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沖縄から東京へ!流転の写真日記

【aug_19】仙台駅前

2012-08-30 | Mement_Mori
1年ぶりに見る駅前の情景。

復興支援という名の大型商業ビルの出店が目立つ。

企業はどこまでも利潤を求め、カネの匂いを嗅ぎ当て商売、商売。
それだけこの経済システムが疲弊しているということ。
利潤を生む場所が枯渇しているから、集中するのだ。

浅はか、かな。
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【aug_19】せんだいメディアテーク

2012-08-30 | Mement_Mori
せんだいメディアテークへ。

東日本大震災の資料が充実していた。
当時の新聞を今読み返してみると、
どれだけ原発の扱いが小さかったか…そして、
どれだけその事実が矮小化されていたか、
ドキリとするほど鮮明に浮かび上がってくる。

戦中の情報操作が、平成に再び顔を出すとは。
日本という国の救われない一面。

これは国民性として、しかと刻むべきだ。


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【aug_19】築127年の小学校の廊下

2012-08-30 | Mement_Mori
宿泊施設となって今も使われている
志津川町立林際小学校の廊下。

校舎の宿さんさん館

収容人数で1人だと1年1組、2人だと2年1組、6人だと6年1組…となっている。
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【aug_19】築127年の小学校の階段

2012-08-30 | Mement_Mori
は    はきはきはなす
や    やさしくする
し    しぜんとふれあう
ぎ    ぎりぎりまでがんばる
わ    わたしのかんがえをもつ


築127年(平成11年換算だから今はなんと140年!)で
廃校になった志津川町立(現在の南三陸町)林際小学校の階段。


いつの標語かわからないが、
140年前つまり明治4年(1872)の標語だとしたら、
かなりの驚きだ。

「わたしのかんがえをもつ」

このフレーズ、いまでも教育方針としてあるのだろうか?

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【aug_19】志津川町立林際小学校

2012-08-29 | Mement_Mori
平成11年、127年もの歴史を刻んだ木造校舎のこの小学校も廃校となる。

いまは、グリーンツーリズムの体験学校
さんさん館」として、地道な活動をなされていた。

「校舎の宿」というキャッチフレーズがいい。

実際、中を見学させてもらったのだけど、
127年もの時間が堆積した空間として、
訪れる者を包み込むような、柔らかな空気があった。

2階が宿泊施設になっていて、ベッドの数で1人部屋なら「1年1組」、
2人部屋なら「2年1組」、たたみ部屋なら6人まで行けるという意味で「6年1組」…と洒落ている。

山に囲まれた環境で、127年の時間が詰まった校舎で、昼間は虫が集い、夜は星がまたたく。

夏休みには、こんなところで長いこと過ごすのも、子どもたちには大事なことのように思う。

内田樹氏が、書いていた。
自然に抱かれることで、センサーの感度を最大化しろ…と。

目に見えない、耳に聞こえない、匂いもない、触感もない、
そういった「それ」を感知できるようになること、
そのような「存在」を畏怖の念でもって見守ること、
その欠如が、この戦後67年の歩みを誤った原因だと。

…その最悪の結果が今回の原発事故だったと。

人間がなぜ「死者」という概念を持ち、
靖国問題にもあるように死してまでも「合祀」というところにまで拘るようになったのか。

  「死者」それは「存在しないものが切迫する」恐怖です。

  この実感を手がかりにして、目に見えず、音が聞こえず、匂いもせず、手触りもしないが、
  自分の生存にかかかわるかもしれない、何かとてつもなく危険なものが接近してくるときに
  「アラーム」が鳴るように心身を訓練しました。あらゆる手立てを尽くして、その訓練をした、
  ぼくはそれが人間性と呼ばれるもののもっとも原基的な形態ではないかと思っています。

    (中略)

  もちろん、たいへん安全でたいへん豊かな社会では、アラームなんか要りません。
  そんなものの機能向上のために訓練するヒマがあったら、もっと実際的に役に立つ(すぐに換金できる)
  知識や技術を身につけた方がいい。そうかも知れません。でも、人類の歴史が教えてくれるのは、
  安全で豊かな社会に暮らせることは例外的幸運であって、人類史のほとんどの時期をぼくたちは
  窮乏と危険にさらされて生きてきたということです。窮乏と危険をベースにして、それに対処できるように
  人間は能力開発プログラムを作り出してきた…と。

