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沖縄から東京へ!流転の写真日記

【東野圭吾】手紙

2009-07-31 | BOOKS&MOVIES
人気の流行作家「東野圭吾」の「手紙」を薦められるままに読み「犯罪者の家族
を持つ」という特異なシチュエーションに悶絶しながらも「終章」の感動的など
んでん返しに鼻腔を拡げ目頭が熱くなるのをこらえ「兄貴」が合掌しながら背中
を顫わせるシーンで嗚咽を交えて涙を落とし「なんてオレは甘ちゃんなんだ」と
相変わらずな自己批判だけでいっこうにリアリティ不足は否めず…なんて思って
いたところへ東京の不動産屋から電話が入り「いい物件が見つかったんですけど
失礼ですがただいま職は失われている感じですか?」などと慇懃無礼な言い回し
で問うたからこちらも「フリーです」と返したら「日本語でいうところの無職で
すね」と蒸し返すような回答をよこし完全にこちらを卑下してきたので自民麻生
よろしくの鈍感力で「責任力が違います」とアピールしてみたが勿論会話は成立
せず…これが社会的弱者としての扱われ方かとやっとリアリティをもって自分の
置かれている立場とその先の未来のクレジット(信用)のなさを痛感させられる。

                ●

「キミが兄さんのことを憎むかどうかは自由だよ。ただ我々のことを憎むのは筋
違いだと言ってるだけだ。もう少し踏み込んだ言い方をすれば、我々はキミのこ
とを差別しなきゃならないんだ。自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる
…すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね」

                ●

沖縄にいる己の現状が「死に体」な有り様なのはこれはもうただの怠け者だから
であって4ヵ月半も無重力状態の宇宙で仕事をこなしてきた若田さんが地球の重
力に突然押しつぶされそうになるその感覚とはその根源において意味が違うしだ
いたい宇宙になんか行ったことがないと逆ギレされても扱いに困る。

これだけ時事ネタ満載なのもTVニュースに釘付けだからであってそれだけ時間
を持て余しているからだ…と断言してしまったら「おいおい奴さんやるべきこと
は沢山あるぜぃ」と横から突っ込みを入れられること必至で図書館に行って東野
「白夜行」を借りてくるヒマがあったら自分の書物を要る要らないで選別せえ
やと怒鳴られる始末。いよいよ明日から8月。ひとりで自棄の祝杯でも挙げるか。
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【Mark Rothko】大切なことはいつも抽象的

2009-07-27 | Photo-diary
寂しくなるのは誰のせいかな?
ボクはここにいる 早く気づいてよ

赤いルビーのような夜 ビーナスのTATOOも揺れる
スパンコールが眩しいぜ 赤いスプモーニも溶ける

Please Me Please Me I Get Your Soul
1+1に収まらないマーメイド
Please Me Please Me I Get Your Soul
ジェイムスブラウンばりのSoulを

宅配ピザ屋よりも 早く届けたい
トマトベースのLove 隠し味のスパイス
ボクのLovemateグラフィティが広がる

恋のサバイバルナイトフィーバー 恋の世界タイトルマッチ
キミ以外のすべてを犠牲にしてでも 手に入れたいのさ(ダイヤモンド)
奪いたいナイトフィーバー ベルト代わりのキミのKISS
あと ボクのリーチ 30センチ届かない

【YouTube】恋のサバイバルナイトフィーバー/サカノウエヨースケ

金曜日の夜は熱血社交場のイベントで日本語ロックの洗礼を受けうわさの
サカノウエヨースケを全身で体感したわけだけどなんとも愛らしい顔でき
まじめに表現と向き合っていて聞いていた以上に好感が持ててネットでい
ろいろ調べてみたらblogをみつけ「一曲だけの演奏会」というイベントが
これまた面白い試みで読んでみると「小説純度の高い人が好き」とあって
その心情がなんとなくだが共感を呼んで「なるほど西原さんが夢中になる
のもわかるような気がするなあ」と社交場のイベント主催者の心を覗いた
気分になってみたりしたんだよね。

