この週末、沖縄の空はずっと雲に覆われていた。
どんよりとした光が漂い、時には雨を伴った。
バンド仲間の10年来の友人が、突然この世を去った。まだ20代だった…と言う。
いたたまれなかった。
練習中に顔を合わす程度で、直接言葉を交わしたことはなかったが、
同じ空間に存在していた人物の、突然の訃報。
つい最近まで、そこに居た。
元気に笑っていた。
なんの前触れもなかった。
まさに運命のいたずら…としか、言いようがない。
この土日は、だからずっと「死」について考えていた。
暗がりの中で、「不在」を想うと身が凍った。
sudden-death…。
突然いなくなる事実。
自分もこうして、いずれいなくなる。
暴力的な喪失感だけを残して、
ここではない、どこかに逝く。
ピリオドは穿たれ、
人々の記憶の襞に、深く深く刻まれる。
「死」は何も語らない…奪い去るだけだ。
…そして、時間だけが、緩慢なく、流れていく。
立ち止まることすら、ゆるされていない。
すべての動きを完全停止させ、
哀しみに身を預けることすら、できない。
生きていることの不思議を想う。
そして、死ぬることの非情を嘆く。
ビックバンで拡がる宇宙空間の、銀河系の、太陽系の、地球の、
日本の現在に、「生」を授かり、「死」を引き受ける個々の人生を想う。
それは、ただ、ただ、はかない…つかのまの時間なのだろうか。
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
宮沢賢治の詩がふと、よみがえる。
交流し、明滅する、ひとつの青い照明…。
…救われた気がした。
穿たれ、刻まれたピリオドが、
再びせはしく明滅する時を待とう…そう思った。
どんよりとした光が漂い、時には雨を伴った。
バンド仲間の10年来の友人が、突然この世を去った。まだ20代だった…と言う。
いたたまれなかった。
練習中に顔を合わす程度で、直接言葉を交わしたことはなかったが、
同じ空間に存在していた人物の、突然の訃報。
つい最近まで、そこに居た。
元気に笑っていた。
なんの前触れもなかった。
まさに運命のいたずら…としか、言いようがない。
この土日は、だからずっと「死」について考えていた。
暗がりの中で、「不在」を想うと身が凍った。
sudden-death…。
突然いなくなる事実。
自分もこうして、いずれいなくなる。
暴力的な喪失感だけを残して、
ここではない、どこかに逝く。
ピリオドは穿たれ、
人々の記憶の襞に、深く深く刻まれる。
「死」は何も語らない…奪い去るだけだ。
…そして、時間だけが、緩慢なく、流れていく。
立ち止まることすら、ゆるされていない。
すべての動きを完全停止させ、
哀しみに身を預けることすら、できない。
生きていることの不思議を想う。
そして、死ぬることの非情を嘆く。
ビックバンで拡がる宇宙空間の、銀河系の、太陽系の、地球の、
日本の現在に、「生」を授かり、「死」を引き受ける個々の人生を想う。
それは、ただ、ただ、はかない…つかのまの時間なのだろうか。
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
宮沢賢治の詩がふと、よみがえる。
交流し、明滅する、ひとつの青い照明…。
…救われた気がした。
穿たれ、刻まれたピリオドが、
再びせはしく明滅する時を待とう…そう思った。