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沖縄から東京へ!流転の写真日記

【ゆれる。】昨日は大盛況!

2009-05-30 | PHOTO
桜坂「g」で行った昨日の写真展オープニング。

身内の友人とモデルになった女性たちにしか
告知していなかったが、

夜も更けるとともに来場者が増え、
桜坂「g」は大盛況。

お祝いのシャンパンもすぐに空いてしまった。

CMディレクターの福永周平さん
本日行われる「dotFes2009OKINAWA」のレクチャー
構築中にもかかわらず足を運んでくれた。

元hands編集長の幸田悟さんも「SOIL&PIMP SESSIONS」の
桜坂セントラルライブの後、駆けつけてくれて感激!

モデルになった女性たちも
大方来場し、自分の写真に見入っていた。

こういった交流が、
次なるムーブメントにつながる
…とボクは信じている。

      ●

本日、桜坂「g」は
オーナーケンちゃんの
ユニコーンライブ参戦のため
23時open!お間違いなく。

お待ちしています。




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【bozzo】本日オープニング

2009-05-29 | PHOTO
昨日から始まった
2つの写真展。

流求茶館ではさっそくiRADIOの取材があり、
パーソナリティの服部京子さんから
取材を受ける。

お近くに在住の写真家東松照明さんも
いきなり登場で、こちらも大変恐縮。

     ●

夜は桜坂「g」にて東京在住のデザイナー
サイトヲヒデユキさんをお出迎え。
写真談義に花が咲く。

その後、名作をマンガ化されて話題の漫画家兼久さん
スタッフを引き連れて「g」へ。
久々の再会を喜び合う。
結局、夜中の3時まで桜坂に滞在。

今日も20時から桜坂「g」で、写真展のオープニング。
さまざまな人たちの交流を楽しみたい。


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【ゆれる。】こちらもいよいよ明日から!

2009-05-27 | PHOTO
桜坂「g」。
オーナーのケンちゃんも
気合い十分で臨んだ搬入。

全54点。

その生半可じゃない点数に
さすがのケンちゃんも

「貼れますかね?」

しかし、いやいや、どっこい。
展示してみたら、この空間にはちょうどいい点数。

「ほらね、ちょうどいい。」

こちらの搬入はランダムに貼り込んだので、
3時間で終了。

2つのExhibition、
見事な出来映え…と自負。

以下、「ゆれる。」のあいさつ文。

      ●

ボクたちは
エロスとタナトスをせはしく明滅させながら
風景と呼応し、宇宙と呼応し、
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈のひとつの青い照明だ。

1924年の宮沢賢治の時代から
ボクたち人間はそんな明滅を繰り返してきた。
これから先の人間たちだって、きっとそうだろう。

考えてみたらボクたちは
得体の知れない銀河系という大っきな器の中で
行き先もわからぬまま、ずっと明滅しつづけている。

…どうだい?…心が大きくゆれてこないか?

でもね、
キミとボクとが向き合えば、
その明滅に指向性が得られる…と思うんだ。
(共振ってやつ?)

ボクたちは今を生きる。
お互いを感じ、交流することで
大きく今をゆれてみよう。
因果交流電燈のひとつの青い照明として。

      ●

明日はどちらの会場にも
しっかり同席するので、ぜひ。

29日の金曜日は、
桜坂「g」にてオープニング。

ケンちゃんがこの日のために
ワインセラーまで購入。
イタリア産「g」というラベルの赤ワインも
しっかり仕入れ済み。

ステキすぎる!



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【臺灣】いよいよ明日から開催!

2009-05-27 | PHOTO
牧志の「流求茶館」にて
明日からいよいよ開催される【臺灣】写真展。

お店がお休みだったので、
昨日のうちに搬入を済ませた。

写真点数は全32点。
設置した本人も、見応え十分…と満足。

RBCiラジオ「台湾に吹くうちな~んちゅの風」にも取り上げて頂く予定だ。

以下、あいさつ文。

      ●

台湾には2度行ったことがある。
併せて一週間ほどの滞在期間だ。
そのほとんどが台北近郊だ。

(どうしても温泉に入りたくて、
 それだけのために台湾新幹線に乗り、バスを乗り継ぎ、
 片道4時間かけて「関仔嶺温泉」には行ったが…。)

