりツボに入ってしまった。

「チキンカレーで」…ネパール人「何ですか?」
「だからチキンカレーで」…ネパール人「いや、何ですか?」
「あ、日本語わからない?chickin-curry,please」…ネパール人「で、何ですか?」

…馬鹿だね。

      ●

ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」である。
マイケル・ティルソン・トーマス指揮「ブラジル風バッハ選集」
なるものを江東区の図書館から借りてくる。

ネットで調べてみたら
2009年8月にヴィラ=ロボス没後50周年企画として
東京フィルによる「ブラジル風バッハ全曲演奏会」が行われたらしく

こうやっていつも後追いに旬を逃している感があって、
なんだか非常にくやしいのだけれど、

CDで初めて耳にする「ブラジル風バッハ」はとても魅力に溢れていて
5番のアリアだけでなく、4番のプレリュード9番のフーガなど、
19世紀末のマーラーやラヴェルをブラジル風に転調させたようなつくりで、堪能した。

特に5番のアリアの歌詞が、まさにブラジル的サウダーヂに富んでいて
Jobimが編んだ詩のようで、ブラジル恐るべし…と感嘆した次第。

      ●

夕暮れ、美しく夢見る空間に
透き通ったバラ色の雲がゆったりと浮く!
無限の中に月が優しく夕暮れを飾る
夢見がちに綺麗な化粧をする
情の深い乙女のように
美しくなりたいと心から希いながら
空と大地へありとあらゆる自然が叫ぶ!
その哀しい愁訴に鳥たちの群れも黙り
海はその富のすべてを映す
優しい月の光はいま目醒めさす
笑いそして泣く、胸かきむしる郷愁を
夕暮れ、美しく夢見る空間に
透き通ったバラ色の雲がゆったりと浮く!

       (Aria text:Ruth V. Correa)




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【SOMEDAY】JAZZ fellow ACADEMY

2010-04-18 | MUSIC
4月17日。土曜日。
朝方から雨が降り、凍える寒さに震撼としていたのだが、
昼頃から陽射しも輝き始め、気持ちのよい週末になった。

新宿1丁目の厚生年金会館向かいあたりにある
JAZZのビックバンドを中心としたライブハウスSOMEDAY
JAZZ fellow ACADEMYのLIVEがあり、撮影に伺った。

SOMEDAYってどんな箱なのか…と思って行ってみると、
予想外に大きなスペースで、しかも気持ちよく寂れていて
テーブルや椅子に趣きもあり、居心地が良い。

地下だというのに天井が高いのが、
閉塞感がなくて、なにより良かった。

JAZZ fellow ACADEMYとしては初のLIVEということで
メンバーのみなさん気合いが入っていて
ボクもDrumsの丸田さんに、新しく作ったHP用に写真を…と
お願いされた経緯もあり、少しばかり緊張をしていたのだけど、

本番が始まってしまうと、
やはり管楽器がこれだけの量で一斉にドカンと音を出すと、
いつものごとく心臓ワシヅカミで高揚してしまい、
その高揚感そのままに撮影したい気持ちと、実際の絵の不甲斐なさで
いつもワジワジするのだ。

特にビッグバンドは雛壇に奥からトランペット、トロンボーン、サックス…と
音の強いのを後ろに3列で並んでいるため、トランペットソロなどは
演奏者の意気込みほどに力強い写真が撮れない。

あああ、もったいない。

…と望遠レンズで狙ってみるが、
今度は奥行きがつぶれてしまい、音の立体感・空気感といったものが、
まったく伝わってこない。

おまけに老舗のジャズハウスだけあって照明に無頓着だから、
ソリストを照らすなどという演出もなく、ムーディな楽曲でブルージーな色みになるわけでもなく、
楽曲に違わずひたすら白熱灯の色温度2500ぐらいの赤みかかった感じで、
こちらとしても画額で音楽の雰囲気まで伝えなければならず、

