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沖縄から東京へ!流転の写真日記

【CAMEL】操上和美×町口覚(2)

2009-11-27 | memories
1936年生まれの操上和美さんが
2009年から新たな媒体を立ち上げる。

…写真集ではなく、雑誌という形態で。

そこには写真家・操上さんなりのスタンスがあった。

「じっとしていると観念が勝っちゃうんですよ。
 運動をしないと駄目なんで。」

「写真に向かうエモーショナルな感覚を大事にしたい」

「コンセプトありきで動くと写真がつまらなくなる。
 ブレながらも直感を第一に。だから運動が必要なんです。」

写真は欲望の断片…と語った操上さん。
自分の感性をニュートラルに維持するにも
運動としての雑誌【CAMEL】は必要なのだという。

観念で撮ったら、つまらなくなる…そのスタンスは
どこまでも写真家操上和美そのもの。

今回のアイコンである「清原和博」も、
無冠の帝王が持つ不器用で一途な生き方に
「生きる哀しみ」を見たから。

そこに自分の欲望が動いたから…だという。

      ●

トークショー終了後、
サイン欲しさに購入した「NORTHERN」手に
操上和美さんの前へ。

40年以上第一線で突っ走ってきた操上さんの
唯一過去を振り返った写真集「NORTHERN」(2002年出版)。

生まれ故郷、北海道富良野の情景が132点も収められた
ルーツを辿る旅も、操上和美なりの欲望が動いた結果なのだろう。

84歳で荼毘に付された父の写真のあとに、娘であるボクの友人の写真があった。

「この下にサインしてください。」

少し照れながらも、筆ペンをゆっくり走らせ、
…Kurigami…とサインする操上さんに
あらためて畏敬の念を抱き、見つめる。

最後に握手を交わし、しかとパワーを受け取った。

「Respectが人を育てる。」
そんな言葉を思い出した。

今ボクがここに立っていること、
それはリアルな写真家「操上和美」のおかげだ!
…と、23年の月日を振り返りながら思う。

胸がいっぱいになった一日だった。






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【CAMEL】操上和美×町口覚 (1)

2009-11-27 | memories
11月26日。木曜日。
ヒートテックでは汗ばむ陽気。
今週末はこんな感じで温かいらしい。

18度が温かいって、…2ヶ月住めば人間変わるもんだ。

西麻布のSwitchにて行われた
雑誌CAMEL発刊記念トークショーへ行く。
写真家操上和美がしかける
彼自身の責任編集による季刊誌…とのこと。

エディトリアルデザインを務めた
パリフォト帰りの町口覚さんも
今日は少し緊張気味。

そりゃそうだ、あの操上和美だ。
見てる側も血潮がドクドクとしてきた。

      ●

話は高校時代に遡る。

高校二年生の春休み、友人に感化されたボクは
美大受験の名門予備校であったすいどーばた美術学院の春期講習会に参加する。

1986年のころだ。

バブルが徐々に上がってきて
「カネは天下の回りもの」な感が出てきたころ。
中森明菜が「デザイヤー」を歌い、欲望を扇動していた。

練馬の高校生だったボクは、
アタマこそ紫色のロン毛ではあったが、
世間擦れしておらず、ウブな可愛い男だった。

だから美大に行くことで開ける世界も
まったくわかっておらず、ただ「絵が好きだから」
…という理由だけで来てしまった志望動機の希薄な生徒だった。

少数先鋭ながらも
都内各地から志しの高い高校生が
その春期講習会には集まった。

毎日が目からウロコの状態だった。

こんな衝撃は男子校に入った時以来。

練馬の田舎モンからすれば、
渋谷から通ってくる高校生は
異彩を放っていた。

ファッションも奇抜でツッパッていながら、
センスもハイレベルで話題も多岐にわたり(映画・芸術・写真・・・)、
当然のごとく絵も「上等」だった。

こちらは容姿こそ派手ではあったが、
中身が伴っておらず、ツッパリ度合も生易しい
チェリーボーイってありさま。

そんな自分を逆に面白がってくれたのか、
講習も終盤にさしかかると、渋谷の連中とつるむような関係となり、
授業終了後に池袋でお茶をしてうだうだダベることもしばしば。

そのメンバーの中に、一際色彩センスの鋭い女の子がいた。
…それが操上和美さんの娘だった。

ボクはそこで初めてリアルな「写真家」を知ることとなる。

当時操上さんはADの浅葉さんやCの糸井さんらとPARCOの広告を手がけていた。
ADやCなどというアルファベットが何を意味しているのか、ウブな高校生は知るよしもない。
だいたい広告制作のイロハすら、まったくわかっていなかった。

それでも「操上和美」という名前は字面そのままのインパクトで強烈に焼き付いた。

当時のボクにとって、リアルに活躍する写真家は「操上和美」ただひとりだった。




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【谷川俊太郎】詩はどこへ行ったのか?

