#photobybozzo

沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【やちむん】ロード・トゥ・ナミノウエ

2010-10-12 | MUSIC
君がうまれるずっと前 ぼくもこの間知ったけど
海の上にはボートハウスがあったらしいよ
ジュークボックスも潮風にささくれてた

アルファベットのひとつを名前につけた
中華屋の二階のライブハウス
甘く長い夜だけじゃなかっただろう
沖行く船を心で追いかけた朝

封印をほどくように古くて新しい友人は百円玉入れて
ジュークボックスのボタンを押した
ロード・トゥ・ナミノウエ ぼくはここにやってきた
ロード・フロム・ナミノウエ 君はここからスタートだ

そう言えば初めてこの島に来たとき
泊まった所があそこのビジネスホテル
制服でいっぱいのロビーで期待もせずに
ぼくだけ時代遅れのテレビゲームをしてた

夏の終わりはいびつな波が海からはぐれて
防波堤まで伸びる
風と波とでカタチを変えた砂を夏の初めに
ブルドーザーが押し戻してる

ソープランドとラブホテルの間に
朝までやってる中華屋ができたよ
派手なネオンを抜けて呼び込みをはぐらかして行こう
ラーメンはきっと台湾の味だよ

君が生まれるずっと前 君が生まれるずっと前
海の上にはボートハウスがあったらしいよ
ちょうどあの橋がかかってるあたりかな

ロード・トゥ・ナミノウエ ぼくはここにやってきた
ロード・フロム・ナミノウエ 君はここからスタートだ
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【やちむん】@吉祥寺Manda-la2

2010-10-12 | ACT!
10月11日。月曜日。
体育の日にふさわしい
雲一つない晴天。

真っ青な空。爽やかな風。
まさに行楽日和。

結婚式も相当な数、組まれているようだけど、
この天気なら、どんなカップルも幸せになるだろう。

      ●


沖縄のバンド「やちむん」のLIVEを撮影すべく
吉祥寺のMandaーla2へ足を運ぶ。

沖縄を離れてから1年。
ひさしぶりに見る生「やちむん」。

やちむんのリーダー、奈須重樹さんは、
沖縄の広告代理店にボクが入社して
初めてのお仕事で知り合って以来、
ずっとお付き合いさせてもらっている仲。

現在「やちむん」はひとりで活動されているが、
12年のあいだの変遷で、
いろいろな方と知り合うきっかけを与えてくれた。

アルバム制作にも2作関わることになり、
写真撮影のチャンスをいただいたり…と、
今の自分の立ち位置を何かしら導いた人。

今回はホントタイミングよく、
11日にLIVEがあるよ…と言うことで行ってみた。

      ●

「LIVE&TALK」ということで、
お話メインなステージだったのだけど、
いつもの奈須さんの空気感を満喫でき、
時間はあっという間に過ぎ去った。

沖縄のあの場所で聴いた…
沖縄のあのお店で歌った…
沖縄のライブハウスで涙した…

1曲1曲が思い入れがある曲ばかりで、
曲を聴くたびに沖縄の情景が頭を巡り、
なんとも胸の締め付けられる瞬間がたびたびあったのだけど、

ロード・トゥ・ナミノウエ」はぐっさり胸に突き刺さって、
その痛みで涙がボロボロと溢れてきて、しょうがなかった。

唄の成立した1980年代当初の「波の上」をドキュメントした映像を、
映画監督と撮ってYouTubeに上げたのだけど、
それが巡る巡ってカナダの歌い手と繋がることが出来た話…など、

連綿と続く戦後沖縄のカオスな状況…
アメリカ世からベトナム戦争へと至る
沖縄県民が巻き込まれた背景を聴きながら、
GIたちがどんな思いで沖縄から飛び立ったのか…と
想像をたくましくすると、「Road to 波の上」の楽曲も
どんどん胸に迫ってくる。