ま、それぐらいの知識しか持ち合わせていない。
そんな人間が大胆にも写真展だなんて、おこがましい。
…とは、残念ながら思っていない。

台湾は、たった一週間の滞在でも、こんなに面白い光景に出くわす所なのだ。

那覇空港から1時間。チャイナエアラインは毎日運行している。
隣国、台湾。

「食」の魅力もさることながら、街全体が活気に満ちていて、面白い。
原住民族もまた。多岐に亘っていて、気になる存在だ。
温泉地の背景も、日本統治と絡んでいて、なかなか勉強になる。
もちろん「お茶」も、その種類と味の深さは、虜になる。

そして、何より「小琉球」「大琉球」の間柄である。
だから、もっともっと沖縄と台湾は馴染んでも、いいと思う。

      ●

そんな写真展をご堪能あれ。

本日は桜坂「g」の搬入日。
こちらは壮大なスケールで「ゆれる。」写真を展開。
けっこうな写真展2つ…見逃す手はない。




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【谷川徹三】雨ニモマケズ

2009-05-24 | BOOKS&MOVIES
「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」

宮沢賢治の言葉。

読み解けば読み解くほど、
賢治の自己を律する心の強さに惚れ惚れとする。

 「雨ニモマケズ」谷川徹三著

宮沢賢治と同時代の哲学者であり詩人でもある著者が、
かの谷川俊太郎の父と知った時の衝撃。

1896年に生まれ、
「雨ニモマケズ」や「銀河鉄道の夜」に
代表される聖人化されたイメージで、
遠い過去の巨人という認識だったが、

あの俊太郎の父と同世代であった…と聞かされると、
なんだかとても近い人物に思えてきた。

 感受性というものは、
 あらゆるものを味わって究極に至るもの、
 つまり「自己拡大の極」と、
 
 清らかで透明な状態にいつもそれを保つ、
 「自己放下の極」とを両極とするものであります。
           (「雨ニモマケズ」谷川徹三著)

西洋的貪欲さが「自己拡大の極」であれば、
日本的清冽さが「自己放下の極」だと、著は説く。

ワインやチーズの、発酵度合いやクセに味わいを求めるのと、
大根や人参の、素材の甘さや香りに食の悦びを得るのとの違いだろうか。

 賢治の芸術もその意味において決して素朴ではない。
 ただ、しかしながら、自己拡大の極にどこまでも執しようとするものと、
 その自己拡大の極を通して自己放下の極みに至ろうとするものとの間には、
 やはり大きな違いがある。   (同著)

冒頭の「銀河系を自らの中に意識して」や「雨ニモマケズ」から見える
賢治の世界観は「足るを知る」法華経的な禁欲精神である。

しかし、裏を返せば、彼はそれだけ「自己拡大」な欲求の強い人間だった。
だから自らを「修羅」とし、それゆえに執拗に禁欲を求めたのではないか。

そして、己の欲深さ故に、他人の情念を敏感に感じ取り、
情念から派生する「嫉妬」「羨望」「怨恨」「傲慢」「虚栄」「名誉」の行く末を嘆いたのではないか。

 ただひとつどうしても棄てられない問題は、
 たとへば宇宙意志といふようなものがあつて
 あらゆる生物をほんたうの幸福にもたらしたいと考へてゐるものか、
 それとも世界が偶然盲目的なものかといふ
 いわゆる信仰と科学とのいづれによつて行くべきかといふ場合、
 私はどうしても前者だといふのです。
 
 すなはち宇宙には実に多くの意識の段階があり、
 その最終のものはあらゆる迷誤をはなれてあらゆる生物を窮境の幸福に
 いたらしめようとしてゐるといふ、まあ中学生の考へるような点です。

このような「愛」の深き人間に「ワタシハナリタイ」。                    


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【宮沢賢治】-1925.10.25- 告別

2009-05-24 | BOOKS&MOVIES
おまへのバスの三連音が
どんなぐあひに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい

その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた

もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかがやく天の仕事もするだらう

泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに

おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管とをとった

けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう

それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ

生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ

すべての才や力や材といふものは
ひとにとどまるものでない
ひとさへひとにとどまらぬ

云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう

そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子をその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない

なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ

もしもおまへが
よくきいてくれ

ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる

おまへはそれを音にするのだ

みんなが町で暮らしたり
一日あそんでゐるときに

おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ

多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ

もしも楽器がなかったら
いいかおまへはおれの弟子なのだ

ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいい




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【bozzo】虫の知らせ

2009-05-22 | Photo-diary
昨日、ラジオ出演で「青島食堂」の話を出した手前、
「台湾」写真展の宣伝をしておかねば…と、
桜坂の台湾料理の店「青島食堂」に顔を出した。

ちょうど週末撮影した女性に
紙焼きを渡す必要もあったので、
彼女にも「青島食堂」へ来てもらった。

まったくの偶然だったのだが、
「青島食堂」のオーナーと撮影させてもらった彼女は
数年前「八重山舞踊」の教室で一緒になったことがあり、
それ以来、この「青島食堂」には先生と連れだってよく来ていたらしい。

そんなことは露とも知らず、
呼び出した偶然もすごい話だが、

さらにその「八重山舞踊」の先生が
先週末、脳溢血で倒れ、現在病院で一刻を争う状態だと言う。

「青島食堂」のオーナーも彼女の連絡先がわからず、
どうしたものか…と思っていた矢先だった、と言う。

彼女はすぐさま病院へ駆けつけ、
先生へのお見舞いをすることが出来たのだが、

そんな偶然の重なりに
一番驚いたのは、自分だった。

      ●

今週の火曜日、追加のDMを届けに桜坂「g」へ顔を出した。
その時、カウンターで飲んでいた同じ「モリさん」という男性に、
写真展開催の話をさせてもらった際、

「青島食堂には顔出しました?」

と聞かれたのである。

まだ台湾へ訪れる前から「青島食堂」の水餃子は虜になるほど好きだったし、
ska69というバンドのライブがあるときは、オーナーの比嘉さんも
店を早くたたんで足を運んでくれるような仲だったのだから、
ここは久しぶりに顔を出しておかんとな…と、
その時、漠と思っていたのだった。

そんなことがあったからラジオでも口から出たワケで、
それまで「青島食堂」がひょっこり出てくることはおくびにもなかったのである。

有言実行じゃないが、
何かに導かれるようにして、
ボクは「青島食堂」を訪れた。

その最終的な目的が、彼女を先生に会わせるためだったとしたら…。

先生の切なる思い…最期の生命を振り絞るような
壮絶な思い…みたいなものが、ボクに宿り、ボクを導いた…としたら…。

自分が媒介となって、人と人をつなぎとめた…としたら…。

なんだか胸が熱くなって
「人生まだまだ捨てたもんじゃないな」
…と、青島食堂に独り取り残されながらも、強く思った。

まだまだ、人の想いは、貫ける。

だからこそ、人生に賭けることも、
まんざらじゃない…んだ、と。

生きることの勇気をひとつもらった夜だった。



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【bozzo】ラジオ生出演

2009-05-22 | PHOTO
タイフーンFM「ヒトワク」ブログ

昨日の昼、炎天下の中、首里の坂を自転車で登り詰め、
コミュニティ局「タイフーンFM」の「ヒトワク」で
28日から始まる2つの写真展の告知を行ってきた。

前回は「RYUBO写真フェスティバル」の告知で
同じ「ヒトワク」出演だったが、

自分の写真展の告知で
いったい何をしゃべればいいのだろう?
…と、半ば戦々恐々。

しかし、いざブースに入ってみると、
なんのことはない。
言葉が次々と出てくる。

写真との出会い、
今回の写真展のきっかけ、
撮影するということ…。

日頃漠然と捉えている写真行為が
言葉としてしっかり表出できた。

なるほど。
自分の言葉は、
勝手に這い上がってくるのね。

      ●

女性ばかりを撮り下ろした「ゆれる。」@桜坂「g」
2度の台湾訪問をカタチにした「臺灣」@流求茶館

どちらも共通してあるのは、
ボクの目を通して見た世界であること。

写真というメディアの面白さは
そこにあると思う。

写真家が世界を認識する行為が、
作品として表出する点だ。

ロバートフランクはアメリカを漂流し、
カメラを通してアメリカを捉え、認識しようとした。
その結果が「the Americans」として
今やアメリカを語るバイブル的写真集となっている。

