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沖縄から東京へ!流転の写真日記

【Nov_09】想、ひとりきりで 想、青くなって 想、だからきれい………

2018-11-09 | Mement_Mori
藤田陽介/青

泳いだ魚になって 剥がれた ボクは正直者
泣いた産声の方へ 泣く泣くついてきたの
泣く泣く生きてゆくのさ

ボクは変わってゆきたい あいまいな感情に涙して
動いた こうしてる間にも 宇宙は広がって
地球は飛んでゆくのさ

朝のもやけ 沈む夕日 昨日の残像とか
切なくて 揺れていた 笑顔とか

誰もがひとりで生まれて 誰もがひとりで無くなって
ふと振り返ってみたり 話がしたくなったりして
ようやく ひとりなコトに気づく
そこにボクが居た いつでも それだけだった

空のすき間 風の匂い いつかの恋人とか
寂しくて 触れた肌 気持ちとか

想、ひとりきりで 想、青くなって 想、
だからきれい………


空のすき間 風の匂い いつかの恋人とか
寂しくて 触れた肌 気持ちとか

泳いだ魚になって 剥がれた ボクは正直者
泣いた産声の方へ 泣く泣くついてきたの
泣く泣く 生きてゆくのさ

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【Nov_07】森達也氏講演

2018-11-08 | Mement_Mori
死刑廃止を訴える埼玉弁護士会主催の森達也氏の講演に足を運ぶ。
オウム真理教13人の集団処刑から浮き彫りになるこの社会の病巣は何か?
非常に分かりやすく明確なヒントを頂いた。


1995年のオウム事件から始まった“恐怖と不安”を端緒とする【集団化】が
23年経ってより先鋭化しているのが現代社会だと。

【集団化】とはつまり、ポピュリズムであり、
少数排除=『みんな一緒でみんなイイ』の指向で、
そこからはみ出す奴は「敵」であり、
「敵」を設けることで「安心」を得る状態。

鰯のように群れることで己の弱さを隠蔽する行為である。

その同調圧力は外れることを忌み、
結果「こちらとあちら」の二分化を際立たせる。

雑駁としたものを排斥し、理解出来ないモノ、意味不明なモノを全否定する。
大衆がそのように身の回りから潔癖的に異物を排除するから、
メディアはその源である“恐怖と不安”をどんどんつまみ出し、
社会はより先鋭化していくのだと。

そこには「相手を慮る」という行為が徹底的に損なわれている。
元凶は【弱さ】。そこに尽きる。
血のつながりや家族に重心を置く傾向が日に日に顕著なのも、
異物へ思いを馳せることが出来ない顕れだろう。

想像力と創造力が決定的に損なわれた世の中。

免疫不全で、ますます無菌室状態。


その背景には「考える力」の衰退があるわぁ。
“恐怖と不安”におののき、排除していれば、考えなくて良いものねぇ。島国根性。

講演最後に森さんがウランバートルで見た羊の遊牧の話をして、
それがホントに言い得て感服したのだけど、
『羊の遊牧には必ず山羊を一頭混ぜる』って話。


山羊から「山」を取った羊は徹底的に家畜化された生き物なので、
集団を好み自発的な行動をしないそう。
反対に山羊は野性的なので、自由奔放に動き、野草を食むのだと。
山羊が動けば、羊が動く。だから羊の遊牧に山羊は欠かせない。

ああ、これって今の日本であり、世界だわなぁ。
野性の勘を失った島の民は、野性的思考を失ってるので、
羊のように付和雷同で、山羊のような強い者に惹かれてるの。

何事もひとりで引き受け、ひとりで思考し、ひとりで行動しないと、
ますます生きるのしんどくなるわ…と、暗澹とした講演でした。

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【Jul_17】沈思しなくなった、と思う。

2016-07-17 | Mement_Mori
沈思しなくなった、と思う。

井戸の中に沈んで、じっくり考える。
そんな行動ができない世の中になった。
常に電波が介入する。常に情報に脅かされる。

自分たちの意思の外で、流通が侵入してくる。
「買え、買え」と直截的でなくとも、
金銭の出入をうながす流れが、常に生活に介入してくる。

沈思しなくなった、と思う。


それはなぜか。
戦争に負けて政府は、国体の保持に躍起になった。
国体とはなにか?現体制の維持…明治維新から連なる
長州体制・財閥&世襲・既得権の維持のこと。
天皇を冠に配し、天皇の名の下に政治を自由に動かしてきた体制の維持。
その保持のために、政権は日本の魂をアメリカに売ったのだった。

国を守る…という大命題をすべてアメリカに預け、
オカネの巡る流通のシステム=消費社会の構築に邁進した。

もはや魂はなくなったのだ。

沈思して考えることなぞ何もない。
浮き世の流れに身を任せ、自由闊達にカネの亡者となるが良い。

そうやって生きてきた71年。


魂がないから、魂にまつわる思考が育たない。
宗教や信仰に疎く、思想や思惟を積み上げる力が育たない。
時間をかけて「思考を熟成」させる忍耐がない。

取り返しのつかない所まで来てしまった…と思う。

流通=合理化とは、科学的視座に根ざした「私欲」の正当化であり、
合理化への思考に基づいて編成されるすべての組織は、
何よりもまず欲望(私欲)の実現を希求する。

魂を売ってしまったこの国に残されているのは、
ひたすら欲望をカネに変換するシステムのみ。

政治も理念を喪い、ひたすら欲望の正当化に走る。

魂は、個に宿る。
「個」を起点とし、「個」の救済が「他」へ伝播する。
明治以前に偏在していた「土俗の魂」は、
「個」の苦悩を解放すべく、「他」の苦悩を請け負っていた。
他者救済が、自己救済へとつながる「平等社会」であった。
それが、あまねく日本の信仰として、在った。

「サンフランシスコ・システム」


魂を売ったあとに残されたこの国のシステムの名だ。
1951年に締結された「サンフランシスコ講和条約」で主権を回復したとされる日本。
その裏で結ばれた「日米安全保障条約」から1960年に更新された「新日米安全保障条約」。
その条約とセットになっている「日米行政協定」のちの「日米地位協定」と、
さらにその密約とも言える「吉田アチソン交換公文」と「国連軍地位協定」。
敗戦後71年経っても効力を保つこれらの条約から導かれるこの国の態様は、「占領下の戦時体制」である。

敗戦国ニッポンは、いまも継続している。


この国を牛耳る政権は、この国の主権をすべて差し出すことで、
自己保身を成就し、国民を煙に巻くことで、そのポジションを正当化していたのだ。

「基地権」と「指揮権」の全面移譲。

国連軍=在日米軍のトリックで、朝鮮半島で平和条約が締結されない限り、
米軍は自由に日本国土を使う権利と、自衛隊を指揮する権利を持つ。

そもそも9条が存在する中で「警察予備隊=自衛隊」が1950年に創設された背景は、
このトリック=指揮権を持たない軍隊だから違憲ではない…という理屈。
たとえ自衛隊が核兵器を保持しようが、海外へ派兵しようが、指揮権が米軍にある限り、違憲ではない…という理屈なのだから。

「安保法案」の成立はその法化であり、「緊急事態条項」とは米軍指揮の体制を整えるためのもの。

安倍政権が目指している「憲法改悪」の根幹は、このサンフランシスコ・システムの固定化なのである。
GHQによる制定だから自国の憲法を…とのたまうのなら、まずは「占領下の戦時体制」を覆すことが先決であるのに、
その言明は避け、対米属国の事実に向き合わず、対国民に対して威厳を固持する。

トルコ軍がクーデターを興したニュースが、先日紙面を騒がしていたが、
そのニュースに対しての日本国民の、マスコミの鈍感なこと。
自衛隊の将校がどのように制定されているか、少しでも疑念は浮かばなかったか?
この国の軍隊とも言える自衛隊が、蜂起しないとも限らない…とは思わなかったのか?