2009-11-25 | BOOKS&MOVIES
11月25日。憂国忌。
朝からしとしとと雨。
気温は18度まで上がるらしい。

本日の朝日新聞朝刊オピニオン面に
あった記事。「詩はどこへ行ったのか」。

谷川俊太郎のコメントが
いちいち響いて、

「写真があるじゃないか」と
コメントしたくなった。

【導入部】
 かつて、詩は文学系青年のたしなみであり教養でもあった。
 ところが、いまは社会の表舞台から姿を消したように見える。
 詩はどこへ行ったのか?
 現代における数少ない「詩人」谷川俊太郎さんに詩のありかを尋ねた。

【俊太郎のことば(抜粋)】
 「詩」には二つの意味がある。
 詩作品そのものと、ポエジー、詩情を指す場合です。
 詩情は詩作品の中にあるだけではなく、
 言語化できるかどうかもあやしく、定義しにくい。
 でも、詩情はどんな人の中にも生まれたり、消えたりしている。
 ある時には絵画に姿を変え、音楽となり、舞踊として顕れたりします。

    (中略)

 人間を宇宙内存在と社会内存在が重なっていると考えるとわかりやすい。
 生まれる時、人は自然の一部。宇宙内存在として生まれてきます。
 成長するにつれ、ことばを獲得し、教育を受け、社会内存在として
 生きて行かざるを得ない。

 散文は、その社会内存在の範囲内で機能するのに対し、
 詩は、宇宙内存在としてのあり方に触れようとする。
 言語に被われる以前の存在そのものをとらえようとするんです。
 秩序を守ろうと働く散文と違い、詩はことばを使っているのに、
 ことばを超えた混沌にかかわる。

    (中略)

 デジタル情報が膨大に流れていて、
 言語系が肥大していることの影響が何より大きい気がします。
 世界の見方が知らず知らずのうちにデジタル言語化しているのではないか。
 つまり、ことばがデジタル的に割り切れるものになっているような。
 詩はもっとアナログ的な、アナロジー(類推)とか比喩とかで
 成り立っているのですからね。
 詩の情報量はごく限られていて、あいまいです。

    (後略)

      ●

社会内存在と宇宙内存在。
社会秩序の内と外。

散文は秩序内で機能し、
詩は秩序を超えたところに向かおうと欲す。

      ●

写真も秩序で満たされた「社会」を切り取ることで、
秩序の外を描こうとする表現媒体…だと、ボクは思っている。

ま、アートは「視点をずらす」ことだから、当たり前ではあるけど。

ただボクが求める写真は、言語化できない「あわい」を切り取ったものだ。
それが、宇宙との交信を掴んだもの…だと言えば、そうなのかも知れない。

生と死を超えた「何か」。
生まれる前と死んだ後をも包括した「何か」。

それらすべてを貫く流れが「宇宙内存在」であり、真実ではないか。

その「断片」が実は「日常」に転がっている。
だからボクはそれを写真で掴みたい…そう思っている。

秩序の内と外、そのボーダーに立つ。
そこから見えてくるものがある。

…今はまだ、秩序の外ではあるけれど。(自嘲)

      ●

 夏になれば 
 また
 蝉が鳴く

 花火が
 記憶の中で
 フリーズしている

 遠い国は 
 おぼろだが
 宇宙は鼻の先

 なんという
 恩寵 
 人は死ねる

 そして…という
 接続詞だけ
 残して

     (「and」谷川俊太郎)
 
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【LIVE】Reggaeryman@Next Sunday

2009-11-25 | MUSIC
11月21日。土曜日。
夕方5時から阿佐ヶ谷Next Sundayにてリハ。
レゲエバンドだけのイベント…ということで、
出演者としてだけでなく、観客として大いに楽しめた夜だった。

RugBugのボーカルGacya嬢にしろ、
Jama-Ichiでゲスト参加したMIKIにしろ、
歌声が魅力的だなぁと思っていたら、
お二方とも「ボブマーリーソングコンテスト優勝者」。

「ボブマーリーソングコンテスト?」

そんなのあるんだ…と調べてみたら、ONE LOVE JAMAICA FESTIVALなるものが…。

日本とジャマイカの国交樹立40周年を記念して
2004年に初めて開かれたイベントらしく、すでに5回を数える。

そのイベントのメインに、ボブマーリーの意志を継承すべく
「ソングコンテスト」が催されている。

Bobの歌を聴くと、ひとつになれるからすばらしい。

これだけ愛され、浸透しているアーティストって
ビートルズ以外に見当たらないんじゃないか?