だいたい世紀末ウィーンのエゴンシーレから始まって夭折の画家モディリ
アーニこないだ東京で見たゴーギャンそして第二次大戦を挟んでのマーク
ロスコとボクが興味を抱く画家はみな「自分大好き」な人たちばかりなの
だけど近代から現代へと自己と社会の隔たりが大きくなるにつれて絵画も
抽象へ進むのは一体どうしてなんだろうと思いながら昨日は「日曜美術館」
Mark Rothko「瞑想する絵画」展を食い入るように見ていたらその答え
の糸口みたいなのが見えてこれまた共感したわけなんだけどさ、結局はこ
の混沌する世の中で情報ばかりが大量生産されて消費が追いつかなくなっ
てそれでも情報を生成することが資本主義の信条みたいな現状で脳みその
処理能力をどんどん高めれば情報解析能力も高まるからその分生き易くな
るなんてオダテに乗せられて結局情報に固められた自分しか残ってない…
という事実を抱えていざカンバスに向き合ったら何が具象で何が現実かわ
からなくなっている己に気づいて愕然とする…みたいなさ。

「大切なことはいつも抽象的」ってものすごく言い得ていてガーンと来た
んだけどこれって保坂和志「この人の閾」の言語化されない部分は空白で
しかない…と現代を批判した部分と大きくリンクしていて自分は今どこに
興味を持って生きているのか…といったベクトルみたいなのが「フランダ
ースの犬」の最終回みたいに啓示されていてうれしくなったわけなのよ。

番組中に作家の高村薫がマーク・ロスコの黒い絵画を目の前にして「生き
ている手触り」を感じた…と感嘆するシーンがあって思わず心に涙したん
だけど「見る」行為ってそのまま「生きている=存在する」ことで視覚で
感じたものをただそのまま受け入れ言語化せず文字通り感じることから初
めて己の「生」を客体化できる…といった思惟には背負っていたモノがド
カーンと肩から落ちたような衝撃を受けて「嗚呼」まさにゴーギャンの我
はどこから来たのか…の絵画は一枚のカンバスでそのことを顕していたな
どと勝手に感動していたわけで…つまり何が言いたいかっていうと「写真」
行為って視覚行為そのままを定着させるわけで、ここにも啓示があったと
ひとりごちる。
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【bozzo】車買いませんか?

2009-07-24 | Photo-diary
07月23日木曜日は昼間から県内のカメラマンが集まってのビーチパーティ
がコンベンションセンター前トロピカルビーチで繰り広げられたワケだけど
特異な経歴を持った武安弘毅くんや活版に魅せられて自らも活版を主宰する
東京の写真家大沼ショージさん、それに毎度おなじみとなったデザイナーの
サイトヲヒデユキさん、さらにはコザのカフェ「Roguii」のオーナーふたり
も加わって平日だというのに変な盛り上がりを見せてボクも後半は酔いつぶ
れていた。

何やらコンベンションセンター展示棟ではKAT-TUNのライヴが14時18時と
2回も行われていたらしくビーチには様々な格好のKAT-TUNギャルが沖縄
の海に膝まで足をつけて「キモチイイ!」と当たり前の言葉を交わしていた。
どうやら「KAT-TUN」以外には平均以上の興味は湧かないらしくおそらく
男という異性に対しても「KAT-TUN」がすべてでそれ以上でもそれ以下で
もないといった案配で、まるでゴールデンエッグスのリサ&レベッカそのま
んま地で行く感じじゃないか…と勝手に「不均衡ギャル」と命名してやった。

…というわけで写真の真っ赤なGOLFに興味のある方いらしたらコメントく
ださい…というのも9月末に沖縄を引き上げることが正式に決まったワケで
家財関係をできるだけ処分して身軽になってついでに引越費用も捻出できれ
ば…と目論んでいるのです。大量のCDや本もそのままBOOKBOXが適当なの
かどうか心さびしいところではあるがこの真っ赤なGOLFは「見てくれ」以外
になんの取り柄もない(いやいや6枚連奏CDチャージャーがついていた!)
ナンパな輩にはぴったりの車なんで我こそは!という希有な人物にはぜひ引
き受けて頂きたいと思っているので、なにとぞ。m(_ _)m
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【保坂和志】夏の終わりの林の中