国の軍隊であれば、このようなクーデターを想定した将校選定の法が存在する。
アメリカでは国会による審査が行われ、国民の耳目を集めた上で将校の選定となる。他国も同様。
この国では、自衛隊に対しての客観的視点が失われたままだ。何故か?
それは「指揮権」を持たない軍隊だからである。
政府は傀儡であり、内実はすべて米軍に移譲されている。
だから、将校への審査も存在しない。クーデターもあり得ない。飼い慣らされた犬で在り続ける。

中上健次の「路地」であり、
高橋和巳の「邪宗門」であり、
三島由紀夫の「豊饒の海」であるところの、魂の消滅は1970年から警鐘されていた。

個の救済が信仰を産み、「慈愛」を行き渡らせるのだ…という、作家の訴えも潰えた。


残された道は、ひとりひとりがこの状況を真摯に受け止め、沈思することのみ。
「国家」こそ妄想である…という事実に早く向き合い、魂の救済へ一丸となって進むべし。
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【Feb_08】燭と薪

2015-02-08 | Mement_Mori
まづ一つの火あらむに、其を分け取て、燭と薪とに着れば、
燭にも薪にも移りて燃れども、本の火も亦滅ることなく、
減ることもなくして、有しままなるが如く、
全体の御霊は本の火にして、
和御魂、荒御魂は燭と薪とに移したる火の如し。

              (「古史伝_六」by平田篤胤)

蝋燭の火も、薪の火も、火であることに変わりなし。
その顕れが異なるだけである。
本のひとつの火であると考えよ…という篤胤の戒め。

頭ごなしの諫めは、己自身を棚上げにする。

山本太郎はテロリスト?
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【Jan_01】New_Sunrise

2015-01-04 | Mement_Mori


下野新聞_元旦朝刊_新春対談:大澤真幸VS鷲田清一より

昨年の大澤さんの見立ても素晴らしかったが、2015に邂逅した下野新聞の鷲田清一さんとの対話も核心を突いている。
なので、要所を抜き出してシェアします。

      ●

大澤:このままではいずれ破局するという無意識の予感が社会に広がった。
   資源も環境も財政も、未知の先の方が崖になっていて、落ちずに済む未来を想像できない。

鷲田:震災後、それまでの価値が失効したところで止まっている。
   気分としては、敗戦後の焼け野原に近い。

大澤:敗戦の時はどのように立ち直ったかと言えば、どういうわけか、敵国だった「米国」を
   価値基準に据えたわけです。
米国にとって良いモノが日本にとって良いモノだと。
   つまり日本は戦後、自分たちは米国の大事なパートナーで相思相愛の関係にあるというファンタジーを前提にした。
   それが冷戦終結と中国の台頭によって、今、揺らいでいる。
   TPPやオキナワの基地、集団的自衛権の問題で米国に協力を惜しまない日本の姿は、
   冷たくなった恋人にすがりつくストーカーに見える。
   その背景には「米国がそう言えば決まり」と思っている大多数の国民がいる。
   普天間の県外移設を掲げた当時の鳩山由紀夫首相が米国に屈した際も、
   バッシングの矛先は米国ではなく首相に。

鷲田:誰も責任を負わない「押しつけ」「お任せ」の構造は、根深い。
   九州川内原発の再稼働問題も、規制委が「基準には適合しているが安全と断言しない」とし、
   首相は「規制委の判断を尊重して再稼働を進める」県知事は「国が安全を確認した。再稼働はやむを得ない」と言う。
   戦前から続く責任転嫁の構造です。

大澤:ボクの戦後論では95年以降を「不可能性の時代」と呼んでいます。
   目の前の現実以外に選択肢のない状況を「不可能」と表現した。でも今は、
   その日常すら破綻しそうな気配がある。

鷲田:日常生活の基盤が圧倒的に制御不能になっていると言い換えてもいい。
   大企業は経世済民どころか、投機筋のマネーゲームに巻き込まれ、トップですら自体を制御できない。
   コスト削減を迫られて、雇用を圧迫し、家計を圧迫し、食の安全まで危うくしている。
   押し寄せる濁流に打つ手がない現実を見せつけるかのように、リーマンショックや原発事故が起きた。

大澤:リスクが人間的スケールをはるかに超えている今ほど
   専門的な知や技術が求められる時代はないのに、
   科学的不信も同時に広がってしまった

鷲田:信頼の過剰から不信の過剰への大きなぶれ

大澤:問題は、どうするか…です。たとえば原発を続けるべきか、金融緩和をどうするべきか。
   誰も正解を知らない中で、自分で考えることが大事になる。
   失敗するにしても、自分で判断したのと、他人に丸投げしたのでは、
   まったく意味が違ってくる。


鷲田:納得がいけば、失敗も役に立つ。

      ●

大澤:その一番のレッスンが憲法論議だと思うんです。
   憲法はその国がどんな理念を掲げ、何を国益と考えるかを対外的に示す最重要の外交文書。
   混沌とした世界でどのようなスタンスをとるのか。積極的な議論が必要です。

鷲田:憲法の原語、コンスティチューションの語源は「成り立ち」です。
   最高位の法ではなく、こういう成り立ちの国にしたいという人民の宣言とみるべきでしょう。


大澤:だからわれわれ主権者が語らなきゃいけない。
   その結果、今の憲法を維持するなら、今度こそ自分たちの積極的な選択以外の何物でもない。
   変えるにしても、押しつけられた…とはもう言えない。

鷲田:憲法に関連して、ヘイトスピーチや靖国の問題を、右翼思想や国粋主義と結びつける人もいるけど、ボクは違うと思う。
   グローバル経済が席巻して、国家が揺らいでいることを知りながら、必死に日本にしがみついている感じがする。
   根底にグローバル化の中で冷遇、差別されていることへのルサンチマン(怨念)があると思う。

