今 喪ったモノを取り返す時なのか
新しいマッチに火をつける時なのか 時なのか
あぁ 敏感になり過ぎた子供達が笑う
罪のないハズのあの人が傷ついて祈ってる
目を そらす ストーブの火
かげ ほこり 黙ってる時
今 喪ったモノを取り返す時なのか
新しいマッチに火を付ける時なのか 時なのか
あぁ 敏感になり過ぎた子供達が笑う
罪のないハズのあの人が傷ついて祈ってる
木の におい ジャンベの音
うずくまる ペットの目
けもの道がずっと続くその先は
行き止まりなのか
ぬかるんだ地面 遠ざかる光 渡しそびれたプレゼント
ヒーローはいない 教師もいない
ただあるのは けもの道が一本
ヒーローはいない 教師もいない
ただあるのは けもの道が一本
(Theatre_brook “けものみち” by 佐藤タイジ)
●
1年ぶりの陸前高田。
呑み込まれた市街地は、今もまだその海鳴りを地底に蓄えているかのように
表向きは更地として、そこに在った。
市役所も、市民会館も、津波に洗われた状態のまま、じっと硬直していた。
1年と9ヶ月という月日。
GWに見た光景がそのまま、風雨にさらされながらも、耐えている。
1500人の御霊を讃え、自然を畏怖することの尊さを伝えるかのように。
●
1997年に発表されたシアターブルックのこの楽曲は、
震災のあとのこの「耐える風景」を想起させる。
出口のない八方塞がりな中でも
光をもとめ、活路をもとめ、さまよう獣。
己の勘だけを頼りに、己の道を行く。
その道が、“けものみち”だ。
陸前高田では13mの防波堤を建てる計画が決議されたと、聞いた。
南三陸の語り部さんが語った言葉がよみがえる。
「自然に抗うのではなく、自然と共に生きることに決めたんです」
南三陸は震災前、防災の町として他県からも見学が来るほどのところだった。
防災に自信があった町だった。
だからこそ、今回の震災は堪えた。
町が見事に根こそぎ持って行かれた。
自慢の防災が、何の効力も示さなかった。
だからこそ、この言葉が活きる。
「自然と共に生きることに決めたんです」と。
木村さんのりんごも、岩渕さんのふゆみず田んぼも、
自然に抗うのではなく、寄り添うことで、活路を見出した。
過去の慣例に従うのではなく、己の勘を頼りに、共生を得た。
そこには多大な苦労があった。思い過ごしからひとつも実のならない年さえあった。
それでも辛抱を重ね、なんとか活路を導いた。
ニッポン全体もそうだ。
自民党政権になり、過去の活況を取り戻そうと、
公共事業に金をつぎ込み、紙幣を市場にばらまく「アベノミクス」で
原発新規建設さえ視野に入れた動きを活性化している。
これだけの綻びが目に見えているにもかかわらず、
人間は過去の栄華にしがみつくのだ。
もう足下はガタガタ言っている…というのに、
「自然に抗う」道で、滅びを促進している。
まるで、「ソドムとゴモラ」の伝説のようだ。
●
タイジは歌う。
ヒーローはいない、教師もいない
ただあるのは“けものみち”が一本…と。
そうなのだ。
なにかにすがるのではなく、
なにかに教えを乞うのではなく、
己の勘、感性を信じて、己の道を行けと。
いま必要なのは、「けもの」としての人間の感性だと思う。
●
それが証拠に、タイジは今も先頭に立って、
「その上の太陽はありったけの愛で出来てる」を地で行く
ソーラーライブを実現した。
この感性が、いま必要なのだ。
新しいマッチに火をつける時なのか 時なのか
あぁ 敏感になり過ぎた子供達が笑う
罪のないハズのあの人が傷ついて祈ってる
目を そらす ストーブの火
かげ ほこり 黙ってる時
今 喪ったモノを取り返す時なのか
新しいマッチに火を付ける時なのか 時なのか
あぁ 敏感になり過ぎた子供達が笑う
罪のないハズのあの人が傷ついて祈ってる
木の におい ジャンベの音
うずくまる ペットの目