そのロバートフランクはスイス人である。

「ゆれる。」の女性にしても
「臺灣」の隣国の日常にしても
その被写体との距離感は、意外に均一である。

セレクトし、並べてみて自分でも思うのだが、
妙な距離感が感じられるのだ。

一言で言えば、「冷めている」。

アツイ写真を撮ろうと躍起になった時期もあったが、
これはもう、自分が持って生まれたスタンスだと
最近は開き直って、とことん「冷めた」写真を撮ろうと思っている。

2つの写真展、
そんな写真家のスタンスを楽しむには
もってこいのテーマではないか…と思う。





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【演劇】エデンの園

2009-05-21 | Photo-diary
bar土blog「エデンの園」こんなんでした。

先週の土曜日。
撮影終了後に二人芝居「エデンの園」を観る。

内田周作と鈴木美保。
演者のおふたりにはつながりがある。

周作くんは広告代理店時代、
auとオリオンのTVCMに出演いただいた。

美保さんは「ゆれる。」のモデルとして
海の中まで入ってもらった。

      ●

沖縄で観る演劇は、おそらく初めてじゃないか?

客席と舞台の近さに圧倒されながらも、
楽しむことが出来た。

エキセントリックな演技に引き込まれ、
苦笑しながらも最後まで見入った。

突然挿入される沢田研二や安室奈美恵の歌に笑いをこらえる。

    「芸術は爆発だ!」

40分ばかりのショートストーリーだったが、
異空間を堪能した。

29日の金曜日にも再演されるので、
まだ未体験な方は、ぜひとも足を運んで欲しい。

芝居の面白さは周作くん曰く
「つくりものだからですよ」

すべて演じられている…そのことを楽しむ。

ついさっきまでとなりで話していた演者が
大声を上げ、泣いたり笑ったり、している。

手を伸ばせば掴める距離で、
恋沙汰が繰り広げられてる。

…その虚構をとことん楽しむ。

ちょっとした感覚のストレッチになる。
最近滞ってるなあ…と思った輩はぜひ。










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【大浦信行】検閲問題その後

2009-05-20 | Photo-diary
【琉球新報】県立美術館に抗議、天皇コラージュ非展示の作者

18日午後4時45分から50分間にわたって
大浦信行氏と牧野館長の話し合いが行われたようだ。

館長会見の顛末

抗議文を提出した小倉利丸氏のブログが真実であるとすれば、
この牧野館長は、相当偏った人物だ。

 ●「教育的配慮と総合的に判断して決めた」
 ●「美術館の裁量権によるものであり、表現の自由を侵していない」
 ●「公立美術館だからこそ、こうした判断をする必要がある」
 ●「農家が何を売るか決める自由があるように、美術館も何を展示するかを自由に決めていい」
 ●「かごの中の腐った果物は放っておけば、他の果物に移るから排除するのは当然」

さらに報道陣には…

 「(天皇制への賛否がある中)バランスを欠いたものを公的機関が支援できない。
  外した作品には裸体や入れ墨もあり、県教育委員会の下にある公的機関としてふさわしくないと判断した」

…「バランス?」…「裸体」や「入れ墨」が公的機関にふさわしくない?

おそらく牧野館長は、美術畑の方ではないようだ。
「芸術」「アート」の位置づけがわかってない。

岡本太郎が「芸術は爆発だ!」と言ってるだろう。
芸術を相対的に判断するその姿勢が、まずもっておかしい。

「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」

芸術の本質とは常に過去を否定し、乗り越えることであり、
その視点の置換に、鑑賞者は胸をつかれ、己の視界が開かれるものだ。

芸術家は、自分の信念に絶対的な存在なのだ。
その姿勢を擁護し、支持し、発信する場が、公的機関と云われるところの「美術館」の本質だ。

プリンシプルのない人間に美術館長は務まらない。







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【大浦信行】遠近を抱えて

2009-05-14 | Photo-diary
【大浦信行展】画廊沖縄:5月16日(土)~31日(日)

忌野清志郎が「君が代」をパンクにして
レコードが発売禁止になったこともあったが、

昭和天皇を素材に版画を作っても展示拒否になるらしい。
「アトミックサンシャインの中へin沖縄」における検閲をめぐって

まったく。
またか…という思いがアタマをもたげる。

 ●牧野浩隆館長…
 「作家の自由な活動を否定する立場にはないが、沖縄の教育施設であり、
  公正中立なものを扱うなどの観点から総合的に見て(展示は)適切でないと判断した」
 ●金武正八郎県教育長…
 「(主催者側には)教育的観点から配慮をお願いした」

「公正中立」や「教育的観点」。
もっともらしい言い種だ。
「県の税金を使っているから」などという
公務員発言には、ホント呆れてしまった。

何を以て「公正中立」と言えるのか?