                 (「大津波と原発」内田樹×中沢新一×平川克美鼎談「あとがき」より)

ま、そのような「アラーム」機能の恢復のためだけに、山に抱かれろ…と言っているわけではないのだけど、

最近、写真家の大森克己さんとお話する機会があって、
デジタルカメラというものは現在進行形だから、まだ誰も気づいていないけれど、実は歴史的大罪を犯しているはずだ
…という大森さんならではの感覚的発言があり、ボクも飲みの席だったので、うまく返すこともできずにいたのだが、
いま考えると、この「目に見えない、耳に聞こえない、匂いもしない、触感もない」存在に対してのひとつのアンサーが「写真」であった…と言えるのではないか。
実は、人間はカメラオブスキュラを使って、この見えない聞こえない匂わない触れない存在に対して、
「アラーム」を研ぎ澄ますだけでなく、それを掴もうと積極的に働きかけた…その一つの答えが写真だったのではないか…と思うのだ。

つまり、デジタルカメラの台頭で、人間はこの「目に見えない耳に聞こえない鼻に匂わない手に触れない世界」を
永遠に手放すことになるのではないか…と危惧するのだった。

ネガフィルムで撮影した写真には、確実に「それ」が写っている。
これは「心霊写真」を例に出すまでもなく、「写真」そのものが持っている力だった。

その存在を感知することで、少なくとも「写真」という媒体に触れることで、
広く門戸を開いていたであろう人間の感性は、デジタルという100%計算された世界の登場によって、
感度の多くを鈍らせ、鈍感な存在に陥るだけでなく、自分たちの世界は100%計算ずくなのだ…という錯覚をも引き寄せてしまった…ように思う。

毎日これだけ多くの写真を撮るようになって、
そう、デジタルでその多くを収めるようになって、
時々撮影するネガの写真から立ち現れるアウラにドキリとするのだ。

「見えないものを撮る」それが写真だと、ボクは確信した。







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【aug_18】南三陸復興地ビール

2012-08-21 | Mement_Mori
南三陸の復興を祈願した地ビール。
インターネットで販売されている。

オイスタースタウトが、ヤバイ。(ボクは呑まないが)

 牡蠣の殻と身を使用し醸造したビール。
 麦芽とホップの他に牡蠣の身を原料として使用し、
 洗浄した牡蠣殻を沈めて熟成させています。
 濃厚な味とさっぱりとした後味、クリーミーな泡が特徴です。

ラベルには被災した防災対策庁舎の絵がシンボリックに配されている。
ここまで祈願を背負って建つ庁舎だ。
絶対に残してもらわなくちゃ。



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【aug_18】平野部は公園に

2012-08-21 | Mement_Mori
南三陸の平野部は今もガレキと共にある。
津波で流された住宅の土台が、無言で訴えている。

「ここには二度と住まうな」


語り部の伊藤さん曰く、
町の全機能を高台に移す計画が進行中とか。

海岸線に広がる無惨な被災地域は、
そのまま慰霊公園として、生まれ変わる見込み。

ぜひとも防衛庁舎を慰霊塔として永久保存してほしい。
記憶ではなく、現物で残すことの意義。
これを切実に感じる。

記憶の伝承だけでは決して伝わらない。
防災庁舎の傷跡が放つ無言の叫びが、
鉄骨だけになった建物を見上げるだけで
こちらにガツーン!と伝わってくる。

犠牲者800余人の南三陸を思う気持ちが、
これだけ沁み込んでいるのだ。

良識ある判断を願いたい。



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【aug_18】南三陸中心部

2012-08-21 | Mement_Mori
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【aug_18】語り部の伊藤さん

2012-08-21 | Mement_Mori
今回、南三陸の被災地を案内してくれた
語り部の伊藤さん。

03/11の南三陸がどのような状況であったか、
03/11以降、南三陸はどのようなことを学んだのか。

本人も家を土台から根こそぎ失った。

今は仮設住宅に住まわれているという。
防災対策庁舎の遠藤未希さんとは、
仕事柄、しょっちゅうお会いしていた。
(伊藤さんは南三陸ホテル観洋のホテルマンである)

