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沖縄→東京→竹野と流転する、bozzoの日々。

【Feb_23】能登半島大震災

2024-02-26 | UNITE!NIPPON
【能登半島大震災】
今回炊き出しを行った八ヶ崎集会所。
能登島最北に位置するゆえ、なかなか支援の手が届かない。
中央集権的な動きは災害時機能しないことが、今回も明らかに。
いかに日頃共助の心持ちでお互い接しているかが、非常時の精神的復興に関わってくる。
2ヶ月経っても水も通らない状態が続くのだ。
我田引水に振る舞おうにも、集落全体が機能不全で相互扶助しなければ生きてゆけない。

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【May_15】3月11日のあと After March 11, 2011

2021-05-14 | UNITE!NIPPON
震災時、防災科学技術研究所の要請による災害記録支援員の活動として、
2011年5月3日から7日にかけて陸前高田市を中心に回ったときの記録。

3月11日のあと After March 11, 2011


メンバーの北島さんが10年前の映像を20分にまとめてくれました。音楽も彼の手によるもの。

見返すとまざまざと五感が震える。これほどの崩壊を経験していながら…この国は変われなかった。
利権に塗れた敗戦後の70年はサステイナブルであった。
噴飯ものだわ。写真は今年3月の陸前高田市。

高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設 設計/内藤廣

その時の#photobybozzoはこちら。
【on_Flickr】0507_stricken
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【May_06】大熊未来塾〜もうひとつの福島再生を考える〜

2020-05-06 | UNITE!NIPPON
大熊未来塾

大熊ZOOM配信参加。
帰宅困難区域から大熊町の今を木村紀夫さんがLIVE配信。
10年目を迎える原発の地元は、未だ線量2μSv。
今日は初回ということで震災当日の木村さん宅周辺の状況を振り返り、
御家族捜索の過程を150分に亘って伺う。

次女涼凪ちゃんのご遺体が5年9ヶ月後に漸く発見されるという状況の中、
行政は中間貯蔵施設の設置や防潮堤建設で、先へ先へコマを進めようと煽ってくる。
その時間感覚のズレを現場から伝えることで共に考えたい…と始まった『大熊未来塾』。

中間貯蔵施設の期限は30年。
その後、最終貯蔵地に回される予定だが、
既に10年目を迎えた大熊の現実を次世代に渡さなければ、
30年後の人々に木村さんの思いは伝わらない。
亡くなった命を繋ぐ為に立ち上がった木村さんの気持ちを
しかと受け止めていきたい。

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【Aug_14】ダルカラ福島三部作

2019-08-15 | UNITE!NIPPON
ダルカラ『語られたがる言葉たち』初日明けました!

現在進行形の原発事故だからこそ、劇中の人々の声がグサグサ胸に突き刺さる。

津波の濁流に家や車が飲み込まれ、一緒くたに流されてゆく嘘の様な現場を知っているからこそ、
全町避難で家も車もあの日のままに取り残された光景を目の当たりにしているからこそ、
全てのセリフがとてもリアルで、だからこそ取り返しのつかない在り様に茫然として涙が止まらない。

「資本主義は真面目な報道と相性が悪い」「民主主義は真面目な報道と相性が悪い」
という2つの現実は、そのままこの社会の様を映していて絶望的になる。

沖縄も福島もまったく解決の糸口が定まらず、宙ぶらりんの状態だ。
しかし「見たいものしか見ないし、聞きたいことしか聞かない」民衆は、
巻き込まれまいとコミットしようとしない。