あああ、なんとも、むずかしい。

2時から始まった2ステージをひたすらワジワジしながら、
ステージに近づいたり、遠のいたり、観客の迷惑顧みず、
試行錯誤を繰り返すのだった。

「丸田さん、そういうわけであまり期待しないで待っててください。」


それにしても、楽器を手にしなくなって半年。
トランペットを見るだけで、気持ちが疼いて、
人生を2度生きることが出来たなら…と無為なことを考える。

もう、生まれ変わるなら音楽漬けの人生…
LEE MORGANみたいに音楽以外がめちゃくちゃだらし無くって
30半ばにして女に銃殺される…みたいな燃え尽き系の人生でいいから、
時代の華としてそのステージで陶酔させられたら、本望。

なかなかうまく…いかないものだね。









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【bozzo】さくら サクラ 桜

2010-04-14 | Photo-diary
4月13日。水曜日。
気温15度。
今日も晴れやか。

フィルムで撮った桜の写真が
沖縄から上がってきた。

東京の春めいた陽射しに
浮き足立ってるボクの気持ちが
しっかり定着していて、うれしくなった。

【FLICKR】March/2010

覗いてみて、疑似体感してもらえると、ステキだ。

      ●

実は、フィルム現像は今でも沖縄で行っている。

昔から付き合いのある沖縄県の北中城にある現像所で
親身になってデータ処理まで行ってくれるので、
東京に来てもホント、お世話になりっぱなし。

Reiz Photo

そのReiz Photoの照屋さんを中心とした12人の写真家が
このゴールデンウィークにグループ展を開く。

「写真する人 vol.2」

「沖縄」に生きる、「今」を生きる
若手写真家12人の異なる視線

【日時】
2010年4月 29日(木)~ 5月9日(日)
9:00~18:00 (金・土曜 9:00~20:00)

【イベント】
・アーティストトーク/5月2日 15:00~
・スライドショー/5月8日 13:00~

【場所】
沖縄県立博物館・美術館 県民ギャラリー1・2・3
沖縄県那覇市おもろまち3-1-1
(サンエーメインプレイス隣)

【入場無料】

【参加メンバー】
伊波 一志
大湾 朝太郎
こうちまき
島袋 常貴
タイラジュン
タケヤスコウキ
田村 ハーコ 浩子
照屋 俊
中川 大祐
仲村渠 ヒロシ
東 正洋
ヤフネ アキヒロ

主催:写真する人実行委員会
共催:文化の杜共同企業体
協賛:オリエンタルホビー、沖縄テクスファーム、
   クラウンハート沖縄、Cote D'or、ノイズバリュー、
   VIVACE、㈲ラミネックスセンター

【問い合わせ先】
Reiz Photo (ライツフォト)
TEL & FAX 098-895-9020
info@reizphoto.com

      ●

ポスター&DMのデザインは
最近、高円寺南から高円寺北に引っ越した
サイトヲヒデユキさん。

ボクが中学生時代に住んでいた高円寺北四丁目のご近所だ。

それだけで、ボクはうれしい。

サイトヲさんは、去年この「写真する人」の
グループ展がきっかけで知り合えた敏腕デザイナーさん。

東京に来てからも
いろいろとお世話になりっぱなし。

サイトヲさん、こないだは酔っぱらって
寝てしまってスミマセン(汗)。

あの日は、もうお酒は飲まないって
宣言させられました。(猛反省)

でも、また飲みましょう。
チェイサーつけて、酔わないようにしますから。




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【bozzo】ボタンの掛け違い

2010-04-13 | Photo-diary
4月13日。火曜日。
昨日とは打って変わって、春日和。
あたたかい。すばらしい。
陽射しがあるだけで心持ちがちがう。

気温は倍の20度。

これだけ温度差が日によって違うのだから、
膝や腰に爆弾抱えてる人は辛いよね…って、
毎日リハビリ通ってると、そんな目線にもなってしまう。

      ●

エイトル・ヴィラ=ロボスである。
【YouTube】VILLA=LOBOS/Valsa da Dor
あいかわらずブラジルである。サウダーヂである。
一度のめり込んだら、なかなか井戸から出てこられない性格なもので。
生活そのものが、引きこもりに近いかも知れない。