大澤:つまりヘイトスピーチは思想の問題ではなくて、かなりの数の脱落者を生んでしまっている社会の仕組みの問題です。

鷲田:端的に言えば、格差の拡大ということ。
   資本主義が発展の最終段階を迎える中で、再び貧困が問題化した。

大澤:格差に納得出来ず、強い不満を抱いている人が大勢いるんです。
   人間は不平等に弱いので、極めて不快な思いをしているはずです。


鷲田:特に危ういのは、地域共同体を担ってきた中間層がすっかりやせ細ってしまったこと。
   近代以前の日本では、出産や育児から調理、排泄物処理、治療と介護、治安まで、命に関わる営みはすべて
   共同体でまかなってきた。
   ところが明治期より、超スピードの近代化の一環として国が公共機関を整え、プロを養成した結果、
   市民は公共サービスを消費する「顧客」になってしまった。

大澤:目の前に問題があるときに自分たちで解決しようとせず、
   どこに外注しようかと考える発想。これをなんとかしなければいけない。

鷲田:共同体のチカラって、生きるために一日たりとも免除できない営みを、
   みんなで助け合ってやることで強くなり、鍛えられていく。
   ところが日本の郊外住宅地は、職住分離で労働と切り離され、消費しかなくなってしまった。
   「押しつけ」「お任せ」の根っこにあるのも、市民の「顧客化」です。


  


   

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【Sep_21】黒田育世×中沢新一

2014-09-22 | Mement_Mori
Dance New Air_関連企画「黒田育世×中沢新一」対談@青山ブックセンター

このふたりの組み合わせを聞いただけですぐさま応募したのだけど、
期待どおり様々な示唆に富んだ対談だった。

まず驚いたのは、育世さんはまったく本が読めない…ということ。
中沢さんの著作を対談前にトライしてみたのだけど、前書きまでが精一杯だった…と。

やはり言語化できないモノを抱え込むからこそ、あれだけのエネルギーで作品が成就するのだと、合点。

言葉にできる&できない…の境界線によって多くのモノが実は抜け落ちていて、
その「できない」部分に意識的であるか否かが、生きることの本質と深く関わっている…という事実が、浮き彫りに。
近代以後、いかに言葉偏重で多くのモノを見喪ってきたか…考えされられた。

政治や立法、司法など、この世を動かしている物事がすべて
言葉によるジャッジで成立している不均衡さに、もう少し意識的であるべきだと。

その後、大脳辺縁系から松果体へと話は進み、
インドヨーガやシュタイナーのオイリュトミーが舞踊の核心に触れていること、
育世さんにとってのダンスは、声帯の筋肉の細かい揺らぎが松果体を刺激し、カラダを動かしているのだ…といったこと、
だから「落ち合っている」での怪我をした海鳥の言葉にならない声は発せられているといった肉体的な話から作品の中核へと話題は遷り、
弱者に寄り添うとは、実は加害者にもなり得るという視点をもつこと…
おのれ自身が残酷なモノを秘めているのだ…という事実を描くことだと語っていたのが、印象的だった。

宗教的観点から中沢さんが語っていた「原始的な神は無力だった」という切り口にも共鳴。

なにもできない存在を崇め、そこに在ることの尊さが「神」である…と敬った日本人の宗教心が白眉だと。
「居てくれるだけで有り難い」と気付くことで世界の奥行きが広がる…といった話は、
育世さんの世界観と通じるところがあって、顫えるものがあった。
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【Aug_06】広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式

2014-08-10 | Mement_Mori
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【Aug_09】長崎被爆者_平和への誓い

2014-08-10 | Mement_Mori
長崎被爆者代表が語る「平和への誓い」全文 


1945年60分6月半ばになると、一日に何度も警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴り始め、
当時六歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。

8月9日朝、ようやく目が覚めたころ、魔のサイレンが鳴りました。

「空襲警報よ!」「今日は山までいかんば!」緊迫した祖母の声で、立山町の防空壕へ行きました。
爆心地から二・四キロ地点、金毘羅山中腹にある現在の長崎中学校校舎の真裏でした。
しかし敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは「今のうちー」と防空壕を飛び出しました。

そのころ、原爆搭載機B29が、長崎上空へ深く侵入して来たのです。

私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。
お隣のトミちゃんが「みやちゃーん、あそぼー」と外から呼びました。

その瞬間空がキラッと光りました。

その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えていません。
しばらくたって、私は家の床下から助け出されました。
外から私を呼んでいたトミちゃんは
そのときけがもしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。

たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなり、たとえその時を生き延びたとしても、
突然に現れる原爆症で多くの被爆者が命を落としていきました。

私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。
わたしが被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。

原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることもできません。
今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界中から一刻も早くなくすことです。

そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。
被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。
しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。

今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。

日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。
武器製造、武器輸出は戦争への道です。
いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。

歴史が証明しているではないですか。
日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。
被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。

福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、
仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々がおられます。

小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。
このような状況の中で、原発再稼働等を行っていいのでしょうか。
使用済み核燃料の処分法もまだ未知数です。早急に廃炉を含め検討すべきです。

被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。

小学一年生も保育園生も私たちの言葉をじっと聴いてくれます。
この子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、思いいっぱいで語っています。

長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、
再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の「実相」を語り継いでください。
日本の真の平和を求めて共に歩みましょう。
私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え残していく決意を皆様にお伝えし、
私の平和への誓いといたします。

平成26年8月9日
被爆者代表 城台美弥子


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【Jul_02】WorthとPrice

2014-07-02 | Mement_Mori
  すべての固有な真価(ワース)が失われたということは、
  絶えず変化する需要と供給の評価と無関係な客観的な価値(ヴァリュー)を持つ者はもはや姿を消し、
  すべてのものが別の等価のものと取り替えることができるということである。

                     (「人間の条件」ハンナアレント著)


そのものが本来持つ真価(ワース)を失うとは、すべてが市場の価格(プライス)で判断される…ということ。…それが資本主義である。
そして、今回の集団的自衛権の閣議決定により、政治もまた真価を持たないものに成り下がったことを示した。

真価(ワース)とは、比類ない価値であり、個がもつ絶対的価値である。
価格(プライス)とは、相対的な価値であり、市場判断で上下する市場価値である。

集団的自衛権を推進する側の売り文句は、PKOであり、日米同盟であり、海外基準である。
日本の対外関係においての立場を主張する「立場主義」に終始する。相対的な判断である。

基軸を持たないから憲法解釈も大きく動く。
ひとつの法が多様に解釈される…ということは、すべてが相対的判断で下される…ということ。
拠り所を喪っているのだ。

法治国家でありながら、法そのものが相対的であるならば、
人間生活レベルでの基軸も失われ、モノの善悪もケースバイケースに委ねられるということ。
つまり、すべてが市場判断で下される社会に、資本主義のシステムは動いたのである。

すべての判断が強者論理に取り込まれる

強者と弱者の線引きがハッキリとしていき、強者の法に従わないものは「反社会的」のレッテルを負わされる。
これは戦前の日本と同じ状態であるが、「反社会的=敵」という概念を生み出すことによって、
その社会における国民は、いつなんどきオノレ自身が「敵」になるかもしれない…という緊張状態をつくる。
それが「全体主義」の温床となる。誰も信じられなくなる…状態とは、絶えず相手を陥れようとする社会であり、
異物を排する状態が常態となれば、その同調圧力はすざまじいものとなる…。それが1937年頃の日本であった。