今更ながら、Respectしてしまった。

いやはや、RugBugもJama-Ichiもレゲエのツボを心得ていて
Drum'n'Bassが心地良いこと。

そこに魅力的な歌声が乗っかるもんだから、
相当なハイテンションになった。

ガンジャパワーだな。

もうひとり、PEACHEZなる
シングジェイスタイルのシンガーも違った魅力を放っていて、
さすが東京、層の厚さを実感した。

レゲエに心を鷲掴みされた人々が、
レゲエを奏でる。

LoveにあふれたHallは居心地よく、
⇒セレクター佐川修さんのTunesも沁みた(>_<)
イベント終了後もしばらく余韻に浸っている始末。

自分自身、ホントにレゲエが好きなんだと、涙した夜。
Montego-Bayの夜明けを思い出した。

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【youkobo】トロールの森2009

2009-11-24 | Photo-diary
11月21日土曜日は3つのイベントがあって、
朝から夜中まで…よくまあ、動いた。

朝5時に自転車で江東千石まで向かい、
2時間かけてUNIQLOヒートテックを買う。

昼は西荻北口からバスに乗り込み善福寺公園へ。
沖縄時代の友人がオーガナイズする「トロールの森2009」
ワークショップに参加。

夕方から阿佐ヶ谷next Sunday
レゲエナイトにアーティストとして参加。

一日が終わったのは、終電到着の0:40頃。
見事にフルで時間を使い切った。
まったく稼ぎナシ(>_<)。

      ●

その「トロールの森」だが、国内外のアーティストが
公園の空間を利用したインスタレーションを行い、
日常にアートを感じてもらおう…という試み。

まだまだアートという概念自体、借り物な感は否めない。

そういった状況を打破しようと、
22日間の長期にわたって善福寺公園は
一風変わった空間に生まれ変わった。

恒久的に設置する…ってのも手ではあるが。
アーティストへの報酬がそれじゃ伴わない…ということだろう。

ボクが参加したワークショップは
富田俊明「善福寺公園最悪ガイドツアー」
といった趣向のもので、

いやいや最悪だなんて…とんでもない。

アーティスト富田さんの人柄がものすごくステキで
約200分にわたる長丁場もあっと言う間の出来事。

「アート」とは端的に言えば「視点をずらす」こと。

普段凝り固まっている思考の道筋を解体して、
よりニュートラルに世界を感じてみる。

そんなわかりやすいコンセプトで、「時間」を解体。

のんびりした公園で、通勤ラッシュの時間感覚を持ち込んだら…。
…ということで、まずは善福寺池の廻りを早足で一周してみる。

すると、ひなたぼっこをしているカップルや釣りを楽しむおじさんたちが、
けげんな顔をしてボクたちの様子をうかがってくる。

場を乱す異分子的な存在。

それでは…と、今度は1/30の速度で歩くことに。

路上パフォーマンスのごとく超スローな動きで池の廻りを微動するボクら。
それはそれで、かなり場を乱す存在に。

しかしさっきと明らかに違うのは、
演者たちの心理。

まるで悟ったかのように、世界が遠い存在に感じ始めた。

音ばかりが鮮明に入ってくるのに、
手足や目の動きは、制御できないほどのスローペース。

容赦なしに光が眼球をとらえ、瞳孔は過剰な光量で真っ白な情景。
そんな露出オーバーな白い空間に聞こえてくる内外の音たち。

カモのバタ足まで察知できるのでは…と思わせる過敏さで
枯れ葉のこすれる音や、ベンチでささやかれる愛の交歓が鼓膜に伝わってくる。

感覚神経ばかりが際立った畜生に成り下がったか…と
よだれを垂らしながらスローモーションを続ける心地よさ。

恍惚な時間。

「時間」に追われるのではなく、
「時間」を楽しむ。

限られた時間を濃厚にする術を教わった中身の濃いワークショップだった。


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【UNIQLO】ヒートテック日和

2009-11-24 | Photo-diary
11月24日。火曜日。
ここ一週間、極寒(>_<)。
耐えられず風邪を引く。

11月21日。土曜日。
UNIQLOの広告に踊らされ、
ヒートテックを買いに朝6時の江東千石店へ。
60周年記念価格で600円という破格に誘われ、日の出前に集まったユニクロファン1400名。
200名限定なので、到着時すでに完売。
朝から気合いを入れての登場だったので、このまま引き下がれず、
結局4枚のヒートテックを定価で購入。