      ●

思った通りジョビンはヴィラ=ロボスを敬愛し傾倒していて、実際に1956年彼らは出会っていた。
この楽曲は先日のブラジル風バッハ5番にインスパイアされた曲らしい。
【YouTube】Canta,Cantamaia / Tom Jobim
なるほど、よく似ている。Jobimの優しさが沁みているけれども。

      ●

これらの楽曲に通ずる後ろ髪を引かれる想い…みたいなもの
ボクはそれを勝手に「サウダーヂ」の一言で片付けていたのだけれども、
振り返ってみたら、ボクはそういう類いの楽曲を昔から好んで聴いていた。

【YouTube】Mahler Adagietto / ヴェニスに死す

マーラーの5番。ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」で通底テーマとして流れるアダージョ。
老獪な作家アッシェンバッハがヴェニスに立ち寄り、美少年タージオに禁断な恋心を抱くが、
当時大流行していたコレラに罹ってしまい、ヴェニスにて不慮の死を迎える。

禁断の恋と救われない疫病が交錯し、無常を湛えたアダージョがその「ボタンの掛け違い」の無念さを代弁する。

サウダーヂとはこの「ボタンの掛け違い」なんじゃないか…と思い至った。
掛け違ったボタンは最期まで修復不可能なまま終わりを迎える。
時間を遡ることはできない。ひとつの掛け違いが、すべてを決定づけてしまうのだ。

しかし諦めきれない想いだけが、ひたすら空回りを繰り返す。

「サウダーヂ」とは、時間概念を多分に含んだ愛着(あいじゃく)の念だと思う。
年寄り特有の欲にまみれた想い…と言ってしまうと、ドロドロとして美しくないが、
若者はそこまで愛に執着はしない。愛を語る時間が無尽蔵に控えているからだろう。

しかしこの「ヴェニスに死す」のように、迫り来る死を予感した者には、切実な問いとなる。

      ●

【YouTube】My Reason / モディリアーニ「真実の愛」

もうひとつ。アンディ・ガルシアが惚れまくって、映画まで作ってしまった作家Modigliani。
19世紀末の混沌とした時代に翻弄され、35歳で結核により早逝してしまうのだが、
絵が評価され、妻のお腹に命が宿った矢先の死であったゆえ、若気の不摂生が悔やまれてならない。
まさにこれも「ボタンの掛け違い」。妻であった21歳のジャンヌは夫の死後、アパートから身を投げた。

救われない話だ。そこにサウダーヂを感じてしまう。

      ●

【YouTube】Be My Last /「春の雪」

行定勳監督が三島由紀夫の原作を映画化して話題になった「春の雪」。
これはもう究極のサウダーヂじゃないか…なんて、勝手に思っているのだけど、
主人公の松枝清顕は、伯爵の娘綾倉聡子と幼なじみであるがゆえに恋心を吐露できずにいたのだけど、
公家との見合い話が成立したと聞いたとたん、猛烈な勢いで彼女を欲する。
これはもう、三島美学とでも言えようか。自らが導いた「ボタンの掛け違い」である。
…禁忌の愛にこそ、純潔が芽生える…という背徳な教えに、三島に傾注していた時代、ボクは身悶えた。

やがてその不浄は子を孕むことで露呈し、綾子は出家、清顕は京都の出家先にお百度参りし、
面会を申し出るも綾子は断固拒絶、身を粉にした申し入れが結核を招き、死に至る。

これもまた救われない話。そこに愛着(あいじゃく)な想いサウダーヂを感じてしまう。

      ●

ちなみに愛着(あいじゃく)とは、
世俗的な欲望を捨てきれず、愛情にとらわれ執着すること。
特に、無情の免れない事を悟らずに、苦の多き現世に執着する事を愛着生死という。
転じて、慣れ親しんだものに、心を強く惹きつけられ、離れたくなくなるという意味でも使用される。
…とウィキには記されている。