生きることは有象無象と共に在り、総ては地続きで境界線など存在しないのに、
やたらと線を引いて己れを安パイに留めようと躍起なのだ。

演劇が面白いのは、舞台と客席の隔たりが時間と共に一体化するところ。
他人事だった物語が血肉となって内面化し、演者も観客も渾然一体となる。


終演後のダブルコールはその表れだ。

資本主義も民主主義もこの社会の一面でしかない。
ここに生きる者、この時間を共有する者として、
何が大切なのか…この三部作は問うていると思う。28日迄。


#福島三部作
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【May_26】発酵ツーリズム・青ヶ島篇

2019-05-29 | UNITE!NIPPON
『発酵ツーリズム・青ヶ島トークイベント』@ヒカリエ8F

久々にヒラクと再会〜!発酵から日本再発見の切り口、
その中でも青ヶ島は、宗教も発酵文化も自然と地続きで、
日本風土の持つ共生力が現存する島であること。

逆に云えば、このワイルドさが本来の姿であり、
日本人のメンタリティは死に瀕してるとも言えるわけで。

もっとリアルに五感で取り巻く世界と向き合わないと、…と切実な気持ちになった。

しかし、この場所で荒井さんとヒラクがつながってるのは
ほんと夢のようで『ルイ友』ってあるんだなぁ…と。

萌芽がやがて茂みになり、枝葉がやがて大樹となって、
価値観の転覆が起きることを切に願うわ。

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【May_26】日本発酵紀行

2019-05-29 | UNITE!NIPPON
発酵ツーリズム@ヒカリエ8F
2019年4月26日_2019年7月8日

47都道府県、全部めぐって大変だった…とヒラク。

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【May_26】Fermentation Tourism Nippon 〜発酵から再発見する日本の旅〜

2019-05-29 | UNITE!NIPPON
発酵ツーリズム@ヒカリエ8F
2019年4月26日_2019年7月8日


記憶を伝達するのは言葉だけではない。
味覚は感性の領域における
「民族の記憶」を保存する方舟。


イイコト云うわ。

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【Apr_12】山内明美『こども東北学』

2019-04-12 | UNITE!NIPPON
山内明美さんの『こども東北学』。
2011に出された著書ゆえ、
震災で壊滅した我が地への悔恨が充溢していて、胸が締め付けられる。
今一度、その時の惨状を振り返って見てほしい。

【on_Flickr】0507_RikuzenTakata


これだけ激しい天変地異の中で
「あぁ、これはわたしたちが引き起こしたものだ」
と自身の内に罪を感じ、
その思いをそのまま吐露したのだな…と。

貧富は世の中の常であるけれども、富裕の者は望まないでいても豊かになり、
貧しい者はどんなに富を願っても得ることができない。
しかも、このことに盛衰があるのは、
天地に盛衰があって気候が不順になるのと同じように、自然の理であって、人の力が及ばない。
……宝暦五年(1755年)は五穀が実らず、領内のすべての人々が飢饉に直面してしまった。
夏六月から秋七月になるまで長雨が続き、冷たい風が吹いて、暑さを皆殺してしまった。
身分の高い者も低い者も、年寄りも若者もみなが、にわかに青ざめ、うろたえ、嘆き悲しみ、
この何とも言いようのない出来事を記録した。
翌年の夏に至っては!ついに一日の命も保ち難く、
親子兄弟の愛情さえ忘却してしまうほどの悲惨な有様であった……。(『飢饉考』より)


2019年の日本はとても歪んでいてしっかり立って居られないけど、
その昔、飢饉に直面した人々の苦悩は「生」に直結する事態だった。
だからこそ、自分のからだが海や山にも、コメやイモにも直結していて、
「生きる」はこの地の山や海と同義だったのだ。

震災によって引き起こされた「原発事故」は、未来永劫、
この山や海に禍根を残した。


山内さんは書く
。山や海を基本とする「村の生き方」を全否定するカタチで
敗戦後の近代社会は勃興した。しかし、その価値観の結実が「放射能汚染」だと。

元京大の小出裕章さんは言う。「核の歴史は、人間の征服欲の歴史」と。
これだけの事態に及んでも尚、【原子力=核】が活況を極めているのは、
「核を牛耳るものは、世界を牛耳る」と目されているからだと。
敗戦国である日本のルサンチマンたるや、「何じゃこりゃ〜!」ですよ…と。

だから今となっても【原子力=核】に追いすがっての「プルサーマル」だし、「夢の増殖炉」なんだと。

国の品格って、民の品格の写しだと言うけど、
正直これだけの「負けず嫌い」だとは。島国根性、アッパレだわ。

内向き社会で内向き市場だから、
世界を知らずに、世界君臨を目指せる。

そういった背景が、この国の歪みそのものだし、
自国の豊かさを身売りしてでも君臨しようとする【征服欲】の顕れなんだと。

鏡がないのね、どこまでも。
「温故知新」も「他を知る」も怠り、
今を弄することに盲信している日本。
【無目的】なのは、弱さ故なのです。ちーん。

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【Mar_11】吉増剛造『初湯』

2019-03-11 | UNITE!NIPPON
『初湯』吉増剛造

 濡れている。

 濡れている。それをみたものはこの世にはいない。死水か
ら初湯へ。初湯から死水へ。母よ。たっぷりと濡れているの
を忘れて、瞼を濡らすのは、いつからはじまったのか。仮死
の徴候のような、瞼ににじんでくる、母よ、睫毛よ、岸辺の
筏よ。