けもの道がずっと続くその先は
行き止まりなのか
ぬかるんだ地面 遠ざかる光 渡しそびれたプレゼント
ヒーローはいない 教師もいない
ただあるのは けもの道が一本
ヒーローはいない 教師もいない
ただあるのは けもの道が一本
(Theatre_brook “けものみち” by 佐藤タイジ)
●
1年ぶりの陸前高田。
呑み込まれた市街地は、今もまだその海鳴りを地底に蓄えているかのように
表向きは更地として、そこに在った。
市役所も、市民会館も、津波に洗われた状態のまま、じっと硬直していた。
1年と9ヶ月という月日。
GWに見た光景がそのまま、風雨にさらされながらも、耐えている。
1500人の御霊を讃え、自然を畏怖することの尊さを伝えるかのように。
●
1997年に発表されたシアターブルックのこの楽曲は、
震災のあとのこの「耐える風景」を想起させる。
出口のない八方塞がりな中でも
光をもとめ、活路をもとめ、さまよう獣。
己の勘だけを頼りに、己の道を行く。
その道が、“けものみち”だ。
陸前高田では13mの防波堤を建てる計画が決議されたと、聞いた。
南三陸の語り部さんが語った言葉がよみがえる。
「自然に抗うのではなく、自然と共に生きることに決めたんです」
南三陸は震災前、防災の町として他県からも見学が来るほどのところだった。
防災に自信があった町だった。
だからこそ、今回の震災は堪えた。
町が見事に根こそぎ持って行かれた。
自慢の防災が、何の効力も示さなかった。
だからこそ、この言葉が活きる。
「自然と共に生きることに決めたんです」と。
木村さんのりんごも、岩渕さんのふゆみず田んぼも、
自然に抗うのではなく、寄り添うことで、活路を見出した。
過去の慣例に従うのではなく、己の勘を頼りに、共生を得た。
そこには多大な苦労があった。思い過ごしからひとつも実のならない年さえあった。
それでも辛抱を重ね、なんとか活路を導いた。
ニッポン全体もそうだ。
自民党政権になり、過去の活況を取り戻そうと、
公共事業に金をつぎ込み、紙幣を市場にばらまく「アベノミクス」で
原発新規建設さえ視野に入れた動きを活性化している。
これだけの綻びが目に見えているにもかかわらず、
人間は過去の栄華にしがみつくのだ。
もう足下はガタガタ言っている…というのに、
「自然に抗う」道で、滅びを促進している。
まるで、「ソドムとゴモラ」の伝説のようだ。
●
タイジは歌う。
ヒーローはいない、教師もいない
ただあるのは“けものみち”が一本…と。
そうなのだ。
なにかにすがるのではなく、
なにかに教えを乞うのではなく、
己の勘、感性を信じて、己の道を行けと。
いま必要なのは、「けもの」としての人間の感性だと思う。
●
それが証拠に、タイジは今も先頭に立って、
「その上の太陽はありったけの愛で出来てる」を地で行く
ソーラーライブを実現した。
この感性が、いま必要なのだ。
政治を語れないヤツとは今後付き合わない。
これが、今回の総選挙でボクが得た結論だ。
政治を語れる者どうしが、威勢よくツィートを繰り返しても、このザマである。
自公320議席。
得票率43%の自民党が294議席も獲得できてしまう不思議な選挙制度。
憲法改正や原発再稼働の後ろ盾を得た…と考える安倍政権。
おいおい、民意はそんなはずねいぞ…と言ったところで、
この結果がすべてなのだ。
…だから、今後一切、政治を語れないヤツとは付き合わないことに決めたのだ。
政治に無頓着で、投票日にだけ
気分で投票してもらっちゃ困るのだ。
まして、棄権なんてされちゃ、目も当てられない。
それぐらいの危機状況にいま国は落ち込んでいる。
その事実を正面から受け止めず、
己の興味だけで世の中を見ているカタワな人間とは、
金輪際付き合わない。
そのぐらいの気概で、今後は対峙していかないと、
ホントに危機なのだから。