      ●

2月には、こんなこともあった。
「石川文洋写真展 戦争と人間」
こちらの写真展では、石川氏の代表作「飛び散った体」が展示されなかった。
その理由がまた…
 「人間の尊厳や倫理にかかわる問題がある」からだという。

…?

では「人体の不思議展」は?

名もない中国人の死体だったら、
Plastinationかけてスライスして
見せ物にしても倫理にかかわらないのか?

「闇の子供たち」
生きた子どもの臓器を売買する問題を取り扱った作品だったが、

「人体の不思議展」は中国人の死体を売買して
「解剖学」の観点からパブリックな「見せ物小屋」を
構築している、まさに「闇の展覧会」である。

      ●

何を以て「公正中立」「教育的観点」「人間の尊厳や倫理」を語っているのだろう。
未だに「数の論理」から抜けきれない日本の政治に似てないか?

白洲次郎が「プリンシプルのない日本」と嘆いたが、
館長や県教育長の発言は、まさに「プリンシプルのない日本人」。

周囲の眼の色を伺っているだけ。
信念のかけらもない。

今こそ忌野清志郎を聴け!と言いたい。








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【忌野清志郎】青山葬儀所

2009-05-10 | MUSIC
      ●

忌野清志郎ロックンロールフェスティバルin青山にようこそってさ、
どうもホントに死んだらしい。
名曲が次々流れる中で、紅白の祭壇に骨壺を見たら泣けたよ…

      ●

高校時代の親友が、
ボクらの想いを持って
青山葬儀所へ弔問に行ってくれた。

写真は彼から送られてきた
葬儀場の祭壇。

4万人強のファンが詰めかけた…と新聞は伝えていた。
デイリースポーツ0510付

この写真を見て、胸が詰まった。
本当に、本当に、死んでしまったんだ。

昨日は密やかに清志郎を想って、桜坂「g」で飲んだ。

      ●

渋谷陽一が「ロッキンオンジャパン」で追悼号を出すという。
 渋谷陽一の社長はつらいよblog「0503忌野清志郎」

 何を書いたらいいのか分からない。書かないままでいようかとも思ったけれど、
 きっとどんどん何を書いたらいいのか分からなくなる気がして、
 どんな事でもいいから書く事にした。

 正直、覚悟しなければならないのだろうな、とは思っていた。

 先日、送られてきたファンクラブの会報に、
 いつも掲載されている本人の近況とコメントがなく、
 とても心配になったばかりだった。

 今はただ悔しいという思いだけが強くある。
 とにかく、いろいろな事が悔しい。

 凄くエモーショナルで、センチメンタルな心を持った男だったけれど、
 同時にハードで前向きな姿勢を常に崩さなかった。

 そのファンクラブの会報で、宗教関係の本を送ってくれる人がいるけれど、
 そうしたものは必要ないので送らないでいい、
 というコメントを出しているのが、いかにも清志郎らしかった。