「え、なんだったの?」

…と購入後に思ったが、あとの祭り。
 見事に術中にはまったカタチ。

客に苦労を味合わせて、共同体めいた感覚におとしめるだなんて、
UNIQLOお見事。…というか、なんてったってこの東京の寒さが原因。

本日も底冷えの15度。




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【UB40】Red Red Wine

2009-11-17 | JAMAICA
【youtube】Red Red Wine/UB40

Red, red wine Go to my head
真っ赤なワイン、酔わせておくれ
Make me forget that
忘れさせてよ、あの娘のこと
I still need her so

Red, red wine It's up to you
真っ赤なワイン、これだけが頼り
All I can do, I've done
何をやっても
But mem'ries won't go
消えない面影 あの娘の面影
No, mem'ries won't go

I'd have thought That with time
きっと時さえ経てば
Thoughts of her Would leave my head
忘れられると思ったのに
I was wrong
とんだ誤算さ
And I find Just one thing makes me forget
忘れさせてくれるのは この真っ赤なワインだけ

Red, red wine
真っ赤なワイン
Stay close to me
きっと離さないぞ
Don't let me be alone
ひとりにしないで
It's tearin' apart
さみしくって 張り裂けそうな
My blue, blue heart
ボクのブルーな胸のうち

【youtube】Neil Diamond/Red Red Wine (original)

      ●

これからの季節…真っ赤なワインを挟んで
恋の駆け引きを楽しむ男女が増えるのだろうが、

レゲエクリスマスって言葉があるように
クリスマスにレゲエはつきもの。

1988年に大ヒットしたUB40のこの曲を聴いて
ボクも天井に指さして踊った記憶がある。

クリスマスだっていうと、カセットを編集して
ステキなあの子へプレゼント。
そのテープを持って彼女の部屋へ…。

ちょうどラッパを吹き始めた時でもあり、
なんだかんだと調子こいていたような…<(_ _)>。

村上春樹の「ノルウェイの森」が赤と緑のパッケージで
これみよがしにクリスマスプレゼントな装幀で
大学生がこぞって彼女にプレゼントしていたっけ。

またこの小説が、母性に癒される未成熟でモラトリアムな少年の話だから、
18歳の男の子には、とても都合の良い内容になっていて、
いつまでも春樹が描く女性像から抜け出せない状態に陥っていた。

いや、もしかすると、今もなお、その状況から脱していないかもしれない。

        ●

時は2008年のクリスマス。
そう、あの出来事から1年。

【KINGSTON】STINGの夜

写真は、ゲートで奪われたカメラに収められていた未現像写真。
すっかりパトローネに収まっていたので、今の今まで現像されずにいた。

何気なく撮影し現像したフィルムに、残像のように浮かび上がったゲートの情景。

「ん?」

何かが写り込んでいる…と思いきや、あの時の衝撃がまたよみがえってきた。
あれから1年。STING jamaica 2009

なんとも破天荒な忘れられない年になった。

2009年。

いよいよ、あと1ヶ月。
なんとか一花咲かせて締めくくりたい。


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【bozzo】珈琲屋台飲み比べ

2009-11-15 | Photo-diary
11月15日。日曜日。
秋の行楽日和。朝から秋晴れの空、澄み渡る。
気温も22度と過ごしやすい。

東京に来てからというもの、
毎日の天気がめまぐるしく変わるので、
「女心と秋の空」を実感している。

沖縄では、こんなに気温や空がくるくる変化することはなかった。

ああ、まさに女心なのね。
ホント、振り回されるわ。

       ●

11月13日。金曜日。
そんな女心も最下降な凍てつく寒さの一日。
雨がそぼ降る鉛色の空の下、中央線の東小金井まで足を伸ばす。

東小金井の珈琲屋台「出茶屋」沖縄の珈琲屋台「ひばり屋」
「屋台DUO」と称して、東小金井のオリーブガーデンで
珈琲の飲み比べを催すって言うので行ってみた。

江東区の荒川縁から、武蔵野の森まで1時間ほど電車を乗り継いで到着。

すでに鉛色の空も翳りを増していてどーんと重たくのしかかっている夕方、
スタジオジブリそばの園芸店「オリーブガーデン」へ。

雨空にもかかわらず方々から沢山のお客さんが見えていて、
「ひばり屋」も「出茶屋」もてんやわんやの大忙し。
手動のミルを膝に挟んで一所懸命、豆を挽いてる姿はなんとも。