内田樹氏が見事に予知している。
内田樹の研究室「国民国家とグローバル資本主義について」
この選挙結果は必然であったと、内田氏は書く。
資本主義は転がりだしたら、留まることを知らずどこまでも、
落ちるところまで落ちるシステムであることを、内田氏は認識している。
国内だけで成立していた資本経済が、
経費節減の余波を受け、どんどん海外へと目を向け始め、
工場を海外に移したり、労働力を海外に頼ったり、
税金のかからない国に本社機能を移転したり…と、
大きくなればなるほど、帰属意識が薄まることは必然だと、氏は説く。
そこがツボなのだ。
以下転載。
グローバル企業は単一の国籍を持っていないし、
経営者や株主たちも特定の国家への帰属意識を持っていない。
だから企業の収益は原理的には「私物」である。
グローバル企業は特定の国の国民経済の健全な維持や、
領域内での雇用の創出や、国庫への法人税の納税を「自分の義務だ」と考えない。
そんなことに無駄な金を使っていては国際競争に勝ち残ることができないからだ。
これからのち、政府は人件費を切り下げ、
巨額の公共事業を起こしてインフラを整備し、
原発を稼働して安価な電力を提供し、
法人税率を引き下げ、公害規制を緩和し、
障壁を撤廃して市場開放することを
グローバル企業から求められることになるだろう。
そして、私たちの国の政府はそのすべての要求を呑むはずである。
むろん、そのせいで雇用は失われ、
地域経済は崩壊し、歳入は減り、
国民国家の解体は加速することになる。
対策としては、ベタなやり方だが、
愛国主義教育や隣国との軍事的緊張関係を
政府が意図的に仕掛けるくらいしか手がない。
気の滅入る見通しだが、たぶんこの通りになるはずである。
戦後復興が急務だった我が国ニッポンは所得倍増計画を掲げ、
国の中心を経済に持って行った。いわば悪魔に魂を売り渡した。
金を稼ぐこと…それが、正義だった。
サラリーマンであれば、
無責任でも一目置かれる存在になった。
それが戦後50年代60年代のニッポンの姿だった。
その時代の中心にいた人間が、石原慎太郎を象徴とする
自民党55年体制の政治家たちだ。経団連の米倉もその口だろう。
内田氏は説く。
グローバル資本主義が国民国家を解体する…と。
企業を念頭においた政策を推し進めると、どんどん国家が脆弱になる。
帰属意識など端から持ち合わせていない企業にしてみれば、
国家存続など、「どうでもいいね」。
その亡国を憂う輩は、国粋原理主義に走り、
隣国に牙をむく軍国政権へと傾かざるを得ない。
結局、中心不在のまま、その辺境となる企業と、
勘違いのナショナリズムだけがふわふわと浮いた状態になる。
しかし、それは必然なのだ…と氏は説く。
「とりあえず国際競争力のある企業に国民国家の資源を集中させるために、
国民は増税負担を受け容れ、賃下げを受け容れ、
社会福祉や医療の切り下げを受け容れなければならないが、
我慢してもらえば、いずれ『おこぼれ』が回ってくるだろう」という話で、ことが進んでいる。
「トリクルダウン」※はグローバル資本主義と国民国家のあいだの
本質的な矛盾を糊塗するための「詐欺的理論」であるが、
現在のわが国の政治家は全員がこれを信じているふりをしている。
※「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透(トリクルダウン)する」とする政治思想
ほかに経済システムと政治単位の本質的な両立不能性を「ごまかす」手立てがないからである。
本気で「トリクルダウン」を信じている人たちは愚鈍である。
ほんとうは信じてないが、そういって国民をごまかして
時間稼ぎをしている人たちは知的に不誠実である。
私たちが今なすべきなのは、
「国民国家は賞味期限が切れかけているが、
他に何か生き延びる知恵はないのか」ということを