70年という歳月をこの土地と共に過ごしてきた。
いまさらゼロから再構築だなんて、とても考えられない…と思うけど、
未来の南三陸を子どもたちに残すためにも、
今復興に心血を注がないとダメなんだ…と切迫した気持ちで
毎日を精一杯生きている…という。

その気の張った思いが、
語られる言葉ひとつひとつに宿って
わたしたちの心に突き刺さった。

ホントに素晴らしい体験をさせてもらった。
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【aug_18】決して忘れてはいけない

2012-08-21 | Mement_Mori
南三陸の地を方方歩いて
あらためて03/11の映像を見返すと、
山に挟まれた町ゆえに、津波は逃げ場がなく、
どんどん濁流が嵩を上げ、町を飲み込んでいく状況にあったことを
ひしひしと感じることができた。

なんとも、無念である。




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【aug_18】鎮魂の場所として

2012-08-21 | Mement_Mori
24歳で亡くなられた遠藤未希さん他、
たくさんの方々の御霊を鎮める場所として。
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【aug_18】防災対策庁舎

2012-08-21 | Mement_Mori
1年半経った今は、
南三陸で亡くなられた800人余りの
犠牲者のための慰霊塔のような役割を果たしている。

この建物も今、取り壊しの危機にある。

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【aug_18】昭和三陸大震●災

2012-08-21 | Mement_Mori
「だいしんしょう」と読む。
昭和8年3月3日に三陸を襲った大震災である。

1933年。実に80年ほど前のこと。
南三陸はこの昭和三陸大震嘨災のあと、
1960年のチリ地震でも津波で甚大な被害をこうむった。

この80年あまりの間に3度も。

なんともむごい話である。
そして、これだけの頻度で体感していても
ひとはそのことを忘れてしまうのだ。

この大震嘨災碑も南三陸の至る所に置かれてあった。
頭上を見上げれば津波浸水予想線なる看板も目に付いた。
(ここまでは津波が襲ってくるであろう地点)

そのような前知識があっても
今回の東日本大震災に生かすことができなかった。


語り部の「伊藤さん」は語っていた。
「南三陸は、それでも津波対策に自信を持っていた」…と。

三陸の他地域よりは、避難訓練もたびたび行われていたし、
津波を想定した集合住宅の建設や、避難場所の分散など、
常に津波が生活と共にあった。

しかし、大きく間違っていることがあった…と、
今回の震災で伊藤さんは感じたという。

人間の力を過信しすぎた…と。

人間の力を過信しすぎて、津波に立ち向かおうとしていた…と。

津波と闘おう…だなんて、見当違いも甚だしい…と。

語り部の伊藤さんは、今年70歳。
震災で家も土台から根こそぎ失った。
家族の安否は多くを語らなかったが、知り合いを何人も持って行かれた…という。

津波の引いた南三陸の状況を見て、伊藤さんは悟った。

津波と闘ってはダメだ。
人間は高台に住まいを移し、
いざとなったらまずは逃げるべきだ…と。

防災庁舎で最期までアナウンスをして亡くなった遠藤未希さんを
「日本人の犠牲心の象徴」などと持ち上げるけど、
まずは逃げるべきだった…と。

町の建物の実に95%が流された南三陸町。
1年半経った今も、無言に広がるガレキの荒野を目の前にして、
人間の愚かさを思わずにはいられなかった。



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【aug_18】南三陸へ

2012-08-21 | Mement_Mori
お盆の帰省を兼ねて、被災地の南三陸へ。

ウミネコがお出迎え。

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【aug_17】テマヒマ展

2012-08-21 | Mement_Mori
テマヒマ展、いよいよ08/26まで。

東北の生きる力、東北の生活の術、東北の立ち位置、
そういったものが、テマヒマかけて創られたひとつひとつの物に宿っている。

こういった、ニッポンが忘れてしまった
思慮深いニッポンの原風景をしっかりと見つめ直すことが、
20年、30年後のニッポンを描くヒントとなるのだ。

あらためて東北のすばらしさに
感動をおぼえた。



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