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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【山本理顕05】政治的生活

2015-08-30 | memories
政治的生活とは多数者の中で多数者と共に自らの行うべきことを自ら決定する活動である。

その自ら決定する活動の力をアレントは「権力(power)」と呼んだ。

「権力が実現されるのは、ただ言葉と行為とが互いに分離せず、
リアリティ[共感の感覚]を明らかに(disclose)するために用いられ、
行為が関係を侵し破壊するのではなく、
関係を樹立し新しいリアリティを創造するために用いられる場合だけである」


それは「知を命令=支配と同一視し、活動を服従=執行と同一視した」という
プラトン的分離とは全く異なる活動の様式である。

このプラトン的分離は、あらゆる支配の根本である。

知を命令と同一視し、建築をつくるというような活動と服従を同一視する
という構図があらゆる支配の構図である。
すでに見てきたように、それは官僚制的統治のような
「無責任な権力意志を正当化」するものでしかない

「知と行為」が互いに分離せず
知と執行のプロセスが明らかに(disclose)なる場合にのみ、
リアリティが創造されるのである。



「権力は人びとが集まり、
約束や契約や相互誓約によって互いに拘束しあう場合に実現するものであった。
互恵主義(reciprocity)と相互性(mutuality)に基づくこのような権力だけが真実の正統的権力であった」


権力とはつまり、

「一つの空間を共有しその空間の中で他者と共に自ら行うべきことを自ら決断する」という、
その決断することのできる力のことなのである。

「権力(power)とは、常に潜在的能力(potential_power)であって、
実力(force)や体力(strength)のような不変の、測定できる、信頼できる実体ではない」、


「権力が発生する上で、欠くことのできない唯一の物質的要因は人びとの共生(living_together)である。
人びとが非常に密接に生活しているので活動の潜在能力が常に存在するところでのみ、権力は人びとと共に存続しうる
従って、都市国家としてすべての西洋の政治組織の模範になってきた都市の創設は、
実際、権力の最も重要な物質的前提条件である」。


都市という人工の物によってつくられた世界という空間がすでに権力の空間なのである。

「世界という空間」の中において初めて権力が生まれ
それが存続するものになることができたのである。

「活動の束の間の瞬間が過ぎ去っても人びとを結びつけておくもの(今日『組織』と呼ばれているもの)、
そして同時に人びとの共生(living_together)によって存続するもの、これが権力である」。


「権力は公的領域と出現の空間を保持する。そのようなものとして権力は、人間の工作物の活力の源泉でもある」。

人間の工作物(建築)は「権力」によってつくられると同時にその「権力」が活動する舞台なのである。

政治的生活の舞台である。
その舞台(建築)によって「権力」は持続性を与えられるのである。

「人間の工作物(建築)は、活動と言論の舞台でもなく、人間事象と関係の網の目の舞台でもなく、
活動と言論が生み出す物語の舞台でもないとしたら、究極的な存在理由を失う。
人びとによって語られることもなく、人びとの住家でもないならば、世界は、人間の工作物ではなく、
孤立した個人がめいめい勝手に対象物を一つ一つ付け加える関連のない諸物の堆積にすぎないであろう


人びとの住家となる人間の工作物がなければ、
人間事象は遊牧民の放浪と同じように浮草のような、空虚で無益なものであろう。
『伝道の書』の陰鬱な知恵は語っている。
『空の空、空の空、一切は空である。‥日の下には新しいものはない。
‥前の者のことは覚えられることがない。また、来るべき後の者のことも、後に起こる者はこれを覚えることがない』


いま私たちが住んでいるそれぞれに隔離された住宅が集まった住宅地の風景は
「孤立した個人がめいめい勝手に対象物を一つ一つ付け加える関連のない諸物の堆積」でしかない。

それは「活動と言論の舞台でもなく、人間事象と関係の網の目の舞台でもなく、活動と言論が生み出す物語の舞台でもない」


               (山本理顕著「権力の空間/空間の権力」より)
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【Jul_25】松田弘子