戦後70年が経とうという日本国家は、またしても同じ轍を進んでいる。これは否めない。

ただ言えるのは、これからの国家の行く末を決めるのは主権在民である、わたしたちだということ。
集団的自衛権の行使をさせるさせないを決めるのは、政府ではなく、わたしたちなのだ。
「法の箍が外れた」ことで、よりシビアに政治と向き合う姿勢が求められている…ということ。
わたしたちが考え、反映させていく国家の成り立ちへと、より政治を引き寄せていく好機と捉えるべきなのだ。

ドイツでは徴兵制度を廃止するに当たって国民からの反対意見があった…という。

「軍隊を政府に委ねてしまうことは、戦争を政府に委ねることになりはしないか」と。
わたしたち日本の民主主義は、まだまだこの域に達してはいない。

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【河原宏】同調圧力と天皇制

2014-02-18 | Mement_Mori

同調圧力の強い日本では、自分の頭でものを考えるという訓練が積まれていないような気がするんですよね。
 自分なりの解釈を加えることに対する不安がとても強いので、批評の機能が弱ってしまっている。


                   ( 是枝裕和「二分法の世界観」より )

明治以前のニッポンに『国家』の概念は存在しなかった。
とすると、『国家』はたかだか146年の歴史でしかない。
そのうちの過半数の78年は、欽定憲法下に置かれたものである。
この急拵えの『国家』を巷に浸透させるため、大いに活用されたのが神道である。

そのころすでに2万3万社あった神社を、『統る皇』の名の下に統一し、
八百万の自然信仰であった神道を、森羅万象統る神は天皇…という国家神道にすり替え、
この豊饒の国土ニッポンを産んだのは、すめらみこと『天皇』の始祖である天照大神だとした。

今までの庶民の信仰の拠り所を『自然神』=『天皇』とすり替えることで、
『国家』とは、『自然神』である『天皇』が頂の、万世一系の民の集合体であり、
君父臣子、八紘一宇の運命共同体であるという認識をすばやく血肉化することに成功した。

そのシンボルが、『靖国神社』である。

   神社の所管は陸海軍省となり、祭典の祭主は陸海軍の将官がつとめ、
   宮司も軍の任命するところであり、しかも臣下をまつる神社に天皇が参拝するという
   例外的処遇が与えられて、ここに天皇崇拝と軍国主義の結合がはかられたのである。
   
   こうして戦没者は天皇のために死ぬことによって「護国の英霊」となって
   神としてまつられ、国家はすべての国民に礼拝を強要した。
   それを受け入れぬものは不忠、非国民として政治的、道徳的な犯罪者とされるのみならず、
   共同体秩序の攪乱者として生活の次元での疎外、圧迫を被ることになる。
   戦場におもむいた兵士にとってもこのことは最大の威嚇効果を発揮していた。

                   ( 河原宏著「昭和政治思想研究」)

開国によって知らされた異国への脅威にただただ戦々恐々とし、
『天皇』を精神的主柱とした運命共同体『国家』として集約されなければ、
ニッポンという島国は四方八方海に囲まれ、ひとたまりもない…と体を硬くし、
中身を伴わないまま「急拵え」の『国体』としての国家神道を拠り所にした国、日本。

「戦うボクら少国民、天皇陛下の御為めに、死ねと教えた親たちの…」

国のために死ぬことは「護国の英霊」として誇り高いものなのだ…と
幼稚園の唱歌からすでに靖国神社行きを刷り込んでいたこの国とはいったい?

   古代氏族制社会にとっても、武家支配による封建制社会にとっても
   また維新以後の資本主義社会、敗戦後の民主主義社会のすべてにとって、
   天皇制はそれ以前から存在する既成事実である。
   しかもそれはあらゆる既成事実の中でもっとも古く、
   もっとも由緒正しいものなのである。
   皇国史観によれば、それは日本の歴史にとって既に与えられたものだったからである。
   ここに、天皇制の存在はあたかも子にとって親が自己の主体的選択によって親なのではないのと同様、
   無条件、一方的に受け入れるべきものとなる。


                   ( 河原宏著「昭和政治思想研究」)


『国家』の基盤だけでなく『国民』の後ろ盾をも決定する『天皇制』。
その空っぽのアイデンティティに違和を唱えると、爪弾きに遭う社会。
『天皇制=国体』の転覆を企てることは、すなわち大逆=人倫に背く悪逆な行為として、
【アカ】【共産主義】【ユダヤ】という大雑把な括りで一緒くたにされた。
この粛清ともとれる同調圧力がもっとも幅を利かせたのが『軍法会議』である。


   ●軍法会議による処刑者の年次別推移

      1938年=2,197人
      1939年=2,923人
      1940年=3,119人
      1941年=3,304人
      1942年=4,868人
      1943年=4,976人
      1944年=5,586人

                   ( 河原宏著「昭和政治思想研究」)

   
戦線で行方不明となった一兵士がゲリラに捕らわれ、俘虜となる。
俘虜のままでは郷里の家族がどれだけ恥ずかしい思いをするだろうから…と、
意を決して脱走を図り日本軍に戻ったが、軍法会議により処刑となることはザラ。

「負傷して巳むを得ず捕虜となった者でも、そいつは必ず味方の情報を敵に喋ったとみなされ、やはり奔敵罪で処罰される」

さらに死の過酷さは続く。

戦死による兵士の遺骨は一人一人、白木の箱に納められ、軍の栄誉礼でもって迎えられ、遺族の手に引き渡される。
そして「護国の英霊」として靖国神社に祀られ、国民の強制礼拝の対象となる。
しかし、叛乱・逃亡など軍法会議による刑死者の遺骨は辱めと見せしめのために、荒縄で縛られ遺族に渡されるのだ。

「急拵え」の空っぽのアイデンティティにしがみつかんがために、
恐怖政治の様相で『国家』が『国民』を同調圧力によって縛り上げた。
たかだか68年前の話である。

「同調圧力の強い日本では、自分の頭でものを考えるという訓練が積まれていないような気がするんですよね。
 自分なりの解釈を加えることに対する不安がとても強いので、批評の機能が弱ってしまっている。」


自分の頭で考えるより先に、『国家』が『考える』ことを排除した国、日本。

この「急拵え」の形式ばかりのアイデンティティ、国家神道『靖国神社』に固執する現政権。

『国家』が思考停止を強要した、その先に『天皇制』があることを、
敗戦後のわたしたちが今一度深く掘り下げていく必要があるのではないだろうか?
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【是枝裕和】加害の歴史を知ることから始める