業の深さ、人間味溢れるその想いにボクはどうしようもなく惹かれてしまう。
だからいつまでたっても「ヨコシマな曇った眼」を拭えないで生きているのだ…と思う。




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【bozzo】桜ばないのち

2010-04-12 | Photo-diary
4月12日。月曜日。
気温10度。いわく2月の気候。

左足靭帯損傷のリハビリを行いながら
柔道整復師との会話。

「サクラ終わっちゃいましたね」
「今年は天気に恵まれませんでしたよね」
「今日も2月の気温だって言うし…」

こんなサクラ談義が出来ることが、
どことなくこそばゆい感じがして、
少しだけ…うれしい。

こうやって毎年サクラは、みなに期待され、満開の花広げ、
やり切ったかのように、みなに惜しまれて、花散らす。

 「桜ばないのち一ぱいに咲くからに 生命をかけて わが眺めたり」 岡本かの子

朝日新聞の天声人語で知った一句。
いのちを賭けて咲いてる桜に自身も命をかけて眺める。

こんな気温の下で、雨に打たれ散りゆく姿を眺めていると、
なんというか日本人の連綿と受け継がれてきた無常観が、
この愛らしいサクラの花に込められているようで、胸が悼む。

  サクラにサウダーヂ。

いやいや、ブラジルかぶれもいい加減に。





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【Heitor Villa-Lobos】ブラジル風バッハ

2010-04-11 | MUSIC
4月11日。日曜日。
仙台堀川公園の「桜まつり」も昨日で終了し、
サクラとセットで目に入っていたテキ屋の屋台も
キレイさっぱりと居なくなってしまった。

茫洋とした陽射しの中、花びらがさらさらと舞い落ちる。

花びらに替わってキミドリの若葉が顔を出し、季節の移ろいを提示する。

すでに4月も半ば。

ゴールデンウィークなどという新たな風物がやってくる。
「鯉のぼり」が「サクラ」に取って代わるのも、もうすぐだ。

      ●

ブラジルの奥の深さに圧倒されっぱなしなのだが、
昨日は東品川文化センターまで足を伸ばし、
カポエイラのRODA(ホーダ)を見学してきた。

RODAとは集会・輪という意味で、
文字通り輪になってカポエイラを楽しむ場。

2時間もの間、ノンストップでビリンバウが鳴り響く。
コール&レスポンスでその間、カポエイラの歌が継がれる。

ものすごい迫力。

文化センターの音楽室が、ブラジルの打楽器と
ポルトガル語の大合唱で2時間満たされる。

そのただ中にいて、ひたすら演者の動きを目で追う。
これはもう、言葉では伝わらないものがある。

右に左に繰り出される足、お互い交わることなく接近し、
戯れるようにカラダを寄せ合い、勝機を伺う。
カポエイラは音楽を伴う武道だ。
その旋律の抑揚としなる肢体に、ブラジルの土着を見た。

Grupo de Capoeira Angola Pelourinho Japão

      ●

【YouTube】Heitor Villa-Lobos/Bachianas Brasileiras No. 5, Aria (Cantilena)

そして、今日なにげなく発見したのが、エイトル・ヴィラ=ロボスなるブラジルの作曲家。
ボクもまだ実体を掴めていないのだけど、1887年から1959年という生涯の中で
「ブラジル風バッハ」(Bachianas Brasileiras)なる全9曲の組曲を1930年から作曲していて、
そのひとつのNo5のアリアが、ものすごいサウダーヂに溢れていて驚嘆した。

1930年。
Jobimが生まれてまもない時代に、
これほどの完成度の高いカンタータが歌われていただなんて。

ブラジルって、いったいなんなんだ?