「ひばり屋」さんとは沖縄以来の再会。
さっそくふたつの屋台の珈琲を飲み比べ。
寒空にはやはり濃厚なエスプレッソが腑に沁みて、旨い。
沖縄の黒糖菓子ともよく合って、おかわりをもらう。

それにしても、
なぜに珈琲はこんなにも人を魅了するのか。

大人になるまで飲めなかった珈琲だったのに、
一杯のエスプレッソがその後の人生を変えたという「ひばり屋」さんにせよ、
井戸水を鉄瓶で沸かしてドリップするこだわりの「出茶屋」さんにせよ、
珈琲を介した人との出会いが嬉しいから、このスタイルを貫いてるのだろう。

不思議だなあ、珈琲って。

そういや、ヨーロッパじゃ毎朝飲むカフェコンレチェの美味しかったこと。
珈琲とクロワッサン片手に行き交う人を眺めながら過ごす贅沢な朝は、
あのカフェコンレチェの濃厚な味があってこそ。

今でもあの味が忘れられないのだから、
旨い珈琲はそれだけ人を魅了する何かがあるのだろう。

珈琲屋台のおふたりも、そんな魅力を広めたいから、
こんなスタイルでお客さんと対峙して、一杯一杯に愛情を注いでるのだと思った。

⇒いやいや、逆説的に捉えれば、
 世の中の珈琲が千差万別のひどい有り様で、
 真に美味しい珈琲を提供したいって、その部分が核心なのかも。

⇒上田さん、どう思います?