2014-02-17 | Mement_Mori
映画監督である是枝裕和氏が、02/15付けの朝日新聞でインタビューに答えている。

「二分法の世界観」と題したそのオピニオンは、
是枝監督が何を指針に世界へ作品を発信しているのか、
その核心を読み解くことができる内容だ。

世の中には意味のない勝ちもあれば価値のある負けもある。
 もちろん価値のある勝ちが誰だっていい。
 でもこの二つしかないのなら、ボクは価値のある負けを選びます。
 そういう人間がいることを示すのがボクの役割です。


同調圧力の強い日本では、自分の頭でものを考えるという訓練が積まれていないような気がするんですよね。
 自分なりの解釈を加えることに対する不安がとても強いので、批評の機能が弱ってしまっている。


いまの日本の問題は、みんなが被害者意識から出発しているということじゃないですか?
 映画監督の大島渚はかつて、木下恵介監督の『二十四の瞳』を徹底的に批判しました。
 木下を尊敬するが故に、被害者意識を核にして作られた映画と、それに涙する『善良な』日本人を嫌悪したのです。

 
戦争は島の外からやってくるのか?違うだろうと。
 戦争は自分たちの内側から起こるという自覚を喚起するためにも、
 被害者感情に寄りかからない、日本の歴史の中にある加害性を撮りたい。
 みんな忘れていくから。誰かがやらなくてはいけないと思っています


そして、こうも言っている。

安倍政権を直接的に批判するドキュメンタリーもあっていい。だけど
 もっと根本的に、安倍政権を支持している私たちの根っこにある、
 この浅はかさとはいったい何なのか、長い目で見て、
 この日本社会や日本人を成熟させていくには何が必要なのかを考えなくてはいけません


人間の複雑さこそ思考を成熟させ、社会を変えられる。

ボクも震災以来の日本社会の浅はかさに忿怒を覚え、
様々な文献を読み漁ってきたのだけど、是枝監督の指摘は的確だ。
 
早稲田大学教授の河原宏さんが書いた「日本人の戦争」「昭和政治思想研究」の2冊は
現代の日本社会がなぜこのような事態に及んできたのか、戦前戦中戦後の政治思想を読み解き、
事実を子細に汲み取ることで解説を試みようとした、示唆に富んだ名著であった。

何よりもまず、その書かれている事実に驚愕の連続である。

そして、浮き彫りになるのは、日本人の「所在なさ」であり、「寄る辺なさ」であるのだから、怖ろしい。

明治政府が立ち上がって、西欧に追いつき追い越せのコンプレックスが芽生えてから今の今まで、
「日本」という国の立ち位置を見失ってきた…のが、この150年の歩みだと、断言できる有り体なのだ。

その「所在なさ」をギリギリのところで支えてきたのが、「天皇制」だとボクは思う。

そして、その「天皇制」の空虚なことよ。「天皇制」を拠り所として、そこで日本人は何を生み出したのだろうか?
はなはだ疑問に残ることばかりである。

1936年2月26日に「226事件」が勃発するが、あの事件が端的に物語っている。
歴史上は若手将校の「皇道派」が蹶起した陸軍のクーデター…程度にしか扱われていない。

1929年に起こった世界恐慌により、市井は貧窮のどん底となり、農村部では人身売買が横行するなど究極の事態にあり、
そのような状況下で農家の次男三男たちは、兵卒になることで親の負担をできるだけ少なくするよう努めていた。
若手将校が蹶起を思い立ったのは、そのように疲弊した農村の窮状に屈服しがたいものを感じたからであり、
ブルジョアジーの利権闘争に明け暮れる政府を転覆させ、天皇の直接采配によって、日本社会を是正しようと思い詰めたからであるが、
蹶起の起きた時、他ならぬ昭和天皇自身がその叛乱に恐怖を抱き、「革命軍」の撲滅を願ったのであり、
事件以後、そのような叛乱において命が奪われることを常に危惧していたがために、
内乱よりは開戦がまし…と戦争を興し、内乱よりは敗戦がまし…と戦争を終わらせたのである。

それを裏付ける事実として書かれているのが、当時の天皇家の資産である。

   その一例を天皇家の資産状況に見てみよう。敗戦後、占領軍の命令によって皇室財産の全貌が明らかにされた。
   それによると終戦時、皇室所有の現金および有価証券の総額は三億三千六百万円、
   その内訳は国債、地方債、社債の合計が七割近く、株式所有は 二十九種、八千七百九十八万円(払込済又は出資額)となる。
   戦前の日本では皇室自体が巨大な資本家であった。
   さらに皇室財産としてより巨大なのは、終戦時百三十万余町歩にのぼる土地所有である。
   ほぼ新潟県の総面積に近い。あるいは東京+神奈川+大阪+香川+佐賀+鳥取、六都府県の合計面積に匹敵するものとなる。
   その大半、97%は山林である。終戦時、土地資産の評価額は三億六千一百万円とされた。
   天皇家は日本最大の山林地主だったばかりでなく、上記有価証券の所有と合して日本最大の資産家であったことは間違いない。

他でもない、天皇家自身が強大なブルジョアジーであり、その保身を維持するための法律が「治安維持法」〔昭和16年制定)であった。

   国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁固ニ処ス

…とは、天皇を初めとする資産家の私有財産を保障する法律であり、どのような組織も団体もそれを侵してはならないとした。
つまり、農村部が貧窮にあえいでいる中で、自分たちの資産だけは確保しようとしたのが、戦争勃発後の天皇家なのだった。

将校たちの思いを掠め取るような、ブルジョアジー王家の裏切り。
神聖なものとして崇めていた「天皇家」が既に金満に目がくらんでいた…とは。

そのような「天皇家」を「すめらみこと」と冠し、大東亜圏を広く「すめらせかい」と一括りにしてしまおうとしたのが、
1938年から中国、アメリカへと戦線を広げた『大東亜戦争=太平洋戦争』である。

これがまたとんでもない思想である。

   o戦時中に出版された本
   『すめらみくに』新見吉治著
   『すめら朝鮮』上田龍男著
   『すめらあじあ』鹿子木員信著
   『すめらせかい』河野省三著

   皇道主義の宣布をめざしたこれらの著作の内容は一応に「国体の精華」=『すめらみくに』を説き、「八紘一宇」=『すめらせかい』を説くものである。
   皇国『すめらみこと』とは『すぶるみこと』を意味し、『すぶるみこと』とは『すべてを一つにまとむること』を意味する。
   従って皇国とは実に、雑多の統一者=すなわち天皇に依る全体的国家、一致団結統一結束国家の謂れに外ならぬ」とされている。
 
  「絃に「すむらみくに」の崇高なる国性が存じ、その歴史の展開に伴って「すめらあじあ」(皇亜細亜)の理想が具現し、
   明治の末以来、力強く東洋の平和が唱えられてきたが、今や更に東亜の新秩序から百歩進めて、
   世界平和の確立や世界新秩序の建設に、日本自ら指導的の位置に立ち、そこに堂々と「すめらせかい」(皇世界)としての光華を万邦に及ぼし、
   世界人類をして、宗教的、道徳的、家族的な国家生活を楽しましめる世界が拡がってくるのである」