まじめに考えることなのだが、それだけは誰もしようとしない。
そう、誰もしようとしないのだ。
トリクルダウンに疑いをかけることすらも、自公320議席となった今は、むずかしい状況である。
なにゆえにニッポンはこのような状況に陥ってしまったか。
答えは簡単だ。経済に魂を売ってしまったからである。
経済活動に忙しいから政治も政策も考える余裕がない。
餅は餅屋で政治は政治の専門家に任せて、バシバシと決めてくれればいい。
こちらは生活するので手一杯なんだ。
そんなふうにして自らを政治の領域から外してしまった。
その結果が、お任せ主義となって、ドブ板活動で自民党に票が集まった。
だれもが自分は富める側だと思っている。
だれもが自分は勝者の側だと思っている。
それも戦後教育の浅はかさから来ている…とボクは思ってる。
選挙前に性悪説を説いて、瓦解するニッポンを嘆いていたけれども、
内田氏の言説を読むと、それが必然だと知って、今愕然としているのだ。
だから、いま政治を語れない人間…てのは、
自分が置かれている状況を理解していないってこと。
そんなバカは相手にしない。
それぐらい今の世界は赤信号なのだから。
これが、今回の総選挙でボクが得た結論だ。
政治を語れる者どうしが、威勢よくツィートを繰り返しても、このザマである。
自公320議席。
得票率43%の自民党が294議席も獲得できてしまう不思議な選挙制度。
憲法改正や原発再稼働の後ろ盾を得た…と考える安倍政権。
おいおい、民意はそんなはずねいぞ…と言ったところで、
この結果がすべてなのだ。
…だから、今後一切、政治を語れないヤツとは付き合わないことに決めたのだ。
政治に無頓着で、投票日にだけ
気分で投票してもらっちゃ困るのだ。
まして、棄権なんてされちゃ、目も当てられない。
それぐらいの危機状況にいま国は落ち込んでいる。
その事実を正面から受け止めず、
己の興味だけで世の中を見ているカタワな人間とは、
金輪際付き合わない。
そのぐらいの気概で、今後は対峙していかないと、
ホントに危機なのだから。
内田樹氏が見事に予知している。
内田樹の研究室「国民国家とグローバル資本主義について」
この選挙結果は必然であったと、内田氏は書く。
資本主義は転がりだしたら、留まることを知らずどこまでも、
落ちるところまで落ちるシステムであることを、内田氏は認識している。
国内だけで成立していた資本経済が、
経費節減の余波を受け、どんどん海外へと目を向け始め、
工場を海外に移したり、労働力を海外に頼ったり、
税金のかからない国に本社機能を移転したり…と、
大きくなればなるほど、帰属意識が薄まることは必然だと、氏は説く。
そこがツボなのだ。
以下転載。
グローバル企業は単一の国籍を持っていないし、
経営者や株主たちも特定の国家への帰属意識を持っていない。
だから企業の収益は原理的には「私物」である。
グローバル企業は特定の国の国民経済の健全な維持や、
領域内での雇用の創出や、国庫への法人税の納税を「自分の義務だ」と考えない。
そんなことに無駄な金を使っていては国際競争に勝ち残ることができないからだ。
これからのち、政府は人件費を切り下げ、
巨額の公共事業を起こしてインフラを整備し、
原発を稼働して安価な電力を提供し、
法人税率を引き下げ、公害規制を緩和し、
障壁を撤廃して市場開放することを
グローバル企業から求められることになるだろう。
そして、私たちの国の政府はそのすべての要求を呑むはずである。
むろん、そのせいで雇用は失われ、
地域経済は崩壊し、歳入は減り、
国民国家の解体は加速することになる。
対策としては、ベタなやり方だが、
愛国主義教育や隣国との軍事的緊張関係を
政府が意図的に仕掛けるくらいしか手がない。
気の滅入る見通しだが、たぶんこの通りになるはずである。