2009-07-21 | BOOKS&MOVIES
07月22日。水曜日の午前中は46年ぶりの天体ショーで夏休み気分絶好調な
高揚感に島全体が包まれている感じなんだけど、ボクの中ではすでに夏は終
わりに近づいていて勝手に感傷気分でセンチメンタル野郎ってどういうこと
?と今日も酸っぱい汗をカラダ全体でかきながら悶々とした一日を過ごす。

                ●

「人は自分のからだを、普段は「ある」と感じないものなんだよね。
胃が痛くなってはじめて、「ここが胃なんだあ」と感じるー。映画館で長く
坐ってて、尻が痛くなってきて、尻のあることを実感するー。
 たまにサッカーなんかやったらすごいじゃない。全身筋肉痛で、階段を降
りるときはこの筋を使う、椅子から立ち上がるときはこの筋を使うー、って
いうのがいちいちわかるものね。
 痛さに限らず、ーくすぐったいときも、スーっとしたときも、気持ちいい
ときも、ーその感覚っていうのがあることで、からだの部分が「そこにある」
って感じることができる。
 心っていうのもそれと同じでね、喜びとか悲しみとか興奮とか、そういう
もので自分の心が動いていることを感じるー。
 心はそういうものだっていう、錯覚を持っている人たちがいるよね。テレ
ビ観ても映画観ても、感動っていうか劇しい心の動きだけ強調したがる人と
かー。
 でもそういうことじゃなくて、喜びとか怒りとか、そういう劇しい動きが
なくっても、心というのはもっと無機的に、一定のリズムみたいなものを打
って存在しているものなんじゃないかなぁー。
 それは劇しい動きに頼っているかぎりたぶん気がつかないんだろうけど、
そっちに関心が薄れると、無機的なものの静かなリズムが前に出てくるー」
                 (保坂和志著「夏の終わりの林の中」)

                ●

太陽が徐々に欠けていくことで「光の尊さ・太陽の神々しさ」を再発見する
ように失われることで得る感覚もあるんじゃないか…といった解釈がすでに
錯覚を伴っていて、無機的な営みの中にも常に新しい何かが生まれていると
いう謙虚な姿勢こそが大事だなんてそれこそ虚無的な「ええカッコ思惟やな」
とわかったようなダジャレで自嘲する。世間は総選挙で「最高にアツイ夏や」
と今からギラギラしているけれどもこの総選挙だって08月31日に投開票だか
ら政権交代と共に夏も終わるわけで、今から秋の装いを想定した先を見越し
た動きがよろしいんじゃないか…と自分に照らし合わせたりなんかしてみる。

そういやアラーキーが言ってたっけ「事件現場を撮ればどんな写真だって訴
えかける強い写真になるんだよ。日常を切り取った写真でハッとさせられる
のが写真家の腕ってもんだよな」…これってつまりは保坂和志が描く心のあ
り方にもつながっていてボク自身も共鳴しているのはそういった本人も気づ
かないような心の揺れがしっかり表情として掴まれていて、写真として見せ
られたときに本人がハッとするような切り取り方が理想だなって思うんだけ
ど結局なにが言いたいかッて「この夏は特別な夏だな」ってことなの(笑)。


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【雨の日の国道バンド】ウヰスキー

2009-07-17 | memories
9月末までに余計なモノは処分しようと開かずの段ボールを物色していた
ら、20年前によく聴いていたカセットテープmaxellUD46なるものが出て
きた。「雨の日の国道バンド'89 01/17国立リバプールLIVE」と書かれた
そのテープは大学時代に尊敬していた先輩のバンドで、当時学内の数ある
バンドの中でも特異な個性を発揮していた。

「雨の日の国道」から想像できるように国立界隈の忌野清志郎をルーツと
しながらも日本語をブルースに乗せて渋くキメるボーカル「タッチャン」
のソングライティングが玄人受けするバンドだった。早速20年前のその音
をデッキでかけてみる。カセットテープから流れる20年前の空気。LIVE
録音が生々しい。A面2曲目に「ウヰスキー」と言う名曲が入っていた。