  「あの雄渾な神話に生きる神々が、日本内地にのみ降られて、あの狭い海(或いは陸地であったかも知れない)を渡られなかった筈がない。
   あのいくつかの島々のみが、天孫のきみたるべき地であったとは思えない。やはり、この半島も含めて居られたに違いない。
   否、半島ばかりではない。八紘一宇の大理想は、あに、この半島ばかりであっただろうか?である」
   これが内鮮一体の強化、旧来の日鮮同祖論を神話の次元で更に一歩進めたもの。

つまり、『大東亜共栄圏』とは、「すめらみこと」=「統る皇」が日本だけに収まっているはずはない。
世界を一つ屋根とし、みなが天皇の許に豊かな生活を享受しようではないか…という、大風呂敷なのである。

だが、その実態は、日本の権益の拡大と、石油を初めとする資源の確保であった。

   大体、日本の戦争と云うものは、一般的には大東亜共栄圏を確立することになって居りますけれども、
   その一番本を成すものは何かと云うと、やはり日本の権益と云うものが一番主体をなさなければならぬ…。
   
1941年にアメリカの対日石油全面輸出禁止措置を受け、大日本帝国が戦争を続けるにあたり、逼迫したのが石油である。
そして政府が選んだ道というのが、人造石油の製造であったのだから、狂信的としか思えない振る舞いである。

松の根っこである松根を釜で乾溜してタールを採取、その松根油をさらに水素精製することで航空ガソリンにする。
戦艦大和は重油の代用として大豆油を使用していたというし、そもそも特攻攻撃は、燃料不足に対する窮余の策であった。

「統る皇」による大東亜のユートピアを作ることが、大東亜戦争の目的であり、
その根拠は天皇を生み出した神話にあったワケだけれど、フタを開けてみれば、
その「寄る辺」は見事に覆され、商業的な富の獲得と、資源の確保という、あまりにも浅はかなものとなった。

そして、その「統る皇」を信じて大勢の兵卒が「天皇陛下萬歳」と叫んで散っていた。

この薄っぺらな思慮浅い思考思想で存在していたのが大日本帝国であり、いま現在も続いている法治国家の素顔である。

  「この浅はかさとはいったい何なのか、長い目で見て、
  この日本社会や日本人を成熟させていくには何が必要なのかを考えなくてはいけません」


この国を「所在ない」「寄る辺ない」ものとしている、その根っこは、ニッポンという国のアイデンティティの不在にあると、ボクは考える。
いや、不在ではない。明治政府が否定し、抹殺してしまった庶民信仰や庶民文化にこそ、アイデンティティはあると、ボクは信じる。

あの時、すべてを切り捨ててから、ニッポンは「寄る辺ない」国となってしまった。
そこからの迷走・妄走が、いまの安倍政権のナショナリズムへとつながっている。
「弱い人間」が「弱い」ことを認めないでいるから、「虚勢」を張る「夜郎自大」な振る舞いとなる。

今はもう一度、日本のルーツを見つめることからしか、答えは導き出せない…と、ボクは思う。
ひとりひとりがもう少し思慮深くなる。そこからしか、光は見えないのではないか。












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【Jul_23】独立の思考

2013-07-23 | Mement_Mori
オランダのジャーナリスト、カレル・ヴァン・ウォルフレンさんと日本の外務省官僚であった孫崎享さんの共著。
国際社会において、日本という国がどれだけアメリカ偏重で、隷属と化しているか、ふたりの国際的な目線でわかりやすく解説されている。

参議院選挙において、自民党圧勝となった結果を踏まえながら読み込むと、その危機感が増す。

いやしかし、これを読むといかに日本の報道が一元的で偏ったものであるか、
そして、国民はその報道をいかに鵜呑みにしているか、思考の単層化に呆れかえってしまう。

作られた虚像に怯え、硬直化し、思考停止となった日本人。
表層化したとっつきやすいイメージだけを追いかけ、その深層に潜む真意を欺こうとしない。
今日の朝日朝刊で内田樹氏が「政治もグローバル化のあおりを受け、効率とコストパフォーマンスを求める時代となった」と揶揄しているように、
「国家百年の計」よりも「目先の得」を求め、有権者も企業ばりに短期的視野で成果を求めるようになっている。

福島県の有権者が「復興をこれ以上待っていられないから、現政権に託すつもりで自民党に投じた」と語っていたが、
「目先の得」さえ得られれば「国家百年の計」である原発が再稼働することも厭わないという感覚が、今の日本人なのだ。

北朝鮮や中国へ向ける全体主義的な嫌悪感も、見事に日本の報道が作り上げた虚像に引っ張られている…と著者は言う。

北朝鮮があそこまで追い込まれたのも、米韓両国が「補完し合う抑止」と呼ばれる方針に合意し、
米韓共同軍事演習で仮想敵国として北朝鮮を想定し、核弾頭ミサイル搭載も可能な爆撃機で訓練を行ったりしているからだし、
(はなから対話で外交を進めようという視点はなく、戦争に依ってでも独裁政権を潰そうという挑戦的姿勢)

尖閣諸島によって取り立たされた中国との国境問題でも、自由経済で強大化した中国を勝手に帝国主義化に描いて脅威と報道しているが、
40年間「棚上げ」してきた尖閣問題を顕在化させたのは石原慎太郎前都知事であり、国有化によって油を注いだ野田政権なわけで、
(沖縄県知事選前に日米同盟を強固なものへとするための“トリガーインシデント=引き金となる事件”に仕立てたもの)

そういったパワーバランスを鳥瞰的に眺め判断しないと、
いつまでたっても「アジア脅威、アメリカ偏重」のスタンスは変わらず、
日本独自の外交スタンスを描けないものとなってしまう。

アメリカ自体が長期的展望に立って国際社会を渡っているわけではなく、
超短絡的な視点でグローバル化、効率化な政策に明け暮れているわけで、
(ケネディ暗殺もベトナム撤退を嫌った軍産複合体によるもの)

オバマ政権はどこまでもウォール街を尊重して、改革など一向に進んでいないと一蹴する。
その最たるものがTPPによる中国の経済的孤立化とISD条項による企業権力の絶大化だ…と。

日本の最大貿易相手国である中国を差し置いて、TPPを締結するメリットは皆無。
TPPはアメリカの企業を有利に働かせるための市場拡大条約であり、貿易ルールではなく、権力行使でしかない…と。

民主党政権が真に改革を目指していたのも、実は脱対米追従路線であり、脱官僚政治であったと。
鳩山由紀夫や小沢一郎は、日本に連綿とつづく隷属意識を改善すべく動いたわけであり、
その諸悪の根源となっている各省庁の対米追従指向を糺そうと、政治の場を官僚から内閣へと動かそうとしたのだが、
民主党内が一枚岩ではなかったために、呆気なく対米追従路線へと移行してしまった。