 濡れている。
 
 酒精も、発汗する額も、濡れている。黒岸と呼びならわし
た、幻の大陸がわたしの眼にみえてくる。急流の、洪水や氾
濫ではない。どこかひび割れている河底に萌えたちはじめる
眼、その気配である。母よ。死水から初湯へ。
 
 あれは、泳いでいる死体だ! とだれかが叫ぶ、おそらく
対岸の村の、餓鬼たちだ。

 母よ。ひじょうに濡れている。障子も五臓六腑も、あたま
のなかも、手のほどこしようもないほど濡れている。母よ。

 宇宙はかーるくゆがみ、どこからか水の漏れる音が聞こえ
てくる。雨期なのであろうか。
 
 死水から初湯へ。初湯から死水へ。

 おれにはなんにもするこたねえや!

 医者は聴診器を身体にあてて、そこが雨期か乾期かをしら
べるのだ。
 
 ちたん、ぽおたり。ちたん、ぽおたり。
 ちたん、ぽおたり。ちたん、ぽおたり。


 川やくちびるが濡れている。 
 わたしの職業は、河川工事の人足だろうか。気がつくとい
つも、銀河のような中州にとり残されて、夜の帳のおりてゆ
く。ああ、母よ。

 わたしはあのうみがなつかしい。

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【Mar_11】吉増剛造さんの言葉

2019-03-11 | UNITE!NIPPON
今しゃべりながら気がつくんだけれども、
あの三・一一の大災厄から五年近くたって何をやってるかといったら、
しきりに自分で洪水を起こしてるのね(笑)。
水に対する「驚異」が一貫して身体にも浸透していて、あの大災厄のときにも、
すぐに陸前高田に飛んでいきました。以来五年近く、
紙を濡らして、氾濫状態を起こす、……文字のある世界を自らの手で壊滅状態にまで運んで行くということが、
「詩作」の中心になりました。勿論「伝達言語」でもなく「絵画」や「彫刻」でもない。
「怪物君」と名付けましたが、宇宙の脅威を眼下にとらえようとすることだったのでしょうね。

(中略)

そういうふうにして、書き写すというよりも書くというのは、次々に透視力を紡ぎ出していくことなのだと思い始めています。
これは手数がかかりますよ。半日かかるけどそれをやっていって。終わったと思ったら今度は折り目が問題だなって……
傍の誰かがいうのね(笑)。いろんな絵具で塗りたくって、いろんなふうにしていくんだけどね。
この「怪物君」は三年半ぐらい続けています。こんなことをやるのは、一休宗純や八大山人や、もしかしたら円空さんにも類似した精神なのかも知れませんね。

で、こうなってくると音楽にもなって。

終始一貫だからある意味では「狂気」かもしれない。そういう「狂気」から何とかして命を延ばそうとする、……いまね、
「狂気」といったでしょう、僕もね、もっと先まで繊細に、先の先まで考えたり思考しなければいけないことを、
つい「狂気」って逃げちゃうのね。だって、その方が通りが良いしさ、それですんでしまうのね。
でも、でも、詩作や映像作品、音声化、協働制作等々を通して、もう、「狂気」というだけではすまされなくなったのね。
殊に二〇一一年以降、……そんな言い方では、もうだめだと思うようになりました。
とくに、たとえばゴッホね。小林秀雄さんの「ゴッホ」でさえも、最後は「狂気」にしてしまうのね。
でもそれはちがうんだ、……。時折は、あの“渦巻き”や“稲妻”や“ひまわり”もあるのだけれども、
一心の真剣な愛はゴッホの中心に坐っているものなのね。それで火のようになっている。
大災厄以来、僕は小林さんの『ゴッホの手紙』ばかり読んでいました、……。アントナン・アルトーへの共感もあるけど、
ここまで来て、もう「狂気」です、……ですませようとする心はほぼ完全に放棄したのでしょうね。

「怪物君」はそのあらわれでした。

それが書くというしぐさの原点ですね。それは全く変わらない。これはエスカレートしてきちゃう。
最近じゃ書いた字のうえに水彩絵具を塗るのね。そうすると、ぐちゃぐちゃになる。
別にぶっ壊しても構わない。だって大災厄のときにそれが起こったんだからね。


         (わが詩的自伝『素手で焔をつかみとれ』吉増剛造著より)


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【Dec_13】笠原小学校@象設計集団

2017-12-16 | UNITE!NIPPON
宮代町立笠原小学校@象設計集団


1982年の建立。

 とにもかくにも、この笠原小学校のような学校はもう日本では建てることができないかもしれません。
小学校の校長と、町民と、設計者のコンセプトが一致してはじめてできる、
逆にいえば、そのようなコンセンサスをつくれる指導者がいなければ、このような小学校は生まれないでしょう。