  ■ウヰスキー
  それはただウヰスキーを選んだオマエが悪い
  それはただウヰスキーを選んだオマエが悪い
  そうさ、オマエが悪い

  街みたいだ オマエの上は
  街みたいな オマエの上で
  オレの気持ちが 和む 

  ただ優しく 唄ってくれた
  礼を言いに 此所へ寄ったのさ
 
  それはただウヰスキーを選んだオマエが悪い
  そうさ、オマエが悪い
 
  街みたいだ オマエの上は
  街みたいな オマエの上で
  オレのカラダが 和む

当時からこの歌詞とメロディは秀逸で「雨の日の国道バンド」と言えば「
ウヰスキー」というほどの代表的なブルースなのだが、やはりこの歌詞が
ものすごく意味深で魅力的だから引き込まれてしまうのではないかと振り
返ってもそう思う。

当時「タッチャン」から直接聞いた話ではこの歌詞は実話に基づいて創っ
たようで「酔いに任せて抱いたオンナへのオマージュ」とのことだったが
(間違っていたらごめんなさい)なによりオンナのカラダを「街みたいな」
と表現しているところが当時弱冠20歳のボクには到底理解できず、その表
現の仕方に大人を感じひたすら「タッチャン」を憧れていたように思う。

あらためてこの名曲を20年ぶりに聴き返して「街みたいだオマエの上は」
の部分を20年の経験則と照らし合わせてみると「ウヰスキー」の酔いに任
せてふわふわ上空を飛んでいるようなハイな気分で眼下を見下ろすと「街」
のような起伏を伴った「オマエ」のカラダがあって「オレの気持ちが和む」
という状況描写は理屈っぽく出来るけれど、その情景を「街」に喩えるセ
ンスには脱帽してしまった。

なんとなくネットで「雨の日の国道バンド」を検索したらちゃっかり後輩の
塚本功が新生ネタンダーズで「国道」の楽曲を2曲カバーしていた。驚き。
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【保坂和志】この人の閾

2009-07-15 | BOOKS&MOVIES
東京では4年ぶりに高校時代の悪友たちと酒を呑んだのだけど、人間20年
も付き合っているとお互いの変化や思考の違いといったうわべの部分は見
ていなくって、20年変わらないであろう指向性というかその人間が持つ生
きるスタンスとでもいうのだろうか…社会との関わり方みたいな部分をつ
まんで「だからおまえはダメなんだ」と一喝する会話が飛び交う。

いや、別に否定するわけじゃなくて愛でる感じとでも云ったらいいだろう
か…何を試みてもうだつが上がらない状況とか…いつも追い込まれると逃
げ腰になってしまう性癖とか…思い込んだらテコでも動かねえと頑なに構
えてしまうから…「おまえはダメなんだ」という結論をよろこんでいるよ
うな感じなのだ。

保坂和志の「この人の閾」も10年ぶりに出会う大学時代のサークルの女性
「真紀さん」に10年前と同じ空気感をおぼえ、会話の端々に顔を出す変わ
らない世界観に感動しながらも時間の経過とともにその世界観が社会から
はみ出しているような違和感を主人公の「三沢君」は受け取る。

                ●

さっきたしか草むしりしていたときに出たクローンの再生の話ではないけ
れど、経験や知識は遺伝子にインプットされることもなければ複写したり
転写したりすることもないのだが、そういうことよりもむしろ真紀さんが
一人で読んでいるあいだに感じていることは結局誰も知ることなく真紀さ
んと一緒に消えていく。

              (中略)

「ほら。ヨガの行者がすごいんだったら、海の底にいるタコだってきっと
凄いのよ。禅の高僧なんかは徳が高そうなポーズを身につけてるだけなん
じゃないの?人っていうのは、自分たちのいる世界と全然違う世界観みた
いなものを持ってる人のことは驚くようにできてるのよ。」
 真紀さんの口調は少し攻撃的になってるみたいだった。
「イルカが頭がいいかどうかっていうのも、何とも言えないんじゃないの。
もしね、イルカが本当に自分たちの知能を人間の知能とまるっきり別の方
向に伸ばしたんだとしたら、人間に使うものさしを使って比べたり類推し
たりしててもわからないわよね。」