ボクの興味を引きつけて、離さない。

Nana Mouskouri & John Willams / Bachianas Brasileiras 5
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【藤田陽介】青

2010-04-09 | MUSIC
藤田陽介official web

泳いだ魚になって 剥がれた ボクは正直者
泣いた産声な方へ 泣く泣くついてきたの
泣く泣く生きてゆくのさ

ボクは変わってゆきたい あいまいな感情に涙して
動いた こうしてる間にも 宇宙は広がって
地球は飛んでゆくのさ

朝のもやけ 沈む夕日 昨日の残像とか
切なくて 揺れていた 笑顔とか

誰もがひとりで生まれて 誰もがひとりで無くなって
ふと振り返ってみたり 話がしたくなったりして
ようやく ひとりなコトに気づく
そこにボクが居た いつでも それだけだった

空のすき間 風の匂い いつかの恋人とか
寂しくて 触れた肌 気持ちとか

想、ひとりきりで 想、青くなって 想、
だからきれい………

空のすき間 風の匂い いつかの恋人とか
寂しくて 触れた肌 気持ちとか

泳いだ魚になって 剥がれた ボクは正直者
泣いた産声の方へ 泣く泣くついてきたの
泣く泣く 生きてゆくのさ

【YouTube】藤田陽介/青

      ●

4月9日金曜日。
サクラもそろそろ散り始め、
なんとなくココロも次のステージを求めている。

こないだ朝日新聞の紙面上で2010年度の朝日広告賞が発表されていたんだけど、
一般公募の部はどれもハッとさせられる視点で完成度が高く、思わず微笑んでしまうものばかり。

総評で森本千絵ADが
「正しいことをそのまま伝えるだけでもなく、賞をとるというルールにはまったものでもなく、
 この時代の中で、もがき発見し、自身でも感動できることを、ちゃんと伝える姿勢に
 私たちはココロ動かされ、眼が喜ぶのです。」
と、本音で語っていたのが印象的だった。

共通しているのは「コドモの目線」。

目の前に広がる世界をダイレクトに捉え、純粋な感覚で租借し、面白がっている。
それをコピーとヴィジュアルで昇華してるから、シンプルかつストレートで強いのだ。

      ●

藤田陽介さん。

2月13日のBreathMarkさんのLIVEで初めて触れたんだけど、
この楽曲の世界観はまさに「コドモの目線」。
いや、コドモのココロを持った目線と言ったほうがいいだろうか?

 朝のもやけ 沈む夕日 昨日の残像とか
 切なくて 揺れていた 笑顔とか

 空のすき間 風の匂い いつかの恋人とか
 寂しくて 触れた肌 気持ちとか

記憶の奥に残っていた事象が、走馬灯のように流れてゆく。
生きてきた時間が、風となって通り過ぎる。

そんな剥き出しの感覚に陥るぐらい、この曲の純度は高い。

そう思った。










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【Ary Barroso】Pra Machucar Meu Coracao

2010-04-04 | Photo-diary
4月4日。日曜日。
朝から両足がツッて起きた。
最悪の目覚めである。

悶え悶えしながらアキレス腱を伸ばし、
ふくらはぎの硬直を解く。

昨日はYossy Little Noise Weaver
3rd Album リリースパーティ。

リハから会場に入って心底楽しませてもらったのだけど、
変な緊張でもしていたのだろうか…、朝になって両足がツるなんて。

沖縄の興南高校がセンパツで優勝したことを新聞で知る。
地元にいないとニュースもこんなに温度差がある。
おそらく沖縄はちゃぶ台をひっくり返したような騒ぎなはず。
ああ、すっかり縁遠くなってしまったなぁ。

昨日のLIVEの余韻に浸りつつ、
ゲストの方々をネットで再確認していたら、
ファインダー越しに見ていた方々はみなさん凄い人だった…のね。

PLASTICSってどんなバンドだったのだろう?
昨日のパフォーマンスがとても魅力的だったので調べてみたら立花ハジメもメンバーだったのか…。
1978年デビューっていうから相当年期がはいった中西俊夫さんのステージングだったのだけど、
会場のオーディエンスが完全に呑み込まれていたし、

女性ボーカルで参加の野宮真貴さん
ピチカードファイブの「東京は夜の7時」を歌っていた人だったのか…と
認識すると、後から恐れおののいちゃったりして。

もうひとつのバンドGAPPY & LOPEZだって
大人な脳内トリップを増幅させる見事なギターサウンドを聴かせてくれたし、

エマーソン北村さんはソロで20分ほどのステージだったのだけど、
MUTEBEATやTHEATRE BROOKなどボクの音楽体験には常にコアとして存在しているプレイヤーだから、
その一音一音が身体のツボを押さえるようにボクには感じられて、たまらなかった。