唄が記憶を呼び覚ます…。
なにより愛、愛だろ、愛。

奈須さんの沖縄に対する愛が、
ボクの琴線を大きく揺すったんだ。

ボク自身忘れていた沖縄への愛を
やちむん」が
思い出させてくれた。

ボクにとっての沖縄が
どんなところだったのか…
やちむん」が、奈須さんが、教えてくれた。

…涙、涙の一夜だった。




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【bozzo】劉暁波氏受賞の意味

2010-10-09 | CHINA
10月9日、土曜日。
昨日までの天候とは打って変わって
どんよりとした曇り空。

室内灯をつけないと、
パソコン画面が目に痛いほど明るい。

      ●

今朝の新聞でノーベル平和賞が
中国人権活動家の劉暁波(リウシアオポー)氏
に決まったことを知った。

一党独裁を強く批判し、
多民族国家中国の民主的立国を目指している
…との劉氏の主張を読んで、

「雲南少数民族の写真群は、その証になる!」

…と強く思った。

今写真展を企画していて、
そのタイトルを「你好!素顔!」にしようと
考えていたのだけれど、
その副題として「多民族国家中国の素顔」を
入れるべきだ…と合点。

雲南の奥地に足を踏み入れて、そのpassiveな生き様
…受動態というネガティブな意味ではなく、
「passする態」環境を受け、環境を渡す
…その関係性を大切にした生き様に感動し、
シャッターを切ったのだけれど、

少数民族のことをよく知ろうと昆明の書店に立ち寄り、
その書籍の品揃えに愕然としたのを、思い出す。

「これが中国なのか」

そう思えるほどのジャンルの偏り、内容の浅薄さ。
66年、毛沢東が行った「文化大革命」という名の粛清運動。
あの時以来中国は、常に人民を操ることで国家を持続させてきた。

…その事実を見る思いだった。

実用書とビジネス書、そして男と女の生き方本など、
書棚にあるのは、新刊書ばかり。
もちろん外国人が中国を語った本などあるはずもない。

ボクらが求めた少数民族の生き方を広くまとめたような本も、
旅行書の「雲南」という項目で紹介される程度でしかなく、
「おいおい、コレなら日本のほうが情報あるぞ」と
突っ込みを入れたくなる乏しさ。

中国三千年の奥深き思想は、文革以降完全に抹消され、
国家に粛清され、操作された情報のみを享受する今の中国人。

世界に対してある種偏った思考で、
経済大国2位まで上り詰めたその不均衡さが、
昆明の街のあちらこちらに染み出ている。

しかし、雲南でパッシブライフを営んでいる
ボクらが見たペーやミャオやハニ、イ族の人たちは、
しっかりと地に足をつけて、世界と対峙していた。

劉氏の受賞は、
この不均衡国家中国の限界を露呈する契機となった。

ボクはボクなりの実感を、
写真展というカタチで世に伝えたい。

中国のフィルターを通し、
見失ってしまった人間本来の感覚を呼び戻したい。

その思いを強くしたニュースだった。
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【山田圭一】明日より個展スタート

2010-10-03 | works
10月03日。日曜日。くもり。
なんとか天気が持ちこたえている。

昨日は一日結婚式→披露宴→二次会と撮影。
12時間もの間、慣れないスーツで挑むのは
やはり肩が凝る。

しかし、人生最高の日に同席できる悦び。
挙式から二次会まで共有すると、
友人仲間にも気に留めてもらえる存在となり、
なかなか得難い体験だ。

…とはいえ、41歳にはキツいことも確か。

      ●

本日、銀座ギャルリー志門にて
山田圭一個展」の搬入作業を行う。

鉄の彫刻を主とする作家だから、
ある程度の覚悟は決めていったのだが、
あれほどの重たい作品を
階段で3階まで運ぶことになろうとは
不覚にも、思っていなかった。

その甲斐もあり、
展示はギャルリーのイメージを
良い意味で損なう素敵なモノになった。

会期は一週間。
見逃す手はない。

      ●

LUSH LIFE/Chris Conner

Life is lonely again
And only last year
Everything seemed so sure
Now life is awful again
A trough full of hearts could only be a bore