              (中略)

イルカの知能は人間のものさしでは計れないと、まず真紀さんは言った。
言葉は光であるというヨハネの福音書の言い方を借りるなら、言葉の届か
ないところは“闇”だということになる。“闇”には言葉がない。言葉がない、
つまり言語化されなければ人間にはそこに何があるかわからない。何かが
あっても人間には理解できない。言葉が届かないということは、何もない
状態と限りなく同じである…と、堂々巡りのような論法だけれど意味とし
てはこういうことだろう。

              (中略)

平安京なら造られてからずっと人がそこで生きてきたが、平城京は何もな
くなってただの条理の形跡を留めるだけの平らな土地が残された。夏草だ
けが生えた何もない地面を歩きながらぼくは、長い長い空白の時間を超え
て平城京の時代に生きた人たちのざわめきが聞こえてくるような気がした
のだけれど、真紀さんはそれはやっぱりただの空白でしかないと言うのだ
ろうかと思った。

                ●
               
閾(いき)とは光や音などの刺激の有無、同種刺激間の差異などが感知で
きるか否かの境目。またその境目にあたる刺激の強さ…のことだという。
閾で感じられたモノも言語化されなければただの空白でしかない…ことを
「自明の理」として受け入れる社会ってなんだろう。結局はその呪縛の中
で突き動かされているからこそ、この小説が強く胸に響いてくる。

blogや写真というメディアで自己を表現しよう…だなんてまさにその典型
じゃないか…という事実、「だからおまえはダメなんだ」といじられる関
係性こそが生きていることの証だとわかっていながらも、そこで悶着する
自分がいるのも事実。…生きるってなんと尊いことか。

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【保坂和志】草の上の朝食

2009-07-13 | BOOKS&MOVIES
東京から戻ってからというもの句読点のない生活が続い
ていて、その感覚にぴったり添い寝する保坂和志の小説
「プレーンソング」「草の上の朝食」の2作を続けざま
に読んだのだけど、ボクの沖縄での生活はまさにこの小
説のようにとりつく島がなくただ流れていってしまって
いるような気がする。

2DKの「ぼく」のアパートにアキラとよう子と島田とゴ
ンタが住みついてそれぞれがぶらりと出掛けては帰って
くる、まるで猫たちの日常のような生活をひたすらトレ
ースしているだけの小説なんだけど、ところどころで発
する登場人物たちの語りが「思い込み」に溢れていて思
わず「あぁそうだった人間みな思い込みで生きてるんや」
と合点してしまった。

昨日はFMレキオというコミュニティ局で1時間もの間生
放送を敢行したのだけどこれもある意味口車に乗せられ
て流れに任せて出演したようなもんで、どうせやるなら
しっかり務めようとタイムテーブルを構築してイカした
選曲で【bozzoの音楽遍歴】なるタイトルコールまでか
まし滔々と語ってきた次第。

40年も生きてるとそれなりに面白い経験もしてきてるか
ら自分の音楽遍歴をラジオネタとして語ることにはなん
の抵抗もなくて高校から大学そして社会人とインスピレ
ーションを受けた音楽を拾い集めて当時の自分を思い出
しながら電波に乗せて語ったわけだけれど「けっこう自
分って面白い」などと勘違いしながらONAIR中は悦に入
っている状態でこれだから高校の友人たちに「先天性ノ
ウ天気人間」と呆れられる。

そんな人間だから沖縄の生活は句読点がない。
いや、沖縄に限った話じゃないのだけれど。



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【Somerset Maugham】月と六ペンス

2009-07-10 | BOOKS&MOVIES
「運が良かったよ。エイブラハムはちょっと偏屈なとこ
ろがあったんだろうな。かわいそうに、すっかり零落し
ちまって。アレグザンドリアで何かくだらん医者仕事を
やっている、検疫官か何か、まあそういった仕事だ。醜
い年取ったギリシャ女と同棲して半ダースの腺病質な子
供がいるって話だよ。結局アタマが良いだけじゃダメな
んだな。大切なのは人格だよ。エイブラハムには人格っ
てもんがない。」

人格だって?他の生き方に更に切実な重要性を見抜いた
時、半時間の熟考の末、出世の道を擲つには、よほどの
人格者でなければできんことだと、私は思う。しかもそ
の出し抜けの行動を一度も後悔しないためには、更に立
派な人格を要しはしないだろうか?