2015-08-28 | DANCE
「メチャメッチャお茶会〜を待ちながら〜」@千歳烏山コミュニティカフェななつのこ

写真UPしました!
【on_Flickr】0725_OCHAKAI

■コンセプト:吉福敦子
■構成・演出:ストウミキコ
■振付:ストウミキコ、吉福敦子
■出演:飯塚友浩、Ayako、佐藤有紀恵、ストウミキコ、津田健太郎、松田弘子、山田岳、吉福敦子
■主催:StudioGOO
■共催:コミュニティカフェななつのこ
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【Jul_25】ストウミキコ

2015-08-28 | DANCE
「メチャメッチャお茶会〜を待ちながら〜」@千歳烏山コミュニティカフェななつのこ

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【on_Flickr】0725_OCHAKAI

■コンセプト:吉福敦子
■構成・演出:ストウミキコ
■振付:ストウミキコ、吉福敦子
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■主催:StudioGOO
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【Jul_25】津田健太郎

2015-08-28 | DANCE
「メチャメッチャお茶会〜を待ちながら〜」@千歳烏山コミュニティカフェななつのこ

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【on_Flickr】0725_OCHAKAI

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■構成・演出:ストウミキコ
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【Jul_25】Ayako

2015-08-28 | DANCE
「メチャメッチャお茶会〜を待ちながら〜」@千歳烏山コミュニティカフェななつのこ

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【on_Flickr】0725_OCHAKAI

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■構成・演出:ストウミキコ
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【Jul_25】吉福敦子

2015-08-28 | DANCE
「メチャメッチャお茶会〜を待ちながら〜」@千歳烏山コミュニティカフェななつのこ

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【on_Flickr】0725_OCHAKAI

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■構成・演出:ストウミキコ
■振付:ストウミキコ、吉福敦子
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【Jul_25】山田岳

2015-08-28 | DANCE
「メチャメッチャお茶会〜を待ちながら〜」@千歳烏山コミュニティカフェななつのこ

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【on_Flickr】0725_OCHAKAI

■コンセプト:吉福敦子
■構成・演出:ストウミキコ
■振付:ストウミキコ、吉福敦子
■出演:飯塚友浩、Ayako、佐藤有紀恵、ストウミキコ、津田健太郎、松田弘子、山田岳、吉福敦子
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【Jul_25】飯塚友浩

2015-08-28 | DANCE
「メチャメッチャお茶会〜を待ちながら〜」@千歳烏山コミュニティカフェななつのこ

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■コンセプト:吉福敦子
■構成・演出:ストウミキコ
■振付:ストウミキコ、吉福敦子
■出演:飯塚友浩、Ayako、佐藤有紀恵、ストウミキコ、津田健太郎、松田弘子、山田岳、吉福敦子
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【Jul_25】佐藤有紀恵

2015-08-28 | DANCE
「メチャメッチャお茶会〜を待ちながら〜」@千歳烏山コミュニティカフェななつのこ

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【on_Flickr】0725_OCHAKAI

■コンセプト:吉福敦子
■構成・演出:ストウミキコ
■振付:ストウミキコ、吉福敦子
■出演:飯塚友浩、Ayako、佐藤有紀恵、ストウミキコ、津田健太郎、松田弘子、山田岳、吉福敦子
■主催:StudioGOO
■共催:コミュニティカフェななつのこ
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【Aug_26】北尾亘

2015-08-27 | TONO
night session vol.8@セッションハウス
『愛しい月』笠井瑞丈×北尾亘
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【Aug_26】愛しい月

2015-08-27 | DANCE
night session vol.8@セッションハウス
『愛しい月』笠井瑞丈×北尾亘
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【Aug_26】笠井瑞丈

2015-08-27 | DANCE
night session vol.8@セッションハウス
『愛しい月』笠井瑞丈×北尾亘

ナイトセッションも回を重ねて8回目。
なんとなくゴールも見えてきた感じ。

昨日はラビット族のおふたりが「月」をテーマに競演。
息の合ったダンスを見せてくれました。

今までのセッションよりもくだけた感じで、
月を感じさせる楽曲を次々繰り出し、
合間にトークも絡め、
最後は変貌する雄叫びで幕を閉じる構成。

北尾さんは終始軽やかで、時々笑顔も見せ、
ガチンコセッションにはなかった雰囲気。

気の合うラビット族ならではの、

晴れ晴れとしたセッション、面白かったです。

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【山本理顕04】私生活の自由はあっても政治に参加する自由はない

