平田オリザ × 佐々木敦
ニッポンの演劇#4
現代口語演劇はいかに更新されたか?
初ゲンロンカフェにて、
平田オリザさんの話を聞くこと3時間40分。
この人が同時代人であることが誇らしい気持ちになった。
「現代口語演劇」の発端は
言語学者鈴木孝夫さんとの出会いだったという
オリザさんらしい発言に膝を叩く。
日本語を相対化するために韓国語を習得し、
理屈として日本語による戯曲を組み上げてきた…とのこと。
演劇ならではの構造や仕組みを集大成的に盛り込んだ
「ニッポンサポートセンター」は自分でも出色の出来であると。
起承転結4場64プロットでまずは役者の出捌けを構成し、
その後1プロット90秒のセリフを1日何プロットと課して
ひたすら書いていく…という作業は、
ある程度パターン化されているので、いずれAIも書けるでしょう…との話。
演劇に「分かりやすさ」を求める風潮にある…という指摘には、
世の中のリテラシーが下がっているのか、すべての分野が分断状態にあり、
確証バイアスによって各派お互いが持論を支持する論証ばかり集めてしまい、
議論にならない膠着状態が際立っていると。
そのことと「分かりやすさ」を求める風潮は密接につながっているのだ…
要は想像力がどんどん欠落しているのだと、オリザさん。
芸術は本来、世の中の問題を提起して物議を醸し出すのが役割。
答えを提示するのではなく、見る者に示唆を与えることで、
思考に深みを持たせるのが、良い作品なのだと。
「分かりやすさ」への希求はその逆を目指している。
どんどん人間は思考停止に陥っている…との嘆き。
特に日本はその傾向が強い。
オリザさんの憂国論は、
ひとつひとつがグサッと突き刺さる本質の問題なので、
ぐうの音も出ない。
体系的な教育が成されていないまま、
ここまで来てしまった弊害が非常に大きい…と。
「人生は、実は自分の外にある。人生もなにもかも、すべて自分の内側にある、
と思っている人がじつに多い。したがって、うまくいかない人生が、じつに多い」
「人生が自分の内側にあると思うな」
とは、片岡義男のコトバだが、
つまり人生とは「関係のつくりかたとその維持のしかた」に他ならず、
自分を外から観察しようとする意志と行動によってのみ、新たな局面が訪れる…と。
オリザさんの指摘する日本国の負の面はすべて
この「外側」の目線を欠いた日本人社会の思考スタイルにある。
ほとんど多くの日本人は「おのれの人生は自分でどうにかなる」という
根性論に裏打ちされていないか。
どれだけそのために社会システムの欠陥をお座なりにしてきたのか。
敗戦を終戦に置き換えて、
国体という名の明治維新体制を固持してきた政府の70年の歩みが、
端的に物語っていないか。
実はおのれの外側にこそ、しかと目を瞠るべきなのだ。