小沢一郎は2009年12月に600名もの民主党員らを率いて中国を訪れ、国交強化を図っている。
それだけでもアメリカにしてみれば、日米同盟を反故するものと見えたようで、
東京地検特捜部が「政治資金規正法」により小沢をつるし上げた。

田中角栄が中国国交正常化に動き、ロッキード事件で政治生命を絶たれたように、
小沢一郎も民主党の失政によって、完全に悪者扱いという「人物破壊」を受けている。
その背景には、日本とアメリカの良好関係こそが日本繁栄の礎…とする“神話”が、
報道を通じて国民全体に浸透しているからに他ならない…と。

東京地検特捜部は、米軍占領下の時代「隠退蔵事件捜査部」として旧日本軍の資財を探し出し、GHQに献上していたのが前身。
その組織を引き継いだカタチで、現在もアメリカのためにせっせと働いている…というから驚愕である。


  ウォルフレン:「ナショナリズム」を声高に叫んでいる人たちは、うわべだけのナショナリストなのです。
          彼らが“反米”にならない理由は簡単です。“反米”では、日本の政治システムと対決することになる。
          しかし、彼らはそれを望んでいない。覚悟を決めて政治システムと対決するつもりもないのです。
          その点、中国は攻撃しやすい“敵”なんですよ。
          だから、ナショナリズムのはけ口が中国へと向かっているのだと思います。

  ウォルフレン:ナショナリズムは「驕り」だと思います。自分の国の方が優れていて、他の国には何をしても構わない、
         という不遜な態度につながってしまう。一方、愛国心は「プライド」です。簡単な例でいえば、
         オリンピックで日本の代表選手が金メダルを取れば日本人は喜びます。これは愛国心ですよね。
         ただし、私のような外国人でも、オランダでオリンピックの中継を観ながら、妻と一緒に日本を応援していました。
         私は外国人ですが、日本を「自分の国」だと考えている。外国人であっても日本への愛国心は持てるのです。
         つまり、国籍に関係なく「自分の国」を愛し、プライドを持つことが愛国心なのだと思います。

      孫崎:アメリカの服従を続けている限り、日本は自ら考える必要がありません。安全保障政策やTPPへの参加問題、
         さらには原発政策まで、すべてアメリカに従っていればよいのです。こうした傾向が強まっていけば、
         個々の日本人の思考が停止してしまいます。そうなってしまえば、もう国家として終わりです。
         国民が知的な思考を持ち、それぞれに考えて判断を下すことが重要です。
         私たちは文明の果実を十分に享受できる時代に生きているのですから。

2011年3月11日。東日本大震災によって、日本の脆弱な報道システム、脆弱な政治システムが露呈した。
あれから2年と4ヶ月。わたしたちは日に日にその覆われた真実へ近づいてきている。

現自民党政権が、進めようとしている様々な案件も、多元的な視野を持てば、その偏重さに腹を抱えることだろう。
いかに時代錯誤な外交を押し進めて「国際的な孤立」へと向かっているか、私たち国民がひとつひとつ見極めていかなければならない。
「日本NIPPON」はどのような国であるべきか、まずは一国の民として、どこからも干渉・支配を受けない国にすることが先決なのだ。
その立ち位置を描いた「グランドデザイン」を、2年も放置されたままの東日本から始めなければいけない…と強く思う。










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【Jul_19】ニッポンはどこへ向かっているのか?

2013-07-19 | Mement_Mori
いよいよ明後日が参議院選挙の投票日である。
マスコミの電話調査によると、与党圧勝との4文字が紙面に踊っている。

都議選の悪夢がまたもや22日にやってくるのだろうか?

安倍晋三の鼻の下が伸びた締まらない顔が、報道を埋め尽くすのだろうか?

___事態は深刻だ。

打つ手がない。

民主党が政権を取り得たのも、アンチ自民で浮動票が動いたのと、
「政治が変わる!」との声に賛同した人間が投票率を高めたからで、
2009年以前と2013年で自民党支持層が大きく動いた訳ではない。

単純に浮動票が政党乱立で散逸したのと、
「政治は変わらない」と投票に足を運ばない人が増えたために総数が減り、
結果として自民党票が残っただけなのだ。

…とのお慰みを言ったところで、自民党圧勝であることに違いはなく、
バラバラに収まったリベラル票は死に票となって、またもや民意は宙ぶらりんの状態へと。

ある政治評論家の読みでは、
生活面での大きな変化が伴わない限り、
政治はどんどん民意剥離を進むこととなる。

1998年の沖縄県知事選。

普天間基地返還を争点に沖縄のアイデンティティを訴えた大田現知事と、
「県内不況」というワードで経済問題に争点をすり替えた稲嶺県経団連会長との対決は、
熾烈な争いの末、新人の稲嶺氏が勝利を収める。

その現場に立ち会った時は、沖縄県民の弱さに鼻白んだのだが、
今まさにニッポン全体が、同じような状況下となっている。

原理原則に従えば、原発を止め、とことん被災地と向き合うことが、新しいニッポンの創造へとつながる。
それがニッポンのアイデンティティ再発見となり、進むべき未来の道を拓かれるのだけど、
大多数の国民は「アベノミクス」の錬金術に盲いでしまい、近視眼的な懐の潤いばかり求める結果となってしまった。

それが「日本を取り戻す」ことになると考えているとしたら、浅薄過ぎる。

取り戻すべき日本とは、バブルに浮かれてカネが舞う羊頭狗肉な虚飾の世界なんだろうか?

しかし、日本人は言葉を喪ってしまった。
これだけ偏った安倍晋三の理屈に対して、マスコミも野党も論破することができないでいる。
そもそも批判する…という行為すら為されていない。
まるで大翼賛体制によって言論が統制されているかのごとく…だ。

ひとえに「アベノミクス」に立ち向かう方向性が示し得ないからだと、思う。

それだけカネに塗れてしまった国、ニッポン。
カネの魔力を解いて、目指すべき道を描けない国、ニッポン。

このまま奈落まで転がり落ちるしか、道はなさそうだ。

安倍政権が目指す未来とは…
ひとことで言うと「アメリカ追従_sarvent_Japan」。

国際的に孤立化を深めるアメリカに添い遂げるべく、
中国、韓国を敵にまわし、軍事力を強化する。
憲法改正により、国防軍となった自衛隊は、
莫大な防衛費でもってアメリカから最新の武器を調達することに。
軍産複合体であるアメリカの企業が潤うことでアメリカも潤う。
(現状の国粋主義的な安倍の振るまいは、そのようなシナリオがあってこそ)

米軍基地は国防軍設立によって、あからさまに自衛隊駐屯地とのボーダーが失せ、
日本国中で米兵を見かけるようになり、沖縄はその最大基地として戦時下の様相に。
(その運営費用は相も変わらず「思いやり予算」で賄われる=総額5千億円)

貧富拡大による受け皿として民間による兵隊派遣も生まれ、
徴兵制を敷かずとも兵役需要拡大へ。
(今のアメリカそのもの→富む者は腹を痛めずに軍需でカネを得る)