この建築のコンセプトは一言でいえば「大自然」。
およそ「機能的」といわれる計画から逸脱しても、言葉にできない魅力を空間化し、
子供たちにとっても大人にとっても多様な身体感覚を体験できる場所になっています。

学校全体を見て回って気付くのは、
「建物の中」というのは教室ぐらいで、
あとは半屋外か緑の多い屋外(校庭)のどちらかしかないんですね。
かといって、子供たちは教室から出ない子に育つのではなく、
寒くても外で遊んだり、多くの建築的仕掛けを上手につかって、
鬼ごっこや高オニ、泥警(ドロケイ)などをしていたり、
校庭でも同様に起伏を利用して遊ぶ子供たちを見ることができます。

「笠原小学校の卒業生で、大学生になった時に
自分の小学校と他の人の小学校があまりにも違うことに気づき、
その自分を形作る多くは笠原小学校のおかげだ。
だから、笠原小学校の影響についての卒業論文を書きたい。」


以上『建築家の卵のブログ』より。


物化した思想が血肉となる好例。
いかに人間は空間に左右されるのか、
私たちを取り囲む建築がどのような思想を背景としているのか、
そこで培われた思考が何を生み出してきたのか…などを考えると、
心底怖くなる。思潮を甘く見てはいけないということです。

自分たちの考え方は、周りの環境にどれだけ依存しているか。
このような小学校が、建物が、もっともっと建てられなくてはいけないのです。

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【bozzo】なんでもやろう会でヒカリエへ

2017-07-07 | UNITE!NIPPON
昨日はボランティアでゆめ工房のみんなとヒカリエへ。


重度の障碍者を抱える「ネットワークゆめ工房」のみなさんと
“なんでもやろう会”のボランティアとして参加。

10台もの車いすで半蔵門線を使い渋谷ヒカリエでランチをする…という
「健常者の日常」にトライ。半蔵門線の乗り降りだけで90分。
とにかくエレベータが小さい。重度の車いすでは1台入るのがやっと。

10台だから10回くり返すわけで。

そんでもって、駅員さんのサポートの許、列車に乗り込むのだけど、
まあ大きいから完全貸切状態。
渋谷についてからも駅員&警備員の連携でB5階から地上へ、
さらにヒカリエ7階へと。移動がハンパないわ。

みなさんトイレに行きたくなる時間かかってるので、
フロアを分けて障碍者トイレへ。

これがまた健常者が使っていたりして待たされる〜。



ヒカリエのエレベータもフル稼働で、なかなか乗り込むできず。
結局、ランチしたあと11階の展望を見て帰路。
どこまでもアウェイな世界。

唯一半蔵門線の貸切状態はマイノリティがマジョリティになった感あって愉快。


どこまでもこの社会が健常者目線で組み立てられ、
地下鉄乗ることもイレギュラー対応を余儀なくされる。
10台もの車いす行列は奇異なコトとして見られ、
彼らにとってはどこまでも非日常な行為の連続。

国際化で英語を公用語にとか、LGBTで性的少数者に人権をとか、
キャッチーな意味での多様化が表層では進んでいるのかも知れんけど、

なんつうかな、身体とか知的とかでの線引きについても、
もっともっと寛容な社会が本当なんじゃないかしら?


成熟ってそういうことでしょ。


弱者はどこまでも弱者で、テリトリーが限定され、体の良い排除がまかり通ってるわ。

彼らの屈託のない笑顔に触れたら、そんな線引きは間違ってるとわかるはずやのに、
まずもって触れあうことすらNGやし。

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【Jul_25】鳥越俊太郎個人演説会@亀戸アンフェリシオン

2016-07-25 | UNITE!NIPPON
鳥越俊太郎個人演説会@亀戸アンフェリシオン

地元に鳥越さんが来たので応援に駆け付けました〜!
ジャーナリストらしく話題は多岐におよびましたが、
東京都政が想像以上に自公寄り…体制側の政策に終始してきたこと、
弱者冷遇で高齢者施設や障害者施設を都外に設け、
邪魔者扱いしてきたこと、
アベノミクスで一番恩恵を受けたのは自民党であること(経団連の献金が6割増の25億円に〜!)、
47都道府県中41道府県が「非核都市宣言」をしていること、
都知事となったらまず最初に「非核都市宣言」をし、
核武装を止めさせることと、250キロ圏内の原発を廃炉に追い込む…などの宣言をされました。

76歳。この歳となっても、
日本を変えるべく起ち上がった鳥越さん。


やはり間近にすると、その熱情がヒシヒシと伝わってきて、
俄然応援したくなりました!