戦後復興が急務だった我が国ニッポンは所得倍増計画を掲げ、
国の中心を経済に持って行った。いわば悪魔に魂を売り渡した。
金を稼ぐこと…それが、正義だった。
サラリーマンであれば、
無責任でも一目置かれる存在になった。
それが戦後50年代60年代のニッポンの姿だった。
その時代の中心にいた人間が、石原慎太郎を象徴とする
自民党55年体制の政治家たちだ。経団連の米倉もその口だろう。
内田氏は説く。
グローバル資本主義が国民国家を解体する…と。
企業を念頭においた政策を推し進めると、どんどん国家が脆弱になる。
帰属意識など端から持ち合わせていない企業にしてみれば、
国家存続など、「どうでもいいね」。
その亡国を憂う輩は、国粋原理主義に走り、
隣国に牙をむく軍国政権へと傾かざるを得ない。
結局、中心不在のまま、その辺境となる企業と、
勘違いのナショナリズムだけがふわふわと浮いた状態になる。
しかし、それは必然なのだ…と氏は説く。
「とりあえず国際競争力のある企業に国民国家の資源を集中させるために、
国民は増税負担を受け容れ、賃下げを受け容れ、
社会福祉や医療の切り下げを受け容れなければならないが、
我慢してもらえば、いずれ『おこぼれ』が回ってくるだろう」という話で、ことが進んでいる。
「トリクルダウン」※はグローバル資本主義と国民国家のあいだの
本質的な矛盾を糊塗するための「詐欺的理論」であるが、
現在のわが国の政治家は全員がこれを信じているふりをしている。
※「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透(トリクルダウン)する」とする政治思想
ほかに経済システムと政治単位の本質的な両立不能性を「ごまかす」手立てがないからである。
本気で「トリクルダウン」を信じている人たちは愚鈍である。
ほんとうは信じてないが、そういって国民をごまかして
時間稼ぎをしている人たちは知的に不誠実である。
私たちが今なすべきなのは、
「国民国家は賞味期限が切れかけているが、
他に何か生き延びる知恵はないのか」ということを
まじめに考えることなのだが、それだけは誰もしようとしない。
そう、誰もしようとしないのだ。
トリクルダウンに疑いをかけることすらも、自公320議席となった今は、むずかしい状況である。
なにゆえにニッポンはこのような状況に陥ってしまったか。
答えは簡単だ。経済に魂を売ってしまったからである。
経済活動に忙しいから政治も政策も考える余裕がない。
餅は餅屋で政治は政治の専門家に任せて、バシバシと決めてくれればいい。
こちらは生活するので手一杯なんだ。
そんなふうにして自らを政治の領域から外してしまった。
その結果が、お任せ主義となって、ドブ板活動で自民党に票が集まった。
だれもが自分は富める側だと思っている。
だれもが自分は勝者の側だと思っている。
それも戦後教育の浅はかさから来ている…とボクは思ってる。
選挙前に性悪説を説いて、瓦解するニッポンを嘆いていたけれども、
内田氏の言説を読むと、それが必然だと知って、今愕然としているのだ。
だから、いま政治を語れない人間…てのは、
自分が置かれている状況を理解していないってこと。
そんなバカは相手にしない。
それぐらい今の世界は赤信号なのだから。
2001年12月29日に93歳の生涯を閉じたマエストロ、朝比奈隆。
没後10年と大阪フィルハーモニー設立65周年を記念した回顧展が
民音博物館で行われていたので、観に行った。
朝比奈隆は1994年、実際にブルックナー8番を聴きに行っている。
その時は86歳。それでも指揮者としてはかなりの高齢なのだけど、
長大で荘厳なブルックナーの8番をこれでもか、これでもか…と
畳みかけるように音の重なりで聴衆を圧倒し、