A week in Paris could ease the bite of it
All I care is to smile in spite of it

I'll forget you, I will
While yet you are still
Burning inside my brain
Romance is mush
Stifling those who strive
So I'll live a lush life in some small dive
And there I'll be, while I rot with the rest
Of those whose lives are lonely too

[LUSH]…青々とした、繁茂した
[LUSH]…酔っ払いの

邦題で「豊穣の日々」とも「酔いどれの人生」とも
訳されるLUSH LIFEだけども、
「酔いどれ」をも「青々と繁茂する」
豊かな日々にとらえるあたりが、
まさに人生そのものだと、ボクには思えたわけで。

好きな女性のことを思って「酔いつぶれる人生」は、
退屈な日々だと思われようが、
それはそれで「青々とした毎日」なのではないか。

Coltrane
の演奏を聴きながら、
Billy Strayhornの愛にあふれた思いを汲み取るのだった。

いやいや、なんでLUSH LIFEかって?

愛で結実したふたりの記念すべき一日に
はたしてどんな曲がふさわしいのだろう…と
JAZZのスタンダードを巡っていたら、この曲に出くわした訳。

LUSH LIFEって、いったいどんな歌詞なんだろう?

このねちっこい旋律には、なんとも言えない思いがありそうだ。
…などと調べてみたら、やはりその通り。
このミルフィーユな重複した思いこそ、二人の門出にふさわしい。

だからJAZZは(男と女は)やめられない。

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【1_WALL】公開最終審査

2010-10-01 | PHOTO
10月01日。金曜日。
映画の日、そして都民の日。

朝から「アリエッティ」を観てむせび泣く。
足るを知る…借りぐらしのメッセージに、
駿の偉大さを改めて感じた。

照葉樹林文化論といい、映画に込められた
ジブリのメッセージといい、
なんといっても完成度の高さといい、
日本の未来は明るい!と
単純に思った次第。

これだけの影響力をもって
子供たちにすり込まれたハヤオ節、
きっとイイ方向に向くはず。

日本社会のOSを総取っ替えしてくれるはず。
(OSってパソコンのオペレーションシステムね)

      ●

夜、ガーディアンガーデンで行われている
1_WALL」展の公開最終審査へ足を運ぶ。

東京へ来て、こういったイベントに
足を運べる環境なんだから…と、
物見遊山なノリで会場へ行ってみたのだけど、

正直、現代を牽引する「写真」の文脈そのものにも興味があったし、
自分の感性がその文脈と比べてどれだけズレたモノになっているのか…
みたいな自虐的な要素もあったのだけど、

会場へ入ってみると、埋め尽くす若者たち。
チャラ男チャラ女が目立つ目立つ。
審査中もバチバチとデジカメをFLASH焚いて撮りまくってたりして、
なんだか浮かれポンチだなあ…とおじさんな感想を抱いたりして、

そんでもってファイナリスト6人の写真が
どれもこれもパーソナルな殻に閉じこもった
内省的な写真ばかりで、やはりなあ、文脈違うな…と、
これまた突き放したような気持ちになったのだけど、

審査員の鈴木理策さんや町口覚さん、金村修さんが意外や意外、
けっこうまともなコメントを(ボクの文脈にあった)云っていて、

実際の写真展示を見てみたら、
感性に訴えかけている写真がやはりグランプリだな…
などと、悦に入った次第。

プレゼンテーションでいくら御託並べても、
肝心の写真表現で伝わるモノがなかったら、
やはり評価されないよねえ…と、その当たり前のことを
今回の公開最終審査で確認できて、とても良かった。

人間の感性、捨てたモンじゃない。

それにしても、ファイナリスト6人の写真、
対象が全員モノや光景。人間を撮っている人がいなくて、残念。

その中でもグランプリを獲った金瑞姫さんの写真だけ唯一、
他人の気配が映っていて、窓から差し込む光に未来を感じた。

そうそう。過去との関係性から写真は表出されるけれども、
未来へメッセージが残らなければ、意味がないのよね。


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