TPPによって、日本のマーケットはアメリカ企業に進出され、
第一産業のあらゆる収穫物がアメリカ産にとって換えられる。
(ISD条項で企業は国を訴えることができる→つまり、市場が権力により改悪される)

原発に至っても同じ結果に。
アメリカと手を組んだ節操なしの「原発輸出」で、
限られたマーケットにおいて、手腕をふるう株式会社ニッポン。
(原発産業は日本・米・仏のみ→それを寡占とみるか衰退とみるか)

主権を失うことですべてがアメリカのsarventとなり、ひたすら身を粉にして尽くす「美しい国ニッポン」へ。

アイデンティティを疎かにすると、言説も疎かとなり、日本語の機能も衰えていく。
主体がないのだから、原理原則も喪われ、たゆたうクラゲのような国へとなってしまうのが、見える。

アイデンティティを見つめることがどれだけ大事な作業か。
企業に属する「会社員」から「フリーランス」になって、身に沁みた。

属国であれば、そのまま思考停止で居られる。カネが回れば、それで倖せを掴める。
しかし、独立した主権国家となると、常に原理原則が問われる。それはとてもしんどい作業。
いやいや、当たり前でしょ。ニッポンはひとつの独立した主権国家のはず(!)なのだから。

常に突き付けられる原理原則によって、国全体が鍛え上げられ、はじめて世界でも認められる。
国際社会での立ち位置が確立されることで、発言も影響力あるものとなる。…フリーランスといっしょだ。

安倍政権が目指しているのは、楽ちんな方向である。国を滅ぼす方向である。
これは戦後68年培ってきた方向でもある。だから、オルタナティブが埋没してしまった。(多様性欠如)
しかし、この国に合うオリジナルな道は必ずある。それが憲法九条であり、和を尊ぶ国ニッポンだ。

ひとりひとりが気づき、行動に移すことでしか、これは変えることができない。
時間がない。今から動いても20年はかかるだろう。それでも、動かなければ。

里山の新緑が美しい、八百万の神がおる、「恩送りの国」ニッポンのために。

愛する祖国のために。



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【Jul_03】永続敗戦論

2013-07-03 | Mement_Mori
日本という国を、ひとつの「肉体」として捉える。

北海道が「あたま」で、関東あたりが「腰骨」、
九州が大きな「右足」だとすると、沖縄は少し離れた「左足」か。

その左足は、戦後68年…ずっと隣のジョージ君が占有している。

最近、大きな衝突があり、「左腕」から「脇腹」にかけて大怪我もした。
「腰骨」の上あたりは、なんだか放射能の毒素にやられてしまった。

 「肉体」として考えれば、話はわかりやすい。

もしあなたが怪我をしたら、肉体はどう対処するだろうか?
いち早く健康な状態に戻そうと、血液を総動員して、恢復に努めるのではないか?
放射能の毒素にしたって、金輪際そんなモノとはおさらば…もう2度と関わらない…と心に誓うのでは?
占有されてる左足にしても、自分の足で立ちたい!とジョージ君を諭して、すぐさま返してもらうのでは?

 「健全な思考は、健全な肉体に宿る」

戦後68年間、日本という「肉体」は片端なまま、不健全な思考を宿し続けた。
片端な状態だから薬漬けになり、脳味噌もイカれてしまった。

そのような状態を、白井聡さんは「永続敗戦」と名づけた。

 「そもそも多くの日本人の主観において、日本は戦争に【敗けた】のではない。
  戦争は【終わった】のです。1945年8月15日は【終戦の日】であって、
  天皇の終戦詔書にも降伏や敗戦という言葉は見当たりません。
  このすり替えから日本の戦後は始まっています。
  戦後とは、戦前の権力構造をかなりの程度温存したまま、
  自らを容認し支えてくれるアメリカに対しては臣従し、
  侵略した近隣諸国との友好関係はカネで買うことによって、
  平和と繁栄を享受してきた時代です。
  敗戦を【なかった】ことにしていることが、
  今もなお日本政治や社会のありようを規定している。」

日本は【終戦】を迎えることで、「もう二度と戦争はしません」と思考停止を諮った。
「戦争をしません」という宣言は、【しない】という1点においてしか語っていない。
そこには沖縄を焦土の地とし、20万人の国民を集団自決にまで追いやった事実や、
広島長崎に2発もの原爆を投下され、夥しい数の国民が「ピカドン」の一瞬で死滅した事実を語っていない。
頑なに「もうしない!」と踏ん張っている子どもと同じである。

内田樹氏は「この国はどこで間違えたのか」で、
「もう2度と戦争に敗けない」ことを起点としなければ、「もう2度と戦争をしない」姿勢を貫くことはできない…と語った。
つまり、徹底的に【敗けた】事実の検証と猛省と対策なしに、「戦争をしない」姿勢で防御を貫くことはできない…と。

内田氏は合気道をやられているから、実戦を踏まえていて単純明快なのだ。

目の前の敵が闘いを挑んできたとき、正面からそやつを捉え「闘わない」姿勢を貫く…とは、
決して目線を逸らさず、相手の目を見続け、一瞬たりとも敵に動く余裕を与えないことだ。
それだけの凄味を相手に与える…とは、どういうことか。

そこには「もう2度と負けない」という強烈な意志で全身がみなぎり、気魄が宿らなければならない…と語る。

しかし、今の日本はどうだろう。

「もう戦争はしません」としながら、「日米安全保障条約」を後ろ盾に、属国であり続けている。
【核の傘】なる陰の下で、ちょこまか奇声を発しているガキの様相。…おそまつ。

そのような「病んだ肉体」だから、沖縄問題も【仕方ない】と県民に(国民ではない)押しつけ、
原発事故も【仕方ない】とやり過ごし(福島県民に自己責任を語った驚愕!)、再稼働への道を開こうとしている。
改憲によって属国の事実すら【仕方ない】と目をつむり、なし崩しにしようとしているのが、今のニッポンなのだ。

 【仕方ない】の集積が、いまの日本社会を形作っている。

 「その代表が原爆投下でしょう。
  日本の自称愛国者たちは、広島と長崎に原爆を落とされたことを【恥ずかしい】と感じている節はない。
  被爆の経験は、そのような最悪の事態を招来するような【恥ずかしい】政府しか我々が持ち得なかったことを端的に示しているはずなのに、です。
  原発事故も、政官財学が一体となって築き上げた安全神話が崩壊したのですから、まさに恥辱の経験です。
  【仕方ない】で万事をやり過ごそうとする、私たちの知的・倫理的怠惰が、こういう恥ずかしい状況を生んでいる。
  恥の中に生き続けることを拒否すべきです。それが、自分の言葉をもつということでもあります」

「健全な思考は健全な肉体に宿る」…その事実を、しかと受け止め、立ち止まり考えることからしか、次の一歩は生まれない。












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【May_05】緑の炎

2013-05-06 | Mement_Mori
日に照らし出された緑が、炎の揺らぎにみえる。
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