2015-08-27 | memories
建築の設計はリアリティという感覚と深く関わっている。

どのような建築であったとしても、
その建築が実際にできあがる以前に
設計者によってそのアイデアが示されなければならないからである。

そしてそのアイデアが他者に共有され
承認されない限りその建築は実現しない。

つまり、リアリティがあると認められない限り決して実現しないのである。

今までに見たこともない新しいアイデアほどそれが共感されるのは難しい。
それがたとえその地域社会にとって有効な提案であったとしても、
それまでの建築に慣れ親しんだ人たちに
その新しいアイデアを説明することが極めて難しいのである。

だから多くの場合、
それまでにあった建築と同じような
考え方によって建築はつくられる。


過去の例に倣うのである。
特に日本の官僚制機構の中では
過去の例に倣うことが常態化しているのである。

官僚制機構の中の一セクションは
過去に自らが実現させた建築を決して否定しない
それを否定することは
官僚制機構のセクショナリズムそのものを
否定することになるからである。


建築は官僚制的に標準化されている。

その標準が常に最優先されるのである。
標準化された建築がその地域特性と
全く矛盾する場合であったとしても、である。

既に日本中につくりつづけらてきた標準的建築は、
多くの実績があるというそれだけの理由だけで、
リアリティがあると見なされるのである。

だから、
設計者が自らのアイデアを説明しなくてはならない相手は
誰よりもまずこの官僚制機構に対してなのである。

既に述べたように、彼らは非-主観的である
人格を持たない
彼らへの説明は自らのアイデアの説明ではなく、
官僚制機構の命令にいかに忠実に従っているか、
それを説明することなのである。


彼らの命令は社会的要請であるという装いを持つからである。

     ●

でも、建築は常にその場所に固有の空間である。

その建築にリアリティがあるかどうかを
決めるのはその建築を利用する人たちであり、
地域社会に住む住人である。

そしてそれを提案するのは建築の専門家である。

官僚機構ではない。

アレントが強調するのは、
このリアリティの獲得にいたるプロセスこそが
政治的生活と呼べる活動なのだということである。

リアリティという感覚は“common_sense”によって支えられている。

“common_sense”は他者と同じ空間の中に居るという感覚である。
それこそが、政治的生活を支えているというのである。

労働者を管理するための住宅から始まった私たちの住む住宅は
私生活の自由」については良く考えられてきたが、
政治に参加する自由とは全く無縁である。

それは近代建築運動の多くの建築家たちが全く意識しなかった自由である。

というよりも、むしろ意図的に排除してきた自由であった。

「1住宅=1家族」という管理された住宅に住む住人にとっては
本質的にたどり着けない自由なのである。

ミュルーズの労働者住宅のその均質な配置計画は、
できるだけ住人同士が出会わないように
細心の注意深さで計画されたのである。

出会うということは
「私が他人の眼に現われ、他人が私の眼に現われる」
ということである。

そうした「他人によって見られ聞かれる」空間が奪われるということは
リアリティを奪われることに等しい。
そのような配置計画である。

ヒルベルザイマーのベルリンのハイライズ・シティも同じ理念でつくられている。
そして戦後の公団住宅の考え方も全く同じであった。
他者と同じ空間の中に居るという感覚(“common_sense”)を奪う空間である

住民の政治参加をできるだけ妨げるように住宅はつくられ、
配置されてきたのである。


               (山本理顕著「権力の空間/空間の権力」より)


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【Jul_19】平吹佳奈

2015-08-26 | DANCE
MOKK LABO_#7 「ナイトサファリ日本橋」

写真UPしました〜!
【on_Flickr】0719_MOKK

構成・演出・出演:村本すみれ
出演:金子愛帆、絹川明奈、鈴木よう子、村田茜、佐藤有紀恵、平吹佳奈、藤井咲恵
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【on_Flickr】0719_MOKK

2015-08-26 | DANCE
MOKK LABO_#7 「ナイトサファリ日本橋」

写真UPしました〜!
【on_Flickr】0719_MOKK

構成・演出・出演:村本すみれ
出演:金子愛帆、絹川明奈、鈴木よう子、村田茜、佐藤有紀恵、平吹佳奈、藤井咲恵
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