       (Somerset Maugham「月と六ペンス」)

            ●

そうそうボクの歳も2039年には「ある」かどうかわか
らないわけで、そう考えるとこの2009年のもがきを今
頃になって立派に生きてるだとか、いつもおまえはそう
やって理屈こねて現実から逃げてばかりいるとか、いろ
いろ言ってくれるだけでも嬉しく思ったりするんだけど、
そんな同時代的共時的な営みがまさにリアリティという
か今の時代と呼応した末の行動というかまさに理屈こね
てるだけかもしれないけど、自分なりの精一杯な「生き
ざま」だと思ってるんだよね。やっぱりボクにはボクな
りの目線で「今」を切り取りたいし、「今」を表現した
いし、共鳴したい!という思いが強いんだと思う。

なんだろうね。

男と女という性別のたがいだけじゃなくて手を握った感
じだとか眼と眼を合わせた感じとか「あ」と言ったら「
うん」と返す調子だとかそんなコミュニケーションの部
分に人と人とのつながりを見て「ああ生きてるなぁ」と
初めて思えるんだ。その「生きてる」感覚がそのまま写
真に定着できたらボクはおそらく嬉しいんだと思う。

そんな他人事みたいな感慨…今更いらないけどね。

            ●

我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?
Where do we come from? What are we? Where are we going to?
(D'ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?)


結局死ぬまで探求し続けるしか、生きていけない。
なんだか本末転倒だけど、そんな呪縛を引き受けてきたから、
ボクは今、こうやって居られるんだと、思ってるよ。

「ゴーギャン展2009」@東京国立近代美術館
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【bozzo】総括徒然

2009-07-06 | Photo-diary
本音で語れば何かしらの突破口が開かれて言霊の威力で
自分の指針も明確になるかだなんて、どこまで行っても
他力本願な姿勢の自分に今更ながら呆れている。

最後のアポイントも終わり沖縄行きの搭乗までのあいだ
何をするでもなく湿った東京の人混みの中に埋没したり
してみて、気分を好転させようとしているのかしていな
いのかの彷徨ぶり。

いや実は高校時代の友人がケータイを忘れて思うような
連絡がとれず時間だけが無為に流れているのだけど、そ
んな無為な感覚が自分の今置かれている状況とリンクし
ていて居心地良かったりするのだ。

写真っていったいなんだろう。

人間っていったいなんだろう。

そんな疑問が今更アタマを支配していて絶望的な状況こ
の上ないのだが、それでもこんな思考を止められないの
だから仕様がないわけで、考えて考えて考えて考えてそ
こからナニモノかを導くしかない…とまた落としてみた
りする。

そんな愚行を受け入れてくれるのは沖縄よりも東京のよ
うな気分なのはなんでだろう…自分には東京はアウター
な感覚を拭うことが出来ないし…そしてまた沖縄も然り
な点が恐ろしいのだが、というのも沖縄の会社を退いて
からそのアウターな気分は顕著になっていてその居心地
の悪さを転換させようとするのもウソのような気がして
いるから厄介な話なのだ。

繰上和美が30歳になってから写真を本格的に始めただな
んて話を友人から聞かされ「だから74歳で初監督作品な
んだよ」というセリフに妙な説得力を感じこれまた勇気
をもらったのだけど、東京での生活を具体的にイメージ
するに従ってこれは「写真の呪縛」なのかなどと今後の
途方もないハードルの高さに怯んだりしてみるが、おそ
らくこれこそがボクの生きる道なのだと独りごちる。