あと5日。劣勢を跳ね返すだけの人間性ある人物だと思います。
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【Jun_28】現代口語劇はいかに更新されたか?

2016-06-29 | UNITE!NIPPON
平田オリザ × 佐々木敦
ニッポンの演劇#4
現代口語演劇はいかに更新されたか?


初ゲンロンカフェにて、
平田オリザさんの話を聞くこと3時間40分。
この人が同時代人であることが誇らしい気持ちになった。

「現代口語演劇」の発端は
言語学者鈴木孝夫さんとの出会いだったという
オリザさんらしい発言に膝を叩く。



日本語を相対化するために韓国語を習得し、
理屈として日本語による戯曲を組み上げてきた…とのこと。
演劇ならではの構造や仕組みを集大成的に盛り込んだ
「ニッポンサポートセンター」は自分でも出色の出来であると。
起承転結4場64プロットでまずは役者の出捌けを構成し、
その後1プロット90秒のセリフを1日何プロットと課して
ひたすら書いていく…という作業は、
ある程度パターン化されているので、いずれAIも書けるでしょう…との話。

演劇に「分かりやすさ」を求める風潮にある…という指摘には、
世の中のリテラシーが下がっているのか、すべての分野が分断状態にあり、
確証バイアスによって各派お互いが持論を支持する論証ばかり集めてしまい、
議論にならない膠着状態が際立っていると。

そのことと「分かりやすさ」を求める風潮は密接につながっているのだ…
要は想像力がどんどん欠落しているのだと、オリザさん。
芸術は本来、世の中の問題を提起して物議を醸し出すのが役割。
答えを提示するのではなく、見る者に示唆を与えることで、
思考に深みを持たせるのが、良い作品なのだと。
「分かりやすさ」への希求はその逆を目指している。
どんどん人間は思考停止に陥っている…との嘆き。
特に日本はその傾向が強い。

オリザさんの憂国論は、
ひとつひとつがグサッと突き刺さる本質の問題なので、
ぐうの音も出ない。

体系的な教育が成されていないまま、
ここまで来てしまった弊害が非常に大きい…と。

「人生は、実は自分の外にある。人生もなにもかも、すべて自分の内側にある、
と思っている人がじつに多い。したがって、うまくいかない人生が、じつに多い」

「人生が自分の内側にあると思うな」


とは、片岡義男のコトバだが、
つまり人生とは「関係のつくりかたとその維持のしかた」に他ならず、
自分を外から観察しようとする意志と行動によってのみ、新たな局面が訪れる…と。

オリザさんの指摘する日本国の負の面はすべて
この「外側」の目線を欠いた日本人社会の思考スタイルにある。
ほとんど多くの日本人は「おのれの人生は自分でどうにかなる」という
根性論に裏打ちされていないか。
どれだけそのために社会システムの欠陥をお座なりにしてきたのか。

敗戦を終戦に置き換えて、
国体という名の明治維新体制を固持してきた政府の70年の歩みが、
端的に物語っていないか。

実はおのれの外側にこそ、しかと目を瞠るべきなのだ。
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【May_05】黒い螺髪の「原発事故由来強制廃棄個人財産」

2016-05-07 | UNITE!NIPPON
富岡町沿岸部。ギョっとする光景。
「放射線汚染廃棄物」の集積場。
中間貯蔵施設もこの近辺に建設予定。



『しゃへい』と描かれたフレコンバッグが、海岸線一帯に堆く積まれている。

一様な黒い塊は、見た目は大仏の螺髪のようなれど、
中身は『原発事故由来強制廃棄個人財産』だったりする。

つまり、放射線に塗れてしまった個人の家財道具だったり、
衣服だったり、書物だったり、するのだ。


故郷に住むことはおろか、
故郷での記憶さえも暴力的に奪われていくフクシマ。

棄てられた光景、棄てられた土地…と言わずして、なんと形容できようか。


フクシマにおける除染完了までの費用総額は5兆円強。
このフレコンバッグの直射日光下での耐用年数は5年。
30年後には県外で最終処分という公約も交わされている。

何事も待ったなしの状況…なのだが、
人目を避けるように黙して鎮座する数万個の螺髪。

この棄景と、併存するのか、東京五輪は。
併存できるのか、人の心を持ってして。
これでアンダーコントロールと、言えるのか。
放射能をナメては、イケない。
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