鳴り止まないカーテンコールに、背筋を伸ばしてしっかり応えていた姿がいまでも目に焼き付いている。
今回の回顧展で、なんとも希有な音楽家であったことを改めて認識した。
54年間ものあいだひとつの楽団を育んできたってのも他の指揮者にはない偉業だし、
その楽団が大阪を拠点としているってのも当時としてはかなり珍しい。
なんでも東京一極集中だった戦後まもない1947年に、
大阪をホームとする関西交響楽団を立ち上げて死ぬまで主席指揮者を務めた。
そのねちっこさというか、地力のすごさというか、
1994年に目の前ですくっと立っていた朝比奈隆そのままのひたむきさというか。
東京ではなく、大阪から文化を発信することで、ニッポン全体の成熟度を底上げしようとしていた
その視点の広さと、細やかさには、ホントに感服する。
実際、この8番を他の交響楽団のものと聴き比べると、
朝比奈隆の8番はどこまでも愛に溢れていて、とてつもなく繊細だ。
朝比奈隆に出会わなかったら、ブルックナーも知らずに通り過ぎていただろう。
そう考えると、人間の出逢いの素晴らしさに、心顫える。
こんな偉大な人間を生み出してきたニッポンだったのに…。
何をどう間違えたら、安倍みたいな人間が生まれるのだろうか。
没後10年と大阪フィルハーモニー設立65周年を記念した回顧展が
民音博物館で行われていたので、観に行った。
朝比奈隆は1994年、実際にブルックナー8番を聴きに行っている。
その時は86歳。それでも指揮者としてはかなりの高齢なのだけど、
長大で荘厳なブルックナーの8番をこれでもか、これでもか…と
畳みかけるように音の重なりで聴衆を圧倒し、
鳴り止まないカーテンコールに、背筋を伸ばしてしっかり応えていた姿がいまでも目に焼き付いている。
今回の回顧展で、なんとも希有な音楽家であったことを改めて認識した。
54年間ものあいだひとつの楽団を育んできたってのも他の指揮者にはない偉業だし、
その楽団が大阪を拠点としているってのも当時としてはかなり珍しい。
なんでも東京一極集中だった戦後まもない1947年に、
大阪をホームとする関西交響楽団を立ち上げて死ぬまで主席指揮者を務めた。
そのねちっこさというか、地力のすごさというか、
1994年に目の前ですくっと立っていた朝比奈隆そのままのひたむきさというか。
東京ではなく、大阪から文化を発信することで、ニッポン全体の成熟度を底上げしようとしていた
その視点の広さと、細やかさには、ホントに感服する。
実際、この8番を他の交響楽団のものと聴き比べると、
朝比奈隆の8番はどこまでも愛に溢れていて、とてつもなく繊細だ。
朝比奈隆に出会わなかったら、ブルックナーも知らずに通り過ぎていただろう。
そう考えると、人間の出逢いの素晴らしさに、心顫える。
こんな偉大な人間を生み出してきたニッポンだったのに…。
何をどう間違えたら、安倍みたいな人間が生まれるのだろうか。
12/14千歳烏山StudioGOOにて
ファンシーな創作ダンス集団「ドドド・モリ」
ダンス公演「価格家族」から
ドドド・モリ主宰のダンサー新宅一平さん
彼の作り上げる世界観は
いつもどこか破綻している。
今回は「価格」と「家族」という世俗なテーマで
漂流する茶の間をippei流に料理した。
もっともっと黒々とした斬り込みでも良かった。
とにかく飄々としながら、何を考えているのやら。
【On_Flickr】1214_dododo
ファンシーな創作ダンス集団「ドドド・モリ」
ダンス公演「価格家族」から
ドドド・モリ主宰のダンサー新宅一平さん
彼の作り上げる世界観は
いつもどこか破綻している。
今回は「価格」と「家族」という世俗なテーマで
漂流する茶の間をippei流に料理した。
もっともっと黒々とした斬り込みでも良かった。
とにかく飄々としながら、何を考えているのやら。
【On_Flickr】1214_dododo