 何かこうやって書いていると気持ちが落ち着いて来た。

 後ろ向きのセンチメンタリズムを清志郎は潔しとしなかった。
 俺をネタにセンチになっているんじゃねえよ、と言われてしまわないようにしないと。

 前に、同い年の清志郎が闘い続けているので、
 自分も逃げられない、という原稿を、
 彼の何周年かの記念ライブのパンフに書いた記憶がある。

 清志郎は闘う姿勢を全く変えないまま僕らを残して、
 この現世のステージから去って行った。

 後は残った僕たちが闘いを続けていくだけだ。
 ゆっくり休んでもらいたい。一緒に同じ時代を生きられて幸運だった。

      ●

 今夜はNHKで22:30から追悼番組もある。
「愛し合ってるかい?キング・オブ・ロック忌野清志郎」

 清志郎の意志を継いだボクらが、
 これからをどう生きるか。

 大いなる遺産を彼は残してくれた。
 心から そう思う。

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【bozzo】写真展告知

2009-05-08 | PHOTO
5月7日。木曜日。晴れ。
このGW恨めしいほどの晴れ続き。

その大半を暗室で過ごす。
暗幕から洩れる戦慄のような光線。

孤独な作業。

「ゆれる。」イメージを増幅させる
ピアノ曲をBGMに黙々と紙焼き作業。

時間を忘れて光と色の芸術に戯れる。

      ●

昨日は会場である牧志の「流求茶館」と桜坂の「g」に
写真展の告知ポスターと実際の写真を展示しに行く。

大四つサイズといえど、
会場に置かれると心細いほど小さい。

これだけの空間を「写真展」と言えるものに
するためには、質と量をしっかり呈示しなければ…。

「賽は投げられた。」

【上田現】や【忌野清志郎】じゃないが、
カタチにすることのすばらしさを
身をもって追体験していこうと思う。

      ●

会期は5月28日(thu)から6月14日(sun)まで。


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【上田現】カッシーニ

2009-05-06 | MUSIC
【元ちとせ】カッシーニ

たとえ世界が喜びにあふれ、光輝いた朝を迎えても
もしあなたが消えてしまったら 私にとっては もうここはさみしい所

はっきり目に映る程 こんなに近くにいる
唯それだけのコトが 本当に不思議でウレシイ

土星の環っかがある理由を
知らないまま この地上で今日も暮らしてるけど

重なる手と手の合間に広がる
銀河の深さに ねぇ 吸い込まれそうだよ

世界中に転がってる 石ころのような でも誰も壊せない祈り
あなたを想うだけでも こんなに苦しくて こんなにも愛しい

カンパネルラが聞こえた 何処かで誰かが生まれた
そして誰かが消えてく わたしはあなたの手を握ってる

土星に環っかがある理由を
考えてみた
ガリレオはきっと笑うかな

好きで 大好きで  もうどうしようもなくて
気がついたら あなたの周りを ぐるぐる廻ってる

土星は今日も遠く空にいて
見渡しても 見上げても 私には 見つからない

好きで 大好きで もうどうしようもなくて
気がついたら あなたの周りを 廻ってた 想い

      ●

上田現の【遺作】と言われている。

妙な符牒を見つけてしまった。
この「カッシーニ」はNASAの土星探査機「カッシーニ」から
持ってきたタイトルだと思うが、

この土星探査機「カッシーニ」は
土星の環を見つけたイタリアの天文学者
「ジョヴァンニ・カッシーニ」にちなんで命名されている。

歌詞の中で「カンパネルラが聞こえた」とある。
「カンパネルラ」とはイタリア語で教会の鐘のこと。

そして「ジョヴァンニ」と「カンパネルラ」は
【宮沢賢治】の「銀河鉄道の夜」の登場人物だ。

おそらく上田現は、そこまで符号を合わせて詞を完成させている。

「春と修羅」の序に出てくる有名な一節、
 
 わたくしといふ現象は
 假定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)

 風景やみんなといっしょに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です
  (ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

風景やみんなと一緒に
忙しく明滅しながら確かに灯り続ける
「ひとつの青い照明」が自分であり、あなたである。

これは「ゆれる。」のコンセプトともなった部分。

忙しく明滅しながら「ゆれる」ひとつひとつの青い照明たち。
そんな「共生」をテーマに撮りたいと思ったのが、はじまりだ。

      ●

 カンパネルラが聞こえた 何処かで誰かが生まれた
 そして誰かが消えてく わたしはあなたの手を握ってる

「わたしはあなたの手を握ってる」

「土星の環っかがある理由を
 知らないまま この地上で今日も暮らしてるけど」

「重なる手と手の合間に広がる
 銀河の深さに ねぇ 吸い込まれそうだよ」

上田現もきっと、「春と修羅」の一節を想いながら
この「カッシーニ」を作り上げたに違いない。
宮沢賢治へのオマージュも含まれているに違いないのだ。

 そんな符牒に気づいて、うれしくなった。

      ●

昨日5月5日、日比谷野外音楽堂にて、
元ちとせを始めとする上田現に縁あるアーティストが
「UEDA GEN TRIBUTE LIVE『キコエルカイ』」を開いた。

天国の上田現に向かって、彼の楽曲を捧げた。
雨空だったようだ。

シリウスは見えたか。







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【宮沢賢治】春と修羅・序

2009-05-06 | BOOKS&MOVIES
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです

これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
   (あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

                 大正十三年一月廿日  宮澤賢治
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