実際、スタバの珈琲がすべてだと思われちゃ、
ブラジルで一粒一粒珈琲豆を収穫している人の苦労も浮かばれない。

なんだか、写真に似てるかもね。

写メだけが、写真だと思ってる若者たちに
アナログの魅力を伝えたい…そんなボクの気持ちに共振するものが
珈琲屋台のおふたりにはあったような気がした。

それって、愛でしょ…。

惚れ込んだ弱さかもね。























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Reggaeryman@CROCODILE

2009-11-13 | MUSIC
11月13日。金曜日。
昨日から急激な冷え込み。
朝は自然と肩がすぼむ。おそらく15度。
昼間もそのまま気温上がらず。

本格的な秋。近くの公園も全体的にアンバーな色み。

11月10日。
原宿クロコダイルで、レゲリーマン
高田安男と東京ラデックスのパフォーマンスを見る。

今回レゲリーマンは、ステージにも参加。

昨年11月以来のLIVEステージ。
Tpも10ヶ月の封印を解いての演奏。
やはりブランクはぬぐえず、足を引っ張る。

それでも、やはり音楽は心地いい。

Drum'n'BassのGrooveを直に感じると、
こんなにもカラダが反応するのか…と
あらためてのパフォーマンス好きに
我ながら呆れてしまった。

しかし、素直に悦んでいる自分がいる。

それにも増して圧巻だったのが、
高田安男と東京ラデックス

女性だけのホーンセクションに釘付け。
妖艶さとキメの鋭さを併せ持っていて、完全に魅了された。

細いカラダから絞り出すように出てくるハイトーンを
至近距離で目にすると、口もあんぐり…の状態で、
ただただうっとり。

同じ楽器なのか…と気恥ずかしくなるばかりだった。

今回で解散ということだけど、
ぜひともお近づきになりたい…とバシバシ写真を撮った。



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【bozzo】あるクリエイターの死

2009-11-10 | Photo-diary
11月10日。火曜日。
11月の東京とは思えない陽気が続く。

昨日、沖縄の元同僚から訃報のメールが届いた。
ディレクター時代、TVCMのプランニングをお願いしたクリエイターだ。

ブレストを繰り返し、クライアントのわがままを呑み込み、
ひとつの表現プランとして昇華させ、撮影・編集へと至る作業を共にした仲。

回数は少なかったとはいえ、
ビジョンを共有した人間の死は悼い。
40代の若さであったから、その訃報には正直、ドキリとさせられた。

死はピリオドである。

それより先はない。

折り返し、振り返ることでしか、その人を想うことはできない。

その決して長くはない人生で、
彼は何を残すことが出来たのだろう。

人は他人の死しか、体感することができない。

だからこそ、大いに死について思いを巡らすべきだと、ボクは思う。

死を消化してはいけない。
ピリオドを打つとは、そういうことだ。
しっかりとした痕跡が、そこに在る事実。

思いを巡らし、自身に置き換え、だからこそ生きる意味を問う。

       ●

まずはカラダを動かしてみようと思い立ち、
朝から近くの区民プールへ行く。

水中で無心になって、ただ呼吸を繰り返す。
手足を動かし、70kgの肉体の重みを感じながら、
ひたすら水の中を往復する。

ふと自身を痛めつけるように、
残りの距離を全力で泳ぐことにする。

…700m。

決して楽ではない距離だ。
時計をにらみ15分で完泳させるべく、思い切り壁を蹴る。

右手左手と前へ前へ繰り出し、キックの推進力で肉塊が前進する。

そのあいだ、心臓が凹凸を繰り返し、血液が全身に送られる。
血中酸素がものすごいスピードで燃焼され、
CO2の返還と共に、肉塊から新たな酸素が要求される。

手足をばたつかせながら、大きく息を吸い込み、
全肺を最大限活用し、次のエネルギーを生み出す。

生産と消費の自転車操業。

蒸気機関車のように次から次へとエネルギーを生み出し消化しながら前へ進む。

心臓が悲鳴を上げ、肋骨の檻を蹴破る勢いで収縮を繰り返す。
上腕二頭筋と大腿筋の収縮と血流を生み出す血管の収縮も限界に達してきた。

頭頂部から熱エネルギーが湯気となって立ち上がり、
肉塊のクールダウンを促す。黄信号が点滅した。

目標タイムで700mを完泳させ、
肩を上下させながら、天井をあおぐ。

全身が安堵のため息を吐いた。
そして、思った。

「生きる」とは、こういうことだ。

おのれに属する全組織を活性させ、
生産と消費を交錯させながら、
授かった肉体を最大限活用することだ。

…彼の分まで、生きる。

そして、生きる喜びを次世代に伝える。
それが使命だと、合点した。





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【Jimmy Cliff】Many Rivers To Cross

2009-11-09 | MUSIC
Many rivers to cross
越えなければならない川が 幾つもある
But I can't seem to find my way over
だけど それを渡る道が 見つからない
Wandering I am lost
ドーバーの白い崖に沿って 
As I travel along the white cliffs of Dover
さまよい 途方にくれる

Many rivers to cross
越えなければならない川が 幾つもある
And it's only my will that keeps me alive
願いがあるから ここまで生きてこられた
I've been licked, washed up for years
もうずっと 打ちのめされ続け 絶望の淵に立っている
And I merely survive because of my pride
・・そして俺は プライドのおかげで何とか生きている

And this loneliness won't leave me alone
孤独が俺にまとわりついて離れない
It's such a drag to be on your own
もう うんざりしてるのに・・
My woman left me and she didn't say why
彼女は 訳も言わずに去っていった
Well, I guess I'll have to cry
ああ 俺には 泣く事しかできないのか

Many rivers to cross
行く手には 越えなければならない川が幾つもある
But just where to begin I'm playing for time
でも どこから始めよう・・ 今はただ 時間稼ぎをしてるだけ
There have been times I find myself
恐ろしい罪を犯そうと
Thinking of committing some dreadful crime
何度も考えてしまった

Yes, I've got many rivers to cross
そうなんだよ 俺には 越えなければならない川が幾つもある
But I can't seem to find my way over
だけど 渡る道を見つけられない
Wandering, I am lost
ドーバーの白い崖に沿って
As I travel along the white cliffs of Dover
さまよい 途方にくれる

Yes, I've got many rivers to cross
そう 行く手には 幾多の川
And I merely survive because of my will...
そして俺は 何とか生きている 願いがあるから・・

      ●

【YouTube】Many Rivers To Cross/Jimmy Cliff

この曲は、歳を取るとその分胸に迫ってくる。
Jimmy Cliffが最近も健在で、この歌を歌っていることに感動。

超えなきゃ行けない川は、ホント多いけど、
「願い=生きる力」っていうのが、
おのれを前に押しやっている感がとても力強くて、
彷徨ってもいい、願いがあれば…と心底思えてくる。