もちろんYossyLNWは、トリを押さえるサイコーのステージで、
時間があっという間に過ぎてしまったぐらいそのグルーヴ感はハンパなくって
「ちゃんと写真撮ってたかなぁ…」と反省してしまうほどに夢中。

…とまぁ、この日の模様は後日また紹介していきたい。

      ●

【YouTube】João Gilberto - Pra Machucar Meu Coração - São Paulo - 1994

ボクたちの愛が終わりを告げて
一年半になろうとしている
もの狂おしい幻想
サビア、そしてギター
それだけが残されたすべて
眺めるたびに心を痛める

こうなることが一番よかった
キミのためにも ボクのためにも
人生は学校のようなもの
苦しまずに生きる術を
身につけるための

Palpite Felizi

      ●

ああ良い曲だなあ…と、今更ながらに再発見して、
コンポーサーは誰だと辿ってみたら、Ary Barroso(アリー・バホーゾ)って
未来世紀ブラジルのメインテーマの原曲者で、1964年に亡くなっているのだけれど、

Jobimとは違ったブラジル愛を感じて、鳥肌がたった。

詩の内容がここまで哀しいものなのに、
サンバ・カンサォンの優しい調べで沁み入るように歌われると、
やはりブラジルの自然が、光が、そこに在るようで、
その懐の深さにちがった涙がこぼれる。

「家具の音楽」というとErik Satieだけど、
Meu Sabia Meu Violao…と来ると、ボサノヴァも家具に沁み入る音楽だなぁと思う。
日々の生活があって、音楽なんだなぁ…と。

「それだけが残されたすべて…眺めるたびに心痛める」

なんというサウダーヂに溢れた言葉。
ああ、ボクはもう、音楽が愛おしくて、仕方がない。

…スポンジみたいに沁み入ってばかりいる。









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【bozzo】体感…サクラ

2010-04-02 | Photo-diary
4月2日。金曜日。
湿気が充満したドロっとした空気が
朝から首筋に張り付く。

なんとも重苦しい感触。

始発の地下鉄に乗っていても
雨と土の匂いを感じる。

春…だから?

いろいろな命が芽吹いて
もぞもぞと動き出したような…
そんな湿り気を帯びた4月のはじまり。

昨日の陽射しで気持ちよく開いたサクラ。

今日は少し重たい空気の中、さらに背筋を伸ばして
思いっ切り花弁を空に広げていた。

      ●

18年ぶりに間近で見る、東京のサクラ。
自分がこんなにココロ踊るとは…思ってもみなかった。

木の枝に芽吹いた蕾が、徐々に色付いて
春の気配とともに花弁の緊張を解き、花開く。

…可憐だ。

「春」という季節にふさわしい、ウブな装い。

足下から襲ってくる長い長い東京の「冬」も
この「春」を迎える演出だったのか…。

あの閉ざされた季節があったから、
今、こうやってココロ解きほぐし、
真っ正面から「春」の悦びに浸ることができる!

      ●

昨日の新宿御苑は、そんな解放感を味わうには
最高のシチュエーションだった。

たくさんの笑顔が満開のサクラの木の下に集っていた。

こんな光景は、久しく体感していなかったなぁ。
…なんともいえない、日本の光景。
日本人がサクラを愛でる気持ちに、ようやく追いついた感じ。

      ●

夜桜見物も、風情があって、いい。

桜色の提灯が灯り、
「タコヤキ」「おでん」「すもも飴」の屋台からは、
食欲を刺激する匂いが。

ブルーシートを敷いて集ったサラリーマンたちも、
提灯の明かりで静かに酒を交わしている。

仙台堀川沿いの桜並木は、
住宅街ってこともあり、
サクラが主役の落ち着いた夜桜見物だ。

東京に来て半年。
「春」を体感して、勝手に「夏」を想像して、
「Tシャツ1枚の解放感」を夢想する。

もうすぐ。   もうすぐだ…ボクの季節。













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