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【bozzo】本日、東京最終日。

2009-07-06 | Photo-diary
07月06日。月曜日。
またもや雨模様の東京。

昨日の爽やかな陽射しが
ウソのようなBlueなMonday。

この一週間、
実にさまざまな人たちの
意見を聴いた。

まだ総括するには早いが
現実の厳しさを目の当たりにし、
背筋が伸びる思いだ。

景気が下降を辿り、
雑誌の休刊が相次ぎ、
それだけホンモノの写真が
求められている…そう思った。

しかし
ここで挫けている場合じゃない。
自分自身が為す役割は
必ず控えている。

「光」をみてしまったのだ。

あの「光」の許へ
自分は歩み続けるしかない。

vagabondであってはならない。
seekerでなければ…。
しかし、その違いは…!

答えなど初めからないのかもしれない。
さ迷うことでしか、生きられないのか。



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【bozzo】後半戦、東京。

2009-07-03 | Photo-diary
07月03日、金曜日。
今日も梅雨空。
満員電車で触れ合う
となりの学生の背中が湿ってる、

東京滞在4日目ともなると、
ポートフォリオを見せるのが苦しくなってくる。

既に10人以上のコメントを
対面で聞いてきた。

聴診器を当て病状を指摘する名医のように、
または行列をつくる人気占い師のように、
出てくるコメントは正に的を射ていて、痛い。

その洞察力たるや、感服である。
こちらがカウンセリングを受けている心境だ。

「どのあたりが甘いですか?」
…下手にアプローチしたくなる。

既存の写真集を取り出し、
「こんな写真をボクは求めてるんだよね」
…と、具体的な例で指摘してくれるADもいた。

有り難い。

あと10件。
神妙な気持ちで臨みたい。




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【bozzo】朝から雨、東京。

2009-07-02 | Photo-diary
07月02日、木曜日。
朝からしっとり雨模様。
東京は、今日も梅雨空だ。

ゴーギャン展が明日から開かれるに合わせて
滞在中の読書は「月と六ペンス」にしたのだが、驚いた。

「どうしても描かなくちゃならないんだと言ってるじゃないか。
自分だってどうにもならないんだ。
水に落ちたらうまく泳ごうと下手に泳ごうと、
泳ぎ方なんか問題じゃない。
とにかく水から出なくちゃならないんだ。
さもなけりゃ溺れてしまうだけだ」

実業家だったチャールズ・ストリックランドは、
40歳を機に家庭も仕事も捨て、
画家になる決心をし、単身パリに乗り込む。

「しかしあなたは四十ですよ」
「だからこそ、やり始めるのに絶好の時と思ったのだ」

才能じゃない、描きたいから描くのだ…といった動機に
ボクは背中を押される思いだった。
それを指し示すかのように
面会する人たちから、東京移住を勧められる。

コレは…啓示か?
いや、自分自身が選んでいるのだろう。

その熱意が、行動を駆り立て<
さまざまな符牒を呼び込むのだ…と思う。

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか…」
ゴーギャン展でその邂逅を楽しみたい。
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【bozzo】東京2日目

2009-07-01 | Photo-diary
07月01日。水曜日。
グレイッシュ東京、2日目。

亀戸のコーヒー屋で
スケジュールを確認する。

となりの席では
中国人女性の2人が
雇用について愚痴をこぼしてる。

⇒真意はわからない。
 詩的にアレンジしてみた。

昨日は久方ぶりに世田谷線に乗り、
豪徳寺の焼き鳥屋でカメラマンと呑む。
照明屋さん夫婦も同席。

写真について語り合う。
60代70代のカメラマンが
現役バリバリで元気だ…という結論に。

写真表現は終わっているか?…との質問に、
写真でしか残らないイメージもある…と。

これだけ世の中YouTube全盛で
写真は身近過ぎて希薄になってないか…と返すと、

表現の質は変わるだろうが
その本質は保ち続ける…と。

記憶に留める絶対的な力が写真にはある…と。

しかし、市場がビジュアル氾濫で
混沌としている事実もあり、
今は浅薄な着地点に落ち込んでる。

いつの時代でも「表現」は翻弄されるが、
ホンモノは見極められる…。

自分を見失うな…と言うことか。


本日4件アポ。








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