最高に癒しの楽曲だね。
1969年生まれだから、同世代ってことか。


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【bozzo】SERENDIPITY(1)

2009-11-06 | PHOTO
11月6日。金曜日。
クリスマスイルミネーション
瞬く六本木ヒルズの夜景。

BGMはナットキングコールの
The Christmas Song」。

絵で描いたような
平板な情景。

Friday Nightを楽しもうと
上気した群衆を遠目に見る。

    ●

昨日今日と東京で活躍する
カメラマンと面会し、作品を評してもらう。

20年以上カメラで社会に対峙してきたプロの目線は、
当然のことながら手厳しいものだった。

ひとつひとつの言葉を
反芻しながら感じたことは…

狩人にも似た原初的な感覚だ。

「空間を捉えてないよね」
「目線に新しさを感じない」

…とは、被写体をどのように射るか
…という身体的な能力への評価。

それらの言葉から
カメラマンと言う職種の特異性を見た。

感覚を研ぎ澄まし、視覚だけでなく、皮膚感覚で対象を捉える。
それはまさにカメラを目と同化させ、シャッターを繰り返し押すことで得られる
鍛錬の賜物だ…と、合点した。

SERENDIPITYとは
港千尋著「予兆としての写真~映像原論」に書かれた言葉。

「兆候を読み取る能力」と訳されるその原初的な感覚は、
狩人の、獲物を的確に捉える力から著者は導き出しているが、

写真撮影という行為が
どこまでも身体的な感覚であるかを説いていて、
だからこそ写真家は、欲望に正直であることが
求められている…と。

現代社会を客体化し、
さらに狩人のような身体能力で
兆候を捉える。

ますます反社会的な存在を目指すようで、
行く末に不安も残るが…この辺りに答えがある。

    ●

でも、何が撮りたいか…に尽きるんだけどね。
すると自然に身体能力というかアンテナも鋭くなるさ。





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【bozzo】そこに在る、ということ。(2)

2009-11-02 | Photo-diary
「ルイス・バラガン邸をたずねる」は文字通り、
ワタリウム美術館にバラガンが40年過ごしたメキシコシティの自邸を再現した展覧会。

展示を楽しむ…というよりも、その空間に思いを馳せる。

日曜日の昼だというのに客足もまばらで、じっくりとその空間を味わうことが出来た。
しかし、バラガン邸を知っている人間なら、その空気も想起されたのだろうが、
写真だけの前知識では、さすがにメキシコの光までは見えてこなかった。

だが、3階では美術館スタッフが自ら足を運んで捉えたバラガン邸の映像が流れており、
その映像を堪能することで、自邸の空気感・立体感が面前に現れてきた…ように思う。

食い入るように分け入るように自邸の空気を読みとろうと画面を凝視した。

すると、メキシコの強烈な太陽が上から注ぎ込み、調度品に反射するような錯覚が生まれた。
リビングの大きく開かれた窓からは露出オーバーな庭木のシルエットが見える。

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書棚に詰め込まれた本…壁に掛けられた黄一色のキャンバス…物陰には足の塑像…。

すべてが調和を持って、そこに在った。

それぞれが没することなく、しっかりとした存在感でどっしりと、そこに在った。

バラガンが愛したモノたちが、主人への敬意を持って、そこに在った。

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それが何よりも、気持ち良かった。
おそらく実際の自邸は、もっと強烈なインパクトで
訪れる者を迎えてくれるのだろう。

この空間は理想だ…そんな思いで、美術館を後にした。

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11月2日。月曜日。
昨日とは打って変わってどんよりとした天気。

国立の藤川孝之さんを訪ねる。
ちょうどアトリエ展を開催中だ。(明日まで)

藤川さんとは予備校時代からお世話になっていた先輩で
もう22年の付き合いになる。

個展の案内は、オキナワ時代にも常に送って頂いてたので、
今回こそはしっかりとその絵を堪能しようと中央線に乗り込んだ。

移り住んでから初の中央線。
眼下に高円寺の町並みを眺め、また懐かしく思う。
(なんだか懐かしんでばかりだ)

およそ1時間ほどで国立駅に到着。

東から西へトウキョウを横断したカタチ。
なるほど、これはちょっとした距離。

歩いて藤川さんのアトリエへ。

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時代に逝き遅れた墓標のように、住宅街に忽然と、その2階建ての建物は、そこに在った。

木製の引き戸に這い上がるような木の階段。
2階は窓も大きく、晴れた日には木漏れ日がキラキラと部屋いっぱいに舞うのだ…という。
今日のような曇り空には吊された裸電球がよく似合う。

綺麗に展示されたドローイングたちや塑像が息を潜めてお出迎え。
ミルで丁寧に挽かれた味わい深い珈琲をいただき、ゆっくりとドローイングたちを鑑賞する。

バラガン展で味わった感慨がよみがえる。

すべてが調和を持って、そこに在った。

描かれたドローイングたちはもちろん、長年使われた道具たちや、
積み上げられたキャンバス、堆積した20年という時間が沁み込んだ壁。

その息づかいが訪れる者に呼応するかのように、振幅する。

…さっと降り注がれた雲間の光。

木の葉のカタチに輪唱する白壁の光の軌跡。

モノを愛し、愛でることで生まれるであろう…その充溢した空間。
まるで日だまりのように、あたたかなひととき。

バラガンがそうであったように、藤川さんもまた、
この場所で思索し、試行し、一歩ずつ創造の輪を広げていったことだろう。

その調和が、なにより心地よいのだ。

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この感覚をシカと刻もう…そんな思いで、
藤川さんのエッチングを購入して帰る。

ルイス・バラガンは語る。

 ノスタルジーとは、個人の過去に対する詩的な認識のことです。
 芸術家にとっては、自分自身の過去は、創造力の源になります。
 建築家も、自らのノスタルジーの啓示に、耳を澄ませてみなければなりません。

「そこに在る」心地よさとは、
「そこに在った過去」から連綿と続く「現在」へと貫いていた。
まさに時間の堆積が生む心地よさではなかったか。

おのれを偽らず、おのれの過去を偽らず、
堆積した時間をリスペクトし、在るがままを表出しよう。
創造とは、過去との呼応がその飛躍の鍵を握るのだ…。

そんな思いに触れた二日間だった。








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【bozzo】そこに在る、ということ。(1)

2009-11-02 | Photo-diary
11月1日。日曜日。朝から9月並の気温。
J-waveも「昼間は汗ばむ陽気です」と予想。
しかし、夕方には雨模様。動くなら午前中しかない。

何を思い立ったのか、南青山まで自転車で行ってみることにした。

江東区大島からは直線距離で15キロ。
オキナワなら、那覇から北谷までの距離だ。

何、大したことはない。

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小名木川をそのまま西へ。
新大橋を抜け、Y字を左へ折れ、水天宮へ。
そのまま直進すると築地市場。
築地本願寺を左手にそのまま直進すると、浜離宮に出た。
ここまでおよそ1時間。

もう目の前は東京タワーだ。

日曜日だから道行く車もまばらで、危険も少ない。
途中、幹線道路を横断する小学生がダッシュで突っ込んできたが、
なんとか危険を回避できた。(相当ひやっとしたけど)

ひと息ついて再び自転車を走らせる。

浜松町から大門を抜け、芝公園へ。
東京タワーを迂回するようなカタチで六本木に入る。
ロシア大使館の厳重な警備をよそに飯倉交差点へ。

ここは18年前務めていたハヤサキスタジオのあったところ。

「樺太会館 飯倉セントラル」と書かれた雑居ビルは当時のままの佇まいで、
見上げていると、22歳の自分がスタジオを駆け回っているような気持ちになる。
アシスタント時代の記憶がよみがえってくる。

まさか18年後、このような思いで自分が振り返るとは、当時のボクも思いもよらなかっただろう。

そのまま当時よく使っていた現像所まで自転車で辿ってみる。
麻布十番を抜けて暗闇坂を上がり、元麻布を通って当時のテレ朝通りへ。
不確かな記憶の中、ぼんやりと当時の時間がフラッシュバックする。
現像の入れ込み(受付時間)に間に合わせるため、夕刻のラッシュ時にむりやり車を走らせた。

今は六本木ヒルズがそびえ立ち、道幅も広くなってスッキリしているが、
あの頃は、なんだかいつも渋滞していたように思う。

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六本木通りから「かおたんラーメン」を横目に青山墓地を突き抜け、外苑前まで。

ワタリウム美術館で開催中の「ルイスバラガン邸をたずねる」を見に行く。
ここまで、およそ2時間。
途中、道草もしているので、まあ90分といったところか。
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